Wednesday, November 29, 2017

UIAA Alpine Summer

■ UIAA

ロープが出る山をしていないと、UIAAの名を聞くことはあまりないかもしれず、ロープももし会に属していると、最初のうちは、おさがりを使っていると思うので、UIAAと聞いても、さっぱり何のことか、わからないかもしれませんが、UIAAは、登山の世界で、最も権威ある組織です。世界の山岳会の親玉みたいなところ。

UIAAについてはこちら。
https://en.wikipedia.org/wiki/International_Climbing_and_Mountaineering_Federation

■ Alpine Summer

そこが出しているアルパインクライミングの教科書を、インスボンに登攀に行ったときに見たのですが…、韓国語でした。

そこで、イギリスから、英語版を取り寄せてもらいました。英語版はフランス語版からの、英訳です。

現在、日本では、技術的に信頼のおけるスタンダードな技術が文書では伝えられていません。

これまで、最も信頼おける技術情報は、ペツルのカタログというのが実情でした。それは海外でも同じだったようで、この本にそう書いてあります。本の中にも、どこかで見た的なイラストがいっぱい。

ここ2年ほど、ペツルはカタログを紙で支給することがなくなりました。これはペツルだけでなく、ロープなどのギアを出している各社同じで、ネット上のPDF化されたカタログで済ませようとしているような様子がうかがえます。

それはそれでいいのですが、新人に教えるとき、紙媒体って、やっぱり便利なのです。というのは、山で、小さい画面のスマホ見ながら、ってのもねぇ…と思うからです。たとえ人工壁でも、ちょっとヤな感じ。

これ読んでおいてね、と貸す本があると、先輩は楽です。

また、ペツルのカタログに書いてあることは、最新情報だということは、クライミング歴が長ければ、わかりますが、そうでないと、たかだかギアの一メーカーが言っていること…とも受け取れてしまいます。ちゃんと読まないかもしれない。

どこか権威ある団体が、これがスタンダード技術ですよ、という本を出してくれないか~と思っていました。

日本では、国立登山研究所の出していた『高みへのステップ』みたいなものですね。しかし、『高みへのステップ』も取り寄せてみてみましたが、残念ながら、一番新しい版でも、8環の時代から、技術的内容が更新されておらず、使い物にはなりませんでした。

今回、紹介するUIAAのAlpine Summerは技術的に、世界で最低限知っておかなくてはいけないことが書かれていると思います。

例えば、流動分散は、日本では、まだ、普通に120cmのスリングを2つのカラビナにかけ、真ん中をねじった、マジックXスタイルが標準的に教えられていると思いますが、こちらの教科書には、オーバーハンドノットをそれぞれの側に結んだバージョンが載っています。確かこれには名前があったと思います。YouTubeで出ているビデオを以前、紹介しました。

オーバーハンドノット付きのだと、片方の支点が壊れた場合も、スリングの伸びが最少で済みます。(がノットを作るとスリング自体の強度が半分程度まで下がるなどの検討は必要かもしれません)

支点として、どういう結びがベストなのか?

ということは、それこそ、ケースバイケースなので、状況を設定して、様々な検討を加えないと最善の解は導き出せませんが、

ただ、この結びは、多分、日本では教えられていないのではないか?と思います…。

おそらく日本では、スタンダード技術というか、標準的に教える内容を定めるのに、議論をすると、議論に収拾がつかなくなるのではないか?とか、そういう事情があると思います…。

それは、主義、主張があるからです。例えば、懸垂下降を、新人に教える時、バックアップつきを教えるべきか、教えないべきか?など…。私はバックアップ付きで教わり、最初から空中懸垂ですが、今ではバックアップを使うことは、めったにないです。斜度が寝ているところで、教えたほうが安全か、そうでないか、も意見が分かれるだろう、ことは容易に想像がつきます。

かといって、いっぺんに全部教えたら、新人が吸収できないだろ、というのは、ほぼ全員一致の意見であるように思いますが…。でも、個人的には、部分的に教えられるより、全体を教わったほうが最初がアップアップでも、後々良いと思いますが。

というような意見の相違や困難を避けているため、日本には、権威ある団体が発行している技術書がないのではないか?と思います。

ので、新人さんは自己防衛のために自分で勉強しないといけないです。それにおすすめの本が、このUIAA Alpine Summer です。

いくつか、この本の内容を映した画像をアップしますので、ぜひご自身で、取り寄せて読んでみてください。 ネット検索で、ヒットします。すでに日本の山岳団体には翻訳を依頼していますが、翻訳が出てくるのはいつになるか、わかりませんし、難しい英語がでてくるわけでもないので、普通に読めると思います。

ちなみにガイド協会が出してるロープワークの本もおすすめだそうです。
http://www.jfmga.com/kyujyomanual.html

本でおすすめはこちら!














