■ 長所を生かす
なぜ登山を始めたか?
登山は、山梨生活を充実させるために始めた。
山梨で暮らすメリットは何だろうか?と考えて、出た答えが登山だった。
登山の中でも、山梨の取り巻く山々は、岩がちな山が多い。岩場も近い。そのため、登攀、クライミングが係る山が多くなった。
その地に暮らすメリットを最大に生かす。
大きな目で言えば、長所を生かす、という活動だ。
■ 幸せを定義する
大事なことは、自分にとっての幸せを定義する、ということ。
山にさえ行けたら幸せ
と定義したら、本当に年に128日も山に行けるようになってしまった。感謝だ。
■ 変化
山に行けさえしたらいい、と考えるようになって、すべてが変わって行った。
一番変わったのは、モノを全く買わなくなったことだ。
化粧水など、一切買わなくなった。大体、山に行くのに化粧品は全くいらない。前から好きでなかったが、やらなければならないという社会のルールで、お化粧していた。
洋服も全く買わなくなった。山の服にお金がかかるから、そのために買わない。日ごろはあるものを適当に着ているだけ。
食べ物も質素になった。野菜の直売所に行って、野菜だけはたくさん買っていいことにしている。
贅沢をするのは、コーヒー豆。これだけは、良いものを飲みつけているので、月3600円の贅沢を自分に許している。
本も、以前は、もし私が破産するとしたら、本代だろうと思っていたが、今ではほとんど買わない。
図書館で済ませることにしている。
・・・というわけで、すべて山を中心に回り、山を優先する、という決まりになっているので、あらゆるものが、山を軸に整う・・・ので、生活がとてもシンプルになった。
今あるもので済ませられるのに、なんで新しいものが必要なのだろう?という感じだ。
■ 振り返ると・・・
振り返ると、山に行っていなかった大阪や福岡に生活していた頃も、自分にとって何が幸せか?を分かっていないとは思ってはいなかった。
物は吟味して買っていたと思うし、贅沢は慎み、身の丈の生活をしようとしていた、と思う。
けれども、やっぱり、分かってはいなかったなーと思う。
他のことはすべて切り捨てるというか、重要ではないのだ。
世間は、あれも、これも、重要だ、と押し付けてくるものだ。良い大人なんだから、これくらいのバッグを持ちましょう、とか。
そろそろ〇〇というブランドの服を着ましょう、とか。そういう価値観に踊らされないようにするのは、情報にあふれる都会ではかなり難しい。
情報に踊らされずに済む、というのは、田舎に暮らす非常に大きなメリットの一つだと思う。
広告を見ないだけで、雑誌を読まないだけで、本当に自分は何をしたいのか?が分かるようになる。
というか、自分は〇〇をしたいのだ、と決めればいいだけなのだ。 〇〇の内容は何でも実はいい。
それに合わせて不要なものは、そぎ落として行く。そこに幸せはある。
TVを辞め、新聞を辞め、ニュースを辞めれば、悲観的な見方をしなくなる。なぜなら、報道というものは、基本的にセンセーショナルで悲劇的なことを広めるためにあるものだからだ。
逆にフェイスブックで情報収集すると、いいね!が来るわけだから、いいね!というような心温まるニュースが集まってくる。
世の中のネガティブな情報を集めようとしている報道と、世の中のいいね!を集めようとしている報道では、受け取る中身が全く違う。
世の中の希望の無さ、というのは、そうして実は作られたものかもしれない。
人々が自分の情報をアップするときには、たぶん、いいね!と言いたくなるような、楽しいこと、役立つことをアップしたいと思うだろう。(単純に逆に愚痴ばかりをアップする人からは、人は離れて行くだろう)
問題、というものは、凝視していると、どんどん大きくなるものである。
問題が、問題ではなくなる時、それは、ひとつ上のステージに行った時。
ということは、問題解決に必要なのは、対処法ではなく、問題自体が問題と認識されなくなるような高い意識レベルに行くことのほうだ。
結論:
幸福、というのは、作り出すもの、作り出せるもの、見つけるものではなく、すでに内にあるもの。
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