Weekend Whipper: Don't Step Behind the Rope! from Rock & Ice on Vimeo.
Sunday, December 30, 2018
Friday, December 28, 2018
ある開拓者の述懐
ーーーーーーーーーーーー
岩壁の中に一本のルートを刻み込む。
岩壁の中に一本のルートを刻み込む。
それはクライマーの夢であるとともに、クライマーとしてのセンスが問われる行為でもある。
私はルート開拓について、空白の部分をただ埋めるだけでは十分とは言えない気がする。
登るのならば、ルートのもつ必然性を感じさせるものであってほしい。岩壁に新しいラインを付け加えようとする場合、それは壁の核心部に引かれなければならない。
また理想とすれば、ボルトの連打を避け、少なくとも、フリークライムが大部分を占めるルートなのが望まれる。
私はフリー至上主義者ではないから、必要を感じたときにはボルト連打も辞さない。ただし、単調なアブミの架け替えが続くのみならば、現代のレベルに達したルートとの評価はできないだろう。
ーーーーーーーー 『屋久島の白い壁』より引用
ーーーーーーーー 『屋久島の白い壁』より引用
センスや感性というものは、非常に共通の理解やスタンダード、つまり基準と言うものを設けることが難しく、しかし、それは依然としてあるものだ、と思う。
私自身がボディサイズの面から、その基準に合わない、という点はとても残念だが、それは特別に小柄という特殊事情によるだろう。
そういう例外はあるにせよ、ある種のライン、この程度というのがあるのは事実だと思う。
それを文字列に起こして表現するのは非常に難しいにせよ。
そのレベルに山ヤは達しているべきだと思うが、どうだろうか。
Wednesday, December 26, 2018
山の価値とは何だろうか?
やはり、色々なことを考えると、山の価値、というのは、その山での体験の質にあるのではないか?と思う。
どんなに美しい山であっても、無謀な計画の山では、ひどい山。大した山ではなくても、体験の質が高い山が価値がある。
では、体験の質を決める要素は何か?ということになるだろう。
柏瀬さんはインタレストグレードと言うことを考えたそうだ。
私は、体験の質は、山行の発端からスタートすると思う。良き山というのは、基本的に、相手への思いやりでスタートするものだという気がする。
逆に無謀な山の計画というのは、俺の実力を見せてやる、というような傲慢さからスタートしているように思う。あるいは、怠惰が付加されるときもある。
山への畏敬の念が足りない場合、ギア不足や技術不足で臨むことになり、良き山とならない可能性が濃厚だと思う。
結局のところ、山は山でしかなく、あまり意味は持たない。その不動の対象に、意味をもたらすのは、
人
ということは言えると思う。メスナーも映画『ナンガパルバット』でそう言っていた。その意味で、山がどういうものであったか?
意味の付与
は人が行うものであるから、その人にとってどういう意味がある山であるのか?ということが、やはり大事なことであるだろうと思う。
意味を紡いでいく
というのが、登山と言う活動の本質ではないのだろうか?
その”意味”の中身が、かつては、挑戦、という意味付けになることもあれば、無邪気な楽しさの追及、と言う人もいるだろうし、”興味関心の追及”と言う人もいるだろう。
かつては
・地図上の空白を埋める
・困難度を上げる
という2点にのみ意味が集約されていた。そのため、結局のところ、競争が起きることになった。国と国。会と会。競争は発展を産んだ。
しかし、価値が多様化すれば、競争は生まれない。競争が人間を発展に駆り立てるとすれば、発展がないことは、競争の不在を示し、競争の不在は、価値の多様化を示す。
結局のところ、我々は良い時代にいるのではないだろうか?
競争は人間にとって甘美なゲームだ。しかし、競争がなくても、足るを知る、ことで、人間は幸福な山を続けていけるのではないだろうか?
そのカギは、観察、オブザベーション、にあるのではないだろうか?
