Wednesday, June 8, 2016

反省の多い沢山行

これはかつての会山行記録だが、必要がでてきたので、再録。

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■反省の多い沢 ヒヤリハットが武勇伝になっていないか?

この沢はヒルの巣窟で有名だ。北面の沢でゴルジュ。昼でも暗く、雨の日は寒い。遡行してみると、直登が多い沢で初心者も大満足、というガイドブックのふれこみは、なるほど、と言う感じだった。易しい滝の直登が続く。シャワークライミングだ。ずぶぬれで楽しい。雨のち曇りで寒い日だったので、薄着のKさんとI川さんは寒そうだった。

この沢の核心部は、ゴルジュF9から先だ。計画担当者がよこしてきたガイドブックにそう書いてあった。F9、25mほどのトイ状滝でスタート。ここは樋で、水流の中は段々になっていたが、上部ではステミングが必要だった。「初心者同行の場合はロープを出せ」とそのガイドブックには書いてあった。つまり、この滝では安全管理のためにロープを出す。そうでなければ、15mの人工壁は、5.7ならロープはイラナイことになってしまう。"初心者同行の場合は"と書いてあるケースは、大抵の場合、不意のスリップに備えろ、という意味だ。初心者は良く落ちる。それは登攀力の問題ではなく、沢靴のフリクションをまだ完全に分かっていないからだ。今回は沢の完全初心者は2名だった。ちなみに私自身も、まだ初心者の域を出ない。講習会を合わせ、沢山行は10回を越えた程度だ。

しかし、その易しいF9で、問題発生。沢初心者のトップがフリーソロして、ザイルをザックに入れて上がってしまったのだ。ザイルを出すか?出さないか?の判断をするタイミングは滝下だということを、まだ理解していない初心者であることが露呈した格好だ。

行ってしまった後で「しまったなあ…」と思ったが、もう遅かった。ザイルの要・不要を判断するのが、滝を登る前だということや、後続の確保について、まだ理解していない人だということは、前に一緒に行った別の山行で、薄々分かっていたのに、うっかり行かせてしまった。そこで、リーダーのKさんにセカンドで登るよう依頼した(私がセカンドだったが怖くて登れない)。

トップは、F9を上り詰めて、ザイルを投げようとしていたが、25mトイは寝ている。つまり、距離がある。つまり、投げても届かない。そんなことは、下から見ればすぐわかることだ。

このような場合、普通は登ってから投げるということはない。そのやり方で良く出すのは、お助け紐。一歩とか二歩の悪場を後続が効率よく切り抜けるのに出す、という話だ。

F9は登攀は易しいが高く、そういう場所ではない。セカンドで登ったベテラン、Kさんによると、ハーケンの中間支点が途中にあったそうだ。リードされているということだ。

そういうわけでザックに入れて行ってしまったトップは、上からザイルを投げているが、一向に届かない。「ロープが来ないんだけど~」とセカンドのKさんもが業を煮やし、フリーソロで登ってしまった。何やってんだ!という訳だ。なかなかロープは滝下まで降りてこない。

結果的に、私は3番だったのだが、「仕方ないな~」と思い、ロープ末端を引っ張って滝下に降ろそう、そう思って、4、5m登った。ロープに手が届くところが、4~5m上だったので、その程度の高さなら…と思ったからだ。ところが、ロープを引いて降ろそうとすると、引っ張る!何をやっているんだ?!「ひっぱるなー!」と叫ぶが、トップはニコニコしていて、何も分かっていないようだ。「もう一体何やってんの!」と腹が立つが、Kさんが登り切って、その状態を解消してくれたようだ。ロープは引かれなくなった。が、それでも、ロープは十分滝下までは降りていなかった。

ザイルが十分な長さ降りてこなかったので、その場から降りることもできない。仕方ないので、その場所でタイブロックをセットした。後続のI川さんも同じ。その間にも、下にラストはアンザイレンするように叫ぶ。が、滝の音で声が届かない。I川さんと私は、タイブロックで登ることになっており、下で登攀方法を確認した。その様子や会話を聞けば、登攀の方式は、自動的にアセンダー方式であると理解できるが、今回はラストは初心者(3年目)だった。

