Tuesday, June 13, 2017

アルパインクライミングのサイト

■ アルパインクライミングになじむ

今朝は、こちらのサイトを発見しました。 アマゾンなどでも、アルパインとつく本は出ていますが、あまりメジャーとは言えないので、こういうサイトを読みふけったりしていると、

山をやる

ってどういう話か、分かるようになるのでは?と思うようなサイトです。

http://www.f5.dion.ne.jp/~mitsu_g/mokuji.htm

とってもおもしろく、読みふけってしまいました☆

とくにフリートークはおススメです。

http://www.f5.dion.ne.jp/~mitsu_g/freemokuji.htm

アルパインクライミング(=”本格的がつく登山”)とつかない登山は違いますが、それでも、

登山の本質がアルパインクライミングに基礎を置くものである、

ということは変わらないと思います。

なぜか、

 準備なしの無謀登山
 体力予備なしの登山
 いきなり登山

などがもてはやされている昨今…。

それはなぜなのか?とっても不思議ですが、たぶん、情報がないためだろう、無知の為だろうと思います。

このようなサイトを読んでいれば、色々と分かることも多いと思います。

Wednesday, June 7, 2017

アレックス・オノルドのフリーソロについて

アレックス・オノルドのフリーソロについて、パートナーと話をしています。
Freerider 含5.12D

■ ここに掲載する意図

昨今山の指導を得れる人は、あまり多くないと思いますので、思想に触れることがないことが、山をスリルの場と勘違いし、結果遭難する人が後を絶たない理由だと思います。

特に初心者の中高年の方は、注意してください。山歴40年で指導的立場にあった人でも、中高年と言われる年齢になったら、リスク管理の面から、単独では山に入らないのです。

また若い方も同様に、ニュースを聞いただけで、内容を吟味せず、結果だけをマネする人が出てこないかと心配しています。実際にそうしたことがヤマレコでかつて起こりました。

フリーソロが賛美されるような風潮を作り出すのはよいことではありません。ただでも無謀といえる登山が横行している現代です。

それがここに掲載する意図です。

http://www.supertopo.com/rock-climbing/Yosemite-Valley-El-Capitan-Freerider
より引用。

■ 師匠の感想

リードしたことのある人は知っていると思いますが、(リードという言葉が分からない方は、まったくの射程範囲外ですので、この記事は無視してください)、実のところ、60mロープは長いので、リード時は重いです…。正直な所、ロープの重ささえなければ、ラクラクで登れるところに、プロテクションを設置しながら登るのは面倒くさいです。

なので、プロテクションの面倒もなく、ただ登ったら気持ち良いだろうなぁ~と、クライマーなら誰しも考えると思います。

私の、”フリーソロだったら気持ちが良いだろうな~ プロテクション設置するの、面倒だもんね”への返事です。

ーーーーーーーーーーー返事ーーーーーーーーーーーー

フリーソロの醍醐味は面倒がないだけではありません。確かに面倒がる人もいますが。

ソロは一人ですから、完全な自己責任で、純粋に自然を堪能できるのです。自然との対峙ですね。

私も若い頃、程度はありますがフリーソロしてました。40歳までフリーソロしていましたが、ソロの友人が、大怪我したり亡くなったりして止めました。それもありますが、その頃、指導的立場にありソロは止める様に指導していて、命の尊厳に気づいたのです。

今から考えればフリーソロは若気だったと思います。

純粋なフリーソロと、ザイルやソロイストを使用するフリーソロがあると思います。

私は、若い頃前者、40歳から後者、今に至っては一人で山に行かないようにしています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アレックスオノルド君のフリーソロのニュースを聞いて、まさか俺もフリーソロしてやるぜ!と思った人はいないと思いますが…。

