一般に、山は「自己責任」と言われます。
でも、Aという山を歩けるか歩けないか? その判断を”自分以外の誰か”がしてしまったら、それはもう「自己責任」ではないのではないかと…。
Xさんは歩ける、Yさんは歩けない、そういう判断をしてしまったら、判断した人の責任なのでは
ないかと思うのですが…
私は自分がその山を歩けるか歩けないかは自分で考えるほうが、より安全ではないかと思うのです。
なぜなら自分より自分の体力を知っている他人がいるわけがないと思うのです。
■ 登れるかどうかの判断の仕方
では、一体どうやって登れるか登れないかを判断するか?というと、今までに行ったことがある山より、ちょっとだけ難しい山に行く。難しいのは、ちょっとだけなので、それは歩けるだろう、という目算くらいはたっているわけですね。
目算違いで、例えば、今年は鳳凰三山の縦走で下山に使った白鳳峠~広河原までの登山道が
非常に大変だったりしたのですが、あれはあれでヒドイ道だったっていう経験になりました。
1時間で標高300mを歩くのが一般的な登山道らしいのですが、それもそれも斜度によりますよね。
私はあんまりピークの高さを気にしていなかったので、この時速、標高300m/hが自分にできるのかかどうか良く分からない・・・ 普段、大体標準コースタイム通りで歩きます。
蓼科山 標高差780m タイム3時間 一時間当たり260m 俯角17.7°
茅ヶ岳 標高差687m タイム2時間 一時間当たり335.5m 俯角14.8°
燕岳 標高差1252m タイム4時間 一時間当たり313m 俯角16.4°
前穂岳沢まで 標高差 670m タイム2時間 一時間当たり335m 俯角11.4°
両俣~野呂側越 標高差290m タイム1時間 一時間当たり290m 俯角16.5°
うーん、急だと感じた場所では俯角がやはりキツイです。
でも、なぁ・・・ 一時間で標高差300mが歩ける人ってほとんどの人が歩けるんでは・・・???
ということは、つまりコレは何を言っていることにもならないってことなんだよなぁ・・・。
うーん・・・
■ 技術度
一体全体、ガイドブックなどにある体力度、技術度、などという目安はどうやって判断するのでしょう?
登山における技術、という言葉自体もとてもあいまいで、○○さんは▲▲山を歩いていい、悪い、
なんていうのは、ほとんど判断した人の独断と偏見のような???
そして判断はもちろん外れることがあるのであり、そのパターンは
歩ける人を歩かせない → 不満
歩けない人を歩かせる → リスク
の2パターンしかない。どちらがリスク高かというともちろん後者。
しかし歩けるのに歩いてよいという判断を下されなかったら、不満が残る。不満には目をつむるしかなく目をつむっている限り不満は膨らみ続けるしかない。
一方リスクに対しては、それを受け入れる体制を整えたり、リスクに対処するスキルをつけたりすることで対処できる。対処しても最後のひとつのリスクだけは残るのだが、それは不満がある場合だって同じだ。
ケガや滑落はリスクゼロにできない。
そうであれば、やはり歩けるか歩けないかの判断は、本人がするのが最も自己責任に近いのではないだろうか?
その判断を欠いた登山で自己責任って言われても良く分からない・・・(汗)
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