Thursday, April 20, 2017

山の学び方

■応援メール

昨日は大変ありがたい応援メールを頂戴しました。ありがとうございました☆

このブログは、有り余る余暇を使って

 何か社会貢献ができないか?

と思って始めました。

■ 独学のこと

私は、独学の人です。実家は裕福ではなかったため、学校の勉強でも塾になど行ったことはありませんし、英語でも英語学校に行くなどは贅沢で、とても行くだけの費用が出せませんでした。学校の勉強は参考書を友人と貸し借りして勉強し進学、語学も働きながら海外でマスター。ソフトウェアプログラミングも同じで、中学の頃『ベーシック言語入門』というような本を買ってきて、学校のPCルームで、誰もいない中、一人で真っ黒な画面にコマンドラインを打ちこんでいました(笑)。

勉強も、英語も、プログラミングも…一人で学ばなくてはならなかったのです… 英語では、hard earned と言います。苦労して身に着けた、という意味です。

■ 自分で自分を育成していく

独学の対象として、その次に来たのが、登山、でした。私にはすでに

自分で自分を育成する

ということについて、多少のノウハウがありました。ノウハウの一つは

・記録をつける

ということです。手帳術と同じです。自分の成長を客観視するためのツールとして、日記をはじめとする記録をつける習慣は非常に重要で、これなしに成功することは不可能と言われています。

大事なことは、

 かつての自分よりも少しでも前進している、

と言うことだからです。昨日と比べて前進していなくても、1年前と比べると成長は分かりやすいものです。そうしたものを俯瞰するには日記等は欠かせないツールです。

■ 他者に応用

 自分で自分を育成するという力を他者に応用する、ということ・・・・

は、伝統的な山岳会における”後輩育て”とまったく一緒です。

例えば…私がつるべを理解した時…山岳総合センターの講師の先生が私をリードクライマーのすぐ横に着けて、リードしてくれました。立って歩けるような傾斜のところで、立木で支点を取りながら、ロープをクリッピングしていくのです。この経験で、一瞬にして私は、リードとはこうするものだ…ということを理解。それ以来、後輩に教えるときは同じやり方をしています。

自分が分からなかったことは、相手も分からないのだろう…と言うこと…は、誰しもが分かります。

■ 誰もが同じ道を通る

自分が通った道を、どんなにもともとの体力がある岳人でも通るものだ、ということをあるとき理解しました。そう、それは、遭難を目撃するからですね。

私と同じ時期に初心者だった20代の若者がいました。試験でバディを組んだ若者です。彼はその時、試験に合格する資格は実はありませんでした。ビレイもマスターしていなかったし、通し八の字も結べなかったからです。しかし、合格。その数週間後、人工壁にまったくの初心者を連れてきて教えていました。その時、通し八の字が出来ていないので、セルフを外して、ロープ末端を支点に通すようなやり方をしていました。(指摘して教えました)そして、その冬にはまったくの初心者で、冬壁中級の尾根に向かい、そして転落事故となったそうです。

私にはこれは、「君の段階は〇〇尾根だよ」と諌めてくれる指導者の不足ゆえ、と思えました。

無鉄砲なのは、単純に俺だって登れるという自信があるからです。その自信は無知に基づいています。体力と登攀力さえあればいい、という信仰は根強いです。山では大事なのは判断力です。

彼に指導者がいれば、普通に初級の尾根に登り、”こんなに環境が厳しいものなのか?”と次のステップに進むために、自分が何をしないといけないか?を理解したでしょう。

山には順番があると言うことを知っていれば、いきなり中級の尾根にいくことはしなかったでしょう。独学の人でも。

■ 山には順番がある

そう、山には順番があるのです。それを端折ると遭難や凍傷などになります。それは、

 ・ビレイをマスターしていない人は、クライミングに行ってはいけない

 ・厳冬期赤岳は雪上訓練してから (アイゼンワーク)

というようなことを含めです。それは、登れる登れない、という自己顕示の為ではなく、

危険が何か?リスクが何か?を知るため

です。判断力、ということです。

例えば、阿弥陀北稜に行くには、赤岳周辺の山域概念が頭に入っている必要があります。普通は、夏山で八ヶ岳の縦走くらいは済ませていれば、当然頭に入っています。編笠山に登れば、阿弥陀南稜が俯瞰でき、登りたくなってきます。権現に登れば、赤岳まで行きたい!と思うのが岳人です。だから、山の位置関係を分かっていない、間違って反対に降りてしまう…というのは、阿弥陀北稜レベルの人には、普通は起こらないはずです。大体、八ヶ岳に行く前に低山で読図をマスターしてくるものでしょう。

