以前からクラウドファンディングは山の世界で使える仕組みではないかと考えていたが、使用実績が少し出てきたようだ。
田部井さんの富士山登山の意思を継ぐ、高校生の富士山登山
山岳ガイドが登山初心者の質問に答えるサイトシェルパ と そのサイト
乗鞍岳の登山道整備事業
私は、レスキュー訓練のために、ロープアクセス用のやぐらを作りたいという思いを持っているのだが…なんとかクラウドファンディングで作れないかなぁ、などと考えている。
レスキュー用の訓練の場がない、というのは、基本がまるで欠如したようで、この豊かな日本で考えられない貧困だな~と思ったりするのだが…
Friday, April 28, 2017
Monday, April 24, 2017
黒戸尾根滑落事故について
■ 滑落死亡事故
黒戸尾根で、滑落事故が起きました。落ちられた方は亡くなられたそうです。心よりご冥福をお祈りいたします。
黒尾根七丈小屋のブログ
このような滑落事故の話を聞くと、複雑な思いに駆られます。私は黒戸尾根は厳冬期に単独で済ませているからです。
■ 落ちたらまず助からない危険個所がある
落ちたらまず助からない危険個所がある、
ということ…山一年生の初心者の時から知っていました。理由は、その山に行く前に
遭難事例
を調べるからです(余談ですが、八ヶ岳赤岳もそのような山です)
だから、
心・技・体・知・経と総合的に見て、甲斐駒に単独で登るに十分な山の技術が身に付いた、
と感じることができるようになってから行きました。…6年かかりました。
■ 山では心と体だけではだめ
実は、登山2年目で厳冬期甲斐駒の誘いが来ました。当時、ピッケルの使い方を教えてくださいと門をたたいたガイドからの誘いでした。実は少々驚きました。
驚いた理由は、積雪期甲斐駒は、登山歴2年目の人が行くべき山ではない…と初心者の私にも思われたからです。経験が足りず、心・技・体・知・経のうち、心と体しか、まだないでしょう。
山では心と体だけではだめなんです。
ただ思うのは、縦走だけでクライミングを知らない一般登山者にとっては、その山に登るには、どんなスキルセットが必要なのか?の見極め(山のリスクの因数分解)が、もっとも難しいのは、縦走からアルパインへステップアップする黒戸尾根あたりの難易度のところ、ではないでしょうか?
■ ”初心者同行の場合、ロープを携帯のこと”という但し書きの心理的障害
このようなルートは、難易度的に「初心者同行の場合、ロープを携帯すること」と但し書きが書かれたルート
です。例えば、厳冬期の赤岳もそうですし、南八ヶ岳の厳冬期の縦走路もそうです。
余談ですが、厳冬期の南八つ縦走や阿弥陀南稜にチャレンジするのに、「度胸の問題ですね!」と言ってきた人がいました。度胸の出番は、初歩的な登攀とロープを出すスキルを身に着けた後です。この方は、山経験年数や体力では、私の数段上を行っています。そのような人ですら、アルパインを知らないと、山の危険を正確にカウントすることが難しく、度胸の問題にしてしまうのです。一か八かの賭けに敗れたら、死んでしまいます。
私の想像ですが…偏見交じりかもしれませんが、「初心者同行の場合…」と言われたとき、その”初心者”に自分を含ませることは、一般縦走で自信をつけている登山歴〇十年の山男のみなさんには心理的に難しいのではないでしょうか?
しかし、きちんと易しい岩場での岩トレからクライミングをして、”本格的な登山”、いわゆるアルパインクライミングをする前は、紀元前みたいなもので、何年、縦走路に通っていても、アルパインでは”初心者”です。ロープが出る山とロープが出ない山では、危険の質が桁ハズレに違うからです。
落ちたらまず助からない
そこが差です。そのちょうど境目にある山が、「初心者同行の場合…」と書かれているルートで、こうしたルートでの登山者のまず第一の課題は、
その山に登るためにどのような山スキルが必要か?を正確に因数分解して、それに備えることができるかどうか?
ではないでしょうか?
■ 登山歴40年でもザイルは持ちます
これは私の登山歴40年の師匠のコメントです…
ーーーーーーーーーーーー
私自身は、単独でも8.5㎜×20を持って行きました。登りでは要らなくても(登るほうが簡単なことが多い)、下りでは必要になる可能性がある、と思ったからです。
クライミングを経験していれば、登るほうが簡単で降りる方が同じ個所でもより難しい、ということは、クライミング一回目の初心者でも、すぐに理解できます。
■ 登山では地頭力が必要
その山に登るには、自分にどのようなスキルが必要か?理解するためには、地頭力が必要です。
登山2年目で誘われると言うこと… それはどんな意味があるでしょうか?
黒戸尾根は標高差が2200mもあって、体力の山と世間では思われています(=体力自慢する人が多い)。ですが、登山2年目程度の、40代女性の体力でも歩けるだろうとガイドから思われているような山です…うーん?体力的には、簡単って意味では?
つまり、アルパインで必要になる最低限、下限の体力が必要って意味です。黒戸尾根で、へばってしまうようでは、アルパインへ進まないほうが安全です。
その程度の体力しか要らない黒戸尾根でも、何人も人が死んでいます…。それってどういう意味でしょう?
私の知り合いでも、若いときに黒戸尾根で滑落した、という話を聞いています。日本山岳会会員の方で、若いときは昭和山岳会にいたそうです。そんな山男が、ですよ? 滑落というのは、体力の問題ではなくて、巧緻性、スキルの問題…なんではないでしょうか?
滑落の危険があれば、巧緻性(技術)だけでなく、
コンディション
も問題になります。アイゼンは効くときと効かないときがあることくらい、誰でも知っているでしょう。ベルグラだったり、腐っているとアイゼン効かない。岩が露出しているような時期では、アイゼン歩行よりも、岩をアイゼンのつま先で登るアイゼントレという岩トレが前提でしょう。
だから、黒戸尾根は一般に認識されているように、体力さえあれば行けるという山ではなく、充分なアイゼンでの登高技術をもち、危険認知して、しかもプレ山行としてアイゼントレが前提になる山、なのではないでしょうか…
≪積雪期甲斐駒に必要と思われる要素≫
1)標高差2200mを標準コースタイムで歩き切れる体力 …体力
2)アイゼンでの歩行スキル …技術
3)危険個所を認知する認知力 …知
4)プレ山行として、岩場のアイゼントレ …経験
心・技・体・知・経のバランスが安全性を高めると言われていますが、体力だけの印象を与えるのが黒戸尾根の特徴と言えるかもしれません。
憧れのルートであるだけに、体力以外の要素も十分身に着けて出かけるべきと思います。
■ 実力未満で登るリスクは…おごりでは?
私が、甲斐駒単独で登った時、ガイドさんが連れていた登山者がいました。驚くほど歩きが遅かったです…。もちろん、ガイドさんが気にして、先頭を譲ってくれたというのがあると思いますが。
ガイド登山だと、上記の4つの要素のうち、3)~4)を端折ることができます。ガイドさんが危険だな、と判断したら、ロープを出してくれるからです。
私はそうした背伸びの山が不要とは思いません。経験しないと、どういう要素がその山に登ることに必要か?ということに想像力が及ばないからです。が、経験したら、経験から何を学び取るか?ということが大事。学ばないで、成果だけをもらってしまう人が多いという結果がおごりにつながることになると、危険な登山者を育ててしまいます。右も左も分からない状態で行ってしまい、その経験から、何も学ばなければ、奢りになるでしょう。
ーーーーーーーー
努力して結果が出ると、自信になる。
努力せず結果が出ると、傲りになる。
努力せず結果も出ないと、後悔が残る。
努力して結果が出ないとしても、経験が残る。
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黒戸尾根で、滑落事故が起きました。落ちられた方は亡くなられたそうです。心よりご冥福をお祈りいたします。
黒尾根七丈小屋のブログ
このような滑落事故の話を聞くと、複雑な思いに駆られます。私は黒戸尾根は厳冬期に単独で済ませているからです。
■ 落ちたらまず助からない危険個所がある
落ちたらまず助からない危険個所がある、
ということ…山一年生の初心者の時から知っていました。理由は、その山に行く前に
遭難事例
を調べるからです(余談ですが、八ヶ岳赤岳もそのような山です)
だから、
心・技・体・知・経と総合的に見て、甲斐駒に単独で登るに十分な山の技術が身に付いた、
と感じることができるようになってから行きました。…6年かかりました。
■ 山では心と体だけではだめ
実は、登山2年目で厳冬期甲斐駒の誘いが来ました。当時、ピッケルの使い方を教えてくださいと門をたたいたガイドからの誘いでした。実は少々驚きました。
驚いた理由は、積雪期甲斐駒は、登山歴2年目の人が行くべき山ではない…と初心者の私にも思われたからです。経験が足りず、心・技・体・知・経のうち、心と体しか、まだないでしょう。
山では心と体だけではだめなんです。
ただ思うのは、縦走だけでクライミングを知らない一般登山者にとっては、その山に登るには、どんなスキルセットが必要なのか?の見極め(山のリスクの因数分解)が、もっとも難しいのは、縦走からアルパインへステップアップする黒戸尾根あたりの難易度のところ、ではないでしょうか?
■ ”初心者同行の場合、ロープを携帯のこと”という但し書きの心理的障害
このようなルートは、難易度的に「初心者同行の場合、ロープを携帯すること」と但し書きが書かれたルート
です。例えば、厳冬期の赤岳もそうですし、南八ヶ岳の厳冬期の縦走路もそうです。
余談ですが、厳冬期の南八つ縦走や阿弥陀南稜にチャレンジするのに、「度胸の問題ですね!」と言ってきた人がいました。度胸の出番は、初歩的な登攀とロープを出すスキルを身に着けた後です。この方は、山経験年数や体力では、私の数段上を行っています。そのような人ですら、アルパインを知らないと、山の危険を正確にカウントすることが難しく、度胸の問題にしてしまうのです。一か八かの賭けに敗れたら、死んでしまいます。
私の想像ですが…偏見交じりかもしれませんが、「初心者同行の場合…」と言われたとき、その”初心者”に自分を含ませることは、一般縦走で自信をつけている登山歴〇十年の山男のみなさんには心理的に難しいのではないでしょうか?
しかし、きちんと易しい岩場での岩トレからクライミングをして、”本格的な登山”、いわゆるアルパインクライミングをする前は、紀元前みたいなもので、何年、縦走路に通っていても、アルパインでは”初心者”です。ロープが出る山とロープが出ない山では、危険の質が桁ハズレに違うからです。
落ちたらまず助からない
そこが差です。そのちょうど境目にある山が、「初心者同行の場合…」と書かれているルートで、こうしたルートでの登山者のまず第一の課題は、
その山に登るためにどのような山スキルが必要か?を正確に因数分解して、それに備えることができるかどうか?
ではないでしょうか?
■ 登山歴40年でもザイルは持ちます
これは私の登山歴40年の師匠のコメントです…
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たぶんザイル無しでの行動ですね。
7mm50mか懸垂だけならケプラー4.5mmでも問題ない。120センチのシュリングをパーパスリングにして安全環付きカラビナあれば、ちょっとした空中懸垂でもできますよ。大峰、大台の沢の単独では必携でした。
それとルートの危険性熟知している小屋主、そのあたりの指摘していたのでしょうか?
