Friday, May 26, 2017

失われようとしているベテランの知恵

■ 山を伝授する

山岳会による山の教育が機能しなくなったと言われて久しい。

昨今の山のベテランが若手の教育をしない理由は、簡単だ。恩返しがないから(笑)。恩返しの一番は、頼れるパートナーになること、その次が、次の人に教えること、です。

・頼れるパートナーになる
・次の人に教える

この2つが、現代の人にはできない。(能力がないあるいは時間がない、など、その人のせいでないことも多いが)

そういう人に山を教えても、骨折り損になる上、ベテラン側は、いい加減、もう自分ができることはやってしまったと感じている。

つまり、山と言う活動はステップアップが必要なので、ピラミッド構造になっているのだが…つまり、最上位の一人が中級者3人に教えたら、その中級者3人がそれぞれ初級者3人教えて9人、その初級者9人がそれぞれ入門者3人に教えて27人みたいな構造になっている…のだが、今の時代は、中堅がいない。

   1
  333  → ここが欠けて
 66666 → ここも欠けて
9999999 → ここばかりが増えている

こんな構造。

ので、トップの一人が怒涛のような入門者を教えるみたいなことになってしまいますが、そうすると、27人、そんなに教えることは神でも不可能、ということになってしまいます。

堤防のように頑張っていたベテランも、匙をなげます。私のメンターは、元々登山学校で校長先生をしていた人ですが、自分が教えた人が、その下の後進を教えないので、腹を立てています。

なので、現在は登山学校という仕組みは、有償での教育が有望です。お金を払う気があるくらいだから、ヤル気がある、ということが試されすみだからです。あの岩崎さんも同じことを言っています。

■ 通信教育が可能

私が思うには、山はほとんど通信教育が可能です。私で現在実証実験中です(笑)。

こういうのマスターして置いて、と言われて、それをやってくる人がちゃんとした人です。

「ビレイマスターしてきて」と言われた人が、その通りにマスターしてこなかったら、また再度、半年ほど待ちます。

「ピッケルじゃなくて読図でしょ」と言われたら、読図マスターしてこないといけません。

一通りマスターするまで、次の段階に進めません。進むと命の危険があるからです。

何年かかったとしても(自由になる時間は人それぞれですから・・・)、してこないとダメです。ちなみに私は読図に取り組んでから、3年かかりました。

■ 連れて行く?

スキル未満の人をセカンドで連れて行くほうが、自分のパートナーが欲しいという悪魔の声に負けているのです。

その証拠に、去年、私はインスボンにクライミングに行くだけの登攀力がありませんでした。それを別のベテランクライマーに話をしたら、

「(私を連れて行かなかった)〇〇さん、エライね~!」

と感心していました。

私もまだその段階にない人をルートに連れていってしまったことがあります…。というか、連れて行ってから、まだその段階になかった人だと言うことが分かったんです。それで責任を感じて、ルートに出るために必要な技術で、自分が知っていることは、みんな教えました。ちなみにスタカットと懸垂です。

■ みな一律平等はできない

山は、等しく誰しもに対して接します。それに対し、人間側の体力はそれぞれ。

なので、Aさんが行ける山に、Bさんも行ける、ということにはならないです。

つまり、みんな一律平等に同じ山に連れて行くことはできないということです・・・それをすると一番弱い人が行ける山にしか行けません。 

私は去年はインスボン、行きたくても行けませんでした。

しかし、そこを頑張って、山が要求するレベルに自分を持ちあげて行く、ということが、山の本来の楽しさだと思います。

私は2点支持を身に着けるのに3年かかりました。インスボンに行けるようになるまでにフリーのトレーニングに丸1年かかりました。

これは平均的スピードだそうですが、成長のスピードは人それぞれです。自由になる余暇の時間にも左右されますし、ジム環境や、元々の才能、身体のメリット、筋力などにも因るからです。一つだけでなく複合的な要素が必要です。

それぞれの時間がかかってもいいから、一つ一つ段階をクリアして行く、段階的成長が必要です。

■ 危機感

私が持っている危機感は、ベテランの知恵が、これから10年以内に失われていく…ということです。

今、私を教えてくれている人が、10年後も教えられるか?というと違うような気がします…

一方、私は10年後も確実に元気でしょう。少なくとも生存はしているでしょうし、山に登る体力がないということもないでしょう。

だから、今、吸収しないと・・・。

■ メンターになれるほどの山ヤはめったにいない

今の師匠、メンターになってくれている人ですが、そのクラスの山ヤはめったにいません。

ただ、残念なことに、彼クラスの山ヤが、学ぶべきモノを持っている、山への姿勢とか、技術とか経験とか…そういうと言うことも分からないくらいの不勉強な人ばかりで、ベテランのベテランたるところのありがたみが分からないことが、山の技術継承の問題をさらにややこしくしているように思います…

みんなは、もしかして、山なんて、誰にも教わらなくても登れる、と思っているんではないでしょうか?あるいは、トレーニングなんかしなくても登れる、準備なんかしなくてものぼれる、と。

こういう記録を読むとそういう人がメインなんじゃないか?と思ってしまいます・・・

GW 悲喜こもごも

■ 山のステップアップをコンテンツ化すること

山をコンテンツ化すること・・・いわゆる登山学校のカリキュラム的なことになりますが…も、実際可能だと思います。

というのは、私は菊地敏之さんが、大昔の岳人に寄稿した、雪山初心者のためのステップアップ雪山指南をみて、最初の3年はその通りに過ごしたからです・・・(笑)。

あの記事は本当に役立った。それでムリなくステップアップできたので。

当時、私のメンター=山の先生は、菊地敏之さんだった、と言えるでしょう。

■ 天才は言葉にするのが苦手

山というのは才能が必要みたいで、才能ある人は他の分野にもれず、直感的感性の人です。天才肌ってことです。

そういう人は、良き指導者になる、ということは、難しいみたいです。言葉にできないのだそうです。

たしかに、山の技術って一般論に落としづらいです。 

良くあるのが、山小屋で、「〇〇岳って私にも登れますか?」ってやつです。そんなの、自分で解決してください、みたいな質問をよく受けます。答えられるはずがない。

山って一般水準のド・スタンダードなところを持ってくるのも難しく、個人個人に合せて適切な山を選んだほうが良い、ということもあります。

例えば、新人Aさんのアルパインデビューは屏風岩なのに、新人Bさんのデビューはなんで左岩稜? 不公平だ!というようなことは通用しません。単純にAさんのもつ力量が大きかったからで、不公平でもなんでもないのです。逆に同じにしたら、不公平になります。

技術的に同じことを教えるのに、体力度でそれぞれ違う山にするというのは、普通のことです。こちらにリー研の記録がありますが、みな同じことを教わっているのに、それぞれ困難度が違う設定にされていて非常に参考になります。

町内の山のリー研の記録

独学の人が自ら学ぼうとする場合は、一番控えめな設定からステップアップするしかありません。

≪参考記事≫
ダメな山岳会の事例

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