アレックス君のインタビューを見ると、確実性の積み上げの結果のフリーソロであり、一か八かのスリルを求めた結果ではないのは明らかでした。

■ 積み上げたら楽勝になる

積み上げた結果、山が来る、と言えば、私の阿弥陀北稜が、そのような山です。阿弥陀北稜が、テーブルに乗ってから、機会に恵まれず、3年も経ってから行きました。

もう、その頃には楽勝になっており、パートナーの必要すらなく(笑)、単独で行きました。ゆとりがあったので、ノーザイルで行きましたが、怖いこともなく、完全にいつもと同じリラックスでした。厳冬期の阿弥陀北稜だから、ロープが必要な山ですが、フリーソロで登っています。たかだか4級なので。

本来行くべきだった当時…北稜がまだチャレンジ!と感じられるような、ワクワクするような段階の頃…には、同行者を殺してしまいかねない人しか周囲におらず一緒に行くことはできませんでした。

その次の年のパートナーは、単純にまだルート自体を知らない段階でした。登山体系すらも読んだことがない段階だ(一般登山者の方の多くがその段階だと思われますが…)と、連れて行くにしても、そのルートにどんな意味があるのか自体も分からないですから、したがって行きたいのかどうかも分からない!という段階なので、セカンドでも、連れて行くことはできません…。

■ フリーソロしたかったころ

さて、話は戻りますが、岩との対峙…

私も、岩の初心者時代(注.フリークライミングの初心者ではなく)、どうしても一人で岩に取り組みたいと思い、一人で岩場に行ったことも…。十二ヶ岳の岩場には、ちょうど良い具合にフィックスが張ってあって、万が一登れないときは、フィックスを使えば、練習のためのトップロープが張れる、と感じていました。

どうしてかと言うと、どうしても、下のビレイヤーに遠慮してしまって、じっくり取り組めない、と感じていたのです。まずもって、そもそも信頼できないビレイでしたし、ビレイに甘えられるような人がいなかったのです。なので、完全に一人でないと登れるものも登れないと感じていました。

それで、ソロイストの使い方を研究したこともあります。この時は、5.12登る人が、自分がソロイストするときは、5.7レベルだと聞き、今5.8がギリギリグレードなのに、ソロイストするわけにはいかない、と納得して、あきらめました。

でも、今では、そんな焦燥の時代も終わり、登れるって見て分かるけど、ロープがない場合は、登らないです。

アレックス・オノルド君のエルキャピタン、フリーソロの詳細を読み、山も岩も、

確実性を積み上げる活動

だと、改めて実感中。

そうでない山は、あんまり好きになれません。

Monday, June 5, 2017

心で善悪を判断する

■ 焼き場に立つ少年

今朝は、この写真からスタートしました(笑)。

焼き場に立つ少年、

と題されたジョー・オダネル氏による写真です。

こちらの写真の衝撃は、言うまでもありませんから、ここでは触れません。

恐ろしい… そう言う気持ちを持たない人はいないとおもいます。

戦争下の社会自体が崩壊した中で、親もなく、家もなく、この後、この少年はどうやって生きたのでしょう… 食べるものはどうしたのでしょう… 

■ 無知と恐れ

驚いたのは、この写真が乗せられていたサイトに寄せられていたコメントです。

原爆投下を正当化し、2017年の現代の軍拡を主張していました。憲法9条を擁護する人を、「頭がお花畑」とののしるコメントがたくさん…。

その人たちの発言の出所は、無知 と 恐れ の二つです。自分がやられる側になると恐れているのです。

私はアメリカに若いころいましたから、アメリカ国内で、原爆投下正当論が一般常識として受け入れられているのを知っています。それはただの一般的な見方にすぎず、ほとんどの人は、単純な無学で、”他の人も受け入れているから”と言う理由でそう思っているにすぎません。日本だけに、”大衆”がいるわけではないのです。相当な学がある人の間にも、この考えは広がっており、教科書が教える都合が良い史実が、他国の例にもれず、アメリカでも作られていることがうかがえます。この事実から学べることは、政府(権力)が、非を認めるのは、それだけ難しいことだ、ということです。