まあ、確かに指摘は難しいですけど、小屋主ならして欲しいと思います。やっていたのかもね。
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私自身は、単独でも8.5㎜×20を持って行きました。登りでは要らなくても(登るほうが簡単なことが多い)、下りでは必要になる可能性がある、と思ったからです。
クライミングを経験していれば、登るほうが簡単で降りる方が同じ個所でもより難しい、ということは、クライミング一回目の初心者でも、すぐに理解できます。
■ 登山では地頭力が必要
その山に登るには、自分にどのようなスキルが必要か?理解するためには、地頭力が必要です。
登山2年目で誘われると言うこと… それはどんな意味があるでしょうか?
黒戸尾根は標高差が2200mもあって、体力の山と世間では思われています(=体力自慢する人が多い)。ですが、登山2年目程度の、40代女性の体力でも歩けるだろうとガイドから思われているような山です…うーん?体力的には、簡単って意味では?
つまり、アルパインで必要になる最低限、下限の体力が必要って意味です。黒戸尾根で、へばってしまうようでは、アルパインへ進まないほうが安全です。
その程度の体力しか要らない黒戸尾根でも、何人も人が死んでいます…。それってどういう意味でしょう?
私の知り合いでも、若いときに黒戸尾根で滑落した、という話を聞いています。日本山岳会会員の方で、若いときは昭和山岳会にいたそうです。そんな山男が、ですよ? 滑落というのは、体力の問題ではなくて、巧緻性、スキルの問題…なんではないでしょうか?
滑落の危険があれば、巧緻性(技術)だけでなく、
コンディション
も問題になります。アイゼンは効くときと効かないときがあることくらい、誰でも知っているでしょう。ベルグラだったり、腐っているとアイゼン効かない。岩が露出しているような時期では、アイゼン歩行よりも、岩をアイゼンのつま先で登るアイゼントレという岩トレが前提でしょう。
だから、黒戸尾根は一般に認識されているように、体力さえあれば行けるという山ではなく、充分なアイゼンでの登高技術をもち、危険認知して、しかもプレ山行としてアイゼントレが前提になる山、なのではないでしょうか…
≪積雪期甲斐駒に必要と思われる要素≫
1)標高差2200mを標準コースタイムで歩き切れる体力 …体力
2)アイゼンでの歩行スキル …技術
3)危険個所を認知する認知力 …知
4)プレ山行として、岩場のアイゼントレ …経験
心・技・体・知・経のバランスが安全性を高めると言われていますが、体力だけの印象を与えるのが黒戸尾根の特徴と言えるかもしれません。
憧れのルートであるだけに、体力以外の要素も十分身に着けて出かけるべきと思います。
■ 実力未満で登るリスクは…おごりでは?
私が、甲斐駒単独で登った時、ガイドさんが連れていた登山者がいました。驚くほど歩きが遅かったです…。もちろん、ガイドさんが気にして、先頭を譲ってくれたというのがあると思いますが。
ガイド登山だと、上記の4つの要素のうち、3)~4)を端折ることができます。ガイドさんが危険だな、と判断したら、ロープを出してくれるからです。
私はそうした背伸びの山が不要とは思いません。経験しないと、どういう要素がその山に登ることに必要か?ということに想像力が及ばないからです。が、経験したら、経験から何を学び取るか?ということが大事。学ばないで、成果だけをもらってしまう人が多いという結果がおごりにつながることになると、危険な登山者を育ててしまいます。右も左も分からない状態で行ってしまい、その経験から、何も学ばなければ、奢りになるでしょう。
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努力して結果が出ると、自信になる。
努力せず結果が出ると、傲りになる。
努力せず結果も出ないと、後悔が残る。
努力して結果が出ないとしても、経験が残る。
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昨今のガイド登山や山岳会での登山は、山の良さを多くの人に広めた功績は偉大ですが、
”努力せず、結果を得てしまい、奢りになった大量の登山者”
を量産してしまった罪があるかもしれません。(もちろん、滑落して亡くなられた方がそのような人だったと言う意味ではありません)
■ 私の経験
真砂尾根に行った時… 私がちょっと嫌だな、と思うトラバースがあったのです。雪がぐさぐさでアイゼン効かなさそう…しかも、苦手の左側側面のトラバース…(汗)でも、そこは落ちても4mくらいで、下で止まるだろうなということが見て取れました。
ちょっと嫌だったので、先輩に「ロープを出して」と言おうかな…とも思いましたが、言わずトライ。やっぱり落ちてしまいました…。
が、やっぱり思った通りのところにストンと着地。
私的には、やっぱりなーと思いました。
そこは、一歩が遠ければ、私が踏んだところ、踏まないで飛ばして、みんなは歩けるのです。小さいと損なんです。大股にするとバランスもパワーも余計必要です。
(余談ですが、だから、体格が小さい人は、そうでない人以上にパワー、バランス、技術を身に着ける必要があります。より困難なんです。)
しかし、この件で、私の危険認知は大体合っていると思い、自信になりました。ここは上手に歩けるスキルの方を身に着けました。が、落ちても4mというような場所でなければ、スキルを身に着けた後でも、「ロープ出して」と言うと思います。
■ 黒戸尾根の危険個所
黒戸尾根の剣の岩のルンゼのところは、結構、有名な危険個所です。
黒戸尾根は他にも何か所か核心がありますが、大抵、鎖が出ています。積雪期の中でも、残雪期は雪で埋もれて鎖が見えなくなっていますから、特に危険個所を無雪期にあらかじめ経験して、認知している人の時期かもしれません。
鎖が出ている箇所は、高所恐怖症の人には無理だろうと思える露出間の高いところです。日常的にクライミングをやっていない人には、上り下りの安全性も、ちょっと不確かかもしれないと思います。
しかし、たった1か所、2か所の危険個所のためにクライミングジムに通おうと思う山ヤは稀です。が、甲斐駒以上の山に行くつもりであれば、より安全を期待するなら、そのような登山者になった方が良いと思います。
8合目から上の台地は、風でトレースがかき消されたり、ホワイトアウトししまうと、ルートファインディングのミスで帰れなくなったり、身動きとれなくなったりする遭難も起きています。
地形を見れば想像がつくのが普通なので、登るときに、帰りがどういう具合か、想像してから、帰れなくなる要素がないか?検証して、進退を決める必要があります。
山では退路を断たれる行動を基本的にしてはいけないということをまだ知らなかったり、知っていても、登れるから登ってしまう…というような人は、一か八かになってしまうと思います。山の一か八かは、大抵、勝てますが、それだけだといつか掛けに負けます。
■ 時期
GWは、なぜか雪山初心者向けとされています。不思議です。(山雑誌の悪影響か?)
雪の少ない厳冬期より、雪が多く雪崩のリスクもあるし、寒さは緩んでいても、突然真冬に戻ることがあるので、脇の甘さが致命傷になることもあるのに…。
厳冬期と残雪期のリスクの違い、登山道の路面状況の違いなども、よくよく分かってから出かけて欲しいなと思います。
安全な登山を楽しむために、今の自分に何が必要か?その因数分解が必要です。
そうした山の因数分解を怠らず、楽しく山に登る人が増え、本来の山の姿に戻ること…それが亡くなられた岳人たちへの一番のはなむけではないか?そんなことを考えながら、書きました。
Saturday, April 22, 2017
山 第6章
山は第六章に入りました☆
去年はフリー元年で、山第五章でした。面白かった。クラックがリードできるようになった♪ アイスで中級へ進んだ♪
カムは、まだまだ設置練習が必要ですが… どこでしようかなぁ…。悩ましい。
1章 → 登山入門
2章 → 雪にフォーリンラブ
3章 → 講習会でアルパイン進む
4章 → 中高年登山で命の危険に晒される
5章 → フリーのほうへ
6章 → 海外クライミング♪の予定
です。これは、もしかして一般的な流れかもしれません…というのは、周囲のクライマーを見ると結局、フリーでお茶を濁している人が多数…フリーも伸びしろを取り終わると、ボルダリングです…
才能があれば、コンペに進んだりもできるでしょうが…そう言う人は稀です。
多くの人は、
・フリーをしながら、よく吟味してアルパインの会に属し(そういう会は他会の人と行くことを禁じていることが多い)、経験を貯めるというのがベストの選択肢、
・会に恵まれない場合は、自分でパートナー発掘して行ける機会にアルパインへ行く、
・単純にフリーに進む インドア週2、アウトドア1の生活を続ける
・アルパインをあきらめて、他の山行形態に進む(ボルダリングに特化するなど)
ということになっていると思います。
私はミックスが面白かったので、ドライやりたいな~と思っているところ。
これからどういう山ができるのかな~ と楽しみです♪
去年はフリー元年で、山第五章でした。面白かった。クラックがリードできるようになった♪ アイスで中級へ進んだ♪
カムは、まだまだ設置練習が必要ですが… どこでしようかなぁ…。悩ましい。
1章 → 登山入門
2章 → 雪にフォーリンラブ
3章 → 講習会でアルパイン進む
4章 → 中高年登山で命の危険に晒される
5章 → フリーのほうへ
6章 → 海外クライミング♪の予定
です。これは、もしかして一般的な流れかもしれません…というのは、周囲のクライマーを見ると結局、フリーでお茶を濁している人が多数…フリーも伸びしろを取り終わると、ボルダリングです…
才能があれば、コンペに進んだりもできるでしょうが…そう言う人は稀です。
多くの人は、
・フリーをしながら、よく吟味してアルパインの会に属し(そういう会は他会の人と行くことを禁じていることが多い)、経験を貯めるというのがベストの選択肢、
・会に恵まれない場合は、自分でパートナー発掘して行ける機会にアルパインへ行く、
・単純にフリーに進む インドア週2、アウトドア1の生活を続ける
・アルパインをあきらめて、他の山行形態に進む(ボルダリングに特化するなど)
ということになっていると思います。
私はミックスが面白かったので、ドライやりたいな~と思っているところ。
これからどういう山ができるのかな~ と楽しみです♪
Friday, April 21, 2017
一般縦走からアルパインへ進むには?
------------------------------------
when you touch someone's life 誰かの人生に触れる機会があれば
it is a privilege それは特権だ
when you touch someone's heart 誰かのハートに触れる機会があれば
it is blessing それは祝福だ
when you touch someone's mind 誰かのマインドに触れる機会があれば
it is an honor それは光栄だ
when you touch someone's soul 誰かのソウルに触れる機会があれば
it is a triumph それは勝利だ
when you touch someone's spirit 誰かのスピリットに触れる機会があれば
it is miracle それは奇跡だ
------------------------------------ Dr Jeff Mullan
Thank you very much for the all who had commented on this blog.