どんなに美しい山であっても、無謀な計画の山では、ひどい山。大した山ではなくても、体験の質が高い山が価値がある。
では、体験の質を決める要素は何か?ということになるだろう。
柏瀬さんはインタレストグレードと言うことを考えたそうだ。
私は、体験の質は、山行の発端からスタートすると思う。良き山というのは、基本的に、相手への思いやりでスタートするものだという気がする。
逆に無謀な山の計画というのは、俺の実力を見せてやる、というような傲慢さからスタートしているように思う。あるいは、怠惰が付加されるときもある。
山への畏敬の念が足りない場合、ギア不足や技術不足で臨むことになり、良き山とならない可能性が濃厚だと思う。
結局のところ、山は山でしかなく、あまり意味は持たない。その不動の対象に、意味をもたらすのは、
人
ということは言えると思う。メスナーも映画『ナンガパルバット』でそう言っていた。その意味で、山がどういうものであったか?
意味の付与
は人が行うものであるから、その人にとってどういう意味がある山であるのか?ということが、やはり大事なことであるだろうと思う。
意味を紡いでいく
というのが、登山と言う活動の本質ではないのだろうか?
その”意味”の中身が、かつては、挑戦、という意味付けになることもあれば、無邪気な楽しさの追及、と言う人もいるだろうし、”興味関心の追及”と言う人もいるだろう。
かつては
・地図上の空白を埋める
・困難度を上げる
という2点にのみ意味が集約されていた。そのため、結局のところ、競争が起きることになった。国と国。会と会。競争は発展を産んだ。
しかし、価値が多様化すれば、競争は生まれない。競争が人間を発展に駆り立てるとすれば、発展がないことは、競争の不在を示し、競争の不在は、価値の多様化を示す。
結局のところ、我々は良い時代にいるのではないだろうか?
競争は人間にとって甘美なゲームだ。しかし、競争がなくても、足るを知る、ことで、人間は幸福な山を続けていけるのではないだろうか?
そのカギは、観察、オブザベーション、にあるのではないだろうか?
Tuesday, December 25, 2018
通称パンツ
■ 通称パンツ
これは、カラビナとドッグボーンをつなぐときに、固定するパーツ。通称、パンツです。
PASは、安全環付きカラビナと接続するときに、これがないと使いづらいのです。
このパーツを買うだけに、山道具屋さんに行くわけにもいかないし… これで一個130円くらいだったと思います。これが1個とかでは、ネット通販は買いにくい。
私がお店の人だったら、PASと安環ビナはセット販売にして、このパンツはサービスでつける、という販売方法を取るでしょう…。どうせ必要ってわかっているんだから。
(山道具、売れない売れないって嘆きはよく聞きますけど、販売努力しているかっていうと、まだ努力の余地はいっぱいあるような?)
このパンツ、自分のを先日、後輩にあげました… ちゃんとアドバイス通り、PASを買って来てくれたから…。
私も、初心者の時、先輩にカラビナがぶらぶらしないように止めておいた方がいいってアドバイスをもらって、このパンツを探すのにだいぶ苦労したんですよね…
その先輩のPASは一つ型が古くて、最後のスリングがすこし輪が長く、タイオフが可能で、ちょっと羨ましかったんでした…。
最近は、ダイナミックロープでのランヤード(セルフビレイのスリングの正式名称)も出ているようです。
後輩へつなぐ愛のシンボル… が、このパンツ。
いくつのマルチといくつの懸垂で、この小さなギアが活躍していくのでしょうか…
後輩へつなぐ愛のシンボル… が、このパンツ。
いくつのマルチといくつの懸垂で、この小さなギアが活躍していくのでしょうか…
Monday, December 24, 2018
あなたの登攀グレードは何ですか?という読者アンケート集計結果
2014年12月あたりに購読していた、Climbing誌より。
この号は、他にも面白い特集が一杯。
あなたの登攀グレードは何ですか?という読者アンケート集計結果。
5.6以下 4%
5.7 4%
5.8 9%
5.9 15%
5.10 28%
5.11 25%
5.12 12%
5.13 3%
とか・・・ へぇ~なアンケート結果が載っています☆
Sunday, December 23, 2018
山で派手な色が必要な理由
山のジャケットは派手なカラーですが、それは理由があります。
遭難した時、捜索で最初に探すのが、ジャケットやザックのカラー