ロープが降りてきてから、教えればよいと思っていたが、ロープ末端を求めて、上に来てしまい、しかも、もう下りれない。これもしまったな…と思った。私がラストで行っておけば、問題がなかったが、時すでに遅し・・・。ただ順序的には、アセンダー方式の登攀では、ラストがもっとも安全なポジションになる。だから順序は間違っていない。ただそれは普通にアンザイレンしてくれている状態での話。

セットしながら、「ラストはエイトノットでアンザイレンして~」と何度か叫んだが、滝の中にいる状態なので、声がかき消され、聞こえないらしい。声が届かないというのは、沢では普通のことだ。だから意思疎通は、声が聞こえる場所で、つまり滝の下で済ませておくことが大事だ。

ラストは、3年目の人だが、まだクライミングシステムを分かっていないので、アンザイレンして、3、4番が登りきったところで、やっと自分の登る番が来る、ということが分かっていないだろう…だが、クライムダウンして教えるには、ザイルが十分な長さ降りていない。今降りるとロープ無しのクライムダウンになる。そこはロープ無で降りるには、危険が大きすぎるところだった。仕方がない。

セカンドでKさんに行ってもらって良かった。トップは多人数での登攀方法を分かっていないのではないか…という予想は、的中していた。25mのF9トイの2段目は内面登攀で、少しいやらしいところがあった。後で読んだ記録によると、25歳の若い男性が、ここでどうしてよいか分からなくなり、フリーズしている。そのパーティの後続の40歳の男性は、どういうわけか、手だけで足ブラになってしまったそうだ。沢でフリーみたいに、手で登る登攀なんてありえない。非常に危険だ。

もちろん、こうした記録は後で知ったことで、この時は、私は初見だから、何も知らない。ただこの滝で自分とパーティが好ましくない状況に陥っているということは分かっていた。私はタイブロックを使ってプルージック登攀しているのに、末端のザイルが適度に引かれていないせいで、両手を開けてロープを張り、タイブロックを移動させなければならなかった。そのため、不必要に登攀の難易度を高くしてしまっていた。

2段目は立っていて、ずぶぬれ。スタンスは見えない。後続のI川さんも同じ目に遭っていた。フリーソロするより、大変になっている(汗)。I川さんは御年71歳の今でも、5.10Aをオンサイトする能力がある。私より登攀力は上だ。私は、最近小川山で半身が入る程度のクラックやってきた…その時は、大変すぎて、びっくりしたのだが、今、謎が解けた。神様はこのような登攀に備えさせようとしたに違いない。登攀は難しくないとはいえ、両手を空けないといけなかったからだ。

しかも、上がってみたら、立木に支点を取ってあるだけで、バックアップなし。まぁ、しっかりした立木だったし、Kさんは、すでに登り始めている後続のために、焦って急いで支点を作ったと思うので、仕方がない。が、上に二人もいるのだから、手が空いているほうが気を効かせ、スリングでバックアップを取るくらい出来たはずだ。

つまり、この登攀は、安全管理不在。後続への思いやり不在。実際フリーソロより、フォローの登攀が大変になっている。

ラストは、心配した通り、アンザイレンしないで登ってきた。それもI川さんにツメツメで。上が墜ちたら、自分も巻き込まれて、墜ちてしまうことを分かっているのだろうか?しかも、上の人はスリップしても、ロープでつながっているから、墜ちても大した距離は落ちれないが、アンザイレンしていないと、25m下の滝下まで落ちれてしまう。とはいっても、その場では、もう時すでに遅く、フリーソロするのが両手が使えて一番安全、という状況だった。両手があけれるということは、これはアンザイレンしてくれても同じだ。

このF9の登攀は完全に失態だ。単純に誰にもスリップが起らなかったことがラッキーだったに過ぎない。3人はフリーソロしたから、スリップしたら大怪我を免れない。私とI川さんは登攀グレード、ワンランクアップだった。

次のF10は立っている滝だった。すると、トップがまたしても同じことを繰り返す。前のF9の経験から何も学んでいないらしい。またしても、ザイルなしで取り付いて、しかも2手目くらいで墜ちている。

さすがに今回は、いつも柔和なKさんも異議申し立てをしていた。もっとしっかり叱ってやってほしい。本人のためにならないだけでなく、周りにも迷惑だ。こんな一か八か登山は、遭難がほとんどないことを誇る、当会にはふさわしくない。