敢えて言えば、湯河原の悟空スラブでしょうか?歩けるそうです。
そう言う意味で、ロープが出る山をしたい!と思い始めて、実際にロープが出る山に行けるスキルがつくまでは、もどかしい思いをしないといけない時代かもしれません。
なぜなら、4級を飛ばして、5級から上しか、日常的に練習で触れるという場所、ルートがないからです。
一般に日本のアルパインのクラシックと言われるルートは、大体5.9が落ちないで登れれば、登れると言われています。ので、”5.9マスター”というのが課題です。
■ 5級マスターになる
これはどういうことか?と言うと
2点支持を身につけなくてはいけない
と言う意味です。
具体的には、正対&カウンターバランスの使い分けができ、どちらを使ったらいいか見分けられ、ごく普通の5.10bが何度かトライしてギリギリリードできる(レッドポイントできる)くらいのスキルが必要、と言う意味です。
身体能力だけではなく、ルートを見極める目、ルートファインディング力も必要です。
岩の弱点を見るのは、縦走上がりの人にはとても難しく、いわゆる読図で何とかなる部分は非常に小さいです。岩の弱点を突く力です。
現代の登攀は、強点で行われていますので、既存の課題を登っている限り、弱点を突く力は、一般的に言って、つけづらいです。
おそらく、日本では5.2~5.6までの課題に乏しいことが、連続的な登攀スキルアップにマイナスに働いているでしょう…海外では、易しい課題が多く準備され、歩きがどんどんと傾斜がきつくなる → 手が必要になる、という連続性が理解しやすいです。
日本では、足で登る登攀の代表のようなスラブ課題でも、スタートが5.7で、小川山のスラブの5.7は、一般縦走しか知らない人が初見で取り付くには、墜落リスクが多きすぎます。
■ 独学が難しい → ビレイをマスター
というような事情で、日本では、一般登山から、”本格的な”登山へ進むのに、独学は非常に難しい、ということになっています。
”場”が提供されていないから、というのが理由です。小川山では、5.7のスラブが一番易しい課題です。5.7なんていう課題は、昨今の5.12を登る人が普通というようなフリークライミングの世界では、誰の尊敬も得られないようなグレードですが、それでも、初めて岩を触る人にとっては、かなり難しく、ロープを出さないで登ることは、熟達者でもあり得ないです。しかし、一方で、5.7で落ちるようでは、その先はない、というのも真実ですが。
したがって、誰かにロープを張ってもらう、リードしてもらう必要があります。
リードしてもらう必要があるということは、自分はビレイする側になると言うこと。…つまり、ビレイのマスターがこの時期の人が最初に取り組まないといけない事柄になります。
■ ビレイをマスターするには
アルパインへ進もうと決心した人が、第一の優先度で、確実に取り組まならなければならないのは、
ビレイのマスター
です。
この時期から、バリエーションへ進むと決めた人は、週に2~3度人工壁に通い、週末は岩場に行けるときは行く、というような生活スタイルに、もれなく入ることになります。
週に2~3度の人工壁通いは、最低でもビレイをマスターするまでは続けなくてはいけません。
(ちなみに私の大学生の後輩君はこれをしてこなかったので、昨シーズンは一緒には登っていません。教えてもらって、分かっていて、やらないのはダメです)
マスターするまでの期間は、人によりけりでしょうが、一般的には、半年程度はかかると言われています。週2~3日の頻度で、です。
■ お目付け役の必要な時代
それをしないで、もしくはそれをしている途中で、岩場に来てしまった人は、信じられないような、杜撰なビレイをしています。
しかし、誰もが通る段階でもあります。
そのような段階にいる人には、常にお目付け役が必要です。
そのお目付け役がいない…というのが問題になるのが、昨今の山事情。
このような段階にいる間は、多くの人は、ガイド講習に出る、という選択肢を取ります。
・ガイド講習に出る
・山岳会に連れて行ってもらう
・知り合いの経験者にお目付け役で一緒に行ってもらう
山岳会で連れて行ってもらうという選択肢もありますが、会をよく選ばないと、一般的な山岳会が連れて行く岩は、年に1回程度ですので、一か月4週×6か月=24回の岩場経験という経験量を蓄積するのに、24年かかってしまうような山岳会だと入っている意味がなくなります。
ちなみに月1回岩場に行くという会は、昨今ではマシな会と思われますが… それでも
24÷12=2年。それでも、24回の岩場経験量を積むのに、2年かかりますね。
when you touch someone's life 誰かの人生に触れる機会があれば
it is a privilege それは特権だ
when you touch someone's heart 誰かのハートに触れる機会があれば
it is blessing それは祝福だ
when you touch someone's mind 誰かのマインドに触れる機会があれば
it is an honor それは光栄だ
when you touch someone's soul 誰かのソウルに触れる機会があれば
it is a triumph それは勝利だ
when you touch someone's spirit 誰かのスピリットに触れる機会があれば
it is miracle それは奇跡だ
------------------------------------ Dr Jeff Mullan
Thank you very much for the all who had commented on this blog.
■ 祝福
私は仕事でヨガを教えていたのですが、ヨガの教えに、
祝福がある分野に進みなさい
ということがあります。
ヨガを始めた人が悩む最初の一つに、アルジェナ(戦士)が師匠に問う問いがあります。
非暴力(アヒンサ)を説くのに、なぜ戦い続けなければならないのですか?
現代は、貧富の競争という名の暴力に満ち溢れています。その中で、非暴力を説くのは、つまりやられっぱなしって意味です。周囲が戦っているのですから。
アルジェナの時代は文字通りの殺し合いのフィジカルな戦いでしたが、現代で、喰うか食われるかをやっているのは、仕事です(笑)。奪い合いの対象が、”命”ではなく、”富”ということですね。
山の世界も同じで、純粋な山でも…、競争が渦巻いています(汗)。
皆の関心は ”高さ”と”数” です。
でも、私に祝福がある分野、は山でした。
■ どこからロープを出すか?を知る
ハッキリ言って、ロープが出せるところで出さないのは、ロープが要らないところで出している人と同じくらい、馬鹿っぽいです。
しかし、ロープを出さない方がかっこいいという価値観の人が多いのです…それかその反対にロープ出しすぎで、要らないようなところで出しています。
ロープが要るか要らないかは、その人のスキルによりますが、おおよそのラインがあります。境界線はジャンダルムです。
ジャンダルムは一般登山者にはロープが必要です。ヨーロッパの登山では確実にロープが出されているような場所です。落ちたら一巻の終わりだからです。
しかし、一方でジャンダルムをロープ無しで歩けないような人は、それ以上の山に行ってはいけない。北鎌尾根で墜落したような人も、です。
それ以上の山というのはバリエーションルートという意味です。例えば、ジャンで怖いような人や普通のコースタイムで歩けないような人は、前穂北尾根は無しです。大島亮吉でも墜落して死んでいるんですから。
私は仕事でヨガを教えていたのですが、ヨガの教えに、
祝福がある分野に進みなさい
ということがあります。
ヨガを始めた人が悩む最初の一つに、アルジェナ(戦士)が師匠に問う問いがあります。
非暴力(アヒンサ)を説くのに、なぜ戦い続けなければならないのですか?
現代は、貧富の競争という名の暴力に満ち溢れています。その中で、非暴力を説くのは、つまりやられっぱなしって意味です。周囲が戦っているのですから。
アルジェナの時代は文字通りの殺し合いのフィジカルな戦いでしたが、現代で、喰うか食われるかをやっているのは、仕事です(笑)。奪い合いの対象が、”命”ではなく、”富”ということですね。
山の世界も同じで、純粋な山でも…、競争が渦巻いています(汗)。
皆の関心は ”高さ”と”数” です。
でも、私に祝福がある分野、は山でした。
■ どこからロープを出すか?を知る
ハッキリ言って、ロープが出せるところで出さないのは、ロープが要らないところで出している人と同じくらい、馬鹿っぽいです。
しかし、ロープを出さない方がかっこいいという価値観の人が多いのです…それかその反対にロープ出しすぎで、要らないようなところで出しています。
ロープが要るか要らないかは、その人のスキルによりますが、おおよそのラインがあります。境界線はジャンダルムです。
ジャンダルムは一般登山者にはロープが必要です。ヨーロッパの登山では確実にロープが出されているような場所です。落ちたら一巻の終わりだからです。
しかし、一方でジャンダルムをロープ無しで歩けないような人は、それ以上の山に行ってはいけない。北鎌尾根で墜落したような人も、です。
それ以上の山というのはバリエーションルートという意味です。例えば、ジャンで怖いような人や普通のコースタイムで歩けないような人は、前穂北尾根は無しです。大島亮吉でも墜落して死んでいるんですから。
■ 歩きも技術
登山の技術と言うものは、言葉にできない感性というような部分が多くかかわってきます。
その感性があるかどうか?というのは、歩いている段階でも、よく分かるものです…
歩くことを技術と捉えられるか、どうか?ということです。
歩くことなんて、誰でもできるじゃん、俺できてるもん、と言う人は、たぶん、登山者に向いていません。
歩き方をコツや科学と言う目線でとらえられるか?は、指導者の目で見た場合、その登山者をアルパインへ進ませることが可能かどうか?の一つの試金石になると思います。
例えば、私の夫は、歩きをそういう目でとらえていません。なので、何度歩いても、ずっと初心者です。
歩きは科学です。山ヤ歩きを身に着けるには、歩きを自分で研究したり、近所にいる自分より歩きの上手な人の歩きをひそかに物まねしていないといけません。
ひそかに物マネ…というのが、盗む、という意味です。
あるとき、ベテラン登山者のおじさんの後ろを正確に歩いていたら、「女性なのに、なかなかやるね」と言われました。”え~、俺のマネすんなよー”って意味ですね(笑)。
で、「あ、卒業だ」と思い、それ以来、マネ終了。盗み終わったってことで、自分流の歩きでやっています。
あるとき、ザイテンを歩き、怖がっている女性がいたので、「一緒に来ていいよ」と言ったのですが、とても同じ速度では歩けないそうでした。私が早いのではなく、まだザイテンに来るようなスキルがない人が、わんさか北アには来ているという意味です。
残雪期の富士山で、御殿場口から4時間で登れる人に同行してもらいましたが、歩きはそれで良いよ、と言ってもらいました。
■ 4級がない!
ロープが出る山をするようになって、ハイキングの山の良さを忘れかけていました。
現代のロープが出る山は、5級からのスタートです。最低が、5.7.
しかし、ザイテンのような一般ルートで歩きを習熟した人が歩けているのは、3級の岩場です。
じゃ、4級はどこにあるの???
登山の技術と言うものは、言葉にできない感性というような部分が多くかかわってきます。
その感性があるかどうか?というのは、歩いている段階でも、よく分かるものです…
歩くことを技術と捉えられるか、どうか?ということです。
歩くことなんて、誰でもできるじゃん、俺できてるもん、と言う人は、たぶん、登山者に向いていません。
歩き方をコツや科学と言う目線でとらえられるか?は、指導者の目で見た場合、その登山者をアルパインへ進ませることが可能かどうか?の一つの試金石になると思います。
例えば、私の夫は、歩きをそういう目でとらえていません。なので、何度歩いても、ずっと初心者です。
歩きは科学です。山ヤ歩きを身に着けるには、歩きを自分で研究したり、近所にいる自分より歩きの上手な人の歩きをひそかに物まねしていないといけません。
ひそかに物マネ…というのが、盗む、という意味です。
あるとき、ベテラン登山者のおじさんの後ろを正確に歩いていたら、「女性なのに、なかなかやるね」と言われました。”え~、俺のマネすんなよー”って意味ですね(笑)。
で、「あ、卒業だ」と思い、それ以来、マネ終了。盗み終わったってことで、自分流の歩きでやっています。
あるとき、ザイテンを歩き、怖がっている女性がいたので、「一緒に来ていいよ」と言ったのですが、とても同じ速度では歩けないそうでした。私が早いのではなく、まだザイテンに来るようなスキルがない人が、わんさか北アには来ているという意味です。
残雪期の富士山で、御殿場口から4時間で登れる人に同行してもらいましたが、歩きはそれで良いよ、と言ってもらいました。
■ 4級がない!
ロープが出る山をするようになって、ハイキングの山の良さを忘れかけていました。
現代のロープが出る山は、5級からのスタートです。最低が、5.7.
しかし、ザイテンのような一般ルートで歩きを習熟した人が歩けているのは、3級の岩場です。
じゃ、4級はどこにあるの???