だからです。なので、秋なら、黒や赤、黄色を避け、冬なら白黒以外、春なら何色でもOK、夏はグリーン以外みたいな選択肢になります。
テントが黄色=冬山で目立つから。
都会の登山者は、黒装束の方が多いです。気持ちは分かる。私もOL時代は黒ばかり着ていました。とにかく色合わせが面倒がないのがいいと思っていました。
でも、山では黒は、クマと間違われて撃たれたり、蜂が寄って来たり、と有用な色とは言えない。
遭難した時、捜索で最初に探すのが、ジャケットやザックのカラー
だからです。なので、秋なら、黒や赤、黄色を避け、冬なら白黒以外、春なら何色でもOK、夏はグリーン以外みたいな選択肢になります。
テントが黄色=冬山で目立つから。
都会の登山者は、黒装束の方が多いです。気持ちは分かる。私もOL時代は黒ばかり着ていました。とにかく色合わせが面倒がないのがいいと思っていました。
でも、山では黒は、クマと間違われて撃たれたり、蜂が寄って来たり、と有用な色とは言えない。
Saturday, December 22, 2018
Friday, December 21, 2018
Friday, December 14, 2018
体重60kg高さ3mからのグランドフォールで9kN
■ 意外に良かったナッツの強度
私が持っているメトリウスのウルトラライトアシメトリックカーブナッツの強度は
No1~No5 =7kN
No6~No10 =10kN
でした。
https://www.metoliusclimbing.com/curve_nut.html?fbclid=IwAR2dyVfDOfyAlVrrUHJ9038yiEcMllvt_gsV_nxXtx13iA8QLV-LKf0QosU
多くの人が持っているキャメロットC4は、強度は、サイズ別です。一般的に使うサイズでは、おおよそ10kN以上ありそうと覚えておけば、用は満たしそうです。
0.3=8kN
0.4=10kN
0.5=12kN
0.75=14kN
1=14kN
2=14kN
3=14kN
4=14kN
5=14kN
6=14kN
体重60kg高さ3mからのグランドフォールで9kN
文登研の確保理論には、グランドフォールした時に体が受ける衝撃を計算した事例が載っています。
誰でも知っている事例として、12kNが人体が耐えられる衝撃の限界…。
ナッツが耐えられる衝撃は、7or10kN。ただ、ナッツが外れたとしても、そこで衝撃は多少吸収緩和されていると思います。
60Kg3mで9kN…という数字は、3m以上のロングフォールは基本的にランナウトであることを思うと、それ以上の衝撃荷重はなさそうですから、覚えておけば、色々と推測の根拠として使える数値のように思います。
ペツルがクライマーが最も遭遇しやすい状況を設定して、参考値を出してくれています。
https://www.alteria.co.jp/sport/forces-real-fall/?fbclid=IwAR16R8_PXVaWv6Ip76wajLG2ZN1itdGj-lsOt5f6uBif_fB1zNintOAVRU4
落下率0.3(人工壁) 4kN
落下率0.67(マルチの出だし) 5kn
落下率1(マルチの出だし) 6kN
落下率0.3であっても、4kNかぁ…落下率0.3というのは1m置きにドローが設置されている人工壁以外ないですね~
一般的なフリーで、あまり激落ちしないタイプの人にありそうな路線は落下率0.67ですが、それすら5kN。
落下率1の場合だと、6kNと支点に全然易しくないです…ナッツ、ハーケンでは落ちれないと、ペツルでも言っている。
■ 結論
というので、フリーで確実に登れる、というのは、本当に大事なことです。
それ以前に、プロテクションが確実になるように、エイドで覚えたほうがいいと思いますが、それは落ちたときの保険を確実にするため.
私が持っているメトリウスのウルトラライトアシメトリックカーブナッツの強度は
No1~No5 =7kN
No6~No10 =10kN
でした。
https://www.metoliusclimbing.com/curve_nut.html?fbclid=IwAR2dyVfDOfyAlVrrUHJ9038yiEcMllvt_gsV_nxXtx13iA8QLV-LKf0QosU
■ カムの強度
0.3=8kN
0.4=10kN
0.5=12kN
0.75=14kN
1=14kN
2=14kN
3=14kN
4=14kN
5=14kN
6=14kN
■ ボルトの強度は?
