Saturday, May 14, 2016

危険予知トレーニングを意識的に行うことの重要性

■ 危険の予知の重要性

今の登山の世界では、危険認知・危険予知が欠けていることが、一番の問題だと思う。

ただ今までの山の世界は、「山は危険な所です」と言うのみで、具体的な危険認知を教えることがなかったようだ。キャンプの世界では、デファクトスタンダードであるにも関わらず。

私は危険認知が、時間としてみると素早いほうだ。他の人より先に危険に気が付く。だからこそ、危機的状況に入る前に、セルフレスキューの講習を受けたくなるわけだ。

危険認知が早いということは一歩先が読める、ということだろう。脳の回転の速さと言えると思う。

しかし、日本では危険認知力は、そのまま”経験”にすり替えられている。

そこが、ベテランであっても、ベテランと言えない点となってしまう。

いくら山行経験を重ねても、楽しいだけで、危険を認知しながら、山行を行わなければ、経験は全然積みかさならない。

結果、登山歴〇十年の人が遭難している。一般ルートの山に行っているだけでの人が、ベテランや熟達者としての誤解を受けているのが”中高年登山”の実態だ。

多くの”ベテラン”中高年は一般道の山の経験しかなく、”どこの山小屋の何がおいしいという経験”は積み重なっていても、どのような危険があるか、どうやって回避するかについての経験は、まったく積み重なっていない。

したがって、楽しく歩くだけの、危険に対して漫然とした態度で臨む経験は十分ではなく、危険に対して、顕在的に、または意識的に経験値として積み上げた経験が必要だ。

それには、危険を自ら察して、それらを熟達者に検証してもらうということが必要、だろう。

危険認知に必要なもの

 1)資質 危険を素早く察知する
 2)危険について意識的に学んだ経験
 3)先輩による危険認知の妥当性の検証

例えば、前穂北尾根では、5,6のコルではロープは出さない。そこで出さなくてはならないような登攀力しかない相手と前穂北尾根へ行ってはいけない、ということを先輩に教えてもらった。

例えば、三つ峠では、岩に打ち付けたプレート式の大きな懸垂支点があったが、信用してはならないと教わった。

先輩と行く山行の山行目的は、きっちり、

 どのような危険に対処する視野を養うための山行なのか?

顕在的に意識しておくことが大事かもしれない。

≪参考サイト≫

岳沢小屋のブログ

Monday, May 9, 2016

コメント深謝します

今日は、こちらの記事にコメントを頂戴しました。とりおたさん、ありがとうございました☆

■ 貴重な知恵のつまったコメント

正直申し上げて、コメントにいただいた知識の数々が、私自身の危険回避にどれほど役立ったか、計り知れません。

特に、ハゲオヤジさんのコメントなどは、大変貴重な、長年の知恵の蓄積されたものです。

私としては、このようなコメントや、それをまとめた記事こそ、読者の方に読んでいただいて、参考にしていただけたらと思います。

が、残念なことに伸びている記事は違う記事が多いです・・・(残念)。

まぁ、もちろん、女性登山者は、山でセクハラには気を付けないといけない、という警句は、まったくその通りなのですが・・・。

■ 厳しいことが書いてあるかもしれません

ハゲオヤジさんの貴重なコメントをまとめた記事など、現在、山岳会のリーダークラスの人には、少々厳しいことが書いてあるかもしれません。

とくに私がいた会の人にとっては、直接批判されているかのように感じられる部分があるかもしれません。

しかし、淫靡体質は良くないかもしれません。別の分野で恐縮ですが、山梨のワインの本に指摘してあったのですが、狭い社会での決定的な欠点は、身びいきが身を滅ぼす原因になっていることだとありました。私は山梨に来て生まれて初めてくらいマズイワインを飲みましたが、生産者に話を聞いてみるとそれもそうで、生食できないクズブドウをワインに仕立てるのが伝統だったのだそうです。しかし、時代は変わり真面目に良いワインを作っているワイナリーも、その不味いワインの風評被害を受けてしまうようです。このことをワインの本でワイン学の権威が指摘していました。

そう言う場合、権威の指摘ならば反省できても、新人&女性に進言されても、素直に聞けないかもしれません。

が、客観性を保った立場であるハゲオヤジさんのコメントなら、聞き入れる可能性があるかも・・・と思い、手を加えず公開しています。

第三者である分、感情から離れて、冷静にリーダーの取るべき判断、を示しているような気がします。

■ おススメ記事

遭難しない方法について考える

 この記事から学んだこと;