この山行では、判断そのものを欠いていた。こんな行き当たりばったりの、危なっかしいクライミングには、付き合っていられない。F10は立っているので、一目見て、さっさと巻くことに私は自分で決定した。男性たちは登りたいらしい。が、どう見ても水量が多く、短いが、立っていてホールドが見えない。トップロープだろう。リードはないなと、一目でわかる滝だった。だから、I川さんが上がってくるときに、「ロープを持って行ってほしかったら、持って行ってあげるよ」と、下に声を掛けてもらった。しかし、下では意見を交換中らしく、聞く耳もたず。待っていられず、私とI川さんは上がってしまった。男性同士で決めればよい。しかし、パーティ行動は、最も弱い者に合わせるという基本原則はどうなったんだ?

Kさんがリードすることになったように見えた。しかし、下の二人のビレイでは、大丈夫だろうか?との不安がぬぐえない。この不安は根拠のない不安ではない。人工壁だが、リードでビレイしてもらった時に、ロープの繰り出しが遅く、私はひっぱり落とされそうになったことがあった。その後、もう一度、彼のビレイでリードしようとしたら、固辞されたため、彼のビレイで再度リードクライミングしたことはない。あれ以降、ビレイ経験を積んだのかどうか?の確認は取れていない。もう一人は、まだクライミング経験が浅く、外岩でのリードの墜落を止めた経験があるか不明だ。一般常識として、そのような不確実なビレイの元では、クライマーは、普通に登れるところも登れなくなるだろう。

少しでもリードクライマーの助けにするため、I川さんと滝上に上がってから、二人分のスリングを全部合わせてフィックスを作った。滝の落ち口は大変なことが多いからだ。

帰ってから調べて分かったことだが、ここの落ち口では、30代の男性がセミになっていた。つまり、動けなくなり(登れなくなり)、上からザイルを投げてもらっていた。また、ネットに事故例が上がっていた。頭骨、腰椎突起の骨折と、右足靭帯の損傷で全治二か月。年に1、2回、遭難騒ぎを起こしている滝だった。ガイドブックには、”ゴルジュ上部を塞ぐ美滝。直登は少し難しい。不安なら左側から小さく巻ける”としか書かれていない。実際は”少し難しい”どころではない。遭難事故まで起っているのだ。慣れない人は、落ち口でホールドが見つけられないようだ。少なくとも、初心者がフリーソロで行くところではない。そんなことは事故情報を知らなくても見れば分かる。

結局、しばらくたって男性たちも巻いてきた。懸命な判断だと思う。その後は、垂直に立った滝F11が出てきたが、問答無用で巻き決定。この滝はガイドブックにも、落ち口がきわめて難しいと書いてある。ただトップロープにすれば、岩は段々になっていて、足で登れそうだった。

今回の沢は、失敗の記録だ。沢は、尾根や岩のゲレンデより危険が大きい。遭難した場合、岩場のゲレンデは安全圏に近く、救急車が来れる。北アの尾根なら、即ヘリでピックアップされる可能性が高い。しかし、沢にはそうした救助は、期待しづらい。まず尾根より圧倒的に携帯電話がつながらない。また、携帯が入るところまで尾根を登って救助を呼んだとしても、事故者が沢の中では、ヘリでピックアップできない。尾根まで担ぎ上げなければならないが、それができるのか?体が大きい人は、自分が事故を起こしたとき、周囲の人への負担が大きいことを自覚しておいてほしい。75kg以上の人はクライミング山行はお断りと、あの山田哲哉ガイドさえ、HPに明記しているくらいだ。その理由はレスキューできないためだ。軽い人より、重い人のほうが、レスキューになった場合、より困難なのは、道理でしかない。たとえ軽くて、担ぎ上げられる体重の人であっても、人間一人を尾根まで担いで上がるのは大変だ。日本では夜間救援は行われない。そのため、一旦遭難となると、ビバークになってしまうことが沢では多い。事故記録では実際そうなっていた。

当会は、今のとこKさん、Nさん、KWさんを除いて全員が初心者だ。ロープを出す練習は、登攀が易しいところからスタートするほかない。易しい箇所で出せないロープが、より難しい箇所で出せるはずないからだ。