■ 参考リンク

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB

Wednesday, November 22, 2017

『荒野へ!』

■ 『荒野へ!』読了

これは、1996年のエベレスト大量遭難に立ち会ったジャーナリスト、ジョン・クラカワーのノンフィクション、Into the wildです。

アラスカの荒野に出かけて餓死した青年の話。若者の思慮の浅さを理解したい…というのが読んだ動機です。

が、ここに描かれている若者は、ここ数日前に阿弥陀の北西稜の途中らへんで、登ったものの降りれなくなり、ヘリで救助された、浅はかな若者とは、全く違うようでした…。

さしづめ、ベック・ウェザーズの『生還』が、山煩悩を極めて(=エベレストに登り)、死ぬギリギリ間際で、解脱した話だとすると、こちらの『荒野』は、現代の出家者の若者が、本当に出家して、即身成仏(=餓死)しまった話でした。

この彼は、”出家”にふさわしい”荒野”が地図上のどこにもないと知ると、なんと地図自体を捨ててしまったのです。なので、登山者の目で見ると、地図さえあれば、いくらでも助けを求めうる地理的条件の場所にいながら、彼は、究極の隔絶された場所にいたわけです。

阿弥陀のヘリレスキューの若者は、レスキューに行った人の話によると、”ジャングルジムで降りれなくった子供と同じ”という状態の、本当にお粗末な事件なわけですが、この荒野へ!の彼も、退路を断たなければ、本当のピンチの時に助けを求めることができたであろうという点で、同じです。(動機の高貴さが違いますが。)

■ 解脱?プロセスの疑似体験=山

山に登っていて人生を重ね合わせない人がいるのだろうかと思います。

山というのは、人生の縮図的というか、(努力することを覚える)→ (達成感や、名誉欲・自己顕示欲にとらわれて頑張る) → (心打たれる) → (結局は、どんな小さなことにも感謝できることが大事と知る) という人生サイクルが、超特急というか、ミニチュアレベルで体験できる機会だと思うのです。

山頂を極めるという活動は、成功を求めて日々努力するというのと同じことです。成功が山頂、そして、下山…登りより、下りが難しいことなど、大変、示唆に富んでいます。

これは一つの山、一つの山行だけのことですが、山ヤ人生というものも同じで、山の難易度自体を少しづつステップアップさせていきますから、そこは、やはり、人生を少しづつ前に進めていく、ということと相似形です。

なぜ、上を目指さないといけないのか?

それは単純に、人は成長をするように設計されているから、です。アルジェナは、なぜ戦わないといけないのかと問うたのですが、それは、やはり、ダルマを遂行することが、人としての生き方の本質だからです。商人に生まれたら商人として生き、芸術家に生まれたら、芸術家として生きなくてはならないです。

というわけで、人は成長することが基本ですが、それは、山頂へたどり着こうとするよりも、そのプロセスを味わうことで学ぶ、学びのほうが大事です。山頂へたどり着くことばかりを考えていると、途中の景色の美しさを見るのを忘れるからです。

何を成し遂げたかよりも、どう生きたかのほうが大事。

でも、そこを学ぶのが大変長い道のりなんですよね。 

そういうことを山ではいつも考えています(笑)。

ヨガとも似ていると思うのですが…。




Monday, November 20, 2017

高齢者のテント泊縦走へのステップアップ

今日は年配のお友達と、小さな山に登ってきました。

私は、そのお友達の思い込みを解除してあげるために、派遣されて来たんだろうなぁと思いました。

お友達は60代と思われ、ザックは5kg程度だということでしたが、すでに8年も月に2,3回の山歩きをされていて、この辺の山では知らないところはない、という博識。下積みは十分です。

でも、テント泊へ進む勇気が出ないでいるようだった。テントも、もう持っているのに、装備が重くて担げない、と思い混んでいるようでした。

しかし、実際のところですが、最近の装備は軽く、総重量10kg行かないでテント泊装備は持ててしまいます。

私が思うには、無雪期の(夏の)テント泊で最大の重さは水です。しかし、夏山だと水は売っていますので、たとえ、500ml500円であったとしても買えば、担がずに済むこと。なので、問題は思い込みのほうだと思いました。

