Sunday, April 21, 2019

デイビッド・ラマの訃報




スポーツクライミングからアルパインへ進化したクライマーの訃報が入ってきました。デイビッド・ラマ氏です。かっこいいクライマーでした。雪崩だそうです。

April 16,2019 David Lama, Hansjœrg Auer and Jess Roskelley, shining stars of the purest alpine style, were trying to repeat this difficult route in Canada, but a huge avalanche took away them from this World.

https://www.nationalgeographic.com/adventure/2019/04/climber-david-lama-dies-in-avalanche/

心よりお悔やみを申し上げます。

Tuesday, April 16, 2019

ヘルメット要る?イラナイ?

■ヘルメット要る?イラナイ?

ヘルメットはクライミングする限り、どのようなクライミングにも必要です。

例えボルダリングであっても(ボルダリングではヘルメットしないのが普通です)が、本質的には、ランディング時に後頭部をぶつける可能性があるところでは、必要です。ただ、現在、慣習上、しないことになっています。

大体、自分の子どもにクライミングさせるとしたらどうするか?を想像すると、正解が導き出せます。

■ フリー

ヘルメットは、フリークライミングで初期のころに始めた人たち、ヨセミテ派?ボトムアップで登るクライミングしかしない人たちは、しないことが多いです。

これは、墜落がそもそも、ラッペルダウンルートと違って頻繁ではないためと想像できます。しかし、ラッペルのルートでも、被らないクライマーも多いですが、これは逆に大空間があれば、そして墜落をコントロールしているならば、ラッペルのルートのほうが逆に安全だからです。空中にぶらんとなるだけなので。

という事情で、フリーでは被らない派が50%を超えていると思われます。

ヘルメットの要・不要は、一つには、ルートの傾斜によります。寝ていたり、垂直ならばロープテンションで、墜落時は、頭を含む体のどこかを必ずぶつけます。ハングしたルートならば、ビレイヤーが上手ならば、どこにもぶつけないことが多いです。

あとは、ルートのもろさ、ラクが考慮する要素です。

またどれだけ墜落を予想できるか?は、クライマーが落ちそうと感じるか感じないか?によります。

■ 落石

逆にアルパインの人は、ヘルメットを被るのは、落石が当然であるアルパインルートでは、常識です。沢も同様です。

■ あえてしない人 = ただのアピールです

逆に敢えてしない人もいます。この場合は、無理強いはしていません。

というのは、自尊心、も大きな問題で、おれは死をこわがっていないぞ、というジェスチャーをその人がしたいのであれば、してよいと思うからです。

たとえば、私の知っている山やさんで沢でもヘルメットしない人がいますが、一緒に行った初めての沢で、彼の頭の横を落石が通り過ぎていました。上を小動物が通ったためです。

それでもしない。ので、個人の選択の問題です。

■ 落とさない登り

アイスも同様で、アイスでは必ずラクがありますが、本来はアイスはラクを作らないように、氷を丁寧に扱って登ります。落氷は、コントロールできる、というわけです。

それのアピールのために被らない人もいます。

私はバイザー付きのヘルメットで目を保護しています。それでも、顔を切ることは頻繁です。小さい落はしょっちゅうだからですね。

■ 人工壁

人工壁なら、ヘルメット不要かというと、ドライでは人工壁でもヘルメットを被ります。

というのは、人工でも、アックスが自分に降ってくる可能性は否めないからです。アックスは手を離れたら、ただの凶器です。

ヘルメットいるかな?と初めて行くルートの時は思うと思いますが、そういう場合は、ルートを見るまでは、持っていくほうを選ぶとよいと思います。

■ 私の場合

私の場合は、外岩は、トップロープで、ラクがない場合は被らない。リードで、ギリギリグレードにチャレンジする場合は被る。

インスボンでは、セカンドしかしておらず、インスボンは一つの大きな岩山なんで、ラクはほぼないですが、被っていました。

セカンドでも、上のクライマーが重いと墜落時に上に引っ張り上げられたときに頭が何かに激突する、という可能性はあります。

このようにヘルメットを被るか被らないかだけでも、考慮するリスク要因はたくさんあります。

Sunday, April 14, 2019

ヨセミテのクライミング解説

エルキャップフリーソロのオノルド君とドーンウォールのフリーでのトミー・コードウェル・・・どちらも凄いですが、そのすごさが分かりにくいのが現代の事情です。

そのすごさを一般の人にも分かるように解説している解説が出ましたので、お知らせします。

http://cliff.world.coocan.jp/topics/topics.htm?fbclid=IwAR28F0l3qKZ_tPqaV75l215tPGOBPK0bXPDB83uo16hT-4ApVV8LlUDqJoY