見た目より全然ダメ。過剰な信頼はしないほうがいいですね。とくにカットアンカー
ケミカル=13.8kN 8.6kN
グージョン=11.9kN 10.8kN
カットアンカー= 5.1kN 3.9kN
コーン打ち込み= 6.1kN 6.3kN
オールアンカー= 3.2kN 7.6kN
(赤字:9kNない)
ただし、破断するまでには2倍くらいまで耐えれる。試したくないものです。
グージョン=11.9kN 10.8kN
カットアンカー= 5.1kN 3.9kN
コーン打ち込み= 6.1kN 6.3kN
オールアンカー= 3.2kN 7.6kN
(赤字:9kNない)
ただし、破断するまでには2倍くらいまで耐えれる。試したくないものです。
ロクスノ079号より引用 |
■ 一般的に人が落ちるときの衝撃荷重は?
文登研の確保理論には、グランドフォールした時に体が受ける衝撃を計算した事例が載っています。
誰でも知っている事例として、12kNが人体が耐えられる衝撃の限界…。
ナッツが耐えられる衝撃は、7or10kN。ただ、ナッツが外れたとしても、そこで衝撃は多少吸収緩和されていると思います。
60Kg3mで9kN…という数字は、3m以上のロングフォールは基本的にランナウトであることを思うと、それ以上の衝撃荷重はなさそうですから、覚えておけば、色々と推測の根拠として使える数値のように思います。
■ 支点にかかる衝撃荷重は?
https://www.alteria.co.jp/sport/forces-real-fall/?fbclid=IwAR16R8_PXVaWv6Ip76wajLG2ZN1itdGj-lsOt5f6uBif_fB1zNintOAVRU4
落下率0.3(人工壁) 4kN
落下率0.67(マルチの出だし) 5kn
落下率1(マルチの出だし) 6kN
落下率0.3であっても、4kNかぁ…落下率0.3というのは1m置きにドローが設置されている人工壁以外ないですね~
一般的なフリーで、あまり激落ちしないタイプの人にありそうな路線は落下率0.67ですが、それすら5kN。
落下率1の場合だと、6kNと支点に全然易しくないです…ナッツ、ハーケンでは落ちれないと、ペツルでも言っている。
■ 結論
というので、フリーで確実に登れる、というのは、本当に大事なことです。
それ以前に、プロテクションが確実になるように、エイドで覚えたほうがいいと思いますが、それは落ちたときの保険を確実にするため.
ですが、たとえ、保険が確実になっても、危険は危険で、依然として落ちないほうが良い、ことには変わりないようです。
確実な支点セット技術を身に着け、フリーで落ちないグレードを高める。これしかないですね。
確実な支点セット技術を身に着け、フリーで落ちないグレードを高める。これしかないですね。
静荷重の登りと動荷重の登りは全く違うものだということです。
Monday, December 10, 2018
ゲームス・クライマーズ・プレイ
http://web.mit.edu/lin/Public/climbing/Games_Climbers_Play.txt より引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Games Climbers Play Lito Tejada-Flores Reality is the apparent absence of contradiction Louis Arragon, Le Paysan de Paris I What I should like to propose in this article is not a new answer to the basically unanswerable question, 'what is climbing?', but rather a new way of talking and thinking about it. Climbing is not a homogeneous sport but rather a collection of differing (though) related activities, each with its own adepts, distinctive terrain, problems and satisfactions, and perhaps most important, its own rules. Therefore, I propose to consider climbing in general as a hierarchy of climbing- games, each defined by a set of rules and an appropriate field of play. The word game seems to imply a sort of artificiality which is foreign to what we actually feel on a climb. The attraction of the great walls, above all, is surely that when one is climbing them he is playing 'for keeps'. Unlike the player in a bridge game, the climber cannot simply lay down his cards and go home. But this does not mean that climbing is any less a game. Although the player's actions have real and lasting consequences, the decision to start playing is just as gratuitous and unnecessary as the decision to start a game of chess. In fact, it is precisely because there is no necessity to climb that we can describe climbing as a game activity. The obstacles one must surmount to gain the summit of Indian Rock in Berkeley or the Hand at Pinnacles National Monument are scarcely of the same oder as those defending the West Face of Sentinel Rock in Yosemite or the North Face of the Eiger. And the personal satisfaction of the climber upon having solved each of these problems could hardly be the same. As a result, a handicap system has evolved to equalize the inherent challenge and maintain the climber's feeling of achievement at a high level in each of these different situations. This handicap system is expressed through the rules of the various climbing-games. It is important to realize at the outset that these rules are negatively expressed although their aim is positive,. They are nothing more than a series of "don'ts': don't use fixed ropes, belays, pitons, a series of camps, etc. The purpose of these negative rules is essentially protective or conservative. That is, they are designed to conserve the climber's feeling of personal (moral) accomplishment against the meaninglessness of a success which represents merely technological victory. Let us take as a concrete example the most complex game in the climbing hierarchy - bouldering. It is complex by definition since it has more rules than any other climbing game, rules which prohibit nearly everything - ropes, pitons and belayers. All that is left is the individual standing in front of a rock problem. (It should be noted that the upper belay belongs to practice climbing, that is, training for any of the climbing-games). But why so many restrictions? Only because boulders are too accessible; they don't defend themselves well enough. For example, it would be an absurdity to use a ladder to reach the top of a boulder in Fontainbleau, but to use the same ladder to bridge a crevasse in the Khumbu Icefall would be reasonable since Everest defends itself so well that one ladder no longer tips the scales toward certain success. Thus the basic principle of a handicap is applied to maintain a degree of uncertainty as to the eventual outcome, and from this very uncertainty stems the adventure and personal satisfaction of climbing. More generally, I discern