登攀方式は、沢には、大体3つある。1)普通のリードフォローの確保をしては、ロープを投げるを繰り返す。2)ピストン方式。3)アセンダー方式。どの方式で登るか、あらかじめ、滝下で相談してから、登り始める。これが大事な点だ。メンバーは、複数いるのだから、きちんと全員が理解していないといけない。1)は2名ならいいが人数が多い場合、時間がかかり、傾斜が寝ている滝では、投げても当然、引っかかる。垂直にのみ有効。2)は1)を改善したもので、ロープが2本必要。今回はロープは一本しか持ってきていない。3)は落ちて降られたときに、水流に停滞すると窒息死の危険がある。水流の中の登攀には向かない。今回のF9は登攀は易しく、テンションの必要はないので、3)で良かった。(出典:『沢登り 入門&ガイド』トマの風)

今回のようなヒヤリハットを決して武勇伝にしてはいけない。安全管理とクライミング能力は別個の能力であり、安全管理不在のクライミングは無謀でしかないことを肝に銘じるべきだ。

山岳会は、無料の登山学校ではない。会員一人一人自らが主体的に学ぶという姿勢がなく、”教えてくれない”では、話にならない。主体的な学びとは失敗から学ぶことだ。つまり、今回の事例をきっちり自分の反省として取り込んでいくことが山岳会による教育の実態だ。沢登りの本を一冊読んでいるくらいは仲間を危険に陥れないための、一人一人の最低限のマナーであり、まして自分が計画担当の場合は特にそうだ。山は危険である、というところからスタートし、自分の命にも相手の命にも責任感を強く持ってほしい。

余談かもしれないが、今回は計画段階で、”ザイル不要”という情報が流れた。それは別のガイドブックの記載であり、計画担当者の提示したルートガイドでは、30mザイルの携帯は”基本装備”に含まれていた。沢の講習会など正式な教育的山行を受講していない人に対しては、計画段階から先輩のきっちりした監視の目を入れてほしい。メンバーシップを発揮したくないと言っているのではなく、入会2年目の私のような新人よりも、ベテランの方がよりそうしたチェックの目が的確で合って当然だと思うからだ。しかもどちらが言うほうが信頼性があるだろうか?

最後になったが、この失敗を教訓とし、今後のさらなる向上に生かしてほしいというのが、この文章の目的だ。

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参考サイト
http://www.asahi-net.or.jp/~bq9t-tkhm/sawanoboriki_reply.html
http://www.asahi-net.or.jp/~bq9t-tkhm/sawanoboriki.html

Tuesday, June 7, 2016

どうも核心は休みらしいという話

■ 黒戸尾根8時間 + 5.12

登山史に残るような登山をするという場合に、必要となる能力ですが・・・

黒戸尾根を8時間で登って降りてこれるような体力

 +

最低限 5.12はないとセカンドでもツライ

ということが分かるようになりました。・・・というか、教えてもらいました。


それで、そういう人は実は、一杯いそうなんですね。

先日、ロゲイニングの大会に出たら・・・優勝者の6時間の移動距離は、累積標高3300m、移動距離60km。

登山では考えれないですね~。だって、3300m÷6時間=550m/h ですからね。

でも、標高差2200mの黒戸尾根は、2200÷550=4時間で登れちゃう計算になりますよね。

下りは半分しかかからないし。

クライミングに関しては、最近の人なら、一年で5.12が登れる人もいるのだそうです。

■ 成長

登山は、だいたい皆、大学くらいでスタートするようです。人間なら誰でも20代で体力のピークになりますが、登山に必要な筋力など体力面は、巧緻性などもあるので、その後も実用面上、伸び続け、みなの話によると、50代まで伸びるのだそうです。

ピークの高さは個人差があれど、50代までは登山者として成長局面にあるらしいです。

重い荷物を背負うなどと登攀の安全性、そして、危険認知力のトータルバランスがいいの、40代後半~50代後半だそうです。

実際、統計上も、男性クライマーは20代は死亡率が高く、50代が一番少なく、そして定年後に跳ね上がります。女性で一番遭難が少ないのは40代です。

■ いっぱいいそうなんですけどね

ロゲイニングの大会では、強い人一杯いそうでしたし・・・

ジムにいけば、5.12代の人はいっぱいいますし・・・

じゃなんでアルパイン人口はいなんですかね~?!ってことになるんですが・・・

基本的に山に行く休みが取れない ってのが、根本にあるようです。

一か月の連続した休みが取れない。

あるいは、休んでもいいのだが、そうすると首になり、再就職先がない。

とまぁこういう具合。

核心は、職業の選択って話でした。そう、そもそも、山に行く時間がないと山に行けないのです。

時間さえあれば、もしかして、黒戸尾根8時間で、5.12を登れる人には限りない地平線がひろがっているのかもしれません。(ちょんぼして死ななければ)

読了 『オオカミがいないとなぜうさぎが滅びるのか?』

■ 生態系の本

『オオカミがいないとなぜうさぎが滅びるのか?』と題される本を読んだ。


面白かったという感想を聞いたからだ。

■ 驚いた!