国際関係論を大学で学びましたから、冷戦構造や核の抑止力によるバランス理論も知っています。カンタンに言えば、双方がにらみ合っていれば、発射できないという理論です。

■ 正義は心のレベル

しかし、そういうのは、頭で考えたことです。

心で感じ、魂が揺さぶられる次元のことではありません。

原爆投下後の広島・長崎を見て、魂が揺さぶられない人間は、この世にいないのではないか?と思います。

このような目にあいたい人間は一人もいません。

自分がされたくないことを人にしてはいけない 

と、世界中のどの宗教も教えます。宗教でさえなくて、ただの一般常識です。

非暴力、アヒンサの原理は簡単で、幼稚園生でもわかります。隣の子をぶっちゃダメなんです。ただそれだけです。

しかし、理性はいともたやすく、このレベル…5歳児でも知っている善…を覆してしまうのです。

■ 心の声を聴く

だからこそ、理性を手放し、心の声をダイレクトに聞く、という東洋的なアプローチ…代表としては、ヨガや瞑想などが、西洋の社会で注目を浴びるようになったのかなぁ…と思ったりしています。

思うに… 山も同じです。

ダイレクトに心に語りかけてきます。山で朝日が昇るのに立ち会い、地球が美しいと感じない人は、ほぼ皆無でしょう。

美しい地球を守らなくてはならない、と感じない人は、いないと思います。

現代社会は高度化され、心や魂で”感じる”ことよりも、理性で”考える”、”判断する”ということが重視されます。

ですから、こうした直接心に問いかけ、原始的と言っては語弊があるかもしれませんが、より生命の本質に近い部分で、ごく単純な部分で、善悪を感じることが大事なことです。

すべての生命体にとって、善悪は単純です。死は悪で、生は善です。

心で感じたことにたいして、理性が異なる判断をするときは、より高次な理性のほうの判断が間違っています。心理学では認知の歪みと言われています。

理性による判断の大筋を間違わないよう、心に立ち返る体験…つまり基本に立ち返ること…が、現代では、より一層必要なのではないか?と思います。

それが、自然に触れるあらゆる活動、瞑想、ヨガ、その他の心に立ち返る活動、が必要な理由です。




Monday, May 29, 2017

実力以上の山に行かないで

■ アルパインクライミングの進展はホワイトウォーター

ホワイトウォーターと言う言葉をご存知でしょうか?これは、昨今の先行き不透明な時勢を表現した言葉で、白濁した水のように、何が正解か分からない世界、という意味です。

ビジネスでも、国家の先行きでも、現在はかつての戦後70年のように、未来が明るく照らされて、何を目指しているのかが明確だった時代は終わり、どうやって成長して行くのか?いかに持続可能性を目指すのか?不透明な時代となっています。

そのような中で、正解を見出す力が問われている、という意味で、

(現代を生きる) ことと、(今の山の世界を生きる)、

ということは似ているかもしれません。

既存の仕組みが機能しない中、本格的がつく登山をスキルアップするのは、ホワイトウォーターの世界でビジネスをクリエイトしていくCEO並みの能力が必要かも?と思います。

■ ホワイトウォーターの世界で必要な技術

そうした世界で必要な技術は何か?

・小さな手数を増やす、
・効率性ではなく、効果性を求める

の2点なのだそうです。

これを登山に落とし込むと

 ・山岳会にも属すし、そうでない人とも行くし、山行チャネルを増やす
 ・その中で、効果があるもの(楽しいもの)を強化していく

です。

私にとっては、効果があったもの、つまり、私自身を幸福にしたもの…は、

 ・山岳イベント等で知り合いになった人と行く山
 ・レスキュー講習で知り合いになった人と行く山
 ・山の話で意気投合した人と行く山
 ・後輩と行く山
 ・師匠と行く山
 ・クライミングで知り合った人と行く山
 ・ブログで知り合いになった人と行く山

などです。そう言う人たちは、皆同じように、ホワイトウォーターの世界で、試行錯誤し、パートナーを模索しながら、苦労して山に登っていますので、共通の関心がある、という点があるかもしれません。