ザックの重さ、歩荷っていうのは、思い込みとか刷り込み、という色眼鏡のフィルターがすごく強いです。それは、文化的に、山男が歩荷自慢だからだと思いますが、歩荷って実は、スリムな人のほうが強かったりもします。きっと余分に担ぐ体脂肪がないからと思うのですが。

若者が30kg担いでいて、自分はこれでいいと思うのも、思い込みですが、60代が5kgしか担げない!と思うのも思い込みです。それぞれ、筋肉量に応じた重さがあるはずです。

大事なことは、自分がやりたいことをやるには、神様は十分な肉体的資源を与えてくれているということに気が付くことかもしれない。

2点目の思い込みは、テント泊で縦走するには、20kgも担がなくてはならないというものです…私のテント泊装備は、実際8kgくらいですから、水4L食料1kg入れても、13kg。10kgしか担げないなら、食料1kg、水2Lにして水は小屋で買うことにすればいいし、9kgなら、食料1kg、水2Lでもどこへでも行けます。 水は4L入れても4リットルいることなんて、ほんとにめったにありません。たいがいは2リットルで十分。

なので、10kgくらいで、誰でもたいがいのルートには行けるんですが、その10kgが、ものすごい重さだという思い込みが強いのが、一般登山者の世界かもしれないです。

もし、その思い込みが解除できないと…小屋泊代を出さないと行けなくなり、山歩きが、お金がかかる趣味になってしまいます…。

しかし、だれを利するための思い込みなんだろうなぁ。

■ 思い込みが解除できるかどうか?は、教育なのだろうと。

思い込みが解除できるかできないか?は、判断の基準を、

 自分以外に置くか、
 自分に置くか

ということなので、それは、基本的に自分で考えることができる、ということが、教育の意味なのだろう、と思いました。

例えば山の世界で、世間の普通、などという曖昧模糊としたものに合わせると、5kgのハイキング装備から、脱皮することすら、できなくなります。

しかし、そうしないで、自分はどれだけ担げるのかなぁ?と実際に試して、実験して確認してみると、たいがいは、意外な結果が出るものです。

私も10kgなんて!と最初は思っていましたが、実際に担いでみると、17kgなんて普通に担げたので…10kgが大変というのは、両手で持った時の重さの感覚で、背中に背負った時の感覚ではなかったのです。

たしかに、例えば体重が45kgしかない女性の筋肉量で25kg背負うのは、結構大変と思いますが、25kgを要求するような山なんて、なかなかないです。アイスクライミングのギア+ロープ一式含めて持つ、くらいな感じでないと、そんな重さにならない、ので、必要がないし…。

普通にハイキングしてしてきて、行きたい山、憧れの山が出てきた人は、実際、何キロ持てたら、その縦走ができるのか、試してみることだと思います。最初は水で。水なら捨てられるからです。

特にテント泊縦走へのステップアップは、見えてくる景色が日帰り登山とは全く異なります。

テント泊縦走を避けていると、どうしても、ふもとの山小屋に泊まってピストンという山から脱却できず、山と山の間のいいところを歩き損ねてしまいます。

自分のしたいことが実現可能かを率直に自分に問い合わせて、見極める力、それが教育の成果、ということかもしれないなぁ、と考えた今日の山でした。

今日一番楽しかったのは、みかん、でした。これは、唯一社会規範を犯して、自分の頭で考えて結果の行動だった、と思うから。

私にとっては、知らないところへ行けて、ちょっと楽しかった。遊具があるような、のんびりした裏山でしたので、山としては楽勝でしたが、裏山というものは、いろいろな道が多様についているものなので、とりあえず、探検として楽しめそうでした。

今日は、ご一緒した方の思い込みが解除されることを願ってやまない山でした。

Sunday, November 19, 2017

読了・ベック・ウェザースの『生還』

今日は、冬が来た!と思える寒い日でした♪ 

ヒマラヤ関係の遭難について、ふと、少々復習したいと思い、ベック・ウェザーズの『生還』を読了しました。

ヒマラヤは、山ヤにとって、煩悩なエリアでもあり、最後の秘境でもあり、取り扱いにデリケートさが必要だからです。

日本では、ヒマラヤに登ったと言えば、水戸黄門の印籠みたいな効き目が一般人に対してはありますが、情報によると、ヒマラヤはヒマラヤでも、色々あるそうです。

例:

ゴーキョピーク(5360メートル)
ロッジから標高差600メートル程度。往復3時間程度。無雪期の日本の森林限界を越える程度の山です。現地感覚だと丘。

1977年に2年前にエベレスト南西壁を初登攀した、当時世界最強チームのイギリスのクリス・ボニントン隊。再登は、アレックスとトーマスのフーバー兄弟と、この間亡くなったヘディン・ケネディ達です。以降再登なし。

ラトック山群Ⅰ峰:1979年に重廣重夫氏たちが登って以来再登無しの難峰。

■ 遭難につながる山、つながらない山

まぁ、エベレストが登頂者700人の山であるのは周知として、それでも遭難者はいるわけなので…

  問い:遭難につながる山とつながらない山の差はなんだろうか?

これは山ヤは誰でも、答えをわかっていると思いますが…一応。

  山を征服したい!セブンサミッターと呼ばれたい!栄誉が欲しい!

ということが、やっぱり遭難の第一の動機、ということが書いてありました。

■ ”自分との闘い”というけれども

一方で、”山は自分との闘い”、という言葉もあります。この言葉は、たいがいは正しい用法で使われますが、そうでない詭弁の場合もあります。

トレーニング、肉体的な苦難に打ち勝つという意味で、自分と戦っているのは、その通りではありますが…要するにジョギングしていて苦しくなった時すぐやめないこととの、超シビアバージョンです。…が、すでにガイドに頼っている時点で、自分の限界を受け入れる、ということを拒否しているわけです。

もし本当に自分と向き合っていたら、自分のチカラで登れる山の限界をおのずと受け入れ、それをあげていく、ということになったでしょう。

ちなみに山ヤの世界では、ガイドレスでないと自分の山ではない、というのは、だれもが分かっています。

だから、本当は、そういう山ではなく、一から自分で積み上げる山の良さを教えるためにガイドが存在するのだと思うのですが、今の時代は登頂請負人、みたいになっています。

あ、苦言になってしまいました、すいません。

■ 山ヤは山に行かなくて良くなった時が完成、なのでは…

私が思うには、山ヤさんという人種は、バイタリティが余り過ぎている人たち、なのです。

人間は、”生きて、食べれて、寝れて、天井があれば、あとは万事オッケー”、ということを学びに行くのが山、なのですが、実は下界でも同じことなのです。

ただ下界だと、その辺が分かりにくい。

山のように、電気ありません、水道ありません、家もテントか雪洞です、みたいな状況に、人為的に追い込まれないと、”ああ、生きているっていいことだなぁ”、ということが現代生活ではわかりづらいでしょう。

特に鬱になるような人はそうなのかもしれません。賢すぎる人が鬱になると思うのです。複雑に考えすぎちゃうんでしょうかね。

だから、山に行く。それはその人のエネルギーの、余り具合によって、どんな山に行くのかが決まると思うのですが… ベックさんの場合は、それが公募とはいえ、エベレストだったということなのです。職業もお医者さんですから、だいぶバイタリティ、余ってました(笑)。

ベックの満たされない心は、山で満たされ、だから山に行き続けたのですが、もともとのバイタリティが大きいので、成長し続けていくと、エベレストしかなかったんですね。

私は去年のアイスシーズンで、ある時、すっかり心満ちて、もう山に行かなくても、満たされてます、みたいな心境になったんですけど…。

以前は、山恋い、山煩いみたいな時期がありました。1か月も行かないでいると、なんだかそわそわ… なので、行ける機会はすべてつかんでいました。

山に行くことを辞められないとき、それは、まだ成長の、のりしろがある、まだ上に行ける、という実感や探求心があるからでした。

十分、のびのびと成長したら、満足しました。

それには週に2回、1シーズン35回もアイスに行かなくちゃならなかった(笑)。私の場合は、です。

想像するに、ベックさんの満腹、はエベレストまで来なかったんでしょうね。

■ 家庭不和

ベックさんは、そういう風に山を突き詰めていく中で、家庭不和に陥ります。家庭をないがしろにして、山に突っ走ったのだそうです。

そういう背景があるにもかかわらず、遭難で、救命作戦に奔走したのは奥さんであり、それは家族の在り方として正しい愛の在り方だと思いました。窮地に陥った時に助けてくれる人が真の友人です。人生のパートナーなら、なおさら。

