Thursday, November 16, 2017

今日の遭難事例(赤城山)で思ったこと

しばらく前に、アルパインクライマーの伊藤仰二さんが、海外遠征間際だというので

「保険金、高くしとかないと!」なんて冗談で言ったら、

「でも、俺らがやっていることより、一般登山者のほうがうんとリスク高いんじゃないかな」

なんて言うんで、”あ、地雷踏んだな~”と思いました。

地雷というのは、この場合、適切な表現ではないですが、本質的な議論の端緒を開いてしまったな~ということです。

今の時代の問題点は、世界的アルパインクライマーよりも、一般登山者のほうがリスクが高い登山をしていて、そのことに本人が無自覚ということかもしれません。

■ 事例

今日は朝から、こんな遭難事例が飛び込んできました。

http://portal.nifty.com/kiji/171115201202_2.htm

が…、この方は、たぶん、事故後も、それではこういう目に遭わないためにはどうしたらいいのか?ということは、まだ理解できないのではないかと思いました。

(もし理解されていたらごめんなさい。こういう事例は、非常にありがたい事例なので、利用させていただき、事例を紹介してくださる勇気に感謝してます。)

遭難を防ぐのは、”今度から12本爪アイゼンで歩きましょう”、ではないです。ちなみに。


この写真から判断する限りですが、この程度の斜度では、よほど雪がコチコチに凍って、氷化しているのでもない限り、アイゼンはつけないで、つぼ足で歩きます。基本的に冬用の登山靴で、キックステップができていれば、滑るような斜度ではないです。

ヒップそりなしでヒップそりをしたことに反省点を求めているような様子もうかがわれますが、ヒップそりすることが悪いことではないです。ただ、木に激突して止まるという方法論が危ないと、普通の感性の人は、最初に気が付くと思います。

もし、スピードが付きすぎていたら、物理の法則で、自分の体の強度のほうが激突の衝撃に負ける可能性がありますよね。

誰が考えても、それは、リスクコントロール外です。スピードがつきすぎたときに、衝撃何キロニュートンか、即座に計算するスーパーコンピューター並みの頭脳があれば、危ない!とわかるかもしれませんが、たとえ、そうだったとしても、危ない!と思ったときに、ほかの手段で減速するなり、停止するなりの手段が用意されているか? …ないです。バックアップ、つまり保険なし、です。

ヒップそりに関して言えば、ヒップそりをするなら、アイゼンを脱ぎ、ぶつかっても強い衝撃になってしまうような障害物…木や岩…がない場所を選ぶべきです。つまり、だれでも、わかることですが、原っぱ的な場所ですね。現に、滑り主体のスキーなど、そのような場所を選んで行われているでしょう。

そして、斜度がゆるんで自然停止するか、もしくは、お椀の底のような地形で傾斜が立って自然減衰する場所なら、ヒップそりをして遊ぶのに、最善です。

そういう場所を選んだ上で、減速する練習…たとえ、雪で体がべちょべちょになったとしても、体の摩擦で止まる…を練習するなら、安全が増えていくだけの、本当に楽しい活動です。

ヒップそりの安全な練習場所を説明するのは、これが尻セードという、れっきとした登山技術につながるからです。私の経験で言わせてもらえば、尻セードは、楽しんでやれる滑落停止訓練と思えば、やっておいて損はありません。

余談ですが、グリサードという、もっと高度な技が登山技術にはありますが、現代のピッケルは短すぎて、グリサードに向かず、今やる人は少ないそうです。

さて、続きを考察しましょう。

この彼は、仲間思いのいい奴であることは、誰の目にも明らかです。仲間を助けに行って、自分がレスキューされる羽目になる。ミイラ取りがミイラ、みたいな話ですが、このケースは骨折で済んでいますが、同じ行動で死ぬ人もいます。沢で事例を知っています。

