■ 心に残る出会い
21日、小川山。モウアラさんとお知り合いになり、とっても、嬉しく思っています。
こちらのブログを書いていらっしゃる方です。ご夫婦でクライミン♪
とても真摯な姿勢で、クライミングをしておられ、ちょっと憧れる・・・というのも、私は、まだクライミング下手くそなので。
”まだ”と言っているところが、その”先”があるつもりなの~?!と言うか・・・(^^;)・・・ですが、あるつもりなんですねぇ~(笑)。
発展途上にいます。
■ 行くべき山行がある、という喜び
クライミングを含め、山、という活動は、わたしにとっては、ひとつの自己実現です。
人は、有償、無償を問わず、なにがしかの分野で、自己実現していく生き物。
それが、なんの因果か、たまたま山になっちゃったんですねぇ~(笑)
そう言う意味で、モウアラさんとは、連帯を感じました☆
入口は違えど、出口は一緒。
つまり、自己実現しているという事実は一緒です。
今、私は、その実現している内容、中身について、とても満足している、ということが言えると思います。
自分の願ったことが、山行という形になって実現しています。
行くべき山行がある、ということが、実現している、という直接の結果であり、証拠となっています。
そのおかげで、幸福感一杯!
そのことについては、天の采配に驚くばかり・・・同時に感謝もしています。
■ 山は自己満足です!
幸福の尺度には、個人には色々あって良いわけですが、
HAVE、DO、BE
という言葉で、精神的成熟度が計れます。
HAVEでは所有が、DOでは行為が、BEではあり方が、その人の幸福の尺度になります。
HAVEで幸福を計る場合、いくつ持っているか?何を持っているか?が幸福の尺度となってしまい、それは、精神的未熟さを示します。日本の高度経済成長期みたいなもの。
子供は、よその子がもっているものを欲しがりますよね?人は人、自分は自分、と思えないわけです。
山に例えると、皆が行っているから、行きたい。
DOというのは、行動が、その人の満足となるため、仕事であればワーカホリックです。どのような分野でも、このDOの連続がないと、いわゆる結果は出せません。
私はこのステージにあり、それは、甲府にいる間は、山さえ行ければ幸せ、と、自分の幸せの尺度を5年前に決めたせいです。願ったら、叶ってしまいました・・・。
山に行きたいのに、いけない人には申し訳ありません。でも、山に行けさえすれば後は無くてもいい、とまで、捨てきっていないと、思いは実現しないかもしれません。人生は選択の結果なので。
で、この5年間というもの、これまでフルタイムで仕事に傾けていたのと同じ情熱を、登山に向けて注いでいます。
その結果が、今現在の私の登山に結実しています。
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