Tuesday, March 26, 2019

日本の本チャンは世界でもっとも危ないかもしれないこと

■ 日本の易しいルート=死の危険があるルート

というのは、漠然と知っていましたが、私は、いよいよより正確に緻密に理解しつつあります。

  日本国内の易しい登攀=死の危険がある、危ない登攀だということ。

この理解を助けるのに、そもそも論をしなくてはならないので少しお付き合いください。

   そもそも、登山の本質は、なにか?

それは、

   困難と危険がトレードオフの関係

にあることです。(ここを理解したい方は、『The Games climbers play』をひも解いてください。)

どういうことか?というと、登山というゲームにおいては

 ・易しくなれば、危険になり、
 ・安全になれば、難しくなる、

ということです。

つまり、難しさを受け入れられなければ、要するに危険になる、ということです。逆に言えば、危険を受け入れられなければ、難しくなるということです。

そして、最も危険なのが、”日本の易しいルート”、です。

例えば、ピッチグレードでⅣ級、つまりデシマルで言うと、”5.1~5.9以然”(つまりナインアンダー)のルートは、登攀の易しさを補うために、ランナウトを平気で受け入れています。そうすると、落ちる=死となります。

ちなみに、昔は5.8がリード出来たら、すごい!と言われたそうです(汗)。それは、5.9以上はすべてⅤ級に入り、Ⅴ級を登るということは、結局のところ、当時の当世の最高難度を含むことになるため。

 Ⅳ級がリードで確実になるよう指導を受ける=リーダー候補生、

です。

■ クライミングの楽しさとは?

一方、誰だって登っていて、ホールドがハズれたら、嫌です。そのために落ちたとしても、自分のミスではないからです。なのに落ちれば、大怪我や死のリスクがあります。

  楽しいルートとはどんなルートか?

岩の面がきれいで、岩が固くしっかりしており、てっぺんまで見通せ、最後まで登り切ってヤッホー!と言いたくなるような、きれいな岩。

間違っても、じめじめ、ぬるぬるの苔が生えたところ、なんて登りたくありませんね(笑)。

これは好き好きですが、とは言いにくい話で、まぁ10人いれば9人は

 快適に登れるほうが楽しい

です。まぁ、これは分かりやすくするために極端な事例としましたが、要するに、楽しさには、

 岩登りしやすさ

という要素があるのです。そして、残念ながら、日本の自然条件は、岩登りしやすさ、という面からみると、反対方向に向かっています(笑)。脆い、コケが生える、アブナイ、ということです。

■ この二つの事情を組み合わせると

Ⅳ級で、岩も美しくなく、脆い&悪くて、その上にさらにランナウト(ロープが命綱として機能しない状態)があると、いっくら登るのが、大好きなクライマーであっても、

 何が楽しいの?

となってしまいます。それが日本のナインアンダーのルート事情…です(汗)。

「落ちないからロープ要らない」というのとは、全く話が別なのです。それではエルキャップはフリーソロされたので、全部、残置を抜きましょうという話になってしまいます。

■ ナインアンダーに当たる、易しいルート=本チャン、であることが多いが…

では、ナインアンダーのルートは?と見渡すと、日本では本チャンルートがそれにあたります。

ところが、日本の本チャンルートでは、40年前に打たれたハーケンが古くなり、もう支点としての役割を終えています。

「日本の本チャンルートは、大変危ない状態です」と”2002年”のロクスノに書いてあり、その時点から数えても、すでに17年の経過…さぞかし危なさは増えているでしょう…。本チャンどころかエイドルートも危ないから、いきなりヨセミテのビッグウォールで勉強しろ、と書いている有名クライマーすらいます。

ナインアンダーと言えば、フリークライミングの世界では、まだクライマーとカウントされないくらいのスキルレベルです。つまり、そのような段階の人は、まだまだ初心者。
初心者=落ちる可能性がある。

そんな人が、ボロい支点のところに、行けば?

まだ落ちる可能性がある人が行き本当に落ちてしまったら、それは即、死と結びつくことになってしまいます…。となれば、落ちる可能性がない人しか行けない。

ということで、日本では新人を安全に育てることができる場がないということに帰結しています。

■ 初心者の生命線は海外です

実はこのことは、数年前に私は予見していました・・・。というのは、日本でこの段階をクリアしたクライマーは、ほぼ全員が海外の登攀の経験者、だったからです。

それで安全に5.9(=5c)がたくさん登りだめできる場所として、ラオスに行ったのです。ラオスでは、ナインアンダーと言えども、ランナウトはしていません。課題数も豊富で、毎日5本登っても、10日いてもまだ登れます。

おそらくクライマーの能力開発には、恐怖心を取り除いた状態で、たくさんクライミングする必要があります。

現代の場合、それはジムになっていますね。ただジムクライミングだと岩ではないので、ルートファインディング能力はつきません。つくのはフィジカルだけです。

つまり、日本にいて、ルートファインディングもできるクライマーに成長するのは、状況的に大変、難しい事だということです。

■ 自己破滅的世界への耽美

また昔の日本のクライマーはランナウトに関して、憧れにも似た憧憬をもっているようです。落ちてはならないと思うと、自分でも思っても見なかった力が出る。のは、誰でもその通りです。