そう、4級ってクラシックのアルパインルートです。いきなり本番。いきなり落ちたら死ぬところ。練習するようなところは、どこにもないんです。鎖場がずっと連続するような岩場が4級でしょうが、そんな岩場はロープが出る山をする人にとっては、簡単すぎて面白くなく、ロープが出ない山をする人にとっては、難しすぎて危ないので本番。いわゆるクラシックルートです。
敢えて言えば、湯河原の悟空スラブでしょうか?歩けるそうです。
そう言う意味で、ロープが出る山をしたい!と思い始めて、実際にロープが出る山に行けるスキルがつくまでは、もどかしい思いをしないといけない時代かもしれません。
なぜなら、4級を飛ばして、5級から上しか、日常的に練習で触れるという場所、ルートがないからです。
一般に日本のアルパインのクラシックと言われるルートは、大体5.9が落ちないで登れれば、登れると言われています。ので、”5.9マスター”というのが課題です。
■ 5級マスターになる
これはどういうことか?と言うと
2点支持を身につけなくてはいけない
と言う意味です。
具体的には、正対&カウンターバランスの使い分けができ、どちらを使ったらいいか見分けられ、ごく普通の5.10bが何度かトライしてギリギリリードできる(レッドポイントできる)くらいのスキルが必要、と言う意味です。
身体能力だけではなく、ルートを見極める目、ルートファインディング力も必要です。
岩の弱点を見るのは、縦走上がりの人にはとても難しく、いわゆる読図で何とかなる部分は非常に小さいです。岩の弱点を突く力です。
現代の登攀は、強点で行われていますので、既存の課題を登っている限り、弱点を突く力は、一般的に言って、つけづらいです。
おそらく、日本では5.2~5.6までの課題に乏しいことが、連続的な登攀スキルアップにマイナスに働いているでしょう…海外では、易しい課題が多く準備され、歩きがどんどんと傾斜がきつくなる → 手が必要になる、という連続性が理解しやすいです。
日本では、足で登る登攀の代表のようなスラブ課題でも、スタートが5.7で、小川山のスラブの5.7は、一般縦走しか知らない人が初見で取り付くには、墜落リスクが多きすぎます。
■ 独学が難しい → ビレイをマスター
というような事情で、日本では、一般登山から、”本格的な”登山へ進むのに、独学は非常に難しい、ということになっています。
”場”が提供されていないから、というのが理由です。小川山では、5.7のスラブが一番易しい課題です。5.7なんていう課題は、昨今の5.12を登る人が普通というようなフリークライミングの世界では、誰の尊敬も得られないようなグレードですが、それでも、初めて岩を触る人にとっては、かなり難しく、ロープを出さないで登ることは、熟達者でもあり得ないです。しかし、一方で、5.7で落ちるようでは、その先はない、というのも真実ですが。
したがって、誰かにロープを張ってもらう、リードしてもらう必要があります。
リードしてもらう必要があるということは、自分はビレイする側になると言うこと。…つまり、ビレイのマスターがこの時期の人が最初に取り組まないといけない事柄になります。
■ ビレイをマスターするには
アルパインへ進もうと決心した人が、第一の優先度で、確実に取り組まならなければならないのは、
ビレイのマスター
です。
この時期から、バリエーションへ進むと決めた人は、週に2~3度人工壁に通い、週末は岩場に行けるときは行く、というような生活スタイルに、もれなく入ることになります。
週に2~3度の人工壁通いは、最低でもビレイをマスターするまでは続けなくてはいけません。
(ちなみに私の大学生の後輩君はこれをしてこなかったので、昨シーズンは一緒には登っていません。教えてもらって、分かっていて、やらないのはダメです)
マスターするまでの期間は、人によりけりでしょうが、一般的には、半年程度はかかると言われています。週2~3日の頻度で、です。
■ お目付け役の必要な時代
それをしないで、もしくはそれをしている途中で、岩場に来てしまった人は、信じられないような、杜撰なビレイをしています。
しかし、誰もが通る段階でもあります。
そのような段階にいる人には、常にお目付け役が必要です。
そのお目付け役がいない…というのが問題になるのが、昨今の山事情。
このような段階にいる間は、多くの人は、ガイド講習に出る、という選択肢を取ります。
・ガイド講習に出る
・山岳会に連れて行ってもらう
・知り合いの経験者にお目付け役で一緒に行ってもらう
山岳会で連れて行ってもらうという選択肢もありますが、会をよく選ばないと、一般的な山岳会が連れて行く岩は、年に1回程度ですので、一か月4週×6か月=24回の岩場経験という経験量を蓄積するのに、24年かかってしまうような山岳会だと入っている意味がなくなります。
ちなみに月1回岩場に行くという会は、昨今ではマシな会と思われますが… それでも
24÷12=2年。それでも、24回の岩場経験量を積むのに、2年かかりますね。
つまり、最短でも半年、2年で運が良い方、成り行き任せなら24年かかるということです。
すなわち、マスターしようという意思がないと道は開けません。
■ 絶対量が必要
要するに、経験量の蓄積が必要ということです。
ちなみに、私の岩場経験は初年度だけで、17回(内7回は自分で連れて行く側)です。
これは、年に一回しか岩をしない会に属した場合の、17年分(笑)。(今では、100回以上の岩場経験があります)
岩にはシーズンがありますので、1シーズン毎週岩、という生活をしばらくはしないといけないかもしれません。
良いことは、ビレイは一旦身に付けば、自転車に乗るのと同じで忘れることがないということです。ですから、ここは山を我慢してでも行く投資価値があります。
■ 登攀力のほうも同時並行で
ビレイは防御の技術ですし、連れて行ってもらうためには払わなくてならない税金です。
しかし、そもそも、自分が登るために行くのですから、登攀力の方も必要になります。
登攀力は…岩場に行けない場合は、現代では、クライミングジムに行く、という選択肢が大体のお決まりコースです。
人工壁では、5.11aが登れることを目指しましょう。
■ まとめ
ということで、まとめ。
一般縦走からバリエーションへ進むには?
・ビレイをマスターする (量的に貯める)
・人工壁で5.11aを目指す
・ロープワーク講習会に出て必要なノットをすべて覚える
の3つが必要です。最後の一つが一番簡単。家で出来ます。コソ錬って呼ばれています(笑)。
一般縦走からアルパインへ進んだ人は、山域の概念が頭に入っており、山独特の気象などのリスク管理もできているため、これだけの投資で済みます。
逆にボルダリングから入った人が、山の自然のリスク管理に習熟するのは、結構大変だと思います。
すなわち、マスターしようという意思がないと道は開けません。
■ 絶対量が必要
要するに、経験量の蓄積が必要ということです。
ちなみに、私の岩場経験は初年度だけで、17回(内7回は自分で連れて行く側)です。
これは、年に一回しか岩をしない会に属した場合の、17年分(笑)。(今では、100回以上の岩場経験があります)
岩にはシーズンがありますので、1シーズン毎週岩、という生活をしばらくはしないといけないかもしれません。
良いことは、ビレイは一旦身に付けば、自転車に乗るのと同じで忘れることがないということです。ですから、ここは山を我慢してでも行く投資価値があります。
■ 登攀力のほうも同時並行で
ビレイは防御の技術ですし、連れて行ってもらうためには払わなくてならない税金です。
しかし、そもそも、自分が登るために行くのですから、登攀力の方も必要になります。
登攀力は…岩場に行けない場合は、現代では、クライミングジムに行く、という選択肢が大体のお決まりコースです。
人工壁では、5.11aが登れることを目指しましょう。
■ まとめ
ということで、まとめ。
一般縦走からバリエーションへ進むには?
・ビレイをマスターする (量的に貯める)
・人工壁で5.11aを目指す
・ロープワーク講習会に出て必要なノットをすべて覚える
の3つが必要です。最後の一つが一番簡単。家で出来ます。コソ錬って呼ばれています(笑)。
一般縦走からアルパインへ進んだ人は、山域の概念が頭に入っており、山独特の気象などのリスク管理もできているため、これだけの投資で済みます。
逆にボルダリングから入った人が、山の自然のリスク管理に習熟するのは、結構大変だと思います。
Thursday, April 20, 2017
山の学び方
■応援メール
昨日は大変ありがたい応援メールを頂戴しました。ありがとうございました☆
このブログは、有り余る余暇を使って
何か社会貢献ができないか?
と思って始めました。
■ 独学のこと
私は、独学の人です。実家は裕福ではなかったため、学校の勉強でも塾になど行ったことはありませんし、英語でも英語学校に行くなどは贅沢で、とても行くだけの費用が出せませんでした。学校の勉強は参考書を友人と貸し借りして勉強し進学、語学も働きながら海外でマスター。ソフトウェアプログラミングも同じで、中学の頃『ベーシック言語入門』というような本を買ってきて、学校のPCルームで、誰もいない中、一人で真っ黒な画面にコマンドラインを打ちこんでいました(笑)。
勉強も、英語も、プログラミングも…一人で学ばなくてはならなかったのです… 英語では、hard earned と言います。苦労して身に着けた、という意味です。
■ 自分で自分を育成していく
独学の対象として、その次に来たのが、登山、でした。私にはすでに
自分で自分を育成する
ということについて、多少のノウハウがありました。ノウハウの一つは
・記録をつける
ということです。手帳術と同じです。自分の成長を客観視するためのツールとして、日記をはじめとする記録をつける習慣は非常に重要で、これなしに成功することは不可能と言われています。
大事なことは、
かつての自分よりも少しでも前進している、
と言うことだからです。昨日と比べて前進していなくても、1年前と比べると成長は分かりやすいものです。そうしたものを俯瞰するには日記等は欠かせないツールです。
■ 他者に応用
自分で自分を育成するという力を他者に応用する、ということ・・・・
は、伝統的な山岳会における”後輩育て”とまったく一緒です。
例えば…私がつるべを理解した時…山岳総合センターの講師の先生が私をリードクライマーのすぐ横に着けて、リードしてくれました。立って歩けるような傾斜のところで、立木で支点を取りながら、ロープをクリッピングしていくのです。この経験で、一瞬にして私は、リードとはこうするものだ…ということを理解。それ以来、後輩に教えるときは同じやり方をしています。
自分が分からなかったことは、相手も分からないのだろう…と言うこと…は、誰しもが分かります。
■ 誰もが同じ道を通る
自分が通った道を、どんなにもともとの体力がある岳人でも通るものだ、ということをあるとき理解しました。そう、それは、遭難を目撃するからですね。
私と同じ時期に初心者だった20代の若者がいました。試験でバディを組んだ若者です。彼はその時、試験に合格する資格は実はありませんでした。ビレイもマスターしていなかったし、通し八の字も結べなかったからです。しかし、合格。その数週間後、人工壁にまったくの初心者を連れてきて教えていました。その時、通し八の字が出来ていないので、セルフを外して、ロープ末端を支点に通すようなやり方をしていました。(指摘して教えました)そして、その冬にはまったくの初心者で、冬壁中級の尾根に向かい、そして転落事故となったそうです。
私にはこれは、「君の段階は〇〇尾根だよ」と諌めてくれる指導者の不足ゆえ、と思えました。
無鉄砲なのは、単純に俺だって登れるという自信があるからです。その自信は無知に基づいています。体力と登攀力さえあればいい、という信仰は根強いです。山では大事なのは判断力です。
彼に指導者がいれば、普通に初級の尾根に登り、”こんなに環境が厳しいものなのか?”と次のステップに進むために、自分が何をしないといけないか?を理解したでしょう。
山には順番があると言うことを知っていれば、いきなり中級の尾根にいくことはしなかったでしょう。独学の人でも。
■ 山には順番がある
そう、山には順番があるのです。それを端折ると遭難や凍傷などになります。それは、
・ビレイをマスターしていない人は、クライミングに行ってはいけない
・厳冬期赤岳は雪上訓練してから (アイゼンワーク)
というようなことを含めです。それは、登れる登れない、という自己顕示の為ではなく、
危険が何か?リスクが何か?を知るため
です。判断力、ということです。
例えば、阿弥陀北稜に行くには、赤岳周辺の山域概念が頭に入っている必要があります。普通は、夏山で八ヶ岳の縦走くらいは済ませていれば、当然頭に入っています。編笠山に登れば、阿弥陀南稜が俯瞰でき、登りたくなってきます。権現に登れば、赤岳まで行きたい!と思うのが岳人です。だから、山の位置関係を分かっていない、間違って反対に降りてしまう…というのは、阿弥陀北稜レベルの人には、普通は起こらないはずです。大体、八ヶ岳に行く前に低山で読図をマスターしてくるものでしょう。
しかし、現代ではこれが起こっている。
あの尾根を登りたい!そういう思いを基にしないで山に行くからですね。例えば、阿弥陀北稜が初級のルートだから、始めの一本、と行ってしまうのは、本当に損なことだと思います。阿弥陀北稜や前穂北尾根を含め、初級ルートというものは通常、楽勝すぎて困難を求めている人には何の面白味もない尾根だからです。達成感なんてあるはずがありません。
あの尾根を歩きたい!という憧れこそが、登山の価値を高めるのです。
憧れを起点にしない登り方は、感動が少ないと言う意味で、損なだけでなく、危険でもあります。山頂から下山でまったく逆方向に降りてしまう…などというミスは、山の位置関係が頭にはいっていなかったからこそ起こりうるからです。
あの尾根を歩きたい!という思いの無い山が普通になったのは、どうしてなんでしょう?
