■ パートナー
週末は楽しく遊んだ。最近思うこと・・・山と言う活動は、
パートナー次第
ということである。
パートナーにスキルのあれこれ文句をつけてくる人もいる。が、クライミング力があるか、ないか、そういうことは、基本的に重要ではないと最近思うようになった。
なぜなら、山は山だったら、どんな山でも、愉しいのが山ヤなら普通のことだからである。
以前私はバレエを長いこと習っていたが、上達すればしたで、初級レッスンでも、上級者は上級者なりに深い味わい方ができる。山だっておんなじなのだ。
だから、例えば、自分が慣れている初級の岩場に行っても、それはそれなりに楽しく登れるものである。熟練と言うのは、そうやって、自分にとっては、新しいとは思えない場所に連れて行くことで出来上がっていくものなのだろう。
それよりも大事なことは、
相手を尊重できるか?
ということである。クライミングは人生道場であり、相手を尊重すること、を学ぶ場だ。
■ 自己都合だけの人
以前、人工壁に行った。一人で行っているから、当然その日は、じっくり一人で壁と向き合って、ボルダリングをしたいと思っていた。
・・・ところが、行くと 「あ~よかった~知ってる人がいた~」という風に、知り合いにつかまってしまった(汗)。 そのため、自分の課題には向き合えなかった・・・。
誰だって、自分で自分の課題を持っているもの。
であるから、ビレイヤーが必要、というのは、自分の都合であって、相手も同じとは限らない。
相手もリード壁をしたいと思っているとは限らないからだ。
そうやって相手の都合を考えることができるかどうか?ということが、クライミングにおいても、山においても、大事なことで、それができないとどうなるか?というと、結局命がかかってしまうのだ。
この時も、不本意なクライミングを強いられ、フォールして、床から50cm。
■ Noと言えない自分を反省
ただ、この時は、Noと言えなかった自分を反省している。
ときどき、驚くほど、相手のことを考えられない、自分中心の発想の人もいる。そういう人は、一事が万事そういう言動だから、こちらも慣れてしまって、「負けるが勝ち」と相手に合わせてしまう・・・のは、大人はみなそうするから、だ。
やってはならないことの定番は
・怖がっている人に、リードさせる
・相手の実力を無視したルートに行こうとする
などである。何しろ、命がかかっているのだから。
そうしたやってはならないことをする人が、いくら「登ろう!」と言ったって、登るのは自分である。登れないところを登る羽目になったら、それは自分にも非があるのだ。
登りたくありません、と言う人間の強さが必要だ。
■ 思いやりと歩み寄り
結局のところ、信頼関係は、互いの歩み寄りである。
相手を理解しようとすること。互いの都合の接点を見つけること。
そうしたことは、想像力と知力を必要とする。
思いやりとは、今の相手に何が必要か?自分が相手に何をしてやれるか?
を想像することである。
自分のニーズを主張して、相手のニーズよりも自分のニーズを満たそうとする・・・そうしたことが起こりがちなのがクライミング。
大事なことは、そうした”自己中”クライミングではなく、”心の山”を続けていくことだ。
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