■ 知人の訃報
一時下山中です。
大荒れの中、下山したら携帯が濡れて動かなくなってしまいました・・・。
実は、知人が剱岳の長次郎の頭で落石に遭い訃報が入り、少なからずショックを受けています・・・
去年の今頃はしょっちゅうお会いしていました。同年代で、元クライマー、岩のある場所に花があることを最初に教えてくれた人でした。若いときからの岳人で本格的な人でした。でも、感性は若く、節電でプリウスに乗っていたり、太陽光発電していたり、とても期待していました・・・古い山を変えてくれそうで。
明日は彼に最初に出会った山に登って故人をしのびたいと思います。
私は、全然本格的な山はやっていないのに、知っている人がけがをしたり、死んだりしています。
とても悲しい。
夜半に机大の落石で下敷きになったそうです。そのルートは一般ルートでないとはいえ、そんなに変なルートではないのではい。登山をする人の中では、定番的なルートです。
本当に生きているということだけで奇跡なのだと思います。
悲しいのは山の半分、半分は楽しい。
今日も下山で一緒になった先行者を車で送ってあげてきました。山友達、倍増中です。
山を知れば知るほど、小屋泊まりで縦走をしているだけでは、山の何も知ったことにならないんだなぁ・・・と強く思います。
みんな、たくさんのピークに立てば、山屋気分でいる。あそこはどうだ、ここはどうだ、と忙しい。どこの山では花が良い、小屋の食事がどうだった、それは山ではなく、旅行の感想なんですよね。
尾根だけ知っても山の何も知ったことにはならないのです・・・小屋どまりでは自然の脅威さえ知ったことにならない。
自転車に乗れない子供に着ける補助車と同じなのです。 テント泊でさえ、そうなのです。(まぁ稜線ではテントが良いと思いますが・・・風が強いので)
■危険の認知<山自慢
危険は危険と思っていないのが一番危ないと言いますが、それは100名山登山で顕著です。
一昨日は大荒れの中を「ラクラク○○」とかいう中高年というより、高齢者の会が登ってきて、山上で大宴会でした。山小屋は居酒屋です。酔いつぶれる人までいる始末・・・
大雑把にいうと、80年代の生活が今山にある感じ。もしかして、都会で流行らなくなったから山になだれ込んでいるのでしょうか・・・
山として見ると、その山は、わたしにとっても今まで知っている白峰とか、西穂独評より難しい山です。
整備もまばらな、かなり難しい岩稜帯なのに、ガイドに率いられた大人数のツアーが来ます。エスケープルートさえ、嫌な感じの鎖場2か所があります。
鎖は私は使わないものの、遅くなります。高校生の集団でさえ遅くなっていたのに・・・決して易しい山ではないですが、高齢者が登ってきます。
稜線である縦走路で、道迷いする人もいて、遭対協の人が常駐していますが、さもありなん、って
感じです。縦走路でなくても、そもそも町で道迷いしそうな人が来るのです。
対照的に今日、私が下山で追いついた人たち、60代の女性5人組で6時に下山して、8時に下山開始した私と同じバスになり、聞くととても怖かったので、2人、2人、1人、のパーティだったのに一緒になって降りてきたのだそうです。
今日は天候は縦走路は風が強いだけでガス、雨はなし。下山につれ、風が雨に変わる、という具合で下の方が荒れていました。上で風が強いのは普通のことなので・・・
ただ山を若いころからやり続けて要る人が中に1組いて、沢や岩も若いころはやっていたそうで、こういう人でも、縦走路でガスに巻かれると、怖かったそうです。
メスナーの本に、「易しくても自分で4級の岩を登れるほうが、誰かに5級を登らせてもらうよりうれしいだろ?」っていうセリフがあり(級の数はうろ覚え) そういう価値観が山で壊れている、と思いました。
私は、下駄を履かせてもらって、先輩に登らせてもらった山より、自分で登った山がうれしいです。
そして、しみじみと講習や地図読みなどの考える山が生きるのだなぁと思います。
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