「ピッケルより読図でしょ」と三上浩文ガイドに指摘されたのが登山2年目の頃。登山に必要なスキルの中でも、読図は独学で取り組むことができ、なおかつ、時間さえかければ、誰しもに習得可能なスキルである。
読図力の完成とは何だろうか?
それは、間違いを内包しながら進むことが身についているかどうか?である。
読図力が完成していない人は、同じGPSを使うにしても、そのGPSの赤線なり、地形図上の破線が正解であることを前提にして進む。
読図力が完成している人は、地形図上の線もGPSの軌跡も間違っているかもしれないことを前提にして進む。いくつかの証拠を集めながら、進むのである。
■ たとえば…
間違いを内包しながら進む、ということは、どういうことか?
今一つの尾根を歩いているとしよう。今歩んでいる道が正解だとすると、右手には、遠くにP1234のピークが見えるはずだ(証拠1)。 大体、標高差300m降りたくらいで、傾斜が緩むはずだ(証拠2)。その後に左手には植林地があるはずだ(証拠3)。
と、このように、地形図を読図することで、情報を読み取り、先に出てくるハズの景色が出てくることを予想しながら進むことで、早めに間違いを見つける。道迷いはこのようにして避けるものである。
見えているはずの、P1234が見えなければ、今いると思っている尾根の、隣の尾根に実は、いるのかもしれない。
正解を見出す手段として、わざと間違うこともある。たとえば、尾根の下り始めは、分かりづらいことが多い。とりあえず、少し降りて見れば、尾根が顕著に見えて正解が見える。
尾根の下り始めというのは、何年登山をしていても、正確に降りるのは、とても難しいもの、なのだ。
読図力の完成を、”全く間違わないこと”、”常に正確な場所しか歩かないこと”ということだ、と定義してしまうと…、読図力の完成は一生来ないだろう。
■ 一生続く楽しみ
まぁ、それもまた良し、なのである。正解を割り出すことなど一生できないから、山が面白い、とも言える。一生、勉強続きなのだ。
例えば、私が一時師事していた沢ヤの師匠は、当時69歳で登山歴は40年を超えていたが、その人でさえ、「ここ、P〇〇と思うんだけど、どうかな」と私に意見を求めていた。
私自身も、「P〇〇だったら、すぐに凹地があるはずですよね」などと返答していた。
正解は何か?皆で、色々と知恵を出して、探すから、楽しいのである。
地形図から、情報を取り出す力を読図力というが、読図力は、同じ一枚の地形図から読みだせる情報量が多ければ多いほど強い。
読図力がない人というのは、地形図から情報を取り出すことができない人のことである。
たとえば、尾根と谷が分かる、というのは基本中の基本だ。読図とは、とにもかくも、最初のうちは、尾根と谷を切り分け、距離と標高差を計算していくことだ。
もし、これから山登りをしたい!始めたい!と言う人がいた場合、一般的と考えられる成長プロセスは、
1)ピークハントで、基礎的な山登りのイロハを身に着ける(早出早着など)
2)テント泊縦走
3)積雪期登山
4)沢登り
5)岩登り
6)フリークライミング
というのが一般的な流れである。尾根三年、岩三年、沢三年、雪三年、と言われたそうだ。尾根三年の間に、読図力の完成は含まれている。
もちろん、それぞれはオーバーラップしつつ、成長していくものである。尾根の途中で、花を楽しみ、山のご飯を楽しみ、夕陽や朝日に心を現れる経験をすることで、基本的には肉体的な重労働である山登りに、彩りを添えるのである。
昨今、たぶん、忘れ去られているのは、山登りが単なるレジャーではないということだろう。
自然を学ぶこと、自然から学ばせて頂くこと、それが登山ということだ。
間違いを内包しながら進むという知恵は、山だけでなく、人生にも言えることなのである。
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