読んでみると、生態系についての、あるいは人類の帰し方行く末についての、バランスのとれた意見が書いてある本だった。

ただ、この本、どうしてオオカミがいないとなぜうさぎが滅びるのか?については、なんど見返しても書いていない・・・(汗)

私は週に10冊くらい本を読む。読み方はこうだ。

 1)タイトルを頭に入れる タイトルはつまり、本の究極の要約であることが定石だからだ。

 2)目次を読む 目次から大体の内容を推測する

 3)推測と異なる箇所を読む

まず1冊の本の全体像を入れてから、読むのがコツで、最初から最後まで順繰りに読む、という読み方は、小説を読むときなどには向いているが、例えば卒論を書くには向かない。

それで、ともかく、「答えがかいてないな」ということで、アマゾンの書評を見たわけだ。

すると・・・この本の酷評がズラリ(笑)。 驚いた。

■ イエローストーンの成功

基本的にオオカミ導入論は根強い。イエローストーンでの成功例が後押ししているようだ。

でも、イエローストーンでの1成功例をもって、他にも適用できると考えるのは、人間の短視眼でしかないだろう。

まぁ、この本、実際、オオカミ導入論については、

「日本中の鹿を押さえようと思ったら、何頭オオカミが必要だと思うんだ!」

という単純な言葉で一括却下している・・・。まぁ、私自身はオオカミ導入論には反対だから、いいのだけれど。(反対の理由は違う。)

なんとも大雑把だなという感じが否めないし、この本はむしろ生態系概論的な、生物多様性の講座でも大学で取っている人が副読書で読んだらいいような内容だった。

■ 自然にとっては人間は必要ではない

山に行くと、人間のちっぽけさを感じる。感じない人はいないだろう・・・。

人間がどうこうして、自然をコントロールしようなどと、そう思うこと自体が、傲慢なのだ・・・そう思わない人はいないのではないだろうか?

・・・結局、人間には自然が必要だが、自然には人間は必要ない。

人間は自然に依存しており、自立していない。自然は人間から完全に自立している。

■ 自然は常に正しく、人間は常に間違いを多く含む

ので、自然が起こしていることは、すべて正しい。起こるべくして起こることしか起らない。

一方、人間の側は、自分がした行い(例:オオカミ根絶)が、どういう結果になるのか?の因果関係について、まったく乏しい知見しかもたない。

人間は、原子力廃棄物を貯め続けることはできるが、それらが自分たちにどういう結果を与えるのか、全体像を理解できない。

人間は、巨大ダムの影響を完全には理解できない。

人間は、治水の影響を完全には理解できない。

ので、結局、やってしまった後で(原因)、こまったね~どうしようかね~と言うことになっている。

でも、前提は変わらない。自然は正しいことしか起こさず、人間の方が間違う。

■ 人間には理解できない

まぁその自然が起こした正しいこと、が人間の都合に悪い、ってのが基本的問題なんだが(笑)。

じゃ、原因と結果の因果関係が分かっていないことは、やらなければいいのでは?

と誰だって思う。(でしょう?)