■ ゴールが見えない中、進む

ゴールが見えない中、手探りで進む、という感じは、ビジネスだけでなく、登山でも、特に顕著にあるのが現代ではないか?と思います。

色々な人に話を聞きましたが、みな一様に苦労しています。

私の”自信”の出所は、まさにこれです。まったく手探りの中で自分で考えて進んできたこと、それが自信へとつながっています。

そのために欠かさなかったことは、種まき、です。

頻繁に色々な人と知り合いになり、お互いに相手に対して、役立てる部分はないか、と話をし、また、自分の知り合いは知り合いを紹介をする、そんな活動を種まき、と呼んでいます。

■ 無欲

そこにあるのは、パートナーの取り合い(占有)ではなく、誰しもが登りたいのだから、できるだけ多くの人が多くの人と登れたらいいのでは…という分かち合いの精神です。

ひと時代前の人は、それがない人が多いように思います。俺のモノだ!と独占したがるパートナーというのは、自分のことだけを考えているのかなぁと思ったりもしますが…。言葉の定義が占有という意味なのかもしれませんよね。私は、時間がある人が時間があった人をビレイすればいいのではないか?と思うのですが…。もちろん、かわりばんこで。

ただし、この前提は、ビレイが確実ということです。ビレイが確実でないクライマーは、いくらクライミングが上手でも、誰でもお断りですが…、ただそういう人は誰からも誘われなくなるので、たぶん、クライミングも上手になる機会がないかもしれません。

■ 地頭力

私が登山において学んだことは、逆さにして考える、ということです。

”…ということは、どういうことか?”という思考法です。

これは、ホンネと建前が大きく異なる日本の登山の世界では、特に顕著に必要になる能力かもしれません。

Y先輩が山行の誘いをメーリングリストに流しても誰も乗りません。(…ということは、どういうことか?)と考えると、Y先輩は実力以上の自分に登れない山ばかりを提案しているということです。

後輩君が行きたいと言ってきたルートは、私がすでにパートナーや師匠と行った山行ばかりでした…つまり、私にとっては復習山行です。(…ということは、どういうことか?)と考えると、彼はセカンドで連れて行ってほしいと考えている、ということを意味しています。

私が先輩に一緒に行ってほしいと頼むルートは、私のリードでビレイヤーで付いて来てもらうルートばかりです。(…ということは)、私はチャレンジの”保険”としての先輩を求めているということを意味するのです。

山の人の間では、そういうことをきちんと言葉では表現せず、曖昧にしておく習慣が根強いようです。

それが登山における真のリーダーが誰か?ということがあいまいになったり、山行のテーマがぼけて、何のために山に行っているのか分からないような山になったり、という結果を生むこともあるようです。

つまり、山行の意図、が良く分からない、ということがあるのですね。逆に言えば、これがきちんと表現できるリーダーが良きリーダーと言えるのかもしれません。

山行には大体種類があります…

・顔合わせ山行 安全の為お互いの実力を確かめ合う山行
・トレーニング山行 いわゆるゲレンデや歩荷山行、人工壁での登攀力の習得 
・プレ山行  本番の前にすり合わせ 穂高前の三つ峠など
・本番    目標ルートを頑張る
・親睦    会山行などでは、互いに良きパートナーを見つける
・講習会   レベルの平準化
・レスキュー 一緒に行く人とやらないと意味がないので、一緒にやりましょうと言われたら将来のパートナー候補

■ ぺてらん

登山の意図、ということですが、自称ベテランのことをペテランと言うのだと、最近教わりました。

ペテランの方が最も恐れるのは、ベテランではなく、ペテランだと分かってしまう…つまり、バレることです。ばれた場合の恨みは、恐ろしく長引くものです(笑)。

ペテランだとバレるもっとも大きな理由は、実力以上の山を企画すること、です。

本当のベテランは、常に実力にゆとりがある山行を行います。後輩をセカンドで連れて行くのなら、なおさら、大きなゆとりが必要です。

さらに言えば、山行計画で、手抜きがありません。

さらに言えば、山行計画が非常に的を得ており、持ち物、その他等の指示が簡潔です。

初心者にとって難しいのは、(簡潔)と(手抜き)の見極めです。

■ 無謀な初心者

アルパインに入門したころの人は、一般登山で培った自信をアルパインにも持ち込みますが、桁違いの能力が必要になるため、その差が認識できる程度の経験量を貯めるまでの間に実力以上の山に行ってしまい、亡くなってしまう人が多いです。