  ・稜線に出るならマイナス5度から要注意
  ・オーバーペース、体調不良、尿意、写真を撮るからちょっと待って、は、リーダーに連絡する
  ・体力がないとは? =自分で思っているほど登れずに予想外に時間がかかること

  ・そんなに早いペースで登れないなら・・・ その場合、コースタイムに縛られずハイキング山域で計画を立てる

  ・山に行くなら鍛える

  ・引き返せない状況とは? =ドカ雪・雪崩・豪雨増水のこと。結局は天候判断ミス。
    例: 暴風雪の中、ベースに引き返さず頂上に出てしまう
       ホワイトアウトでルートミス

  ・これらができない場合 = 山を舐めている 状態
    ↓
   スポーツジムのクライミングウォール
   アイスキャンディー登る程度の活動に留めておく

  ・難易度を上げる場合は、緻密に計画する

総括的な所

 この記事から学んだこと;

  ・現場での判断よりも、計画段階、準備段階が重要 = 技量
  ・冬に〇〇岳に行く計画なら、それに見合った山行をその年、前年あたりから会としてやっていなくてはならない
  ・勉強会、講習会、訓練山行 = 必要な登山技術の習得、体力のチェック機会


サクッと一時間でまとめるとこうなりました・・・他の記事も大変有用な記事がありますので、宝探ししていただけたら、幸甚です。














 


Friday, May 6, 2016

2016年GW遭難について

■ ブログ ぼちぼちいこか

ぼちぼちいこか、は、有名ブログだ。掲載される記事にはほぼ目を通している。

このブログに書いてあるコメントを読んで驚いた。

無知な人は無知であるということ自体が分からないものだが・・・分からないこと(無知)が権利になってしまっている。

分からないことを盾に、権利主張するのは常識なのだろうか。

いや驚いた。

普通は無知は有知の人に、教えてください、とお願いするものであり、当然の権利として主張するものではない。

■ 危険な場所には行くべきでない

以前の師匠は、山の事情に詳しく 「GWの穂高など昨今の山事情では行くものではない」と言っていた。最初は、私自身が山の事情を知らないため、「そうかぁ」くらいの認識だったが、のちに身近に事件が起こって、私も肝に銘じるほどに納得した。

それは、2013年。知人がザイテンを登っていたところ、上から人が降ってきて滑落に巻き込まれ、ヘリに乗る羽目に陥ったことだ。

上から人が降ってくる山だというのは本当だった(汗)。

山は危険な場所だが、上から人が降ってくることが外的危険に含まれるか?というと、違うように思う。

なので、登山体系を読まないような人でも知っているようなルートには行かないことが、危険予知の一つになってしまっていると思う。

■ 危険予知訓練

さて、驚いたのは、この写真を見て危険予知ができない人がいるという事実だ。私は北アの小屋でバイトをしたことがあるのだが、休憩中に登山道を眺めていると少なくない数の人がこのような腰つきだった。

キャンプの世界では、危険予知訓練と言うものをするのだそうだ。写真を見て、外的危険が何か?をグループディスカッションする。

この写真はそのようなディスカッションに使うべきなのではないだろうか?雑誌の岳人でも、危険予知を特集してほしい。

写真1)


≪予想できる危険≫
・滑落
・転落
・転滑落による遭難での低体温症
・雪崩
・日焼け
・雪による濡れ

写真2) 



≪予想できる危険≫
・上記に加えて
・後続者の転滑落からのまき込み

写真3)


≪予想できる危険≫
・滑落
・転落
・足の冷え

■ 雪上訓練

以前受けた雪上訓練では、参加要項に

 アイゼンバンドは前日までに切ってきてください

と書いてあった。そのことにも驚いたが、参加者の中には切ってきていないでブラブラしている人がいたのにも、気が付いた。

しかも、12月厳冬期の富士山での雪上訓練難なのに、夏靴にアイゼン・・・

夏靴だと靴のサイズが冬靴と違って甲が低いので、アイゼンバンドを合わせようにも、バンドが長すぎるのが当然になってしまう。

参加要項には、参加資格のところに、冬靴を用意できる人、という一行も必要ということか。

■ 無知

やはり一番の核心は、無知ということではないか?と思える。

無知を有知に変えるには?ということが課題になってくるが、もっとも影響力が大きいのが雑誌なので、雑誌に特集してもらうのが良いことなのではないか?と思えるがどうだろうか。