なので、これは夫婦に起きた試練ということでした。

結局、ベックさんが得た至福というのは、やはり、思った通りで、日常の些細なことにも神を見、感謝できる、ということでした。

多くの、生死をさまようような出来事からの生還者は、同じように語ります。幸せは実はそこにすでにいつもあったのだと。ただ生きているだけで、いいんだと。

多分、それに気が付くことが、一番難しいことなのです。

それにエベレストへ行くことが必要な人もいるし、手首から下を凍傷で失うという代償が必要な人もいるし、途中で命を落とす人もいるということです。

だから、市井の聖人は、普通に生きているだけで、幸せいっぱいな人です。

決して、お金持ちや、何かを目指している人や、競争社会の勝者、あるいはよく言う、勝ち組などではなく…。

どんな小さな里山でも、それがちゃんと自分の足で歩いた山ならば、大なり小なり、同じメッセージが込められていると思います。

それは、ブラフマムフルタ、宇宙の叡智がみなぎる時間と言われていますが、その時間帯にあふれているもの、と多分同じと思うのですが…。つまりは、早起きさえできれば、山まで行かなくても、触れることができるもののような気もします。

同じものを味わうのに、肉体を酷使する必要がある個体もいる、ということなのかなぁ。






コメントに深謝

■ いい寒気

風邪、いよいよ終盤です。鼻になってきました。完全口呼吸です。

今日は、雪雲ちっくな、寒々とした灰色の雲が上空を結構なスピードで流れていて、いい寒気だなぁ!という感じです。山も、やっと凍り付き始めたかなぁ…

11月のアイスクライミングシーズンの皮切りは、裏同心ルンゼが定番です。私は行ったことがないのですが、佐藤さんが毎年行っているということは、裏返すと、今年の寒気の入り方を知るのに、毎年退屈でも登っておいたらいい、ベンチマーク的なルートなんだろうなぁ、と思うのですが…。

そういう考えをする山ヤが周囲におらず。というわけで取りこぼし課題。

■ 学び方?

中学のころ、数学の先生が革新的な人でした。私と、もう一人の成績の良い子に、解答を並行に書かせて、どうしてそういう数式にしたか、説明させるのです。

国語の先生も似たようなところがあり、小説の書中人物の発言の解釈など、公開討論をしていました。

そういう土台があったためか、ディスカッションを基本にする、グロービスのクラスに出たときは、あまりの知的刺激に興奮状態でした。

とても楽しかったのです。これだ!こうすれば、みんなが考え、その考えをベースに、その時の最適解が出せる!と思いました。

以来、HBS式の教授法というのに興味を持っています。

ビジネス環境は、状況により判断がいろいろ考えられ、正解が一つとは限らない世界です。

いうなれば、山も同じ、です。

ならば、同じ方法論が、問題解決に有効なのではないか?と思います。

ただ最近は、残念ながら、山ヤは絶滅危惧種ですので、そうした議論を繰り広げる場がない…ので、私の場合は、考察をブログ上でしています。独学ってわけです。

心には問いがあります。その問いに答えるようなコメントを頂けることがまれにあり、そういう時は、かなりうれしいです。

特にご自身の経験をバックグランドにした、参考にできる事実の提供をもらえると、ちょっと嬉しいです。

今日は、昨日書いた国立登山研究所主催の講習、大日岳遭難事件について、当事者からコメントをいただき、とてもうれしかったです。

ありがとうございました☆

なので、今日は朝6時にして、とても良い日でした☆

■ 憧れの…

私は、登山学校というか、山の学び方をどうするか?という活動には、とても強い情熱を感じます。

で、周囲に今登山学校を終了されてコーチをされている女性の方がいて、その方がとても山ヤとして気持ち良い方なので、どんな教育を受けたのだろうと興味を持っています。

それは、ICUに行った人に授業のこと教えてほしいとか、MITに行った人に話を聞きたいとか、グロービスのすべての科目を終了した人に教えてほしいがあるとか、RYT500など幾多の資格試験を終了した人に率直に聞きたいとか、と同じです。ベストプラクティス、エリート教育、みたいなものには興味があるのです。それは、能力開発という面で、です。私も、ちょっとだけですが、いいなぁという思いがあります。