a complete spectrum of climbing-games, ranked according to the complexity (or number) of their rules. The higher one goes on the scale, the more inaccessible and formidable become the climber's goals, and, in consequence, he need apply fewer restrictions to conserve the full measure of challenge and satisfaction inherent in the climbing-game he is playing. At the top of the hierarchy we find the expedition-game, which, although complicated to organize and play, is formalistically speaking, the simplest game of all, since virtually nothing is forbidden to the climber. The recent use of airplanes and helicopters exemplifies the total lack of rules in the pure expedition-game. While variant games have arisen in isolated and special circumstances in different countries, one can distinguish the following seven basic climbing games. 1. The Bouldering Game We have already discussed bouldering, but one should note that the basic bouldering rules eliminate not only protection but also companions. The boulderer is essentially a solo climber. In fact, when we see solo climbing at any level of difficulty it represents the application of bouldering rules to some other climbing-game. Aside from that, this game is found in every country where climbing exists, although the number of climbers who specialize in it is relatively small. 2. The Crag Climbing Game Crag climbing as a pure game form has doubtless reached its highest form of expression in the British Isles. It is practiced on cliffs of limited size - routes averaging one to three pitches in length. Because of their limited size and the large amount of time at the climber's disposal, such routes are not imposing enough to be approached with the full arsenal of the climber's tools (though they may contain moves as hard as those of any climb). FUndamentally the game consists in climbing them free with the use of extremely well-defined and limited protection. The use of pitons is avoided or, in special cases, standardized at an absolute minimum. Pure crag climbing is scarcely practiced as a game in this country except in areas such as Pinnacles National Monument, where the rock is virtually unpitonable. There are, however, a number of areas in the States, such as the Shawangunks, where the crag climbing game could be played with more rigor. 3. The Continuous Rock-Climbing Game This is the game that most California climbers know best. It differs from the crag game in allowing the full range of rock climbing equipment to be used at the discretion of the climber as well as allowing the use of direct aid. Fundamentally this game should be played on longer, multi-pitch climbs whose length puts a kind of time limit to the mechanical means that a climber can employ and still reach the top. Shorter climbs should still be approached as more complex games with stricter rules. 4. The Big Wall Game This game is practiced not only on the bigger Yosemite walls but in the Dolomites and elsewhere. It is characterized by the prolonged periods of time spent on the walls and by the fact that each member of the party does not have to climb every lead (e.g., different climbers may prusik with loads on different days but are still considered to have done the entire climb). The full technical and logistic equipment range is allowed. In the modern big wall game fixed ropes to the ground and multiple attempts to prepare the route are non longer allowed (see par II), and a rigorous distinction is still made between free and artificial moves and pitches. 5. The Alpine Climbing Game In alpine climbing the player encounters for the first time the full range of hostile forces present in the mountain environment. In addition to problems of length and logistics he meets increased objective dangers in the form of falling rock, bad weather and extreme cold, and bad conditions such as verglas. All this leads to a further realization of formal rules since success in the game may often include merely surviving. In alpine climbing the use of pitons is avoided wherever possible because of time loss in situations where speed means safety, but where pitons are used there is a tendency to use them as holds also. Thus the rules of this game do not require one to push all leads free. The restrictions upon the player are more determined by the nature of the mountain and the route than by a set of rules which he accepts in advance. 