Tuesday, December 18, 2012
読了 『いのち五分五分』
■読了 『いのち五分五分』
この本は、早めのクリスマス休暇で行ったホテルハイジで読み終わりました。
山野井靖史さんのお父さんの本です。
命を懸けて山に臨むような人たちを私は少し理解できません。なぜなら、お山はステキだけれど
私にはレジャーで行く場所…命を懸けて山に挑む人たちにとっての山と遊びに行く山の感覚が
同じわけがない…
そんな風に、すこし遠巻きに眺めていた山野井夫妻ですが…もちろん時々山のコラムなどで
奥多摩の生活が出ていて、山にそもそも住んでしまうっていうのもいいな♪とそっちは田舎暮らしの
憧れから好感を持っていましたが…
この本を読んで、とてもお二人が好きになりました。目標に向けて努力する姿勢は、姿勢そのものを
みたら、大きな目標でも、小さな目標でも同じ。
目標の大小というのは、その”姿勢”についての価値を変えない。けれど、大きな目標を持った人たちは
とても目立つので、小さな目標に向かって努力している人たちにとって、とても良い応援になります。
この本を読んで、山野井夫妻の努力が見えて、なんとなく「私もガンバろっと!」と思えました。
ただ驚いたのは親御さんというのはまったく山好きでもなんでもないってことなんです。
ヨガでは、子供は親を選んで生まれてくるといいます。ちょうど良い試練を選んで生まれてくるんですよね。
確かに思えば、私は早熟な子供だったので親がたいしてしっかり者でなくても良かったから、
しっかり者とはいえない親を選んで生まれてきたのかも(笑)?
とりあえず、山野井さんのお父さんは、まったく登山素人でした… それでも69歳で富士山に
登ってしまっている…(汗)
これが先輩が「ステップアップとか考える必要ないよ」という理由ですかねぇ…このお父上は
息子夫婦の”ガイドで”登っています…ザイルで引っ張ってでも登らせる、ということで
素晴らしい感動の登頂だったようですが…
こうした励ましが無ければ、1人でも富士山に登るんだろうか????
ステップアップとか考える必要がない人はきっと登る理由が人間関係上で重要な節目にあったりして
それでその重要な人物とともに登り、登らせてもらい、という心の交歓が大事なんだと思う。
でも一般登山者の登り方はそんな風ではない。ただ山と話をしたくて登るのだから。だから
私のように1人で1人だけの文脈で山に登りたくなってしまった人にはステップアップというのは
とても重要なのだ。まず第一につらかったらすぐに降りるのだからして(笑)
■ アルピニストも登った普通の人も登れる山
こういうアルピニストというか海外の高山に登る正真正銘の冒険家というような人たちは
てっきり日本の山には登らないのかと思っていました。 なんかイメージが沸かなくて…
と思ったら、金峰山に登っていたりしてなんだか親近感を持ちました。私も金峰山気に入りました。
参考までに山野井さんたちが登った山
天城山、安達太良山、大菩薩嶺、櫛型山、乗鞍岳、谷川岳、金峰山
高水三山、笠取山、三頭山、日光白根山、妙高山、火打山、飯豊山 屋久島、富士山
■ 選択とは犠牲を払うことだ
山野井さんの生き方をお父さんの語りから垣間見て、思うことは、
選択する、ということは、その選択について回る代償も引き受けるということだとつくづく思いました。
多分、普通の人は、選択の結果の代償は払いたくない。だけど、選択の結果の成果は得たい。
だから何事も成し遂げられないポイントで右往左往することになる。
例えば痩せたいといいながらランチにビールを飲む。それは痩せなくて当然ではないかという選択ですよね…
そういう風に普通の人は、やりたいといいながらそれに必要な犠牲は払わない。
だから痩せることはない。
目標を達成するということは、それに必要な犠牲を払う、つまりは自分の本当の望み以外のことは
捨てる、ということなんだろうな…
捨てるということ…それは大なり小なり、怖いことなのです。
私は自分で捨てる勇気が無いほうだとは思いません。多くのものを切り捨て、それによるデメリットも甘んじて受け入れてきたつもりです。
けれど、そういう人は足を引っ張られる。一緒に負け犬クラブに入ろうよと足を引っ張る人が一杯いるのです。そんなに頑張らなくていいといって…
でも、こうして本の中だけであっても、さらに上を行く人たちの存在を知ることでとても勇気付けられました。
代償を払う、その怖さを乗り切る勇気、捨てる勇気を見習わなければな、と思ったのでした。
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