■ 光が照らしだす影
最近、素晴らしい仲間に恵まれている。
それで、分かったことがある。光がないと影が分からないからだ。
”無責任”とは、”自分さえ楽しく登れれれば良いという自己中心的な考え”であること。
”無知”とは、クライマーは自己完結でなければいけないということを知らないこと。
■ 自己責任
山は自己責任と言われる。それが曲解されて、”自分だけは楽しくクライミングできたらいい”になってしまっている。ハイキングでもクライミングでも同じだ。
いつでもパートナーがいる状態にしたい、ということは、誰もがもつ思いだ。
それは、自分だけ良ければ良いというスパイスが入ると、自分のパートナーだけを独占したいと思うようになる。
いつでも自分のためにスタンバっていてほしいと思ってしまうのだ。それは相手に対して、敬意を持った態度ではない。
自分のパートナーが心配だからという理由だと、逆に言えば、他のメンバーは危険だとその人が考えているということだ。
ということは、自分のパートナー以外の人なら、危険な人と組ませても平気なのか?
まぁYESなんだろうな。 実際、私は、初心のころ、つるべも知らない人と組んでいるからなぁ(笑)。
私が信頼されていたというよりも、まぁ捨て駒というか、あんまり大事にはされていなかったというべきなのだろう・・・。
■ 光
陰については、最初の3年間で良く分かった。
光について、書こう。
光は、敬意に満たされている。相手へのリスペクトが最初にあるのだ。たとえ後輩であっても。
最初から、山をちゃんと分かっているな、いい子だな、という思いがあるものだ。人間性への敬意だ。
先輩は後輩を山に連れて行ってあげたい!この面白さを見せてあげたい!と思う。その善意が出発点だ。
一方、自分が行きたいから、ただついてきてくれればいい・・・というのは自己中心的な山だ。陰だ。
相手の命への責任感があれば、実力を無視した山行計画や基礎的なセルフレスキューなしの山は存在しなくなる。
■ 恩返し
自分が成長したら、今度は恩返ししたくなるものだ。赤ちゃんと同じで、人は誰でも最初の頃は、いろいろと世話にならなければ、色々なことが見えてくるようにはならない。
でも、いつまでも赤ちゃんではいられない。クライマーは自己完結でなくてはいけない。
自分の相手くらいは自分で見つけてくる力量が要るのだ。読図だって同じだ。たとえ一人でも山を下りれなくてはならない。
いつまでも自分で山に行けない人は淘汰されていく。
こうしたことを教えてくれたのは、良き後輩と良き先輩だった。
■ 考えなくていいこと
最近、陰については考えなくて良いことを理解した。これからは光だけを考えて行けばいいのだろう・・・
感謝と恩返しの連続が、山なのだ。
そうならない場合は、基本的にすべて自己中、影なのだ。
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