6. The Super-Alpine Game This is the newest climbing-game to appear and is not yet completely understood. It rejects expedition techniques on terrain which would traditionally have been suitable for it. Its only restrictive rule is that the party must be self- contained. Any umbilical-like connection in the form of a series of camps, fixed ropes, etc., to a secure base is no longer permitted. This rule provides a measure of commitment that automatically increases the uncertainty of success, making victory that much more meaningful. Often the major alpine routes under extreme winter conditions provide suitable terrain for super-alpine climbs. Some of the early, classic super-alpine routes were the South Face of Aconcagua, the ascent of Cerro Torre by Egger and Maestri, and the first winter ascent of the Eiger North Wall. 7. The Expedition Game I have already mentioned the lack of rules in this game, but I wish to point out that there are still differences of personal involvement on the part of the players from expedition to expedition. For example, members of the German Broad Peak expedition who packed all their own loads up the mountain were, in a sense, playing a more difficult game than the usual Himalayan expedition that moves up the mountain on the backs of its Sherpas. It should be noted that the above ordering of climbing-games is not an attempt to say that some games are better, harder, or more worthwhile in themselves than others. One remembers that the very purpose of the game structure is to equalize such value connotations from game to game so that the climber who plays any of these games by its proper set of rules should have a least a similar feeling of personal accomplishment. Of course, each type of game will still have its own proponents, its own classics, heroes, and myths. The real purpose of ranking climbing games into such a hierarchy, however, it not to make judgments about a game or its players, but rather to have a useful scale against which to discuss climbing ethics, since unethical behavior involves a disregard of certain rules. II Within our new framework we can now clear up certain misconceptions about climbing ethics. Ethical climbing merely means respecting the set of rules of the climbing- game that one is playing. Conversely, unethical climbing occurs when a climber attempts to use a set of rules appropriate to a game higher up on the scale than the one he is actually playing (i.e. a less restrictive set of rules). Applying this idea to the bolt controversy that has animated ethical discussions among climbers for the last several years, we can see that there is nothing unethical about bolts per se; it is merely that their use is prohibited by the rules of certain climbing-games and not by others. In certain games the question becomes meaningless for, as Bonatti points out, on a major mixed face no amount of bolts can guarantee success, whereas an excessive number will insure defeat through lack of time. I have assumed so far that the rules for various climbing-games were fixed. Of course, this is not the case, as both the games and their rules are undergoing a constant, if slow, evolution. The central problem of climbing ethics is really the question: who makes the rules for these games? and secondarily: how do they change with time? On reflection, it seems to me that the rules of various climbing-games are determined by the climbing community at large, but less so by climbers approaching the two extremes of ability. One of these elements is composed of those fainthearted types who desire to overcome every new difficulty with some kind of technological means rather than at the expense of personal effort under pressure. The other group is the small nucleus of elite climbers whose basic concern is not with merely ethical climbing but with minimizing the role of technology and increasing that of individual effort in order to do climbs with better style. But before talking about style and the role of the elite climber in climbing evolution, I want to expand my idea that the majority of climbers are responsible for deciding the rules of a given climbing-game. No matter what their origin a set of rules must be consecrated by usage and general acceptance. Thus, the way good climbers have always done a climb becomes the traditional way of doing it; the rules become classic and constitute an ethical minimum for the climb, defining at the same time the climbing-game to which it belongs. But what of new climbs? At any moment there are relatively few members of the climbing community capable of doing significant first ascents; these will be members of the creative elite we have already mentioned. The question arises: should the style they use on a first ascent determine the rules for succeeding ascents? I think not (although their approaches and attitudes will of course serve as guidelines for following parties). Examples of cases where the first ascent has not set the pattern for succeeding ascents are almost too numerous to list. Just because Jeff Foott made the first ascent of Patio Pinnacle solo or because Bonatti soloed the South-West Pillar of the Drus, following climbers have felt under no obligation to stick to the difficult rules of the first ascent; or just because the first ascent of the Eiger North Wall was made in a storm, no one has seriously suggested that later parties wait for bad weather to go up