アルパインの死者で多いのは、男性20~30代、です。

■ 本格的がつく登山、つかない登山

日本では、登山は、海外とは異なり、

1)”本格的”という形容詞がつく登山

と

2)ハイキング

が、山の中に混在しています。

■本格的がつく登山とつかない登山の違い

 ”本格的がつく登山”           つかない登山
体力トレーニングが必要           不必要
技術トレーニングが必要           不必要
知識が必要                 不必要
経験が必要                 不必要
情熱が必要                 不必要

その差が無知により分からないため、という理由での遭難は、無知が有知になれば(そんな言葉があるかどうか分かりませんが)、解消するハズです。

ここでも、心・技・体・知・経がバランスよく成長すること、その輪の大きさに合わせて、登山者が登る山を選ぶこと、が大事です。

■ 登山者側のレベル低下

しかしながら、昨今の遭難の大きな部分を占めているのは、本来、特殊なトレーニングや一般常識程度の知識で安全に登山することが可能であった2)のハイキングのレベルにおいても起こっており、その主たる原因は、

登山者側の一般常識不足

や

一般的とされている体力にも満たない体力不足、

です。つまり、ひとつの山というものが要求してくる体力なり、一般常識なりが一定であることに対し、その対象に向かう側の人間の能力が下がってくると、遭難は増えます。

もちろん、登山者の絶対数が増えれば、遭難数の絶対数も増え、割合としては変わらないわけですが、昨今の山ブームでの登山者数は、何十年か前の登山ブームの時と比較して非常に小さいそうです。

実は、往年と比べて登山者は減っているので、それで、山小屋の経営が立ち行かなくなる、などの事象も起きています。

登山者の絶対数がそう大きくない、増えていないというのであれば、考えられることとすれば、レベル低下がもっとも大きな要因となります。

私が山を始めて以来、毎年、遭難者数過去最高とニュースで言っていますが、それは毎年登山者のレベルが継続して低下している、という意味なのかもしれません。

結局は 実力以上の山に向かっている、ということになります。

■ 実力以上の山に行かない

さて、一般登山の遭難は、さておき、このサイトで追及しているアルパインクライミングでは、遭難というのは、

実力以上の山に行ったこと

が、最も大きな原因です。アルパインクライミングへ進むような人は、山の初歩的なことはすでに理解しており、自分の安全は自分でコントロールできるだけの知力、適正なCSバランスを発見するだけの知力があることが前提だからです。

山で生き残る秘訣は?とベテランに問うと、かならず

弱気

と返ってきます。つまり、自信過剰で実力以上のルートに行ってしまうことがほとんどの遭難原因なのです。

つまり、安全登山のキモは…

実力以上の山に行かない

ということです。

■ 言うは安し、行うは難し

しかし、実力以上の山に行かなければ、実力は上がりません。そこが難しいところです。

また文化的な難しさもあります。風潮ということです。

本格的と言う形容詞がつかない、一般登山をしている一般登山者は、実力以上の山が死に直結するということを理解していませんし、基本的には、という但し書きつきですが…一般ルートでは、そのような覚悟や決意が必要な山というのは、基本的には存在しません。

この場合の、”基本的には”、というのは、季節や雪の有無、高所恐怖症の有無、冷静さなどの性格の要因も入るためです。

北アの岩稜帯を縦走して分かったことですが、ごく普通の街の中でも、きちんとふらつかないで歩けないような、歩行力のたどたどしい方が北アの鎖場に来ています。山はタダでも危険な所ですので、健康体と言えない体で臨めば、危険窮まりないのは当然です。そう言う例は例外的と思えましたが、昨今は例外とは言えないほどに増加しているようです。

本格的がつく山には、体力・技術ともにトレーニングが必要です。ジャンダルムや北鎌尾根は、一般ルートとバリエーションの間にあるような場所ですが、その程度、つまりアルパインで初級程度でも、一般ルートとしては最上級ですので、年齢等を考慮すれば、トレーニングが必要になる人が出て来ても不思議ではありません。

