非常に考えさせられるサイトです。現在、登山界では、ガイドへの責任が重く課される傾向にありますが、それは、一般的な”本格的登山”をしてきた登山者たちが受け入れるリスク範囲とは異なると思います。
例えば…『山靴の音』の冒頭に、八ヶ岳赤岳での遭難の記録が含まれています。これは本沢から入り、縦走路を上がり、赤岳とキレットの間で方角を見失った記録ですが、なんと同行者が凍死するまでの間に、丸一日晴天日があります。
つまり、著者の芳野さんは、動かない(動けない)同行者に、ピーカンの日に、ただ付き添っていただけです。つまり、救助依頼に走っていない…。この行動など、仮に芳野さんがガイドだとすると、おそらく法的責任を問われて、遺族に損害賠償を請求されても仕方がないかもしれません。本人も凍傷で指を失っていますが、この記録をありのままに、何もしなかったと堂々と記録に書けるというのが、時代的な背景で、今なら、とてもありえないと思いました。
■ 初心者への説明責任
私のいた会では、初心者の説明がなされないことが多く、それが事故へつながるであろう温床、となっていました。
例えば、本間沢です。これは、リーダーを任せられた沢の初心者がリードクライミングをまだ理解する以前の登山者で、リードせず、上からロープを投げて、一本釣りのように、後続を吊り上げようとした、というものです。本来、フィックスで済むところです。沢をする人はロープの出し方が変則的なので、登りだす前に全員が共通理解をしておく必要があります。それすら分かっていなかったのでしょう。
後日、確認しましたが、ロープを引いて行かなかったことについては、理解したようですが、この計画で、後続が非常に危険な目にあったことまでは理解していませんでした。
・ロープを引いて登らなかった
・易しい登攀でのプルージック登攀は、ラストはロープ末端を軽く引いていなければ、中間者は確保に全くならず、ロープがあるほうが登攀が困難化する
・重大事故が起こっている滝を事前にGoogle検索して行かなかった怠慢 そのため、ノーザイルで登ろうとした。遭難事例を調べなかった。
・ロープは当然、複数必要
以上が、本人がリーダーとして、また山行計画者として理解しておかなくてはいけないことでしたが、これはなされませんでした。
■ 仮に
仮にこの件で重大事故が起こっている本間沢で、仮に私のパーティで事故が起こったとすると、それはリーダーの過失です。何しろ、ロープ持って行きませんでしたからね、彼は。
しかし、一般に昔の山岳会だと、無知なリーダーについて行った、と言うこと自体も自分の責任と考えて、骨折でも、死亡事故でも、リーダーに責任は問いません。
が、この件など、司法の場に晒されたら、確実にリーダーは有罪でしょう。
■ 先輩にどこまで説明責任があるか?
このミスではリードとは何かを分かっていなかったことを指摘されて以後も、彼は、ビレイをマスターすることは、彼はなかったそうです。
「落ちる人を止めなければビレイは上達しませんよ」と言うと、「その通りですね。やっていませんでした」という状態です。
つまり、一つの事実(無知)を教えただけでは、その無知のために、どのようなリスクが発生したか?までは分からないのが初心者なのです。
しかし、そこまで説明する説明責任が、先輩にあるか???
と言うと、
無い
というのが一般的な山やの感性だと思います。
そんなことを説明してやらないと分からない奴は、山ヤに向いていない
というのが一般的な解釈でしょう。
こちらのセリフが、非常に的を突いています。
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経験豊かなバックカントリースノーボーダー2人が、滑走はうまいが雪崩の知識のない仲間を1人連れてカナダのスキー場のバウンダリーに立っていた。バウンダリーを超え反対側の斜面を滑ろうとした経験者たちは弱層テストなどを行い、以下のような説明をこの新人に行った。
「今日のこの斜面はかなり雪崩の危険がある。しかし、オレたちは滑る。よく聞いて欲しい。もし雪崩で君が埋まったら、ビーコンがあるとは言え蘇生可能性の高い時間内には君を掘り出せないかもしれない、さらに、オレたちに心肺蘇生の実践経験はない。だから雪崩れたらまず助からないと認識してほしい。去年二人がここで雪崩で死亡した。捜索費用は数百万円だと思う。これが君に伝えられるすべてだ。もちろん、回れ右して、あのレストハウスでホットチョコレートを飲むのも君の自由だ。君自身の意思で決めてくれ。」
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しかし、今の時代は、山の常識は、どこにも通用しなくなりつつある、ということです。それは、司法の場であっても、例外ではなく、ということなのでしょう。
山ヤは、ますます自衛が必要になる、ということなのでしょう。新人を育てるだけでなく、自分自身の身を守るにも、説明力が試される時代なのです。
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