■ ズルの山には復習山行を
まぁそうはいっても、誰にでも、ズルの山はあります。1個目の山です。それは、アルパインをするっていうことはこういうことだよ、という体験をするために先輩が連れて行ってくれるからですね。私も最近、ミックスってこういうことだよ、ということを示してもらいました。
そうした山で大事なことは、無資格で連れて行ってもらっていることに味をしめて、連れて行ってもらおうとするのではなく、自分で人を連れて復習山行してみることです。
同じ山に行けなくても、自分が行ける山を考えて、復習山行するまでは、その山は自分の山にはなっていません。
先輩はそのために連れて行ってくれるのですから。
■ 山の学び方
さて、以上が私が独学した中で学んだ、山の学び方、です。
・憧れを起点にして山に登ると、喜びも大きく、きちんと予習しているため安全度も高い
・小さいステップで進むと自信がつく
・山には順番がある ピッケルより読図でしょ&ビレイができないと岩に連れて行けない
・15の力をつけて10の山に登る
・連れて行ってもらったら、復習山行をする
・リードで登る(自分で行く)ことこそが、山の醍醐味 (その山が自分の実力)
■ 山の世界の現状
山雑誌の統計によると、登山をどうやって学びましたか?という問いに対して、
独学
と答えた登山者が圧倒的多数だったそうです。そうした登山者の私も一人です。積極的選択肢ではないとはいえ、そうせざるを得ない現状が山の世界にはあります。
独学以外の選択肢がない、ということです。これは会に属していても同じで、結局は会の人とは登らないで、自分で見つけてきたパートナーと登ることに落ち着かざるをえない人が多いです。同人化は進行しています。現代は個人の時代と言われています。
■ 切実さ
そういう環境では
いかに遭難せずに安全に山に登り続けるか?
ということは非常に切実です。どれくらい切実か?というと、私の周囲には、すでに死者がいます。山歴たった7年なのに。
・山の死者 3名
・ヘリで運ばれた知り合い 4名
・凍傷者 3名
・肋骨骨折など軽い怪我をいれると数え切れず…
私自身も岩で墜落して、頭部外傷で7針縫っています。
これらは、突き詰めると、慢心の結果、なのです。
それは普通の人が考えるような種類の慢心ではありません。例えば、自分を例にとると、私が落ちたのは前に自分でリードしている課題です。ですから、そこはリードで来て当然です。誰だってそう考えます。しかし、そのちょっと前に、有名なクライマーが、5.10bをリードしていてテンションを掛けていました。アルパインの屏風岩などでの初登記録を持っているようなプロガイドが、です。私はそれを見て、ピン!と来なくてはならなかったのに、前に登っているルートだからと初対面のビレイで登ってしまったのです…しかも、ヘルメットをかぶらない習慣が身についていました。あとでその人はビレイがまずいことで誰とも登ってもらえない人だ、と分かったのですが、そんなことは問題ではなく、そこは前に登れたから、今回も登れるハズだという慢心が私にあり、熟練クライマーが落ちかけている、という目視情報が素通りしてしまったのが、自分の甘さです。
結局、自分の甘さ、が問題なのです。人のせいにしている限り、自立はありません。頭部を外傷しましたが、命には別条なく不幸中の幸いでした。でも、今でも傷はうずくと言うか、変な感じは残っています。
山における慢心とは、こんなものです。その慢心が、慢心であるとさえ、大体、気が付かないで怪我も事故もなく済んでしまうのが、99%です。この日も新しいムーブを試さなかったら登れていたような気がします。
■ 小さい成功を積み重ねることで自信がつく
山は慢心ではなく、自信に基づかないといけません。
一般論ですが、自信というものは、小さい成功体験を積み重ねていくことでつく、とされています。
いきなり大きな山に行って成功することがもてはやされていますが…
本当の自信とは、小さい山行を積み重ねることでつくもの…です。
自分で自分に嘘はつけない、というのは、山の世界でも同じことです。
昨日は大変ありがたい応援メールを頂戴しました。ありがとうございました☆
このブログは、有り余る余暇を使って
何か社会貢献ができないか?
と思って始めました。
■ 独学のこと
私は、独学の人です。実家は裕福ではなかったため、学校の勉強でも塾になど行ったことはありませんし、英語でも英語学校に行くなどは贅沢で、とても行くだけの費用が出せませんでした。学校の勉強は参考書を友人と貸し借りして勉強し進学、語学も働きながら海外でマスター。ソフトウェアプログラミングも同じで、中学の頃『ベーシック言語入門』というような本を買ってきて、学校のPCルームで、誰もいない中、一人で真っ黒な画面にコマンドラインを打ちこんでいました(笑)。
勉強も、英語も、プログラミングも…一人で学ばなくてはならなかったのです… 英語では、hard earned と言います。苦労して身に着けた、という意味です。
■ 自分で自分を育成していく
独学の対象として、その次に来たのが、登山、でした。私にはすでに
自分で自分を育成する
ということについて、多少のノウハウがありました。ノウハウの一つは
・記録をつける
ということです。手帳術と同じです。自分の成長を客観視するためのツールとして、日記をはじめとする記録をつける習慣は非常に重要で、これなしに成功することは不可能と言われています。
大事なことは、
かつての自分よりも少しでも前進している、
と言うことだからです。昨日と比べて前進していなくても、1年前と比べると成長は分かりやすいものです。そうしたものを俯瞰するには日記等は欠かせないツールです。
■ 他者に応用
自分で自分を育成するという力を他者に応用する、ということ・・・・
は、伝統的な山岳会における”後輩育て”とまったく一緒です。
例えば…私がつるべを理解した時…山岳総合センターの講師の先生が私をリードクライマーのすぐ横に着けて、リードしてくれました。立って歩けるような傾斜のところで、立木で支点を取りながら、ロープをクリッピングしていくのです。この経験で、一瞬にして私は、リードとはこうするものだ…ということを理解。それ以来、後輩に教えるときは同じやり方をしています。
自分が分からなかったことは、相手も分からないのだろう…と言うこと…は、誰しもが分かります。
■ 誰もが同じ道を通る
自分が通った道を、どんなにもともとの体力がある岳人でも通るものだ、ということをあるとき理解しました。そう、それは、遭難を目撃するからですね。
私と同じ時期に初心者だった20代の若者がいました。試験でバディを組んだ若者です。彼はその時、試験に合格する資格は実はありませんでした。ビレイもマスターしていなかったし、通し八の字も結べなかったからです。しかし、合格。その数週間後、人工壁にまったくの初心者を連れてきて教えていました。その時、通し八の字が出来ていないので、セルフを外して、ロープ末端を支点に通すようなやり方をしていました。(指摘して教えました)そして、その冬にはまったくの初心者で、冬壁中級の尾根に向かい、そして転落事故となったそうです。
私にはこれは、「君の段階は〇〇尾根だよ」と諌めてくれる指導者の不足ゆえ、と思えました。
無鉄砲なのは、単純に俺だって登れるという自信があるからです。その自信は無知に基づいています。体力と登攀力さえあればいい、という信仰は根強いです。山では大事なのは判断力です。
彼に指導者がいれば、普通に初級の尾根に登り、”こんなに環境が厳しいものなのか?”と次のステップに進むために、自分が何をしないといけないか?を理解したでしょう。
山には順番があると言うことを知っていれば、いきなり中級の尾根にいくことはしなかったでしょう。独学の人でも。
■ 山には順番がある
そう、山には順番があるのです。それを端折ると遭難や凍傷などになります。それは、
・ビレイをマスターしていない人は、クライミングに行ってはいけない
・厳冬期赤岳は雪上訓練してから (アイゼンワーク)
というようなことを含めです。それは、登れる登れない、という自己顕示の為ではなく、
危険が何か?リスクが何か?を知るため
です。判断力、ということです。
例えば、阿弥陀北稜に行くには、赤岳周辺の山域概念が頭に入っている必要があります。普通は、夏山で八ヶ岳の縦走くらいは済ませていれば、当然頭に入っています。編笠山に登れば、阿弥陀南稜が俯瞰でき、登りたくなってきます。権現に登れば、赤岳まで行きたい!と思うのが岳人です。だから、山の位置関係を分かっていない、間違って反対に降りてしまう…というのは、阿弥陀北稜レベルの人には、普通は起こらないはずです。大体、八ヶ岳に行く前に低山で読図をマスターしてくるものでしょう。
しかし、現代ではこれが起こっている。
あの尾根を登りたい!そういう思いを基にしないで山に行くからですね。例えば、阿弥陀北稜が初級のルートだから、始めの一本、と行ってしまうのは、本当に損なことだと思います。阿弥陀北稜や前穂北尾根を含め、初級ルートというものは通常、楽勝すぎて困難を求めている人には何の面白味もない尾根だからです。達成感なんてあるはずがありません。
あの尾根を歩きたい!という憧れこそが、登山の価値を高めるのです。
憧れを起点にしない登り方は、感動が少ないと言う意味で、損なだけでなく、危険でもあります。山頂から下山でまったく逆方向に降りてしまう…などというミスは、山の位置関係が頭にはいっていなかったからこそ起こりうるからです。
あの尾根を歩きたい!という思いの無い山が普通になったのは、どうしてなんでしょう?
■ ズルの山には復習山行を
まぁそうはいっても、誰にでも、ズルの山はあります。1個目の山です。それは、アルパインをするっていうことはこういうことだよ、という体験をするために先輩が連れて行ってくれるからですね。私も最近、ミックスってこういうことだよ、ということを示してもらいました。
そうした山で大事なことは、無資格で連れて行ってもらっていることに味をしめて、連れて行ってもらおうとするのではなく、自分で人を連れて復習山行してみることです。
同じ山に行けなくても、自分が行ける山を考えて、復習山行するまでは、その山は自分の山にはなっていません。
先輩はそのために連れて行ってくれるのですから。
■ 山の学び方
さて、以上が私が独学した中で学んだ、山の学び方、です。
・憧れを起点にして山に登ると、喜びも大きく、きちんと予習しているため安全度も高い
・小さいステップで進むと自信がつく
・山には順番がある ピッケルより読図でしょ&ビレイができないと岩に連れて行けない
・15の力をつけて10の山に登る
・連れて行ってもらったら、復習山行をする
・リードで登る(自分で行く)ことこそが、山の醍醐味 (その山が自分の実力)
■ 山の世界の現状
山雑誌の統計によると、登山をどうやって学びましたか?という問いに対して、
独学
と答えた登山者が圧倒的多数だったそうです。そうした登山者の私も一人です。積極的選択肢ではないとはいえ、そうせざるを得ない現状が山の世界にはあります。
独学以外の選択肢がない、ということです。これは会に属していても同じで、結局は会の人とは登らないで、自分で見つけてきたパートナーと登ることに落ち着かざるをえない人が多いです。同人化は進行しています。現代は個人の時代と言われています。
■ 切実さ
そういう環境では
いかに遭難せずに安全に山に登り続けるか?