しかし、一般的にランナウトというのは、

  やむを得ず、するもの。

やむを得ないで、そうせざるを得ないからランナウトしている、危険である、というのは、致し方なし、となり、”受け入れざるを得ないリスク”となりますが、アプローチ0分、電動ドリルを持ち込むことの困難がほとんどない場所、でのランナウトというのは、現代では

 ただの整備上の怠惰

と結論できます。誰でも犬死はしたくないわけで、そのような怠惰な岩場に行きたいという人が減ったとしても、道理でしかありません。

安全とは怠惰との闘いで、ちょっとした面倒を省くことが危険に直結するというのは、山やの多くが知るところです。

■ 死が必死さを後押しする

昔のクライマーの中には、ランナウト(死)に憧れにも似た憧憬を持っている人たちもいます。その人たちが青春をささげた時代の背景を考えると、そうした憧れを自分の主義主張として、返上できないのも致し方ないと思えます。

そのルートが初登されたとき、ボルトは手打ちで、しかも、高額でもあったのでしょう。したがって易しい登攀で落ちないと思われるところで、ボルトを使うことは浪費に感じられたはずです。そのような事情で、ランナウト(=死の恐怖)に耐えながら登ったおかげで、現在そのルートがある、という訳です。

その精神の在り方に、美学を見出したとしても、それはあながち登山の歴史的観点から逸脱したことには思えません。なにしろ、人間が必死になって登山の地平線を切り開いてきた…というのは、最近のクライミング、ヨセミテのエルキャップフリーソロやドーンウォールなどの開拓にも通じることです。

■ 誰がババを引いているか?

こうしてみてくると、一番のババを引いているのは?

 現代のまだ駆け出しのクライマーで、落ちて死んでいく人たち…。

すでに私の周りに3名、九死に一生を得た人1名がいます。

ロープを出すべきか?出さざるべきか?ということは、ルートが簡単かどうか?によらず、落ちたらどうなるか?によります。落ちたときに危険があるなら、必ずロープを出すべきです。それしないのは、サボタージュです。

しかし、せっかくロープを出したとしても、上記のような事情で、日本では社会的&歴史的経緯の観点で、ランナウトが許容されており、ランナウトしてしまえば、まったくロープの意味を成しませんから、ロープはあっても形だけ(=フリーソロと同じ)ということになります。

したがって、いかに登攀が易しくても、ランナウトしていれば、登るべきではない、もしくは、フリーソロ並みに磨きこんでから、ということが、常識的なクライマーから見ると、当然の帰結です。

■ デッドロック状態

という事情で、日本ではナインアンダーに相当するⅣ級のルートは登られなくなって、ん十年のようです。

このような事情は、私のように言葉にして表現しなくても、なんとなく誰でも分かるものだからです。

結果、面白くもない(=簡単)なところに死の危険を冒しながら行くなんて、よほどのモノ好き、みたいな位置づけになってしまいます。

物好き=アルパインクライマーって帰結…(汗)。

このような膠着状態が、おそらく何十年も続いており、何らかの解決案が提案されているわけでもなく、ルートは往年のクライマーが老いるに任せ、整備が放置され、取り替えるべき支点は朽ちるに任されています。

まぁ、個人ではどうしようもないと思うので、しかたないわな~。


という結論が、大方の人たちの帰結になりました。

■ 自己効力感

このようなデッドロック状態の何が良くないか?というと、クライマーだけでなく、クライミング界全体の、自己効力感にマイナスだということです。

日本社会で一時蔓延した、仕方がない、という言葉に表れる無力感ですね。

クライミングの大きな魅力は、おそらく自己効力感です。


・自分の力でなんとかできる、
・状況打開できる、

という実感がクライミングにはあります。たとえ困難があったとしても、その困難を乗り越える力が自分にある、と感じれることは、ものすごく強い自信になります。

それが失われていいるということです。

私のラオスを考えても、旅のプロセスで様々な困難に直面したものの、すべて私の社会的な能力、語学、経験、そういうもので打開でき、それは楽しく海外登攀が貫徹できたのでした。能力をフルに生かすと人間はとても楽しいのです。

■ もう落ちないけどさー

さて、私自身は?というと、2度のラオスや韓国の登攀が功を奏して、今では初心者ルートで落ちることは無くなりました。まぁ、もうⅣ級では落ちないでしょうね。

したがって、Ⅳ級なら行けます。

しかし、そのような危険な状態にあるⅣ級に行くべきか?というと?さてどうなのでしょう?

行ける能力がある、ということと、行きたいという欲求があることと、行くべきという義務があることとは、それぞれ全く違います。

危険で易しいルートに関しては、能力があっても欲求がない…というのが、大方のクライマーの帰結であるようで、その帰結に私も来てしまったようです。

あーあ、せっかく登れるようになったのに、ご褒美なし?

というわけで、これまで5年間の努力はなんだったのか?


ご褒美がないじゃないか!という帰結になってしまったわけです(笑)。

まぁ、それでもご褒美を求めて楽しいクライミング遠征に行くんですけれども…

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