しかし、現代ではこれが起こっている。

あの尾根を登りたい!そういう思いを基にしないで山に行くからですね。例えば、阿弥陀北稜が初級のルートだから、始めの一本、と行ってしまうのは、本当に損なことだと思います。阿弥陀北稜や前穂北尾根を含め、初級ルートというものは通常、楽勝すぎて困難を求めている人には何の面白味もない尾根だからです。達成感なんてあるはずがありません。

あの尾根を歩きたい!という憧れこそが、登山の価値を高めるのです。

憧れを起点にしない登り方は、感動が少ないと言う意味で、損なだけでなく、危険でもあります。山頂から下山でまったく逆方向に降りてしまう…などというミスは、山の位置関係が頭にはいっていなかったからこそ起こりうるからです。

あの尾根を歩きたい!という思いの無い山が普通になったのは、どうしてなんでしょう?

■ ズルの山には復習山行を

まぁそうはいっても、誰にでも、ズルの山はあります。1個目の山です。それは、アルパインをするっていうことはこういうことだよ、という体験をするために先輩が連れて行ってくれるからですね。私も最近、ミックスってこういうことだよ、ということを示してもらいました。

そうした山で大事なことは、無資格で連れて行ってもらっていることに味をしめて、連れて行ってもらおうとするのではなく、自分で人を連れて復習山行してみることです。

同じ山に行けなくても、自分が行ける山を考えて、復習山行するまでは、その山は自分の山にはなっていません。

先輩はそのために連れて行ってくれるのですから。

■ 山の学び方

さて、以上が私が独学した中で学んだ、山の学び方、です。

・憧れを起点にして山に登ると、喜びも大きく、きちんと予習しているため安全度も高い
・小さいステップで進むと自信がつく
・山には順番がある ピッケルより読図でしょ&ビレイができないと岩に連れて行けない
・15の力をつけて10の山に登る
・連れて行ってもらったら、復習山行をする
・リードで登る(自分で行く)ことこそが、山の醍醐味 (その山が自分の実力)

■ 山の世界の現状  

山雑誌の統計によると、登山をどうやって学びましたか?という問いに対して、

独学

と答えた登山者が圧倒的多数だったそうです。そうした登山者の私も一人です。積極的選択肢ではないとはいえ、そうせざるを得ない現状が山の世界にはあります。

独学以外の選択肢がない、ということです。これは会に属していても同じで、結局は会の人とは登らないで、自分で見つけてきたパートナーと登ることに落ち着かざるをえない人が多いです。同人化は進行しています。現代は個人の時代と言われています。

■ 切実さ

そういう環境では

 いかに遭難せずに安全に山に登り続けるか?

ということは非常に切実です。どれくらい切実か?というと、私の周囲には、すでに死者がいます。山歴たった7年なのに。

 ・山の死者 3名
 ・ヘリで運ばれた知り合い 4名
 ・凍傷者 3名
 ・肋骨骨折など軽い怪我をいれると数え切れず…

私自身も岩で墜落して、頭部外傷で7針縫っています。

これらは、突き詰めると、慢心の結果、なのです。

それは普通の人が考えるような種類の慢心ではありません。例えば、自分を例にとると、私が落ちたのは前に自分でリードしている課題です。ですから、そこはリードで来て当然です。誰だってそう考えます。しかし、そのちょっと前に、有名なクライマーが、5.10bをリードしていてテンションを掛けていました。アルパインの屏風岩などでの初登記録を持っているようなプロガイドが、です。私はそれを見て、ピン!と来なくてはならなかったのに、前に登っているルートだからと初対面のビレイで登ってしまったのです…しかも、ヘルメットをかぶらない習慣が身についていました。あとでその人はビレイがまずいことで誰とも登ってもらえない人だ、と分かったのですが、そんなことは問題ではなく、そこは前に登れたから、今回も登れるハズだという慢心が私にあり、熟練クライマーが落ちかけている、という目視情報が素通りしてしまったのが、自分の甘さです。

結局、自分の甘さ、が問題なのです。人のせいにしている限り、自立はありません。頭部を外傷しましたが、命には別条なく不幸中の幸いでした。でも、今でも傷はうずくと言うか、変な感じは残っています。

山における慢心とは、こんなものです。その慢心が、慢心であるとさえ、大体、気が付かないで怪我も事故もなく済んでしまうのが、99%です。この日も新しいムーブを試さなかったら登れていたような気がします。

■ 小さい成功を積み重ねることで自信がつく

山は慢心ではなく、自信に基づかないといけません。

一般論ですが、自信というものは、小さい成功体験を積み重ねていくことでつく、とされています。

いきなり大きな山に行って成功することがもてはやされていますが…

本当の自信とは、小さい山行を積み重ねることでつくもの…です。

自分で自分に嘘はつけない、というのは、山の世界でも同じことです。






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