雪の山で、生死を分ける要素は何だろうか?
それは、登ろうとする、”特定の山”に対するの知識だ。
山はそれぞれ個性があり、リスクも違う。ただ難易度順に並べればいいわけではない。
”山の知識”とは、危険を避けるにはどうすればよいのか?という知識。
これを得るには、山を畏れ、山のことをよく知ろう、という意識することだ。
雪の山に登るんだから、当然だが、天候が荒れれば、ハイキングの山だって死んでしまう山になる。
易しい雪の山から難しい雪の山まで、雪の山では、天候に対する真摯な研究心が、生死を分ける。
予報は予報に過ぎない。だから、当然、正確でない。判断は、どの地点?時点?で、見極めるのか?
そうしたことは、各山で違う。装備でも違うだろうし、体力でも違う。しかし、ここで合意ができないと、パーティは、意見割れで空中分解する危険がある。
私は私自身が、
・11時 (午後から崩れる予報だから & 翌日強い寒気だから)
・森林限界手前
と決定し、他の本格的山をやる人も同意見だった、判断ポイントに、同行者たちから合意を得られなかったことがある。この人は私より経験値が少なかったが、私の判断に不満そうだった。もっと行けると思っていたと思う。
私は八ヶ岳だったら、風速19mでも警戒する。平時の気温がー17度で、”あったかいな~”と思うくらいの山だから、風速19mだと、-36度ということになる。十分、重度の凍傷の可能性がある。
ただ風速22mの予報の日でも、厳冬期の甲斐駒に登った。…のは、予報は予報であって、地形などの影響もあるから、風の強さは、現場の判断も必要と思うからだ。感じるということ。その日は、大丈夫だと判断した。
一般的には、森林限界あたりでの判断になるだろうし、独立峰的な風の強い山だったら、大丈夫と判断した後であっても、突風に対する警戒は必要だろう。飛ばされるのだけは、防ぎようがないリスクだからだ。
雪の山でのNo1リスクは風です。雪の山というのは、そういうことを学びに行く。
こちらは当方の、風の研究。数字に落とし込むことが大事だと思うが、数字に縛られてもいけない。
https://stps2snwmt.blogspot.jp/2015/02/blog-post_74.html
■ 同じ日に死ぬ人と死なない人がいる
同じ天候でも、判断を誤れば、死んでしまう。
おと年の阿弥陀北稜の遭難事件で、大学生の男女2名が亡くなった時、私と夫も隣の山にいたんだが、当然のように普通に楽しく帰ってきた。
https://stps2snwmt.blogspot.jp/2015/02/blog-post_8.html
https://stps2snwmt.blogspot.jp/2015/02/blog-post_11.html
ので、体力だけが、生死を分ける要因ではない。
稚拙な判断が、死の淵に人を追いやるのである。
なので、若い人、体力がある人には、特に、判断力を磨いてほしいと思う。
が、判断力を磨くというのは、ライフロング…、一生かけて勉強していくプロセスで、登山歴が数年だと、判断の根拠となる十分な経験量が溜まっていない。
その経験値を貯めている間に、死んでしまう人が、非常に多い。
雪は雪自体も勉強が必要だ。夏の雪渓の雪と、里山の雪は違うし、丹沢の雪と八ヶ岳の雪も違う。谷川方面の雪も違う。降雪してすぐと最中雪も違う。そういうことに雪国の人は慣れてわかっているが、そうでない人は、雪に様々な状態があること自体を知らない。
■ 雪の山に行くのに必要な技術は何だろうか?
雪の山に行くのに、必要な技術は何だろうか?