例えば、敏捷性が衰えるような年代に属す人たちです。

■ 先行きが見えない中で持続的に成長する

ホワイトウォーターというような先行きが見えない中で持続的に成長するには、下界でも、継続的に取り組めるトレーニングが必要です。

私が思うには、そのようなトレーニングの場にこそ、仲間づくりが必要です。

山という本番よりも、退屈で投げ出してしまいたくなる下界でのトレーニング…仲間がいれば、その退屈さもしのぎようがある、というものです。

トレーニングを共有していれば、目標とする山がそれぞれでも、互いに互いの成長をサポートし合うことができますし、実力差についても明瞭で、Aさんが行ったから、私も行きたい、というような、実力に基づかない、ないものねだりの要求も収まるかもしれません。

リーダーが、実力以上の山にメンバーを連れて行ってしまう理由の最大は、このような理不尽な要求にノーと言いづらい、という風潮にあります。

このブログを一時閉鎖した理由の一つに、私が行ったルートに自分も連れて行け、と主張する人が出てきたことがありました…。

私の実力は大変過小評価されているようで、私程度が行ったところは、努力なしでも行ける、と多くの人が考えるから、のようです。

アイス歴4年の人と1年未満の人が行っていいところと行って良くないところは、当然違いがあるはずです。

そのことから反省したのは、ここにあまり苦労話を書かなかったことです…。私はあまり、苦労したことにフォーカスしない性格なので、努力なしで達成していることのように読めてしまったのかもしれません…。その点は反省しています。今後は、できるだけ正確な描写をと思いますが…。

■ 山には、下積みがたくさん必要です

このブログは、本当に登山経験ゼロからの、いわゆる山ガールと呼ばれていたような人が、アルパインクライミングに進むまでの経緯を紹介してはいます。

…それは真実ですが、そのプロセスで、いわゆる無謀な試み…準備不足などの…は、ありません。また2年目程度の時から、誰も私を山ガールとは呼ばなくなりました。

また、単独行で山をスタートしているように、最初のスタート地点から、単独、北岳レベル、積雪期レベルからのスタートです。

ガイド山行も最初の入り口でお世話になる程度で、どうすればいいか分かった後は、自前の山行での経験を地道に積んでいます。

何より、年間山行日数が、一般の方とは全く違います。年の3分の1は山です。

なので、良い子はマネしないでください、ということになりますが、ぜひ、マネをしていただきたいのです。

それは、山行ではなくて、無謀なことをしないとか、準備に余念なく、その山に必要な資質は何か?核心は何か?と考えることに余念がない、というようなことをです。

もし、私が行った山にトレーニングや準備、十分な装備無しに行こうとする人がいるならば、やはり無謀ではないかと思います。

こちらに積雪期の登山が初めてで、正月の富士山に挑もうとした初心者の方にガイドの方が答えていますが、このような登山者との対極に私はいます。

この方は、毎年何人も人が亡くなっている冬富士のニュースを知らないのかな?どういう理由で、まるで、ハイキングにでも行くように元旦に富士山に行こうと思ってしまうのか、私には理解不能です。遭難した知人がいましたが、遺体が出てくるまでに、半年かかりました。

■ プロセス

ちなみに、今回の心の旅、インスボンへのプロセスを振り返ると… これは大体同じ時期に、この数年間、どう過ごしてきたか?ということですが…

2017 インスボンでフリー
2016 ロゲイニングの大会出席
2015  沢に初心者の友達を連れて行く
2014 小瀬クライミングウォールで練習 & 山についてあれこれ考えを深める
   https://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/05/blog-post_7168.html
   https://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/05/blog-post_28.html
2013 GWの穂高に憧れ → この段階で行って遭難する人多数
2012 単独行(加藤文太郎)を読み終わる&河原でテント泊の練習