でも、まぁすごくうらやましいわけでもなく、”与えられていない”のではなく、むしろ、まぁ、私には必要なかったというだけのことなんだよなー的な感じ。

例えば、今と同じTOEIC925点を習得するのに、自分で考えなくてもいいけど、500万円払わないといけない留学コースと、大変だけど5万円の最終収益があるオペアコースとならば、後者を今でも選ぶだろうと思うからです。

結局、どういう枠組みで学んだか?ということよりも、大事なことは、本質的なことをより深く学ぶ、ということだからです。

そのためにはカリキュラムという枠は、あればあったで、あるなりのやり方ができるし、なければ無いで、本質的な理解が伴っていれば、なくてもいいわけなのです。

資格や免状と同じですね。

初めてソフトウェア開発部に行ったころ、先輩プログラマーの皆が、資格がないのに、こんなにプログラミングをすぐ覚えてすごい!と言ってくれました。(私にとっては中学のころ、夏休みに独学した、Basic言語と同じで全然簡単だったんですが)それで、すぐ仕事が来たんですが、逆に、全く仕事をやったことがない会社に面接に行ったら、あなたは文系だから、なんでもいいからマイクロソフトの資格を取ってくれ、と言われたことがあります…。

前者は過大評価、後者は過少評価です。人の評価というのは、先入観次第なんだなぁと思った経験でした…。

私は、”知っているはずがないのに知っていて、すごい”か、すでに実績があるのに、”実績があっても使い物にならないだろうから、買いたたいておこう”と思われていたわけです。

基本的に登山も同じです。

私は、山ヤとしては、全然実績がありませんし、私が高い評価を得ているとすれば、それは、最近登山をする人が中高年で、その人たちの感覚で図られるからで、私ができる程度のことは、基本的に誰でもできます(笑)。

■ 実感ベースの実力の実感が大事

最近、新しいアーサナ(ヨガのポーズ)をやっているのですが、やってみて初めて分かる、先生のすごさ!

っていうか、先生だけじゃなく、レッスンメイトの皆も平気でやっているようなポーズなんですが・・・(笑)

やってみてわかる難しさ!!

とっても難しい~!! 一生できる気がしません(T_T)

まるで、逆アンダーを教わった日のようです…フィギュア4、上がる気がしません…

ということを持ち出したのは、こういう実感に基づいて作る実力への信頼が大事だってことを思うからです。

実力という言葉は誤解があるかもしれません。実力という言葉には、上下の感覚がありますが、上下のニュアンスは不要だからです。何ができて何ができないのか?ということです。

■ 山も

山という活動も、15kg担げる人より、30kg担げるほうが、実力が上、という感性がありますが、そうなると、問答無用で、20代男子が一番上ってことになってしまいます。

しかし、現実の山では、40代後半から50代前半の男性山ヤが一番強いです。30代なんて全然、目じゃないです。

歩荷量の研究という記事は、人気記事ですが、体重70kgの男性が28kg担いでいるのは、筋肉量からして、体重45kgの女性が16kg担いでいるのと、なんら筋肉1kg当たりの負担は変わりません。

私の実感からしても、17kgって大した歩荷量じゃない…ので、これを実感として連想すると、若い男子が30kg担いでいても、トレーニングの意味に成立していないかもしれないです。

ただ一つ言えることがあります。山は絶対値なので、もし冬山に行くなら、だれでも、自分の寝食を担いで二日間は歩けるくらいの自分を守る力は必要だ、ということです。

私は厳冬期北アは行かないのですが、それは、厳冬期の北アの標高差とか行動時間をこなせないからではなく、もし天候が荒れて缶詰めになったとき、一週間程度生き延びる力が自分にあるかというとないなーと思うからです。 いくら体脂肪あっても。

北アはお天気の読みに本当に経験がいります。お天気を読めるようになるには、やっぱり山に行くしかない…となると、自分でも行ける、そう深くない山を探すことになります。

ということで、上高地くらいは行きますし、アプローチ近いアイスとかは興味がありますが…。そうなると、体力ではなく、技術力の山ってわけで、難しいんですよね。

なので、私の今の課題は、体力増進ってよりは、技術のアップなので、フリーとかドライとか頑張るって話になるわけですが、そのプロセスで、すでにある、私の年齢にしては、平均的と言われている体力を失わない、ということも大切になってくるので、

スプーンの油を落とさないようにしながら歩く

という『アルケミスト』のセリフを思い出すわけですね(笑)。