思うんだが、人類の歴史は基本的に、

”原因と結果の因果関係が分かってないんだけど、作っちゃった”、という、基本、”できちゃった婚”みたいな路線で成り立っている。

やってみて、”えーい、ままよ”と行い、”あれ~どうする~?”というのが基本だ。

まぁ、そうでなくては、世界地図も作られなかったし、飛行機は飛ばなかったし、月へも行っていない。

そうでなくては、いまだに人類は、地球の周りを星が回っていると考えていたかもしれない。

■ いらんことしたね

でもまぁ、オオカミに関しては、いらんことしたね~というのは明らかだろう。

でも、もう日本にはオオカミはいない。だから、元の状態には戻せない。

ついでに言えば、元に戻さないのであれば、結果がどうなるかは、またまた人間の理解の範疇外である。

ブラックバスが日本の魚を駆逐したみたいになるのか?それも分からない。

ワカラナイのであれば、やらない方がいいのでは?というのが、私の意見だ。

でも、一方で、やりたい人がやりたければ、やればいいのでは?とも思う。

そんなことに時間を使って口角に泡を飛ばしている時間の方が無駄だ。

どっちに転んでも、自然は自然であり、偉大である。

■ 分からないことを巡って争う

自然に関しては、人間には分からないことが多い。

昔の山の本を読むと、うさぎがたくさんいて、迷惑がられている。昔の山は、禿げ山で、野原が多かったから、うさぎが多かった。今は森になってしまって、家がなく、うさぎは減った。森林蓄積は戦後最大だ。

社会的にみると、うさぎについて文句を言うか、鹿について文句をいうか、どちらも大差ないかもしれない。

森林蓄積については戦後最大だ。自然保護活動家は木を植えろと言う・・・。もう戦後最大なんですけど?




■ 結局、私欲?

というわけで、この分野は、結構、水掛け論が多い。ので、あんまりどうすべきか?を議論しても仕方がない。

鹿が増えて何が困るのか? 

高山植物が食い荒らされて困るなら、高山植物のほうを保護すればよい。

原因である鹿をたたいていたら、因果関係が分からないので、他に被害が出るのだから。

実際、何が損失なのか?と考え、損失を最小化するほうが、原因をたたいて、新たな問題を作り出すより良い。

なにより、これは自然界のやり方に似ている。殺虫剤がまかれれば、耐性を付ける。対症療法だ。

■ 根本的解決は人類がいなくなることなんですが・・・

そもそも、なぜ人類は、自然と対峙した時だけ、根本的解決を求めるのだろう?

もしかして、根本的に改めなくてはいけないのは、人類自体の存在かもしれないのに?

■ ヨガの教え

というわけで、環境問題やエコロジー、生物多様性については、徒労感が否めない。

んだが、ヨガではそれでも、アルジェナに戦えと言っている。

何が正しいかとか、誰が正しいかとか、やりあうのは一種の戦いだ。

というので、やりあったらいいのだけど、議論の土台がみなマチマチだから、まるで違う言語をしゃべっているように議論はまとまらない。

ということは、こうしたことを考えることが他の余計なこと・・・たとえば、”浮気したい”とか・・・を考えないで済むように議題が提供されている、と言う程度のことなのかもしれない。

考えてみれば、浮気したい、浮気したいと頭でグルグルしている人が、実際に踏み切ってしまって起こす人生への影響と、オオカミを導入すべきだと言って隣の人と喧嘩でもしている人の人生への影響は比較にならないはずだからだ。

最後はシニカルな締めになりましたね~ すみません。

まぁオオカミ議論を吹っかけてくるおじさんのほうがましと言う話です。

Sunday, June 5, 2016

登山のリスク判断について易しく解説できるかチャレンジしてみました

■ 遭難をなくすには?

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 一度経験した山での事象から、次に起こり得ることを予測すること。

 さらに対応する手段を想像すること。

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これはどういうことでしょうか?

この言葉は、大変難しく、抽象化されています。

一般原則として、言葉にまとめると、抽象化せざるをえません。

これを理解して、自分の山に適用するのは、現代の人にはむずかしいのかもしれません。

■ 具体例で考えましょう その①

例えば、Aさんと一度山を歩いたとき、

 標高差750mを一日8時間では歩けなかった

という ”事象” があるとしましょう。

 ”Aさんは、標準コースタイムで歩ける足がない” と結論できるでしょうか?証拠が不十分です。

しかし、X山も、Y山も、Z山も、Aさんが標準コースタイムで歩けていないとすれば?

 ”Aさんは、標準コースタイムで歩ける足がない” 

というのは予想できる事実です。これには、帰納法を使っています。

■ 〇△□山のリスクを判断するには?

では、標高差1500mの〇△□山をAさんは、日暮前に歩けるでしょうか?

それは厳しいということが分かります。

これには、演繹法を使います。

Aさんは、X山も、Y山も、Z山も標準コースタイムで歩けない、しかるに、〇△□山も歩けない。

■ 対策を考える

では、Aさんが、〇△□山を安全に歩くにはどうしたらよいでしょうか?

