Saturday, May 4, 2019

山小屋のオヤジが怒れなくなった山の世界

■ 登山ガイドなんか、まともな山ヤは、なりたくないですよ…

だって、変な人しか山に来ないんだもん…


さて、この本は、山小屋で働く人には必携です(笑)。

何しろ、山小屋には、もうとんでもない人たちが来ます

というか、登山人口の中で、とんでもない人を選別して連れてきているとしか思えないような人がきます。

つまり、基本的にとんでもない人”だけ”がくるのが、夏山の小屋です(笑)。

というのは、ちゃんとした山やは小屋なんか泊まる必要がない、ですから。

山小屋のオヤジが怒鳴らなくなりました。

…というのは、

 第一に、トンデモ件数が多すぎる
 次に、逆切れするお客さんが多い

からです。もう、小屋には怒っていたら、キリがないくらい、怒り心頭するような、自分で、自分の安全も守れないような人…しか来ないんですよ…。

「○○大雪渓って私にも歩けるでしょうか」  知らんがな!って人が多いです。

■ 市場的に見ると…

つまり、マーケット的に成熟してしまい、レイトマジョリティー市場なんです。

市場が成熟して、トンデモな人すら来るようになった、という表現のほうが、実態をよく表していると思われます。

登山ガイドさんにしたって同じです。山岳会で新人を扱っていても、一様にみな同じことを思います。もう、みなさん、トンデモばかり…です。少しは自分で勉強してなーって。

■ 怒りは当然の反応です

そういう場合の解決案として、日本人は怒りを良くないこと、として押し込めていると思いますが、それこそがストレスの原因では?

問題の根源は、コミュニケーション力の不全にあり、怒りを感じないというのは、人間である限り、無理であると結論しています。

  1)覚悟、
  2)コミュニケーション能力、
  3)ルールの明確化

この三つが怒りを上手に表現し、解決へ持っていく基本ツールです。

最初から逃げに走るとストレス耐性次第では、引きこもる以外なくなります。

つまり、怒りを避けるという手段は、”逃げ”という選択肢という訳です。

世間とのかかわり方を子供時代に、きちんと学ばなかったという自覚が私にはありますが、私はどちらかというと、健全な魂を持っており、良くないことには、きちんと怒りを感じるタイプです。

善と悪の判断にも、自信があるタイプです。神の場所は知っている。小さいころから、心に神を持っていました。もちろん、悪いこともしていますから、聖人君子ではありません。そんな人がいたら、その人こそ、ウソつきです。

とはいえ、パオロさんの指摘は、子供のころ感じていたことと同じでした(笑)。素朴な疑問、ってやつです。

■ 具体例

先日、チベット僧のターパさんに ”怒って注意” しました。というのは、お寺に朝から座禅に行くのに、ナビで運転中に話しかけるんです、今、運転ナビ聞いてるってば!っていう奴です。それでも、彼とは変な仲になっていません。

同じようなことで、日本の74歳、世間に名の知れた往年クライマーの場合…。足が痛くて歩けないですって何度も言っているのに、私を連れまわすんです…。

何度も何度も「歩くのも痛いんです」と言って、事態を理解してもらうのに、丸2日、かかった上、彼との仲は、3か月の投資期間があったにもかかわらず、おじゃんです。ちょっと怒っただけで。

それは私が文句を言ったからです。ターパさんにしたのと同じように。

どんだけ打たれ弱いねん!

ターパさんと日本の往年クライマーの差は、”メンツを立てられるのを当然視しているかどうか”だと思います。

恐るべし日本のオジサン。チベット修道僧より、俺様化!!

つまり、日本の男性の自尊心は、俺はお前よりエライ、ということにしておいてもらわないと、はかなく散るような、自尊心ないのかもしれません。

先日、運転をしていた高齢者が、通行人をひき殺して、すぐさま保身に回り、話題になりましたが、似た部分を感じました。逃げ足と無責任さ、にです。

■ ルールを無視する相手対策

余談ですが、海外では、自分の安全は自分で守るものなので、私は小型小銃すら携帯していました…

私は体が小さくて、暴力やレイプには非常に脆弱だと誰が見ても明らかだからです。

日本では、女性に対する性的嫌がらせは、厳罰化していないので、特に都会と田舎では温度差がかなり激しく、田舎に行けば行くほど、セクハラは、”大したことないでしょ視”、されています。

この根底にある思想は、マチズモです。マチズモとは、力が正義に勝ると定義している世界観ですが、この世界観では、力が弱い=序列の最下層です。昔の父権制度と同じです。

ですので、弱い性である女性をセクハラしても、まぁ、それは大したことにカウントされません。子供に対しても同じです。

それは、強い側から見たとき、共感が得られないからです。尻を触られたくらいなんだ。とかそういうレベル。

したがって、チベット修行僧と74歳の差が出るような理由というのは、よくよく原因を求めると、

日本という国では、弱者であっても、きちんと強者に向かって怒りを表明できる社会でない

ということが根底にあると気が付きました。

要するに、多様な価値観が受容されていないからだと確信しました。

日本でも多くの価値観が認められるようになっていくのが私の願いです。

特に山は 体力1点豪華主義の人が多数です。体力だけで遭難が減るわけないでしょ。


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