Monday, May 6, 2019

塩見小屋の訴訟問題について

今日のFBから
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「登山者にとってはどうでもいい話です。」

というコメントが入りました。

当然だと思います。
反応してくれたり、応援してくれる方は沢山いますが、割合にすれば、山に興味のある方の数%かもしれません。
殆どの人は、スルーしていると思います。

逆に登山者の一意見として、コメント入れてくれるだけ、有り難い事なのかもしれません。

ただ、内容は塩見小屋の事や管理人としての私の事ではなく反論も出来ません。
裁判や小屋についてなら理解も出来ますが、それとは関係のない個人的な感想は、酷い言い方をすれば、私にも必要ではなく「見ないで下さい。」としか言えません。

前にも書きましたが、テレビの様に嫌でも目につくという訳ではないので、スルーして欲しいです。

仮に私がこの方の投稿に、「あなたの山行日記は、殆どの人にとってどうでもいいこと。」と書き込めば、この方はどう思うでしょうか?

何を言っても一見自由だからこそ、私は投稿には、慎重になっています。
他人の事を考えなくなれば、今の伊那市と同じになってしまうからです。でも、A課長に関してはかばう気にもなれませんが。

伊那市にすれば、これも立派な管理人に対するクレームになるのでしょう。

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■ 正直者が馬鹿をみる世界を放置することは、全員にとっての悪

このコメント、「登山者にとってはどうでもいいことです」

を聞いたときに思ったことは、他者の痛みが分かる人間でありたい、ということでした…。

山に、みなさん、癒されに来ていますよね。山ですら、弱肉強食の論理を持ち込まなくていいじゃないですか…

山くらいは、ただ”母なる大自然に対する深い理解と知恵”を身に着けた人が、その努力の対価を受け取れる世界であってほしいです。

塩見小屋の訴訟は、あきらかに伊那市市長の横暴ということが見て取れます。私自身は、そのような横暴に対して、真正面からぶつかっていく塩見小屋の方が、心身を悪くされないか、心配でなりません。

私自身のことだったら、こんなことに時間をかけないと思います…なぜなら、戦うことで得るものがあまりに少ないと思うからです。

しかし、果敢にも立ち向かっている人に対して、無関心 を伝えることは。

愛の反対は無関心なのです。

社会で行われた不正義を見過ごせば、その社会はどんどんと生きづらい社会に変化していきます。まわりまわって、人を信頼できなくなっていく…。そうした時に返ってくるのは、自分に対してです。

本当に、山ですら、こんなことを言うような人が来てしまう社会になってしまったのですね…

日本の世相が残念です。






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