多くの人は雑誌が指南する山に向かうようで、雑誌の影響力がそのまま山に現れているのではないか?と思うのだが、違うのだろうか・・・

≪関連記事≫

2016年 警視庁 GW統計

防御力をあげてからクライミング力をあげる  奥穂雑感についての記事

危険予知実例

2013 GW遭難のまとめ

2014 GW遭難のまとめ

2015 GW遭難 涸沢岳西尾根

2014年 他山の石として遭難を考える

Wednesday, May 4, 2016

小川山でトークショー

■横山勝丘さんのトークショー

昨日は横山ジャンボさんのトークショーがパタゴニア川上村であったので、出かけてきた。

本当は、廻り目平で一泊でも・・・と思っていたのだが、家で充足してしまい、では日帰りハイキングで横尾山でも・・・と思って登山口まで行ったら、それも強風であまり快適でなく、川上村往復。

新しい車の試乗会という感じになった。

夫と車に寝転がって、それぞれ好きな本を読んだり昼寝したり。講演が始まるまで、岩と雪を読んだ。

風が強く、頭上高くの木々から、枝が降ってくる・・・スゴイ強風だ。横尾山では、まだ桜が咲いていた・・・下界とは1か月違うようだ。

ただ上から小枝が落ちてくるので、頭上に何もないところへ行こうということで早々に移動した。

■ 危険との向き合い方の差

横山さんの『アルパインクライミング考』は、モンベルになる前の『岳人』連載中は、正直言って世界が違いすぎて、興味自体が湧かなかったので、ほとんど読まなかった。

しかし単行本になったので、全部を読み通すと、さわやかな読後感だった。

興味を引かれたのは、たまたま同時期に読んだ、森田勝さんを描いた本、『狼は帰らず』との読後感の差が際立ったから・・・。こちらはさわやかな読後感とは行かず、悩ましい読後感だった。まぁ山で死を迎えた人の話だから仕方ないのかもしれない。

登山の初心者の頃、「昔の人は、結婚したら奥さんから”山はもう辞めてね”と言われるのが普通だったんだよ~」と聞かされ、それは、とおーい、むかーしの、道具が不備の時代の話で、今の時代の登山はちゃんと登山者が普通に危険予知していれば死ぬことはないのだろう、と想像していた。

今は時代が違いますよ、と・・・。

ところが、私の周囲では、知人程度の人だが、すでに死者3名である・・・これは、なんらかの警告であるように感じられた。

趣味で登山しているのに、死ぬような羽目にあっては本末転倒・・・というのが、私が真面目に登山を勉強しようと思い、山岳総合センターの門をたたき、山岳会に所属した理由なのだが・・・。

なんだかむしろ、死に近づいて行っているような気が・・・(汗)。

特にクライミングのシステム自体をよく分かっていない人たちとともに、登山をしていた頃は、このような状態で登山を続けていては、安全管理不在であり、つまり、ロシアンルーレットであり、いつか大事故につながるかもしれない、と感じた。

危険をコントロールしているというよりは、危険に振り回されている感覚だ。

■ ビレイの確実性が生む信頼

さて、そういうこともあって、現代のアルパインクライミングが、どのように実際行われているのかを直接知りたいと思って出かけたのだが、とても、参考になった。

やっぱり、というか・・・フリークライミングによる防御力が前提にあった。

パタゴニアと言う場所は、落ちたら確実に死ぬような傾斜のクライミング・・・だって、かぶっているんですよ・・・

でもって、確実な確保は前提であった。確保が確実でない人とでも登る、ということはありえなかった。確実なプロテクション技術も同じ。カムが確実に決まっていない(決めれない)のに、バンバン落ちるということはアリエナイ・・・

そうですよねぇ!と思ってしまった。

だって、落ちたら確実に死につながるところで、フリーで行けるかどうかという試みをしているんですよ~ 5.12dのピッチを3時間掛けてフリー化にこだわって登った話には、なんというか、そういうことをやるのが現代のアルパインなんだ~と思った。