ということは非常に切実です。どれくらい切実か?というと、私の周囲には、すでに死者がいます。山歴たった7年なのに。
・山の死者 3名
・ヘリで運ばれた知り合い 4名
・凍傷者 3名
・肋骨骨折など軽い怪我をいれると数え切れず…
私自身も岩で墜落して、頭部外傷で7針縫っています。
これらは、突き詰めると、慢心の結果、なのです。
それは普通の人が考えるような種類の慢心ではありません。例えば、自分を例にとると、私が落ちたのは前に自分でリードしている課題です。ですから、そこはリードで来て当然です。誰だってそう考えます。しかし、そのちょっと前に、有名なクライマーが、5.10bをリードしていてテンションを掛けていました。アルパインの屏風岩などでの初登記録を持っているようなプロガイドが、です。私はそれを見て、ピン!と来なくてはならなかったのに、前に登っているルートだからと初対面のビレイで登ってしまったのです…しかも、ヘルメットをかぶらない習慣が身についていました。あとでその人はビレイがまずいことで誰とも登ってもらえない人だ、と分かったのですが、そんなことは問題ではなく、そこは前に登れたから、今回も登れるハズだという慢心が私にあり、熟練クライマーが落ちかけている、という目視情報が素通りしてしまったのが、自分の甘さです。
結局、自分の甘さ、が問題なのです。人のせいにしている限り、自立はありません。頭部を外傷しましたが、命には別条なく不幸中の幸いでした。でも、今でも傷はうずくと言うか、変な感じは残っています。
山における慢心とは、こんなものです。その慢心が、慢心であるとさえ、大体、気が付かないで怪我も事故もなく済んでしまうのが、99%です。この日も新しいムーブを試さなかったら登れていたような気がします。
■ 小さい成功を積み重ねることで自信がつく
山は慢心ではなく、自信に基づかないといけません。
一般論ですが、自信というものは、小さい成功体験を積み重ねていくことでつく、とされています。
いきなり大きな山に行って成功することがもてはやされていますが…
本当の自信とは、小さい山行を積み重ねることでつくもの…です。
自分で自分に嘘はつけない、というのは、山の世界でも同じことです。
Wednesday, April 12, 2017
那須岳の遭難に思う2 …新たな教授法?
■ 那須岳の続報
こちらにニュース解説が出た。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3025424.htm
今までも、「ベテラン」「経験豊富」というキーワードは疑問視されてきたが・・・
■ 初心者とは?
山の世界では、
分かっていないことが分かっていないのが初心者、
と言われる。
おそらく、この先生たちは、この山に雪崩学の知識が必要だ、ということ自体がわかったいなかったのではなかろうか?典型的な初心者像である。
憎むべきは無知、であって、無知による過失は、子供の過失と同じなので責任を問うことができないかもしれない。
もちろん、死者を出したのだから、知らなかったでは済まされないのではあるが…
■ 山の雑誌が想定している読者の理解レベル
ゆとり教育ではないが…日本人の知的レベルは、例えば50年前と比較して、総じて下がっている、と想定して良いと思う。現代の大学は詰め込み教育になり、考える教育、真の能力は育っていない。
そのような社会情勢を反映して、雑誌が想定している読者レベルは下がっている。一般に新聞は小学校6年生でも分かるように書け、と言われる。
昨日は、クライミングの研究で(笑)、ロクスノを読んでいたが…ロクスノ、もう、くどいくらいに丁寧に上達法を書いてあるのである。6年生、あながち間違っていない…。
一方、このような説明が山登りでされているか?アルパインでされているか?というと、たぶんされていないだろう…
■ 求められているのは教授法?
昔は登山はエリートのもの、だったのである。成功者ばかりが登山の歴史では名を連ねている。パワフルな人たちの集まりである。
一方、現代の登山は、大衆化の一途をたどっている。
大衆化と同スピードで、登山教育の教授法が大衆向けに変遷して来たか?というと、ちがうのではないか?と思う。
求められているのは、6年生にも分かるような誰にでも分かる教授法、のほうなのかもしれない。
このような事故が繰り返されないためには、きちんとした山ヤ(最低でも厳冬期の冬壁レベルまでは到達した人)が指導しなくてはならないだろうが、厳冬期の冬壁を経験していることが一つの山ヤとしての最低条件である、ということすら、世の中では知られていないかもしれないと思う。
こちらのブログも要チェック。
こちらにニュース解説が出た。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3025424.htm
今までも、「ベテラン」「経験豊富」というキーワードは疑問視されてきたが・・・
■ 初心者とは?
山の世界では、
分かっていないことが分かっていないのが初心者、
と言われる。
おそらく、この先生たちは、この山に雪崩学の知識が必要だ、ということ自体がわかったいなかったのではなかろうか?典型的な初心者像である。
憎むべきは無知、であって、無知による過失は、子供の過失と同じなので責任を問うことができないかもしれない。
もちろん、死者を出したのだから、知らなかったでは済まされないのではあるが…
■ 山の雑誌が想定している読者の理解レベル
ゆとり教育ではないが…日本人の知的レベルは、例えば50年前と比較して、総じて下がっている、と想定して良いと思う。現代の大学は詰め込み教育になり、考える教育、真の能力は育っていない。
そのような社会情勢を反映して、雑誌が想定している読者レベルは下がっている。一般に新聞は小学校6年生でも分かるように書け、と言われる。
昨日は、クライミングの研究で(笑)、ロクスノを読んでいたが…ロクスノ、もう、くどいくらいに丁寧に上達法を書いてあるのである。6年生、あながち間違っていない…。
一方、このような説明が山登りでされているか?アルパインでされているか?というと、たぶんされていないだろう…
■ 求められているのは教授法?
昔は登山はエリートのもの、だったのである。成功者ばかりが登山の歴史では名を連ねている。パワフルな人たちの集まりである。
一方、現代の登山は、大衆化の一途をたどっている。
大衆化と同スピードで、登山教育の教授法が大衆向けに変遷して来たか?というと、ちがうのではないか?と思う。
求められているのは、6年生にも分かるような誰にでも分かる教授法、のほうなのかもしれない。
このような事故が繰り返されないためには、きちんとした山ヤ(最低でも厳冬期の冬壁レベルまでは到達した人)が指導しなくてはならないだろうが、厳冬期の冬壁を経験していることが一つの山ヤとしての最低条件である、ということすら、世の中では知られていないかもしれないと思う。
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Friday, April 7, 2017
那須岳の雪崩遭難に思う
■那須岳の雪崩遭難
大日岳の雪庇崩壊の遭難を知っていた人は多くの人が教訓が生かされなかった、と感じたと思う。
繰り返された登山講習事故
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/266976.html?utm_int=detail_contents_news-link_001
日本は山国であるのに登山者教育が遅れている。今回の那須岳登山を指導された指導者が雪崩の知識を知っていたのか?知らなかったとしか思えない。少しでもかじれば、初心者でもリスクを分かるからだ。
①生徒に登山を教える指導者が登山におけるリスク管理を知らない。
■ 考察
大日岳の教訓が生かされなくて残念だ。
登山知識(雪崩学を含む)の普及を考える場合、取れる戦略を数えあげてみました。
1)義務教育で教える(課外授業)
2)山小屋等 直接教える
3)山道具屋などが登山教室を開催する モンベル、好日など
4)山岳会 教える機関としては衰退か逆効果中
5)その他 労山個人パートナー、ヤマレコなど
6)NPO等 自然学校
7)個人
8)教えない 普及しない → 現状この路線
他にあるでしょうか?以下それぞれ。
1)義務教育での登山教室
実現可能性: 低い
効率:悪い(実現したら効率良い)
問題点: 動かすのに圧力が必要 圧力団体(日本山岳会等)に力がない
2)山小屋で直接
実現可能性: 高い
効率: 悪い
問題点: 小屋の負担が大きい
燕山荘では、雪山入門の話を登山者に夜してくれます。これは非常に良かったです。
例えば、燕山荘までは稜線で風に吹かれるのは50m程度ですが、それで凍傷で死んだ話など。汗をかかないで登るため、通常3時間程度の尾根を7時間かけて上がるなど、雪山では汗をかかないことが大事だという話などをしていました。
ただ昨今の山小屋のおやじは、ご本人が山を知らない方も多いですが…
毎週土曜の夜に登山教室を開催すれば、夏山ワンシーズンでかなりの量の人に登山知識を授与することができると思います。
現在、山小屋は登山教育の普及拠点(教育機関)と言うよりは、その逆の働き(食事の豪華化、居酒屋化による商業施設化)のゆきすぎで、安全登山にとって見ると、逆にマイナスの推進機関となっている場合がある。
例: 弾丸登山の富士山登山客
良き例: キャパオーバーは受け入れない完全予約制の小屋
この分野は、各山小屋オーナーのビジョンによる。
3)山道具屋でのレクチャー
実現可能性: 高い
効率: 悪い
問題点: 経済性を至上価値とすること
好日、モンベルなどでやっているもの。問題点は、否定的な情報(ガイドレシオの問題等)を淫靡する点。商業的には、大勢=善、となっていますが、登山では大勢=悪、なので。利益誘導に偏らないことが難しい。
4)山岳会
実現可能性: 低い
効率: 悪い
問題点: 陳腐化
かつては最高の効率で登山を普及させたが負のスパイラル中。組織登山者のほうがアルパインでは事故率が高い。多くの会が、高齢初心者もしくは高齢過信者のハイリスクグループの集まり、となっている。
全国に広がる無数の山岳会…かつては登山学校としての機能が働いていましたが、岩崎元朗師匠によると、その機能は期待できないそうです。
第一人者の岩崎さんが言うならそうなのでしょう。
5)その他
実現可能性: 高い
効率: 比較的良い
問題点: 安全意識・ビジョンの欠如
ヤマレコのブームは記憶に新しい。雑踏がネットにあるのと同じである。登山知識の普及を理想に掲げることが難しい。
6)NPO等 自然学校・登山学校
実現可能性: 高い
効率: 悪い
問題点: 経済的に成り立ちづらい
昨今ではガイドが主催したりしていることも多いが…そのガイドが遭難を起こしていたりもする。
7)個人
実現可能性: 低い
効率: 悪い
問題点: 知識を体系化しづらい
これは山の知識を個人の関係で学ぶと言うもの。師弟関係。完全に個人とのつながりの為、個人の資質による。
過去にも、山岳会などであったとしても、個人間の技術の伝承…積極的に教えるということではなく、教わる側が盗むと言うことだが…。今では盗む能力がある人材が減り、教えてくれる人材がいても、見るだけで所作から盗むということが後進は能力不足でできない。
これは登山界の歴史的経緯が エリート→大衆化 と一致する。
現在も歴史的経緯から、登山知識・技術は属人的で個人の創意工夫に因るところが大きい。
例:雪庇を避けるときは、他の人より1m大きく避けるなど
が、一方である一定のレベルに達した者には、共通の原理原則思考がある。それが共有されていない。個人の努力に任せられている。
原理原則化、好意的な言葉ではないがマニュアル化が遅れた分野とも言える。
9)教えない
実現可能性: 高い
効率: 最悪
問題点: 入山前遭難、講習会遭難
現状。登山者の遭難数は毎年過去最高を更新中。一方で山岳救助メンバーは減る一方。
■ 現状のまま進むと、どうなるか?