という軌跡をたどっています。振り返って歩みが遅いようでも、着実で順調な成長のように思います。

■トレーニング歴

参考までの当方のトレーニング歴をあげておきます… 肉体のトレーニングはもとより、山では知力も相当に重要な地位を占めるような気がしますので、学歴主義者ではありませんが、学歴も紹介しておきます。

熊本高校卒業
国立大阪外国語大学卒業(現・大阪大学) 
アメリカサンフランシスコ 単独渡米 2年 
帰国後TOEIC 925取得
2000年 創造社ホームページ制作コース終了
2005年 大阪編集教室ライターコース終了
2007年 社会人大学院グロービスにてクリティカルシンキング・マーケティング終了 クリシンMVP受賞、マーケティングは評点A
2011年 IYC ハタヨガ初級認定講師
2013年 長野県山岳総合センターリーダーコース 受講
2014年 無名山塾 雪上訓練
2014年 ロープワーク講習会 主催
2014年 第21回関東ブロック 「雪崩事故を防ぐための講習会」 
2013年 日赤救急救命講習
2013年 雪山のリスクマネジメント
2015年 東京都都岳連 岩場のレスキュー講習
2016年 日赤救急救命講習
2016年 キャンプインストラクター資格取得
2016年 上高地自然ガイド講習終了
2016年 レスキュー講習会 主催


Friday, May 26, 2017

失われようとしているベテランの知恵

■ 山を伝授する

山岳会による山の教育が機能しなくなったと言われて久しい。

昨今の山のベテランが若手の教育をしない理由は、簡単だ。恩返しがないから(笑)。恩返しの一番は、頼れるパートナーになること、その次が、次の人に教えること、です。

・頼れるパートナーになる
・次の人に教える

この2つが、現代の人にはできない。(能力がないあるいは時間がない、など、その人のせいでないことも多いが)

そういう人に山を教えても、骨折り損になる上、ベテラン側は、いい加減、もう自分ができることはやってしまったと感じている。

つまり、山と言う活動はステップアップが必要なので、ピラミッド構造になっているのだが…つまり、最上位の一人が中級者3人に教えたら、その中級者3人がそれぞれ初級者3人教えて9人、その初級者9人がそれぞれ入門者3人に教えて27人みたいな構造になっている…のだが、今の時代は、中堅がいない。

   1
  333  → ここが欠けて
 66666 → ここも欠けて
9999999 → ここばかりが増えている

こんな構造。

ので、トップの一人が怒涛のような入門者を教えるみたいなことになってしまいますが、そうすると、27人、そんなに教えることは神でも不可能、ということになってしまいます。

堤防のように頑張っていたベテランも、匙をなげます。私のメンターは、元々登山学校で校長先生をしていた人ですが、自分が教えた人が、その下の後進を教えないので、腹を立てています。

なので、現在は登山学校という仕組みは、有償での教育が有望です。お金を払う気があるくらいだから、ヤル気がある、ということが試されすみだからです。あの岩崎さんも同じことを言っています。

■ 通信教育が可能

私が思うには、山はほとんど通信教育が可能です。私で現在実証実験中です(笑)。

こういうのマスターして置いて、と言われて、それをやってくる人がちゃんとした人です。

「ビレイマスターしてきて」と言われた人が、その通りにマスターしてこなかったら、また再度、半年ほど待ちます。

「ピッケルじゃなくて読図でしょ」と言われたら、読図マスターしてこないといけません。

一通りマスターするまで、次の段階に進めません。進むと命の危険があるからです。

何年かかったとしても(自由になる時間は人それぞれですから・・・)、してこないとダメです。ちなみに私は読図に取り組んでから、3年かかりました。

■ 連れて行く?