・天候判断
・読図
・雪自体の知識
・生活技術
・キックステップ
・ラッセル技術
・ピッケル
・雪崩知識
・アバランチレスキュー
天候に対する判断力は、経験年数…それも、山と近しくして、毎週おなじ山域に、毎年通っているくらいの知識…読み…が必要だ。
読図は当然だ。学習院大学は、ルートで遭難したのではなく、ルートを終わっての下りで遭難し、何度も、読図のミスを重ねて、滑落、ついに体力尽きている。
読図には、周辺のエスケープルートの知識…万が一の避難路の知識も含まれる。
学習院大学の遭難は、山を知っている人からすると、おかしいなと首をかしげる行動が多かった。間違って、阿弥陀南稜におりてしまったのなら、そのまま立場山を下れば、安全圏に行ったはずだった。なんで登り返したのか? あるいは、元気な人間が遭難の救助依頼をすぐに取り付けなかった。八ヶ岳の寒さがどのようにシビアか?を知っていれば、2晩のビバークだと、もう一刻を争う、と分かるはずだ。寒さがどれくらい厳しいか?くらい、普通のテント泊していても分かる。のに、救助依頼が遅すぎた。
…などなど、無知が根底にあるのではないか?という判断ミスが目立った。死者2名。
読図は、もちろん、登りでも必要だ。
ラッセルのスピードは、雪の状態による。だから、1時間で標高何メートル稼いだか、よく数えておかないと、行動が決定できない。大体、15時くらいになったら、読図でテン場適地を見極めつつ、進まないと、テントが張れない。もし、行動が著しく雪に妨げられていたら、登頂は合理的な選択ではなくなる場合もあるし、そうであれば、下り始めなくてはいけない。すべての判断に、読図上での、自分たちの位置が、今どこか?ということが入る。
一度、中アで、自衛隊と30代男子とラッセルして、1時間に標高80mくらいしか進まないで敗退したことがある。ラッセルマシーンと行って標高80mしか稼げないんじゃ、5時間かけても、400mしか登れない。標高差800を一日で登る計画は、無理だということだ。
生活技術は、基本的にスピードと凍傷予防。凍傷は、本人のウッカリミスということだ。私の知っている事例では、八ヶ岳程度の山でも、大学山岳部であっても凍傷になり、シート搬送されていた。足だ。足は靴が履けなくなるので、小さい凍傷でも意外に大ごとだ。
私の会は、登るべきでない強風の日に阿弥陀北稜に登り、凍傷者3名を出したが、下りで防風性の高いグローブに取り換えなかったことが原因だ。つまり、ちょっと怠惰だったということ。登りは当然、登っているから暖かいが、下りは当然、あまり動かないので、冷える。
ちなみに一度凍傷になると、そこが癖になり、再度同じところが凍傷になりやすくなる。また半年ほど、クライミングもできなくなる。
繰り返すが、山は難易度で、その人の実力が図れるものではない。
山では、そのルートごとに特徴があり、それを味わうことで、その尾根の登り方がマスターできる、ということなのだ。
だから、違う山域に登れば、またそれはそれで、別の勉強が必要だ。
ちなみに私は、八ツから北アへステップアップするのは、かなり慎重だ。というのは、天候の読みが全く違うからだ。
天候は、近所同士で同じ太平洋気候に入る、南アと八ツでも違うくらい、センシティブだ。山塊の端っこの山と真ん中あたりの山でも違う。例えば、北岳と甲斐駒は違う。権現と蓼科山も全然違う。北アだと槍と上高地と後立でも違う。谷川と八ツでは、もう全く別世界くらいに違う。
雪崩に対する警戒も、山域毎に違う。八つでも前日に降雪が40cmあれば、登らない。やばいんじゃないかと話をしていたら、実際、私たちがアイスクライミングしているときに、阿弥陀南稜で、ガイドパーティが、ガイド自身を除く、顧客2名の死者を出した。これは、私たちは沢筋には入らない判断をした日で、摩利支天沢を辞めて、普通に小滝に行った。小滝の隣りの大滝でも、雪崩の実績がある。
雪崩は、雪崩地形をよく知っておく必要がある。基本的にどこでも雪崩れる。阿弥陀北稜で墜落して、沢を降りた有名登山家がいるが、山を知らない行動だと思った。厳冬期に雪が多い時に沢筋を下るなど、自殺行為だ。低山の雪山ハイキング程度の山でも、尾根と沢筋では、かなり積雪量が違う。沢筋は雪が深い。当然だが。