  1泊二日なおかつ早立ち もしくは 2泊3日

が必要です。2泊にすると、荷物が増えて重くなるので歩くのはさらに遅くなります。

一方、1泊二日にすると、早立ちができないと時間内に歩きとおせません。

とすると、標高差1500mの〇△□山ではなく、標高差1200mの△△△山を1泊二日とすると、歩きとおせる見込みがでることになります。 一日当たりの標高差が600m程度だからです。

■ 帰納法+演繹方

山のリスクを判断するには、1つの山の経験から、帰納法を用いて、推論を行い、得た推論を次の山に行くときは、演繹法で適用しないといけません。

簡単にいうと、

 「1を聞いて10を知る」

ということです。

推論と言うのは、人によってブレがあります。事実でないことを推論の根拠にする人もいます。

例えば、Aさんが信心深いとします。X山では、お守りをもっていなかった、Y山でもお守りをもっていなかった、〇△□山のときは持っていく、だから大丈夫、などです。

このように、推論の根拠に、とんでもないものを持ってくると、得られる推論はゆがみます。

■ 少し複雑な事例 その②

これは私が体験した事例です。

(事象1)
A沢に行った時です。「1級の沢だからロープはイラナイ」と判断し、山行計画者のSさんは、ロープを用意していませんでした。

(事象2)
Sさんは、私が彼をジョウゴ沢のアイス・クライミングに誘った時も、共同装備としてロープを指定したにも関わらず、持ってきていませんでした。ビーコンは購入して持参したにも関わらずです。

この行為の根基にある思想は何でしょうか?(帰納法適用) 

(推論1) Sさんは、易しければロープを付けなくて良いと考えているのではないか?

さて、ここから、演繹法です。

この誤解を私が解いてやれるか?やれません。実際すでにミスは指摘していますが、直していないことから、事実として浮上しています。

となると、私ができることはSさんのミスをカバーすることだけです。実際、2度とも、私が個人所有のロープを持参して、Sさんのミスをカバーしています。 

Sさんの、この考え違いが正される可能性があるか?というと不可能です。

なぜなら、Sさんへアドバイスできる立場の者が、アドバイスを与えることを拒んでいるという別の事象があるからです。 (事象)

おそらく、私が彼のミスをカバーしてやっているということ自体も、気が付いていないでしょう・・・。(推論)
ということは、どういうことか?(帰納法)

私はSさんと登る限り、易しいからロープイラナイよね、という思想の中で、永遠に登らなくてはならなくなります。また、永遠にSさんのミスをカバーし続けなくてはならなくなります。

■ 個人の判断の領域

したがって、私はSさんと登るべきか登らざるべきか?

ここからは、個人の選択の問題です。

・Sさんは、毎回ミスをカバーしてやっても良いほど、魅力的な登山者である YES/NO

・ミスをカバーしてやれなかったときに、自分自身に死などの不利益があっても、Sさんと山に行きたい YES/NO

これらが個人に問われる問いになります(笑)

私には、どちらも Noでした。 YESになるほどの山ヤっているんですかね???

■ 具体例3

あるパーティで、暗くなってしまった時に、ずいぶん、しりもちをつく人がいました。

おそらく、老眼が始まると、目が見えず、普段の脚力が発揮できないのでしょう・・・

この場合、午後遅い時間帯、ヘッデンでの下山などを避けるべきです。ということは、”1を聞いて10を知る”というほどの大きな知的チャレンジではないでしょう。誰だって分かります。

しかし、この方は、暗くなってからの山歩きを繰り返した前歴があるのだそうです。私と歩いたときも、暗くなるのを分かっていて、秋山の稜線に14時でもなかなか下山開始せず、焦らさせれました。

分かっちゃいるけどやめられない~という人は、山ではダメです・・・

 ・危ない、危ないと言われると面白くない

 ・下山遅れは、山行の失敗ではない

 ・分かっちゃいるけど、やっぱり、暗闇で歩くスリルを楽しみたい 

は、感情論です。 人間は感情の生き物ですから、感情が大事であることは私も否定しません。

しかし、(重大事故で死ぬこと)と、(感情)を天秤に掛けたら、(感情)という些細な価値を大事にして、より(大事な命)を落としたくないですね。感情とは一時のものです。

ちっぽけな何かのために、大事な命を落とすことを、犬死、と言います。

犬死したいか?したくないか?

