■ 暗闇の中で滑落がどうやって起こるか?
昨日はこのような遭難事例を発見した。
http://blog.livedoor.jp/castaway/archives/50661739.html
こうした遭難事例は、明日は我が身として、一緒に登山をする仲間とディスカッションの題材にすると、色々と臨場感のあるディスカッションができると思う。
上記サイトから、一般的に登山者がダメだと言われていること、や、判断の分かれ目を取り上げた。
≪ポイントのまとめ≫
・予定より少し時間が押していた
・が、事前の計画どおりに山行を続けることにした
・「ガス欠(シャリバテ)」に陥った
・ガス欠はよく話には聞いていたが、自分ではまだ経験したことがなかった
・非常食を持っていなかった
・ヘッドランプを持参していなかった
・暗闇のなかを、登山道に沿って歩く
・沢筋に下りた
・ツェルトを持っていなかった
≪著者の感想≫
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どれもこれも、山の本には必ず「持っていけ」と書かれているものです。「知らなかった」はありえませんし、僕自身、これらが「重要なものとされている」ことは当時もきちんと認識していました。でも残念ながら、それらは実感の伴わない、非常に薄っぺらい知識でしかありませんでした。それゆえに、簡単に軽視をして…………結果、死線の一歩手前まで行きました。
ーーーーーーーーーーーーーーー 上記サイトより引用ーーーーーーーー
■ (実感の伴わない知識) を (実感の伴う知識)へ
上記の遭難例は、一般的な山ヤさんからすると、
・装備不足 (ヘッドライト・非常食・ツエルト)
・沢を降りるは絶対にダメ
・夜間でライトがない場合、動かないのが鉄則
・一晩のビバークで自力下山だったら、遭難とは言えない
一般に、”死なない程度の痛い目には合っておいた方が良い”と山の世界では言われています。また、この方は自力下山しているので、あまり問題と考えられることはないかもしれません。
装備不足、は一般登山者にも多くみられるミスです。特に地図とコンパス。
装備不足の”装備”をなかなか使う機会がないせいです。装備不足で参加する一般登山者が、
(実感の伴わない知識)から、(血肉の通った、生の知識)へと転換する経験、
というのは、一歩上の段階へ進まないかぎり、そうそう無いのかもしれません。
一般に登山学校のカリキュラムを見ると、(ビバーク訓練)や(夜間歩行)がカリキュラムされていることが多いです。
これらは、明らかに、遭難した際のピンチに備えさせるためと分かります。
沢登りも、年に1、2度計画されていることが多いですが、一般縦走で遭難した際に、沢筋を下ってはいけない、という知識を授けるため、とも受け取れます。
■ 登山活動とは、実感をする活動と言えるのかも?
そう言う風に考えると、登山の楽しみは、実感の伴わないバーチャルリアリティの世界から、本当に血肉の通った、生きている人間のカラダを通して、生命力そのものを実感する喜びを感じる活動と言えるのかもしれません。
自分の肉体の中に、命が宿っていることを、つくづく実感する、ということです。
悪天候での、雨・風、からスタートして、暗闇、寒さ、暑さ、飢え、乾き、不便、そういうものが現代ではすべて排除されてしまいました。
逆に言えば、生きている実感、というものが得づらい時代かもしれません。
そういう現代に生きる私たちは、無意識に生きている実感を求めて、山に行くのかもしれませんが、実感している間に死が現実のもの、となってしまう人が後を絶たない。悲しいですね。
ちなみに転滑落の備えは、登攀力、ということになりますが…。登攀力って上がれば上がるほど、さらに危険が大きいところへチャレンジ、ということになり、なんだか、いたちごっこだなぁとため息をついています。
≪参考サイト≫
ビバーク方法について
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