Tuesday, April 9, 2019

Mountain - Official Trailer




この映画はDVDで家に買いたいくらいでした。山岳会に来た若い人に見せるべし。

1)登山の初期=山は神か魔物が住むところ=常人でない人が行くところ
2)なので、当時は、達成感以上に、そこへ行くということにある種の覚悟や崇高さがあった
3)ところが危険に対処していくうちに、山は冒険ではなくなった
4)山が劇場化した

5)リスクジャンキー=つららにドラツー。
6)リスクそのものに価値を見出してしまう倒錯者=フリーソロ。
7)美をまとった狂気=ベースジャンプ
8)エクストリームスキー滑降=自己愛と恍惚との引き換え=巨大ブランド宣伝&オンラインビューアップ宣伝
9)エベレスト=普通の人を一瞬だけ普通じゃなくしてくれる山=もはやクライミングでなく順番待ち…。

赤のところが 本質、です。

Monday, April 8, 2019

小松由佳さんの講演会が川口こども食堂であります


以前登っていたクライミングパートナーとのご縁で、小松由佳さんと繋がり、小松さんを川口子ども食堂をされている方にご紹介したところ、講演会の運びとなりました♪

山のシンクロニシティ、素晴らしい~♪

小松さんのご経歴を知らない山やは、モグリですね(笑)。現在は山では活動されていませんが、こちらに経歴があります。アエラ等にも記事を投稿されていらっしゃいます。



Sunday, April 7, 2019

クライミングは遊びです。命を大事にしましょう ー志賀の岩場

こんにちは。Kinnyです。

さて、登山やクライミングっていうのは、とっても楽しい遊びですが、どうも遊びという一線を越えて、なにか別のものをかけるのが、”正しい!それ以外は間違いだ!”と思ってしまう、残念な人が多い業界です。

かけているものの代表は…、ずばり   です。

俺の命なんだから勝手にさせろ~って言ったってね、人間は社会的動物です。一人で生きて一人で死んでいける世界には、そもそも住んでいないんですよ。

死んでから、「岩場が死亡事故で閉鎖になったんで、責任取ってください!」って、地元の岩場管理者に言われても、本人は死んでいるから、責任も取れないでしょう。

さて、このような回覧が回ってきました。よく読んでおいてください。

私が思うには、命知らずなクライミングをしたい人は、自分で開拓しましょう。そうすれば、開拓の苦労が分かります。大変なんですよ。

まぁ、そもそも、プリクリップが必要ないように、確保理論通りにボルトが打てればいいのですが、コスト面や労力を省く面、岩の質や形状の制限、などから、ガバ=ボルトと同等、みたいになってしまい、どうしてもランナウトが避けられないことがあります。

そういうケースでランナウトして落ちても、自己責任と言われます。その場合は

1)プリクリップする必要があると見極められる
2)絶対落ちない登攀力がある

のどちらかである必要があるでしょう。プリクリップをするクライマーを見下す習慣は改めましょう。

その程度の話で見下されまいと頑張って落ちて、怪我したくらいならまだしも、死んだって、他者の意見に左右される幼稚なクライマーだったというくらいのことにしかなりません。

おりしもフリーソロのアレックス君がもてはやされていますが、大学も辞めて通い詰めて自動化がもたらした快挙ですので。同じことができない人が安易にマネすることではないです。

ーーーーーーーーー引用ーーーーーーーーーーー

山岳地帯で行われるアルパインクライミングと違って、スポートクライミングの岩場の多くは人里からそう遠くない所に位置し、ときに地権者や集落の住民などとトラブルになることがある。駐車場問題や糞便の問題、また事故の発生による騒ぎなど。そうして立ち入り禁止になった岩場は数多くある。

そのため、岩場には得てしてローカルルールというのがある。駐車する場所のことや駐車料金の納め方、立ち入ってはいけない箇所、地元へのあいさつ等々。

佐久志賀の岩場にも当然ローカルルールがあり、かつての資料には「絶対に事故を起こさない」「守れなければ使用禁止」との記載もあるくらい事故にはシビアだった。僕らは事故の発生を恐れている。

岩場の「公開」は、ローカリズムに無理解なクライマーが来る可能性を孕んでいる。

よそから来るクライマーにとっては「A岩場が立ち入り禁止になったらB岩場へ行けばいい」くらいの感覚はもしかしたらあるかも知れない。

けれど考えて欲しい。地元のクライマーが地元の岩場を失うことの大きさを。それがどれだけ取り返しのつかない痛手であるかということを。

地元クライマーが大事に大事に守ってきた岩場が、よそから来たクライマーによって台無しにされてしまう可能性こそが「公開」のリスクである。地元クライマーの多くが心配していることくらいは心に止めて欲しい。