は、個人の価値観の問題です。生死は個人の生き方そのものです。

最後は、結局は、このように個人の選択の問題です。

したがって、個人の選択の問題であるからには、他人が敷いたレールの上しか歩いたことのないような人にとっては、選択肢に直面すること、そのものが厳しいものです。

あなたはどうしますか?という問いに、皆さんと合わせます、リーダーに一任します、という答えは、完全なる自己責任の放棄です。

山は自己責任、ですから、自己責任を放棄する人には、そもそも登山はあまりあっている活動とは言えません。

人のふんどしで相撲を取るような登山が面白いのは、初心者の1回目の山だけです。

登山の面白さは、自分でリスクを引き受け、引き受けられるリスクの量がどれくらいか、自分で慎重に判断し、なおかつ、それが成立する、と言うことにあります。

最後は期せずして、登山論になってしまいました・・・(^^;)

登山でのリスク回避について、考える力がどれほど大事かということが、分かりやすく解説できていると良いのですが・・・。



山を見るとはどういうことか?

■ 危ないクライマーとは

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「危ない」クライマーとは 山にいて山が見えない人。山を理解できない人。

危険なことやっていても、危険を認識できない人。クライマーとしては致命的です」。

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これは、岳人備忘録の山野井さんの言葉です。

私としては激しく納得するのですが・・・

ただ・・・ 表現がポエティックすぎます・・・。

  山が見えるとはどういうことか? 
 
  山を理解するとはどういうことか?


これでは、最近の人には、?????・・・(エンドレス)となってしまうのかもしれません。

そこがベテランの話はきちんと意味をかみ砕いて 教えてやらないといけないところです。

あるいは、教わる側は、「山が見えるとはどういうことだろう?」と問題意識を持たないといけないところです・・・

■例

夫は、”落石注意”と書いてある、看板の前で立ち止まって写真を撮ろうとしてしまいます。

分かりますよね?

落石注意って 要するに、そこでは落石の可能性があるよ、って意味です。

つまり、立ち止まらずにさっさと通行してね、って意味です。

でも、夫は、そこで写真撮影始めちゃうんですよね・・・(^^;)

イマドキの人には、「落石があるため、立ち止まらないでください」と書かないといけないのかも?

昔の人は、先生が「今日は暑いな~」と言えば、黙って窓を開けたらしいです。それが気が利く、という意味でした。

京都の人は、「お茶漬けでもいかがですか?」と言われたら、退席しないといけないのだそうです・・・これは全く違う意味でしたね(笑)。

しかし、山では、行為から意味を読み取る能力が、特段たくさん必要です。

■ 嘆いても仕方ない

こうした情報を受け取る側のアンテナ感度の低さは、「登山者のレベルが下がった」などと、嘆かれることが多いです。

しかし、コミュニケーションの成否は受け取り手が決めるもの。状況の悪化を嘆くよりも、対策をした方が合理的です。

例えば、ロゲイニングの大会に出たら、こんなことが書いてありました。

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競技上の注意点

  ・安全は自分たちで守る

  ・周囲への配慮  ゴミを捨てない 花や木を取らない むやみにトレイルを外れない

  ・人への配慮  人の敷地内には入らない、挨拶をしよう、危急時はレスキューを優先する

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小学生か!というような内容ですね。

でも、一般に新聞は、小学六年生でも理解でき読めることを基準に書かれます。

新聞が期待する読解力レベルが、小学六年生なのですから、山でも、そこが基準になる、と思うべきでしょう。

昔は、登山は大学でのエリートだけのものでした。現在は登山は大衆化し、誰にでも楽しめるものとされています。

それでも、アルパインクライミングの場合は、大衆化した一般レベルより、上の知的素養が必要です。

が・・・

  ”山が見える”とはなんですか?

  ”山を理解する”とはどういうことですか?

こんな質問に答えようとすれば、一冊の本が書けてしまっても不思議ではありません。

しかも、登山とは、この質問に一生をかけて答えを出す活動です。

なおかつ、答えは、千差万別、十人十色です。

だからこと、岳人備忘録という書籍が成立します。

■ 結論

というわけで、危険認知とはこういうことですよ!と

 ・具体的

 ・なおかつ、10人いれば10人同じ回答が出せるような説明

が、登山の世界では求められていると思われます。