当然だが、そういう理由で雪の山は、尾根が基本だ。夏道がトラバースでついていても、歩いてはいけない。私は後立でバイトしたいたが、毎年、夏道を冬に歩いて、トラバースして雪崩遭難する登山者がいる。知っていて当然のことを知らない。トレースをたどるような山をしているから、そうなるのだ。白岳は直登です。冬季に最も安全なのは、たいがいの場合、直登です。夏道は使ってはいけない。
キックステップは、本当に、分からない人は、一生分からないかもしれない。クライミングのスラブ登りと一緒です。完全に一本足になる。そうしないと不安定になる。
ラッセル技術もいりますが、これはベテランからコツを習うほうが早いです。泳ぐ人もいる。雪国育ちの人は強い。
ピッケルも使い慣れかな。ないと不安になります。
弱層テストは絶対必要。 弱層が何かという知識も必要。傾斜何度が一番雪崩が多いかなど、ちょっと勉強するだけで危険というのは、ある程度、理解できるものだと思う。
アバランチレスキューですが、誤解が多いビーコン。ビーコンがあっても、別に安全度は増さない。ビーコンの出番は、雪崩に埋まった後だからだ。なので、雪崩に遭わないことが一番重要。
私の師匠は、6回雪崩に埋まったそうで、ものすごく雪崩を避けようとします。そりゃ7回目は、さすがに死ぬかもね、と思いますよね。運が悪ければ、1回目でも死にます。死ぬような目に遭っている最中に、必要なのがビーコンです。5分以内に探す。30分以内で掘り起こして、脳に酸素を渡さないと、深刻な障害が残る。何人も埋まってしまったら…、もう全員はレスキューできないかもしれない。プローブは、2.5mなんてのを持っていても、役に立たない。ちゃんと長いのがいる。
けれど、なんと言っても雪崩に遭わない知識を持つのが大事。
去年は、指がない方とも登りましたけど、指がないと、生活は大変そうです。
■ ほんの少しの無知が重大結果
山っていうのは、ほんの些細な無知…知ろうとしなかったことや、勉強不足が致命的結果につながるという、残酷な面がある…
ちょっと…というのは、山なのに、コットンの下着を着てきてしまったとか、靴がないから、運動靴や長靴で来てしまったとか…
クライマーで有名な人は、たいがい若い時に、そういうヒヤリハットを経験して、反省して、口うるさいおじさんに育っている。
だから、失敗は悪いことではない。無知なまま、山に出かけてもいい。
だけど、その時に致命的になってしまうか?しまわないか?は、運ではない。どちらかというと、傲慢さ、強気さ、というようなものだ。
これじゃ死んじゃう!と思ったら、とっとと逃げ帰らなくてはならない…が、体力にゆとりがあったり、頑張ることを美学にしてしまうと、とっとと逃げ帰れなくなる。
名誉欲も関係する。看板を背負っていたりしても、そのことがのしかかる。
だから、最終的に、何もかもかなぐり捨てて、
命が大事!
と思っていないと、初めの一歩=死、になってしまう。
本来、山には順序がある、と言われる。
一般に、夏山の雪渓歩きから、丹沢などの低山で雪に慣れ、八ヶ岳の小屋が近い雪山で強烈な寒気に慣れ、生活技術を磨くため、小屋のない南アや中アへステップアップ、谷川で濡れた重い雪とラッセルをし、北アで本番と徐々にステップアップしていく。
昨今は、里山程度から、いきなり北アの人も多い。その間のステップを教えられていないのは、時代の流れなので、仕方がない。
だから、結局、身を守るのは、命が大事!とちゃんと考えられる心持ち、かもしれない。
ちなみに、私の会にいた人で、厳冬期北岳経験者がいましたが、その人は、地形図が何かも知らず、靴は革靴ゴローで非厳冬期仕様で装備不足、ピッケル・アイゼンは形式だけ、わかんは履いたことがない、という方でした。
会で行くと、連帯できるメリットもありますが、天候判断、地形判断、など、すべての判断をリーダーにお任せしてしまうリスクがあります。そうなると、20年以上も、山をやっていても、
体力以外の何も身についていない、
ということになってしまう事例でした。
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