古い資料を見たら、プリクリップを推奨する記載がいくつもあった。ああ、こうやって岩場を守ってきたんだなという感慨を覚える。実際、佐久志賀の岩場ではプリクリ棒を多用するクライマーを多く見かける。

岩場を守ることよりも自身のクライミングスタイルを優先し、プリクリ棒をチョンボ棒と言って揶揄するようなクライマーは、佐久志賀の岩場以外に行かれたほうが良いと思う。

ともあれ、佐久志賀の岩場の正式な公開はもうすぐです。詳細はJFAや佐久平ロッククライミングセンターのフェイスブックで確認してください。リボルトは進んでいますがまだまだ追いついていません。古い支点など十分に気を付け、見極めてご判断ください。くれぐれも事故やトラブルの無いようにお願いします。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

⑤ 花もも 出だしが核心 プリクリップを忘れないでください
⑥ レイチェル プリクリップしてください。
⑧ 名前読めず プリクリップしてください。

くれぐれも事故を起こして、岩場が閉鎖にならないようにしてください。

Thursday, April 4, 2019

ヨセミテの歴史が分かる映画をみました




大変おすすめです。ヨセミテの現在が分かる。

ヨセミテの歴史が分かる映画でした。ベースジャンピングでフリーソロの下降手段だったんですね。

しかし、ヨセミテというのは、山旅的要素はなく、ただただ 

 達成感

の世界です。合う人と合わない人がいるだろうと思います。 


Monday, April 1, 2019

アルパインの中にあるマチズモの伝統

■アルパインの中にあるマチズモの伝統

が、アルパインクライミングをしていく中でのリスクの一つだと、今回は学びました。

マチズモは混乱が多い言葉で、例えば、”闘争心”とよく混乱して理解されています。当然んですが、闘争心は必要です。

山でピンチに陥ることはよくあり、その時、みずから負けを選択するような人だと、アルパインどころか一般登山にも、全く向きません。

リスクそのものを理解できない人も向かないですが、やむを得ず陥ったピンチに、立ち向かえない性格の人も向かない。

しかし、イラナイのは、マチズモ。一般には男性のナルシシズム的な解釈をされている言葉ですが、白人男性の不安の裏返しがトランプ大統領の登場だと言われているように、理性での対話を放棄し、単なる力の理論に持ち込むという思想です。

山では、どう現れるか?というと、体力一転豪華主義とか、登攀力一点豪華主義の人です。

つまり、非常に極端な理論を信奉する人です。”登攀力があれば、フリーソロ出来るのだから、ロープはいらない”とか、”登攀力があれば、ビレイヤーは誰でもいい”、という理論です。

登攀力や体力は、実力と同義語なので、実力さえあれば、パートナーは要らない、ロープは要らない、という孤高主義とも似ています。

このマチズモの伝統は根強く、否定しがたいところがあります。

例えば、小さな点では、クライミングで、”迷ったらハードプッシュ”もマチズモ的な力による解決です。

クライマーの中にも色々な主義主張があります。クライミングはムーブだ!という人もいれば、クライミングは結局は保持力だ!という人もおり、そのひとつです。

私はクライミングは、ムーブで解決する、という主義のほうが知的だとは思いますが、ハードプッシュでしか解決できない課題があることもまた事実です。

登攀力も、体力もほぼないに等しい、私のようなクライマーですら、アイスでではありますが、”落ちないところしか登らないからビレイヤーは誰でもいい”という心境に到達しました。そうすると、どんなしょぼいパートナーでも、受け入れることができる、登れる話になってしまいます…。

それは登りたいと思ってもやらないだけの自制心が必要でしょう。

それは、登攀という実力での解決、という意味で、マチズモと同義ですが、現状、存在はするけれども、間違った思想です。できるならその道は取らないほうがよい。

やはり、理想は、パートナーとの協力の体制が作れるというものです。

大事なことは、互いに相手を守りあう、与え合う関係であり、互いが権利を主張し、奪い合う関係ではないということですね。

現代アルパインの在り方

■ 山やとしての在り方を学ぶ

はるばる行った遠征で、岩に取り付く前に、負傷(肉離れ)してしまいました。

そのような場合、どう行動すべきでしょうか?

