Wednesday, January 3, 2018

登山を仮説思考のゲームとして捉える視点

■ リーダーがリーダーを集める

人と人との関係は、もともとが難しいものですが、特にクライミングというのは、

 命がかかる

ので、結局のところ、どのような山をしているか?ということで、その人の本来の姿が浮き彫りになります…。

そして、クライミングのパートナーは、結局のところ、どういう種類の絆で結ばれているか?ということが、分かります。

山の切れ目が縁の切れ目、というような関係は、

とても利己的な関係

です。カネの切れ目が縁の切れ目、というような関係と同類で、そのような関係を続けていると、心がすさんだ人間になっていきます。

もちろん、基本的な、ギブ&テイクの関係は、ある程度バランスが取れていることは大事ですが。そこは基本であって、それだけではないです。

 利己心以上の結びつき

つまり、

 友情

が大事です。友情となると、共感がベースにあり、共感がベースにあると、それは自分と似ている、ということです。

■ リーダー性がある人はリーダー性がある人と友情で繋がるらしい

最近、思ったことは、私の最初の師匠をはじめ、私を教えてくださる方は、改めて考えるまでもないですが、皆さん、リーダーであるということです。

私は登山では、大体リーダーをしなくてはならないです。

熟練者のリーダーから見ると、まだ自分自身の登山者としての成長もおぼつかないのに、リーダーをしなくてはならず、気の毒に見えるのだろう…と思います。

というのは、私自身が、後輩に対しては、そのように思うからです。

連れて行くメンバーの知識レベルが自分と同等だとリーダーは楽です。

計画段階で、天候が核心と分かってくれていれば、天候と行動時間の競争になることは、何も言わずに分かるはずですし、

ガスが広がってきたら、ホワイトアウトを懸念し、

時間のわりに標高差を稼げなかったら、へっでん下山を心配し、

そこに高齢者がいれば、つまり、視野が悪くて、転滑落の危険の増えるということですし

だとするとそのような場合に備えて、動けるメンバーがいるか?ということも連想の範囲内です

リーダー任せで思考停止の人は、本当に何も思考していません。自分は歩くだけが役割だ、という認識でいたりします…。

それは、たぶん、日本の義務教育で、

言うとおりにする
何も考えないで既定路線を行く

を至高命令にしてしまったからかもしれないので、その人だけのせいではないかもしれませんが、それが結局は、パーティ全体を死に陥れる…ということもあります。

その事例が、日本山岳会広島支部の沢登での遭難と思えます。

たった一人が突っ込んで沢を渡ったおかげで、あとの2名は巻き添え死です。

■ 対策

そうなると、次なる対策は、ということですが…

私は、

リスクに対する仮説思考

が一般登山者には不足しているのではないか?と思うのです。例えば、沢登りでは、

増水していたらどうするか?

ということは、当然ありうる事態なので、その事態になるまで考えていない、という状態である必要は、全くないのです。

ロープ出して渡る、

としても、だれがどのように?とか、どの程度の増水なら行くのか?とか、そういうことはあらかじめ考えてから行くものです。

が、これらは、言語化されていません。非言語で伝統的に伝えられ、非言語で学ばれ(盗まれ)ていたことなのです。

したがって、非言語のコミュニケーション能力が低い人には、まったく何も通じないのと同じになります。

そして、そのような人は、パーティにとって遭難の火種となることが多いのです。

■ 信頼の問題

これまでは、こうした問題は、

リーダーに対する信頼の問題

と考えられてきました。というのは、メンバーの側に立つと、言語化されない知識に、信頼を預けないといけなかったからです。

リーダーは、もちろん知識で判断しているわけですが、それが言語化されない場合、ブラックボックス化してしまいます。

昔の山岳雑誌では、そのブラックボックスになっている部分が、比較的説明されていたように思えます。

が、最近の山岳雑誌では、まったく説明されず、情緒的な表現でおしまいです。

例えば、頑張れば夢はかなう、風になんか負けるもんか、などです。

■ 具体的な対策が必要

情緒よりも、もっと大事なのは、どうすればよいのか?という解決策です。

やはり、山については、座学での勉強が大事だと思います。

が、例えば、リスクマネジメントに役立たない知識を問うても仕方がないと思います。

例えば、山では標高が100m上がるごとに0.6度気温が下がる、という知識は、基本的で山ヤならみんな知っている知識ですが、

三大北壁登頂者は誰か?という知識と比べると、リスクマネジメントにおいては、後者はハッキリ言ってどうでもいいかもしれません。

今遭難している人たちに必要な知識を先に入れないと意味がない。

山の資格検定なども、見かけますが、そういう意味で、資格が出てきても、遭難者数の低下に寄与していないのは、たぶん、そういう意味なのではないかと思います。

■ 抽象的思考力を鍛える必要

登山者の思考停止は、私は依存的なマインドが問題なのだと思っていましたが、問題のねっこはそうではなく、

抽象的思考力

が不足しているのでしょう。フリン効果と言って、セクハラや人種差別する人は、抽象的思考能力の欠如…つまり共感力のなさ…自分の娘がセクハラされたらいやでしょう…が、セクハラする男性の問題点なのだそうです。

これを聞いたときに、なるほど、そうだろうな、と思いました。

登山は絶好の仮説思考のゲームです。仮説が間違うと、死に至ることもあるのですから。








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