助けに行く場合、後先考えずに行く、という、突発的な行動自体がすでにダメです。

自分が事故を起こしてしまったら助けにならない、というのは、立ち止まって考えたら、すぐわかることです。

助けに行く場合は、考える間を持ちましょう。現に友達は、元気だったのですから、そこから、普通に登り返してもらったら、よかっただけなのかもしれません。

声が届く範囲にいるなら、声をかけて状況を確かめるのが先決でしょう。

■ リスクは、本人の理解力・判断力の未熟さ

ここまで説明して、一般登山者の方に、わかってもらいたいのは…、4本爪のアイゼンで雪山に行くなんて、雪山を舐めていたのが悪い、という反省の仕方は、全くを持って、的外れで、逆に、不必要に冬山のリスクを誇大妄想させるだけだ、ということです。

単純に無知がリスクだったのです。ですから、年齢や体力、知的レベルにかかわらず、無知な場合は、たしなめてくれる経験者の同行が必要です。

この方の反省文からは、無知から脱却したことが読み取れず、個人にとってかなり甚大な怪我を経験していながらも、同じ過ちを繰り返す可能性があります。

問題点1) 雪上歩行は無雪期の歩行と異なることに、全く無自覚
問題点2) 何かにぶつかって止まろうという発想は、そもそも平地でも危険
問題点3) 停止する手段を確立しないまま、ヒップそりという自分のコントロールの聞かない手段を採用していること、そのことに無自覚
問題点4) 周囲の安全確認の不足
問題点5) 木が障害物、危険物であるという認知がない
問題点6) 文章からはアイゼンを履いたまま、尻セードしたと伺われる
問題点7) 状況の把握をする前に、突発的な行動に出ていること

問題点8) 上記のすべてに依然として無自覚であること(自分の何が悪かったのか、基本的な理解が伴っていない)

つまり、リスクに対して無自覚、ということが、もっともリスクです。

これは、一般に、リスク不感症、と呼ばれます。

しかし、足首の骨折という大怪我をして、リスク不感症を脱することができているか?というと、たぶん、ですが、この文章を見る限りですが、できていないようです。

だからこそ、指摘してもらえる山岳会が必要なわけですね。怪我をして、反省しても、反省ポイントが的外れであれば、また同様のことが起きます。

こういう事例は、会で危険認知のためのディスカッションの良き題材とすることで、多くの方が、リスク不感症を脱することができる事例、と思います。他山の石ということです。

■ 雪山ハイキング = 雪とお友達になる会

本来、なだらかな雪の山、雪山ハイキングというのは、雪面の歩行が無雪期とは全く違うことを認識することが目的です。雪と言っても、いろいろあり、みぞれっぽいのから、固く氷化したの、あるいは、さらさらの、と色々あります。それぞれ、滑りやすさ、歩きやすさが違い、キックステップは、基本のキですので、転んでも問題がないようなところでは、先輩はアイゼンをつけろ、とは言わないはずです。アイゼンを付けたら、練習にならない。

若い人が若い人だけの力で、雪の山に行こうとするのは、全くを持って健全でよいことです。

しかし、そこから、ちゃんと山が語り掛けてくる、山の言葉を、正しく聞き取らねばなりません。

昨今、たとえ怪我などの痛い目に遭っても、この山の言葉が聞き取れない人が多いのではないか?というのが、こういう記事を見た私の感想です。

そして、こうした人は、年齢が若く(つまり体力的なリスクは少なく)、無邪気であるので(つまり憎めない)、山岳会も甘くなりがちです。

が、山には向き不向きがあります。向かない人というのは、

 基本的にリスク物・事を見ても、リスクを感知できない人、

です。

逆にリスクを感知できされすれば、それを避けるように人間は動くので、たとえ、ギリギリボーイズのようなリスクに近づく山をしていても、むしろ安全、と言えるのではないかと思います。

自分がどの程度の場所を転倒することなく歩くスキルがあり、どのような状況までなら山の様子を理解しているか、自分は耐えられるか、などという、もろもろのことに自覚的だからです。

山で一番必要なのは、自覚、です。

これは雪1年目の山。西穂です。

私たちがGWの八つでの足慣らしののち、行った雪山。まだ6本爪アイゼンしかなかったが、危険を感じたら進行しない、ということで山の声を聴きながら歩みを進め、独評手前で降りてきた。

敗退ではない。というのは、山頂を目指していたわけではないから。危険なしに行けるところが、そこまでだったため。

小屋から下りで、4本爪アイゼンの老夫婦に出会い、アイゼンを拾ってあげた。


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