■ なぜ山に登るのか?
なぜ山に登るのか?
以前、その問いに私が出した答えは、
素晴らしい思い出を作るため
というものだった。
後年、振り返って、にっこりすることができる、楽しい思い出を蓄積すること。
■ 成功の形
この海の日には、友人の自宅パーティに招かれて出かけてきた。
思い出を共有する仲間がいること。
思い出は一人でも振り返ることができる。しかし、共有することができれば、喜びは行く倍にもなる。
それは、一つの成功した登山の形だ。
そういう仲間を得ることができるような、そんな登山を続けて行かなくてはならない、ということなのだ。
■ 足るを知る
山に登ると、生きていることだけで人間は十分なのだ、と誰でも一瞬で理解できる。
一瞬一瞬を真摯に生きたか?それだけが死の床で問われることなのだろう。
自分の小さなエゴに囚われず、後悔の無い時間を過ごしたかどうか?
悠久の時の中の、一瞬の命、人生。その貴重な時間をどう使うか?それは人間次第なのだ、ということだ。
愚痴を言って一生を過ごすもよし、小さな競争に明け暮れて過ごすもよし、自分の使命に捧げるもよし。
それが人間にだけに与えられた選択肢であり、ファンダメンタルチョイス、と言われるものである。
■ 山での死
そういう風に山で感じる・・・と、山での死については、ただただ、もったいない…という思いしか浮かばない。
山の難易度をどんどん上げて行くような山はしたくない。
そこには、自分を証明したいというエゴしか感じられない。どういう風に山を選ぶのか?グレードなのか?それとも他の要因なのか?
その人の山は、山の選び方に現れる。自分の山をやっていくことは、誰かに「すごいですね」と言われることよりもはるかに重要だ。
≪前穂北尾根の回想≫
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