the face. A kind of group prudence is at work here, rejecting individual solutions whose extremism puts them beyond the reach of the majority of competent climbers climbing at any given period. What then, is the role of the small minority of extremist climbers in the evolution of climbing-games? To understand it we must first develop the idea of climbing style. Style may be defined as the conscious choice of a set of rules for a given climbing-game. Thus, if a climber follows the accepted rules for a given game he is climbing both in classical style and ethically. Bad style and unethical climbing are synonymous and represent the choice of rules from a simpler (higher) game, such as alpine climbing with expedition style. On the other hand, a climber can choose to climb with better style lower down in the hierarchy than that which he is playing. A fitting example would be the way John Gill has applied bouldering rules to certain crag climbing problems, doing extremely hard, unprotected moves high off the ground. In this way the creative nucleus of elite climbers can express itself by climbing with better style than the average climber (like aristocrats playing a more demanding game than the democratic majority), which certainly provides enough room for personal expression, yet seems to avoid the traditional aristocratic role of leadership and direction. In fact, these climbers lead the majority only indirectly - their responsibility is not to determine and set ethical standards (rules) for the majority but rather to demonstrate the superior style. Thus, they stake out the possible directions for the evolution of climbing-games. And this, aside from suffering the wiles of equipment-mongers, is the only way that such changes can come about. Let me give a concrete example. The most evident is the way in which the rules of the big-wall game have evolved in Yosemite Valley under the influence of the best climbers of the day whose primary concern was to do their own climbs in the best style possible rather than to impose an arbitrary set of rules on all climbers. After the feasibility of doing the bigger Grade VI walls without siege tactics had been consistently demonstrated, climbers were impressed enough to accept this approach as a basic rule to such an extent that today even strangers to the Yosemite climbing community (such as the two Frenchmen who did the Nose of El Capitan in the spring of 1966) follow it as a matter of course. In a less dramatic way the rules of all climbing-games are changing constantly, becoming ever more restrictive in order to preserve the fundamental challenge that the climber is seeking from the inroads of a fast changing technology. The present laissez-faire of the uppermost games is disappearing slowly as the complexity of rules shifts up the spectrum. The eventual victim, of course, will be the expedition game which will disappear completely as super-alpine climbing takes its place. This is not only the newest but, in a sense, the most creative climbing- game, since here the nature of the obstacles encountered is so severe that it will be a long, long time before technological advances even begin to encroach upon the climber's personal satisfaction. The possibilities, on the other hand, are immense. One can even visualize the day when, with ultra-modern bivouac gear, a climbing party of two sets off to do an 8000m peak just as today one sets off to do a hard route on the Grand Teton or on Mont Blanc. Here, I think, this article should end. Not because speculations about the future of climbing are either futile or uninteresting, but because we have already wandered far enough from our original subject. That climbing will continue to evolve is a certainty, although it is far less certain that the idea of climbing- games is the best basis for looking at this evolution. But surely this, or any, new framework for thinking and talking about what we are actually doing when we climb is at least a valid step toward the future. Ascent 1967
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Wednesday, December 5, 2018
Tuesday, December 4, 2018
Monday, December 3, 2018
山道具を買う店
山岳金物店
https://alpine-hardware.com/
ロストアロー
https://www.lostarrow.co.jp/store/
カモシカオンライン
https://www.kamoshikasports.com/
エッジアンドソファ
http://www.edgeandsofa.jp/fs/edgeandsofa/c/all
秀山荘
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E7%A7%80%E5%B1%B1%E8%8D%98/101070/
バナナフィンガー
https://www.bananafingers.co.uk/
クライミングドットコム
https://www.climbing-jp.com
https://alpine-hardware.com/
ロストアロー
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カモシカオンライン
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エッジアンドソファ
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秀山荘
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バナナフィンガー
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クライミングドットコム
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