現代は、そうしたことを教える山の指導者が不足しています。

正解は、負傷者を優先する、です。

まぁ、誰に言われなくても、誰でも分かることだと思いますが。昨今は、分からない人が増えている時代ですので…。




パーティに負傷者が出た場合、負傷者を最優先することが、人間らしい行いです。

各自の都合で、「えー?俺の予定をどうしてくれるんだ」と言うことが、人間性の低いの行いです。

私としては、何度も「歩くのすら痛い」と言ったのですが、相手は「もっと軽症だと思っていた」そうで、良かれと思ってあちこちに連れまわされ、どんどん症状は悪化の一途をたどっていきました…。

私に足りないのは相手に人間性の低い、思いやりの足りない行為、を行わせないだけの自己主張の強さだと分かりました。一般に、上下関係がある間柄では、下からの主張は通りにくいです。

私の足、いまこんなん…。

■ 競争がある社会に後から参加した人は競争の蚊帳の外であること

私は、バレエからヨガに入りましたが、バレエの世界とヨガの世界の違いは、バレエは競争を是とする階級社会、ヨガはそうでないということです。

まぁ私は普通の人がバレエから足を洗う19歳で、バレエの世界に入ったので、バレエの競争的な面は何も味わうことなく済んだのですが。

バレエと同じことが、アルパインの世界にも言えます。

アルパインクライミングは、初登争いの世界、困難追及の競争社会です。

しかし、それは高校山岳部でスタートする人、大学山岳部でスタートする人、そのうちのエリートの世界です。

大人でのスタートですから、いかに私が特急コースで成長したと言え、そんな競争社会とは無縁に過ごしたいというか、過ごさざるを得ないわけですが、なぜかそうではない…(汗)

のは、指導者たちが基本的に、いわゆる”山や”(つまるところの選手とか戦士)を育てるのと同じ育て方をするからです。それしか知らないのですから仕方ないですね。

大学山岳部では、山を何も知らない1年からアルパインのバリエーションルートに連れて行きます。当然、1年はリードしませんが、2年からはそこをリードです。これでは、一年生も2年生も、足腰という基礎力がない状態で、ルートに出ることになります。

それと比べ、一般登山者は、一般登山で足を作る、という基礎を作ることができます。(が、三つ峠に一回行って、次からリードしているのは、1年ー2年をすっとんでやっていることになり、急すぎるかもしれません。まぁ三つ峠はゲレンデなのでいいと思いますが。)

例えば、バレエの場合は、バレエはあまりに難しいので、3歳からスタートしたプリマ候補と同じことを、大人でスタートした人に求めることはありません。最初からコースは別です。

一方、一般登山と本格的登山は、連続的なので、どうしても指導者は、一流山やである自分が通過してきた成長と同じことを、大人でスタートして、どうやっても一流には、もはやなりえない人に要求してしまいます。

中には、昔の山岳会のリーダー程度には成長する人もいます。それでも10年がかりです。4年で大学山岳部は仕上げないといけないことを考えると、倍の時間をかけてよいということで、ゆっくりですが、それでも、その人の最初の資質が大きくものを言うことは変わりありません。資質=才能、ということです。

一般に、”昔の山岳会のリーダー程度の登攀力”とは、5.12程度がリードできることで、それはその当時のトップクラスの登攀力ということです。

しかし、現代では5.12は中級者レベルです。まぁ、トップクラスということで行けば、最低ラインが5.13くらいになってしまいます。

かつての一流、現代の二流、三流、です。

■ 楽しんで登る世界

私が思うことは、大人のバレエには、プロのバレエの世界にある競争がないかわり、楽しんで踊る世界があったということです。

同じように、楽しんで登る山の世界があってもいいのではないか?と思います。

なにしろ、山の一流たちの世界は進化し続けているので、今ではかつて一流と考えられていたルートが、易しいルート、であるからです。

そうした場所が、命がけルート、ではなく、易しいルート、となり、現代の一流まで行かなくても、かつての一流が現代の二流、三流なのですから、普通の人でも楽しめるルートが増えたはずということです。

楽しさを追求できる。他者に勝つ。自分に勝つ。という勝ち負けだけではない世界が出現できる可能性があります。

それこそ、山の新しい価値の創造ではないでしょうか?

ただし、そこには、ただ楽しいだけでいい、とは思いません。

山に対する礼儀として、最低限の知識武装、トレーニング、丁寧な計画、タクティックス、山との対話というものは山の伝統として継承すべきと思います。

冒険、未知との遭遇、困難の追及、山との対話、仲間の尊重、などの山の伝統のすべてのアスペクトから、

 エリート主義
 競争
 マチズモ
 体力一点主義
 栄誉主義

を取り除いたものが、現代の一般市民が楽しむレベルのアルパインクライミング、であると思われます。