このまま10年経過すると、現在、主力の65歳以上は、75歳以上となる。したがって体力に適した山は低山化が進む。低山の雑踏化が進行する。低山の方が道迷いリスクが高いため、低山の道標整備などが遭難を未然に防ぐ観点からは、重要化する。
現在、高度な山(アルパインクライミング)をする人材はかなり少数だが、指導者不足の為、個人で精進する形となり事故は減らず、ただでさえ少ない人材が山で死ぬことは防ぎようがないかもしれない。さらに少数化が進む。
今後、高度な山への入門者の入り口は、ハイキングや登山ではなく、クライミング(ボルダリングジム)となるだろう。
そのため、さらに入山前遭難というような、計画段階での山という自然に対する無防備による遭難は増えることになりそうだ。
ただし、この年齢層での遭難者は若いので、致命的遭難(死亡など)につながることは少ないと思われる。夏山のマルチピッチへ出かけて、寒くて懲りる、程度だと思われる。
大学山岳部等、組織された若者への指導は現在、遭難の温床化していることがまま見られる。(例:学習院大学等)これは指導者の不在による。適切な指導者を適切な山岳部へ派遣する仕組みが望まれる(現状はOB制 OBに適任者がいない場合もある)が、指導者がいたとしても活用されていない現状もある。
今後はインターネット等を介した同好の士同志のネットワークが強化されるだろう。
大日岳の雪庇崩壊の遭難を知っていた人は多くの人が教訓が生かされなかった、と感じたと思う。
繰り返された登山講習事故
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/266976.html?utm_int=detail_contents_news-link_001
日本は山国であるのに登山者教育が遅れている。今回の那須岳登山を指導された指導者が雪崩の知識を知っていたのか?知らなかったとしか思えない。少しでもかじれば、初心者でもリスクを分かるからだ。
①生徒に登山を教える指導者が登山におけるリスク管理を知らない。
②指導者が必要性をそもそも知らされていない。(要するに登山なんて簡単だと思っている)
③登山学・雪崩学等、登山のリスクは、学校教育内で触れられていない。
■ 考察
大日岳の教訓が生かされなくて残念だ。
登山知識(雪崩学を含む)の普及を考える場合、取れる戦略を数えあげてみました。
1)義務教育で教える(課外授業)
2)山小屋等 直接教える
3)山道具屋などが登山教室を開催する モンベル、好日など
4)山岳会 教える機関としては衰退か逆効果中
5)その他 労山個人パートナー、ヤマレコなど
6)NPO等 自然学校
7)個人
8)教えない 普及しない → 現状この路線
他にあるでしょうか?以下それぞれ。
1)義務教育での登山教室
実現可能性: 低い
効率:悪い(実現したら効率良い)
問題点: 動かすのに圧力が必要 圧力団体(日本山岳会等)に力がない
2)山小屋で直接
実現可能性: 高い
効率: 悪い
問題点: 小屋の負担が大きい
燕山荘では、雪山入門の話を登山者に夜してくれます。これは非常に良かったです。
例えば、燕山荘までは稜線で風に吹かれるのは50m程度ですが、それで凍傷で死んだ話など。汗をかかないで登るため、通常3時間程度の尾根を7時間かけて上がるなど、雪山では汗をかかないことが大事だという話などをしていました。
ただ昨今の山小屋のおやじは、ご本人が山を知らない方も多いですが…
毎週土曜の夜に登山教室を開催すれば、夏山ワンシーズンでかなりの量の人に登山知識を授与することができると思います。
現在、山小屋は登山教育の普及拠点(教育機関)と言うよりは、その逆の働き(食事の豪華化、居酒屋化による商業施設化)のゆきすぎで、安全登山にとって見ると、逆にマイナスの推進機関となっている場合がある。
例: 弾丸登山の富士山登山客
良き例: キャパオーバーは受け入れない完全予約制の小屋
この分野は、各山小屋オーナーのビジョンによる。
3)山道具屋でのレクチャー
実現可能性: 高い
効率: 悪い
問題点: 経済性を至上価値とすること
好日、モンベルなどでやっているもの。問題点は、否定的な情報(ガイドレシオの問題等)を淫靡する点。商業的には、大勢=善、となっていますが、登山では大勢=悪、なので。利益誘導に偏らないことが難しい。
4)山岳会
実現可能性: 低い
効率: 悪い
問題点: 陳腐化
かつては最高の効率で登山を普及させたが負のスパイラル中。組織登山者のほうがアルパインでは事故率が高い。多くの会が、高齢初心者もしくは高齢過信者のハイリスクグループの集まり、となっている。
全国に広がる無数の山岳会…かつては登山学校としての機能が働いていましたが、岩崎元朗師匠によると、その機能は期待できないそうです。
第一人者の岩崎さんが言うならそうなのでしょう。
5)その他
実現可能性: 高い
効率: 比較的良い
問題点: 安全意識・ビジョンの欠如
ヤマレコのブームは記憶に新しい。雑踏がネットにあるのと同じである。登山知識の普及を理想に掲げることが難しい。
6)NPO等 自然学校・登山学校
実現可能性: 高い
効率: 悪い
問題点: 経済的に成り立ちづらい
昨今ではガイドが主催したりしていることも多いが…そのガイドが遭難を起こしていたりもする。
7)個人
実現可能性: 低い
効率: 悪い
問題点: 知識を体系化しづらい
これは山の知識を個人の関係で学ぶと言うもの。師弟関係。完全に個人とのつながりの為、個人の資質による。
過去にも、山岳会などであったとしても、個人間の技術の伝承…積極的に教えるということではなく、教わる側が盗むと言うことだが…。今では盗む能力がある人材が減り、教えてくれる人材がいても、見るだけで所作から盗むということが後進は能力不足でできない。
これは登山界の歴史的経緯が エリート→大衆化 と一致する。
現在も歴史的経緯から、登山知識・技術は属人的で個人の創意工夫に因るところが大きい。
例:雪庇を避けるときは、他の人より1m大きく避けるなど
が、一方である一定のレベルに達した者には、共通の原理原則思考がある。それが共有されていない。個人の努力に任せられている。
原理原則化、好意的な言葉ではないがマニュアル化が遅れた分野とも言える。
9)教えない
実現可能性: 高い
効率: 最悪
問題点: 入山前遭難、講習会遭難
現状。登山者の遭難数は毎年過去最高を更新中。一方で山岳救助メンバーは減る一方。
■ 現状のまま進むと、どうなるか?
このまま10年経過すると、現在、主力の65歳以上は、75歳以上となる。したがって体力に適した山は低山化が進む。低山の雑踏化が進行する。低山の方が道迷いリスクが高いため、低山の道標整備などが遭難を未然に防ぐ観点からは、重要化する。
現在、高度な山(アルパインクライミング)をする人材はかなり少数だが、指導者不足の為、個人で精進する形となり事故は減らず、ただでさえ少ない人材が山で死ぬことは防ぎようがないかもしれない。さらに少数化が進む。
今後、高度な山への入門者の入り口は、ハイキングや登山ではなく、クライミング(ボルダリングジム)となるだろう。
そのため、さらに入山前遭難というような、計画段階での山という自然に対する無防備による遭難は増えることになりそうだ。
ただし、この年齢層での遭難者は若いので、致命的遭難(死亡など)につながることは少ないと思われる。夏山のマルチピッチへ出かけて、寒くて懲りる、程度だと思われる。
大学山岳部等、組織された若者への指導は現在、遭難の温床化していることがまま見られる。(例:学習院大学等)これは指導者の不在による。適切な指導者を適切な山岳部へ派遣する仕組みが望まれる(現状はOB制 OBに適任者がいない場合もある)が、指導者がいたとしても活用されていない現状もある。
今後はインターネット等を介した同好の士同志のネットワークが強化されるだろう。
Tuesday, April 4, 2017
ありがとう 古い百岩場
■ 古い百岩場
初心者の頃、年下のクライマーである先輩が、古い百岩場をくれた。その百岩場には、いつどの課題を登ったか、細かく書いてあった。「こんな貴重なものをもらってもいいのかしら?」が最初の感想だった。
でも、グレードは新しい百岩場では、付け直されていたりして、トポとしては古さを感じさせた。
2年後、フリーを頑張る年が私にも来た…どんな山ヤにもフリーを頑張る時期が来るらしい…それで、その時期が来たら、分かったことがある。
先輩は、岩場でどの課題から最初に取り組んだらいいのか?を教えるために、この百岩場を渡してくれたんだってこと。
登山という活動では、自分がその立場になってみて(成長して)、初めて先輩の意図が分かることがいっぱいある。
登山という活動では、自分がその立場になってみて(成長して)、初めて先輩の意図が分かることがいっぱいある。
Sunday, April 2, 2017
選ばなかった山
■ 単独がスタート
山は単独で始めた。
単独行では、山が要求する能力が10だとすると、15が必要になる。したがって、自分の能力が15になるまで、登らないという選択肢を取って来た。
連れて行ってくれる人の力量が20だと、自分の力量が1とか2しかなくても、10の山に登れる。フィックスロープが張ってあるエベレスト登山みたいな山には、最初から興味がなかった。そういう山に登るのは、恥ずべき行いのようにすら感じてきた。
だから、選ばなかった。
■ 選ばなかった山
選ばなかった山…のリスト。
登山2年目での正月の赤岳横岳縦走。このとき、選ばなかった理由は、アイゼン歩行技術に自信があれば、つまり落ちない自信があれば、ノーロープで、普通に個人で歩ける山だからだ。その程度の山は歩けて当然の山なので。アイゼン歩行が身についていなければ、ロープを出してくれるガイドの同行が必要。つまり、技術を身に着けてから行くことを選んだ。技術の習得に時間はかかったが、登山の喜びは大きく、その価値があったと思う。結局、赤岳は普通に登山し、横岳のほうは、取り立ててご褒美山行ではなく、雪シーズン初めの足慣らし山行として、大同心稜から縦走した。
登山2年目での厳冬期甲斐駒ケ岳。ガイド山行での誘いだったが、もう一人の同行者は普通の無雪期状態の低山里山でさえ歩けず、転げていた。通常の山の歩行スキルが、厳冬期の甲斐駒に、まだ足りるとは、私の判断では思えなかった。体重も重い人だったので、ガイド氏と3人だと、この重い人が技術的にセカンド、私がラストになる。この人が転ぶと、後続の私はもれなく巻き込まれる可能性が高く、いくら屈強なガイド氏でも、二人分の体重をタイトロープで確保するのは無理と思われた。のでお断りした。甲斐駒には憧れていたけれども。6年目にアイスのバリエーションルートに敗退したので、リベンジとして厳冬期甲斐駒には単独登頂した。ゆとりの山行で、多くの人を追い抜いた。
冬山合宿。正月の中崎尾根は、多くの人が入り、ラッセルの山なので、先行Pがラッセルした後に運よく並べてしまったりすると、そう大変でもないが、問題は厳冬期北アで缶詰になった場合に、1週間の缶詰に耐える予備体力があるかどうか、だ。ないと判断しているので行っていない。
北岳四尾根。アルパインゼロ年目。相棒の師匠も、私の師匠も、二人のペアでは実力的に無理と言う。私自身は、まだバリエーションは経験がなく、実力の判断がつかなかった。岩場でのルートファインディングとは、どういうことか?まだ理解できなかった(今はできる)。この経験で、行ける行けないの判断が、自己決定できない山には行かなくていいってことが分かった。
冬山合宿。計画書がなく計画は数行。不安になり、師匠に相談したら、杜撰な計画にあきれていた。すでに行ったルートだったので復習山行したかったが、参加は見合わせた。結局、行かなくて良かった。特段の理由がない敗退をしていた。
広河原沢左俣。アイスの初級ルートの復習山行だったが、メンバーの技術を棚卸してみると、そのメンバーでは実力未満だと分かった。私がオールリードするのは、もう少し経験が必要だった(今はオールリードできる。)ので、山行は中止し、ゲレンデである醤油樽の滝でのリード練習に切り替えた。
醤油樽の滝。アイスのリード練習のための山行だったが、革靴の人が参加表明。醤油樽の滝は遊歩道があると言えども、極寒で知られる八ヶ岳の一部。防水性の無い革靴では、装備不足。山行は中止した。
選ばなかった山ではないが、この山行の代替えの、駐車場敗退宣言の山。読図の雪山山行。読図の山で地図無しはありえない。「地図を持ってこない人が一人でもいた時点で駐車場敗退」と宣言した。この日の山は、全くの無風なのに、行きにつけたトレースが消え、下りではルートファインディングで降りることになった。良き山行だった。
阿弥陀北稜。正確に言うと、選ばなかった山ではなく、相方の辞退で行かなかった(行けなかった)。最初から危険を感じた。アルパイン1年目で初級ルートで行きたいリストに入っていたが、2年目でも行かなかった(行けなかった)で正解。アルパイン4年目に単独で日帰りで登って充実。
白毛門。プレ山行の阿弥陀中央稜で装備不足・経験不足・判断の割れがあったため、中止。
峰の松目F8.15~6mくらいの垂直滝。弱点にリードで取り付くが足場がない。ビレイのすり合わせやリード練習そのものも不足していたため、登らず。別の弱点で1歩のドライの箇所も行けそうだったが、アイゼントレしていないのでリスクを取らず敗退にした。
錫杖。左方カンテなら行きたいと思っていた。しかし、同行者の後輩は、アルパインゼロ年目で、まだフリーもクラックもしていないので、資格不足。山行そのものを見送った。
韓国。韓国でのクライミングは、まだ私の登攀スキルが足りないということで、行かなかった。フリーは初年度だった。
■ 理解できるまで行かなくてもいい
山は、体力だけ、技術だけではない。心・技・体・知・経のバランスだ。
知とは?
