Friday, October 20, 2017

山は人間を区別しない

■ 山は人間を区別しない

皆さんは、山へ行くとき、遭難事例を調べてから、行っていますか?

私は、雪で山を始めましたが、最初から遭難事例を調べに調べて行っていました。行く山を選ぶところから、登山だからです。

なので、赤岩の頭で雪崩が起きたことがあるとか、地蔵の下りは、下降ポイントが見つけづらいとか、文三郎でも、滑落したら、すってんころりんで、300mと知っていました。

山に行くときに、山は、この人は初心者だから手加減しよう、とか考えてはくれません。

5歳が行っても、10歳が行っても、20歳が行っても、40歳が行っても、60歳が行っても、80歳が行っても、マイナス20度は、マイナス20度。変わることがない。

登山道の難易度は変わるでしょうか?変わるはずがない。誰が通っても、段々の高さは高いままだし、動きやすい石は動きやすいままだし、滑りやすいものは滑りやすいままです。

これをクライミングが含まれるバリエーションルートに置き換えると、遠いハンドホールドは遠いまま。欠けそうなハンドホールドもそのまま。小さいスタンスもそのまま。

背が高い人に届くハンドホールドに小さい人が届かないのは、普通のことです。逆に言えば、体が大きい人には入らないクラックにも、小さい人なら手が入ります。

雪崩れは人を選んで起こるのではなく、ただ起こるだけなのです。その場に人間がいれば、遭難。いなければ、ただの自然現象で、自然はあり方を人によって区別したわけではありません。

夜暗くなって、見えなくなる、ということも、同じ。視力が良い人にとってはなんともない暗さも、視力が衰えた人には、何も見えなくなるわけです。

だからこそ、山に行くときには、かつて、どんなリスクがその山にあったのか? 知っておくくらいのことは、せめてもの、人間ができるリスク管理です。

たくさんの人と一緒に行けば安全、とか、頼りになる人と行けば安全、とか、人間の側の都合によっては、山は動いてはくれません。

逆に、山の都合に、人間の側が合わせなくてはいけないのです。

よりたくさん、山の都合に合わせられるようになった人が、より優れた岳人、ということが言えると思います。

山の都合… 考えてみたことがありますか? 

山では、寒暖の差が激しい。これは山の都合。
山では、あっという間に暗くなる。これも山の都合。
山では、野生動物の危険がある。これも山の都合。
山では、土壌は滑りやすく、滑落や落石を起こしやすい。これも山の都合。

山と対峙する。そういう山は、心を浄化すると思います。そうでない山は、なぜか勝利の山になっています。

どんなにすごい山に登ったところで、一般市民の山は、しょせん、高所遠足エベレスト止まりなのですから、最初から、そんな競争の世界に足をつっこまない方が良いと思います。

心の山を続けていくということは…山の都合を学ぶ、そのプロセスにいる、と言うことだと思います。

山歴40年だろうが、山歴5年だろうが、山は人間を区別しない。

経験がないことは恥ずかしいことではない。

しかし、遭難事例を学ぶことすら、しない。それは怠惰です。怠惰な人が、そうとも知らず、危険個所に突っ込んだら?それは、事故ではなく、人災と言えます。

山を学ぶ、ということは、より安全になるということ。

山とお友達になる。それが一番大事なことです。山や的には。

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