Monday, April 1, 2019

アルパインの中にあるマチズモの伝統

■アルパインの中にあるマチズモの伝統

が、アルパインクライミングをしていく中でのリスクの一つだと、今回は学びました。

マチズモは混乱が多い言葉で、例えば、”闘争心”とよく混乱して理解されています。当然んですが、闘争心は必要です。

山でピンチに陥ることはよくあり、その時、みずから負けを選択するような人だと、アルパインどころか一般登山にも、全く向きません。

リスクそのものを理解できない人も向かないですが、やむを得ず陥ったピンチに、立ち向かえない性格の人も向かない。

しかし、イラナイのは、マチズモ。一般には男性のナルシシズム的な解釈をされている言葉ですが、白人男性の不安の裏返しがトランプ大統領の登場だと言われているように、理性での対話を放棄し、単なる力の理論に持ち込むという思想です。

山では、どう現れるか?というと、体力一転豪華主義とか、登攀力一点豪華主義の人です。

つまり、非常に極端な理論を信奉する人です。”登攀力があれば、フリーソロ出来るのだから、ロープはいらない”とか、”登攀力があれば、ビレイヤーは誰でもいい”、という理論です。

登攀力や体力は、実力と同義語なので、実力さえあれば、パートナーは要らない、ロープは要らない、という孤高主義とも似ています。

このマチズモの伝統は根強く、否定しがたいところがあります。

例えば、小さな点では、クライミングで、”迷ったらハードプッシュ”もマチズモ的な力による解決です。

クライマーの中にも色々な主義主張があります。クライミングはムーブだ!という人もいれば、クライミングは結局は保持力だ!という人もおり、そのひとつです。

私はクライミングは、ムーブで解決する、という主義のほうが知的だとは思いますが、ハードプッシュでしか解決できない課題があることもまた事実です。

登攀力も、体力もほぼないに等しい、私のようなクライマーですら、アイスでではありますが、”落ちないところしか登らないからビレイヤーは誰でもいい”という心境に到達しました。そうすると、どんなしょぼいパートナーでも、受け入れることができる、登れる話になってしまいます…。

それは登りたいと思ってもやらないだけの自制心が必要でしょう。

それは、登攀という実力での解決、という意味で、マチズモと同義ですが、現状、存在はするけれども、間違った思想です。できるならその道は取らないほうがよい。

やはり、理想は、パートナーとの協力の体制が作れるというものです。

大事なことは、互いに相手を守りあう、与え合う関係であり、互いが権利を主張し、奪い合う関係ではないということですね。

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