普段フリーでゲレンデでやっていることを、山でやっているわけだった。

フリークライミングでは確保があるので、落ちても死なない。落とされたらビレイの失敗と言うことになる。

もちろん、自分で設置したプロテクションが外れるということもあるが、それは自分のミスである。

しかし、プロテクションがあるから、落ちても死なないという確実性があるから、登れるか登れないか分からないところを登れるわけである。

逆に、ビレイが信用できない状態だったら、落ちても死なないところ、もしくは、絶対に落ちない自信があるところ、しか登らない。

だからやっぱり、落ちながら登り、ビレイヤーとの信頼関係を深めていくことがチャレンジの大前提になるのだ、ということが分かった。

信頼できないビレイヤーだったらやっぱり登れないし、登らなくていい。

だって山でも落ちながら限界値を高めていくんですから・・・











Tuesday, May 3, 2016

中堅化

■ 心の充足とはなんであろうか?

最近、越沢バットレスに行って、満ち足りた気分になっているのだが・・・それは一つには後輩のことがある・・・。

後輩のO君は、まだ大学生で23歳と若い。 山ヤで23歳なんて、もう今伸びなくてはいつ伸びるんですか?な感じなのだが、問題は山岳会に所属していないこと。

山岳会に所属していないことが何が問題になるのか?というと、その人の登山者としての成長を考えてくれる先達がいない、ということだ。

登山者としての成長には、ペースはどうであれ、これをしたらあれ、あれができたら、次はこれ、とやるべきことのステップが、大まかにあらかじめ、あるものだ。

それは年のスケジュールに分割されている。今の時期は新人は岩トレシーズン。 例えば、新人の時期に適切な岩トレを受けていないと、例えばフリークライミング歴5年なのに、ヌンチャクを掴みながらリードするのを不思議と思わないような人が出来上がってしまう。まぁ、極端な例だが、しかるべき時にしかるべき教えを受けている、というのは重要なことだ。

O君が山岳会に所属しない決断をしたとき、私は焦った・・・。

今、この時点で、彼の”直属の先輩”は、私だ。 彼は私に着いてきてくれた後輩なのだから。

となると、私に彼の成長を方向づけてやる責任がある。・・・が、正直私は山ヤとしての経験は浅く、前途有望な若い人の指導は荷が重い。

例えば、GWは奥穂南稜を考えていた。初級のルートだ。でも彼は雪上訓練のまともなのを受けていないので、連れて行けない。

しかし、今年の奥穂の状況はひどく、遭難多発しているし、何よりGW中の穂高は、上から人が落ちてくることのほうがルートそのものの危険より大きいくらいの山なのだから、今年奥穂を逃したことはそう惜しいことでもない。

それより、もっと問題だったのは、岩トレ、岩でのマルチピッチの習得チャンスが失われてしまう・・・ということのほうだった。

それで越沢が成立したら、なんとホッとしたことか。これで先輩としての務めが一つ完了。

そして、今、しみじみと、まじめにやっているな~ワタシと、充足感に包まれている、というわけなんである。

■ 役目

充足感というのは、果たすべき責任を果たしたときに、私の場合は訪れるもののようだ。

だとすれば、欠乏感は、何によるのか?それは果たすべき責任を果たしていない、という自覚によるのかもしれない。

私の果たすべき責任とはなんなのであろうか?責任を役割、と言葉を変えても良い。

そのヒントは、やはり、誰もが立場を順繰りに変えていくということにあるかもしれない。

最近は、まったく初級者、ゴマメの立場に立つことはなく、どちらかというと、ベテランと初級者の間に入っていることが多い。

気持ちの良い後輩の行動を見て、自分が初心者のときもこのように行動で来ていただろうか?と思ったりする。

後輩が頑張ってくれるだけで、先輩は行った甲斐があったなーと思うものなのだ。

自分が後輩の時は、先輩に付き合ってもらって悪いな~といつも感じていたが、先輩の方も、ちゃんと役目が果たせたな~といい気分でいたのかもしれない(笑)?

そういうことを考えつつ・・・ うまく回っていくこの循環は一つの生態系だな~なんて悦に入っているのであった。

充足したので、夫との山を今度は充実させないといけない。

こうした充実感を以前は仕事で得ていたような気がするが、今のところ、それは私には山になっている。

有給の活動だけが仕事ではないし、仕事だけが自己実現の手段ではない、という気持ちだ。