例えば、初心者にとって、アルパインへ進む場合に必要になるマージンの大きさがわからないのは普通のことだ。結局、アルパインで決して落ちないようになるということは、5級のスタンダードラインである5.9だったら、決して落ちないような登攀力がある、ということだ。それは、5.10bくらいをレッドポイント中ということ。そういう理解ができるようになることも知だ。
経験が十分でなければ、その”知”も深まって行かない。だから、どこかだけを突出して伸ばそうとしても無理なのだ。
アルパインで安全にステップアップするには、防御の技術と攻めの技術両方がバランスよく必要だ。バランス良くと言うが、どういうことか?
それが分かるまで行かなくて良い。
山は逃げない。だから、実力を十分につけて山に来ても問題はない。
■ 山は人間を試します
例えば、遠征だったりすると、今回を逃してしまえば、次に来るのにもお金がかかるし、休みを取るのは大変だし…などと、人間だから、どうしても損得勘定が働いてしまう…遭難が起こるのは、そう言うケースが多い。
けれども、そういう気持ちを乗り越えて、安全のほうを選択するということが、山に試されていることの本質なのだ。
山はそれだけシビアに私たちに決断を迫る。
山が人格形成の場、と言われるゆえんだ。
■ 大いなる存在でつながる
今、欠けているのは、
・ある山をするには資格が必要 (例:ロープが出る山をしたいなら、ビレイマスターは必修。逆に言えば、ビレイマスターする気がないなら、ロープが出る山はしてはならない)
・自ら率いるために一緒に登ってもらうのだという理解
だ。
山の人は、山でつながっている。
ほぼ知らない人のI藤さんだって、後輩の私にミックスルートってどんなものなのかを示してくれた。
私だって、ほぼ知らない人の後輩にリードへの道筋を示してあげた。
そうやって先輩が後輩を助け、ギブアンドテイクではなく、ペイフォーワードで成り立っている。
今の時代は、山ヤの同志意識…大いなる意思…でつながる人が輝く時代のようだ。
私自身は、今後は単独ではないのだから、もう少しチャレンジングな山も可能だと感じている。特にフリーではそうだ。今後はドライを頑張る予定。
山は単独で始めた。
単独行では、山が要求する能力が10だとすると、15が必要になる。したがって、自分の能力が15になるまで、登らないという選択肢を取って来た。
連れて行ってくれる人の力量が20だと、自分の力量が1とか2しかなくても、10の山に登れる。フィックスロープが張ってあるエベレスト登山みたいな山には、最初から興味がなかった。そういう山に登るのは、恥ずべき行いのようにすら感じてきた。
だから、選ばなかった。
■ 選ばなかった山
選ばなかった山…のリスト。
登山2年目での正月の赤岳横岳縦走。このとき、選ばなかった理由は、アイゼン歩行技術に自信があれば、つまり落ちない自信があれば、ノーロープで、普通に個人で歩ける山だからだ。その程度の山は歩けて当然の山なので。アイゼン歩行が身についていなければ、ロープを出してくれるガイドの同行が必要。つまり、技術を身に着けてから行くことを選んだ。技術の習得に時間はかかったが、登山の喜びは大きく、その価値があったと思う。結局、赤岳は普通に登山し、横岳のほうは、取り立ててご褒美山行ではなく、雪シーズン初めの足慣らし山行として、大同心稜から縦走した。
登山2年目での厳冬期甲斐駒ケ岳。ガイド山行での誘いだったが、もう一人の同行者は普通の無雪期状態の低山里山でさえ歩けず、転げていた。通常の山の歩行スキルが、厳冬期の甲斐駒に、まだ足りるとは、私の判断では思えなかった。体重も重い人だったので、ガイド氏と3人だと、この重い人が技術的にセカンド、私がラストになる。この人が転ぶと、後続の私はもれなく巻き込まれる可能性が高く、いくら屈強なガイド氏でも、二人分の体重をタイトロープで確保するのは無理と思われた。のでお断りした。甲斐駒には憧れていたけれども。6年目にアイスのバリエーションルートに敗退したので、リベンジとして厳冬期甲斐駒には単独登頂した。ゆとりの山行で、多くの人を追い抜いた。
冬山合宿。正月の中崎尾根は、多くの人が入り、ラッセルの山なので、先行Pがラッセルした後に運よく並べてしまったりすると、そう大変でもないが、問題は厳冬期北アで缶詰になった場合に、1週間の缶詰に耐える予備体力があるかどうか、だ。ないと判断しているので行っていない。
北岳四尾根。アルパインゼロ年目。相棒の師匠も、私の師匠も、二人のペアでは実力的に無理と言う。私自身は、まだバリエーションは経験がなく、実力の判断がつかなかった。岩場でのルートファインディングとは、どういうことか?まだ理解できなかった(今はできる)。この経験で、行ける行けないの判断が、自己決定できない山には行かなくていいってことが分かった。
冬山合宿。計画書がなく計画は数行。不安になり、師匠に相談したら、杜撰な計画にあきれていた。すでに行ったルートだったので復習山行したかったが、参加は見合わせた。結局、行かなくて良かった。特段の理由がない敗退をしていた。
広河原沢左俣。アイスの初級ルートの復習山行だったが、メンバーの技術を棚卸してみると、そのメンバーでは実力未満だと分かった。私がオールリードするのは、もう少し経験が必要だった(今はオールリードできる。)ので、山行は中止し、ゲレンデである醤油樽の滝でのリード練習に切り替えた。
醤油樽の滝。アイスのリード練習のための山行だったが、革靴の人が参加表明。醤油樽の滝は遊歩道があると言えども、極寒で知られる八ヶ岳の一部。防水性の無い革靴では、装備不足。山行は中止した。
選ばなかった山ではないが、この山行の代替えの、駐車場敗退宣言の山。読図の雪山山行。読図の山で地図無しはありえない。「地図を持ってこない人が一人でもいた時点で駐車場敗退」と宣言した。この日の山は、全くの無風なのに、行きにつけたトレースが消え、下りではルートファインディングで降りることになった。良き山行だった。
阿弥陀北稜。正確に言うと、選ばなかった山ではなく、相方の辞退で行かなかった(行けなかった)。最初から危険を感じた。アルパイン1年目で初級ルートで行きたいリストに入っていたが、2年目でも行かなかった(行けなかった)で正解。アルパイン4年目に単独で日帰りで登って充実。
白毛門。プレ山行の阿弥陀中央稜で装備不足・経験不足・判断の割れがあったため、中止。
峰の松目F8.15~6mくらいの垂直滝。弱点にリードで取り付くが足場がない。ビレイのすり合わせやリード練習そのものも不足していたため、登らず。別の弱点で1歩のドライの箇所も行けそうだったが、アイゼントレしていないのでリスクを取らず敗退にした。
錫杖。左方カンテなら行きたいと思っていた。しかし、同行者の後輩は、アルパインゼロ年目で、まだフリーもクラックもしていないので、資格不足。山行そのものを見送った。
韓国。韓国でのクライミングは、まだ私の登攀スキルが足りないということで、行かなかった。フリーは初年度だった。
■ 理解できるまで行かなくてもいい
山は、体力だけ、技術だけではない。心・技・体・知・経のバランスだ。
知とは?
例えば、初心者にとって、アルパインへ進む場合に必要になるマージンの大きさがわからないのは普通のことだ。結局、アルパインで決して落ちないようになるということは、5級のスタンダードラインである5.9だったら、決して落ちないような登攀力がある、ということだ。それは、5.10bくらいをレッドポイント中ということ。そういう理解ができるようになることも知だ。
経験が十分でなければ、その”知”も深まって行かない。だから、どこかだけを突出して伸ばそうとしても無理なのだ。
アルパインで安全にステップアップするには、防御の技術と攻めの技術両方がバランスよく必要だ。バランス良くと言うが、どういうことか?
それが分かるまで行かなくて良い。
山は逃げない。だから、実力を十分につけて山に来ても問題はない。
■ 山は人間を試します
例えば、遠征だったりすると、今回を逃してしまえば、次に来るのにもお金がかかるし、休みを取るのは大変だし…などと、人間だから、どうしても損得勘定が働いてしまう…遭難が起こるのは、そう言うケースが多い。
けれども、そういう気持ちを乗り越えて、安全のほうを選択するということが、山に試されていることの本質なのだ。
山はそれだけシビアに私たちに決断を迫る。
山が人格形成の場、と言われるゆえんだ。
■ 大いなる存在でつながる
今、欠けているのは、
・ある山をするには資格が必要 (例:ロープが出る山をしたいなら、ビレイマスターは必修。逆に言えば、ビレイマスターする気がないなら、ロープが出る山はしてはならない)
・自ら率いるために一緒に登ってもらうのだという理解
だ。
山の人は、山でつながっている。
ほぼ知らない人のI藤さんだって、後輩の私にミックスルートってどんなものなのかを示してくれた。
私だって、ほぼ知らない人の後輩にリードへの道筋を示してあげた。
そうやって先輩が後輩を助け、ギブアンドテイクではなく、ペイフォーワードで成り立っている。
今の時代は、山ヤの同志意識…大いなる意思…でつながる人が輝く時代のようだ。
私自身は、今後は単独ではないのだから、もう少しチャレンジングな山も可能だと感じている。特にフリーではそうだ。今後はドライを頑張る予定。
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