スキル未満の人をセカンドで連れて行くほうが、自分のパートナーが欲しいという悪魔の声に負けているのです。

その証拠に、去年、私はインスボンにクライミングに行くだけの登攀力がありませんでした。それを別のベテランクライマーに話をしたら、

「(私を連れて行かなかった)〇〇さん、エライね~!」

と感心していました。

私もまだその段階にない人をルートに連れていってしまったことがあります…。というか、連れて行ってから、まだその段階になかった人だと言うことが分かったんです。それで責任を感じて、ルートに出るために必要な技術で、自分が知っていることは、みんな教えました。ちなみにスタカットと懸垂です。

■ みな一律平等はできない

山は、等しく誰しもに対して接します。それに対し、人間側の体力はそれぞれ。

なので、Aさんが行ける山に、Bさんも行ける、ということにはならないです。

つまり、みんな一律平等に同じ山に連れて行くことはできないということです・・・それをすると一番弱い人が行ける山にしか行けません。 

私は去年はインスボン、行きたくても行けませんでした。

しかし、そこを頑張って、山が要求するレベルに自分を持ちあげて行く、ということが、山の本来の楽しさだと思います。

私は2点支持を身に着けるのに3年かかりました。インスボンに行けるようになるまでにフリーのトレーニングに丸1年かかりました。

これは平均的スピードだそうですが、成長のスピードは人それぞれです。自由になる余暇の時間にも左右されますし、ジム環境や、元々の才能、身体のメリット、筋力などにも因るからです。一つだけでなく複合的な要素が必要です。

それぞれの時間がかかってもいいから、一つ一つ段階をクリアして行く、段階的成長が必要です。

■ 危機感

私が持っている危機感は、ベテランの知恵が、これから10年以内に失われていく…ということです。

今、私を教えてくれている人が、10年後も教えられるか?というと違うような気がします…

一方、私は10年後も確実に元気でしょう。少なくとも生存はしているでしょうし、山に登る体力がないということもないでしょう。

だから、今、吸収しないと・・・。

■ メンターになれるほどの山ヤはめったにいない

今の師匠、メンターになってくれている人ですが、そのクラスの山ヤはめったにいません。

ただ、残念なことに、彼クラスの山ヤが、学ぶべきモノを持っている、山への姿勢とか、技術とか経験とか…そういうと言うことも分からないくらいの不勉強な人ばかりで、ベテランのベテランたるところのありがたみが分からないことが、山の技術継承の問題をさらにややこしくしているように思います…

みんなは、もしかして、山なんて、誰にも教わらなくても登れる、と思っているんではないでしょうか?あるいは、トレーニングなんかしなくても登れる、準備なんかしなくてものぼれる、と。

こういう記録を読むとそういう人がメインなんじゃないか?と思ってしまいます・・・

GW 悲喜こもごも

■ 山のステップアップをコンテンツ化すること

山をコンテンツ化すること・・・いわゆる登山学校のカリキュラム的なことになりますが…も、実際可能だと思います。

というのは、私は菊地敏之さんが、大昔の岳人に寄稿した、雪山初心者のためのステップアップ雪山指南をみて、最初の3年はその通りに過ごしたからです・・・(笑)。

あの記事は本当に役立った。それでムリなくステップアップできたので。

当時、私のメンター=山の先生は、菊地敏之さんだった、と言えるでしょう。

■ 天才は言葉にするのが苦手

山というのは才能が必要みたいで、才能ある人は他の分野にもれず、直感的感性の人です。天才肌ってことです。

そういう人は、良き指導者になる、ということは、難しいみたいです。言葉にできないのだそうです。

たしかに、山の技術って一般論に落としづらいです。 

良くあるのが、山小屋で、「〇〇岳って私にも登れますか?」ってやつです。そんなの、自分で解決してください、みたいな質問をよく受けます。答えられるはずがない。

山って一般水準のド・スタンダードなところを持ってくるのも難しく、個人個人に合せて適切な山を選んだほうが良い、ということもあります。

例えば、新人Aさんのアルパインデビューは屏風岩なのに、新人Bさんのデビューはなんで左岩稜? 不公平だ!というようなことは通用しません。単純にAさんのもつ力量が大きかったからで、不公平でもなんでもないのです。逆に同じにしたら、不公平になります。

技術的に同じことを教えるのに、体力度でそれぞれ違う山にするというのは、普通のことです。こちらにリー研の記録がありますが、みな同じことを教わっているのに、それぞれ困難度が違う設定にされていて非常に参考になります。

町内の山のリー研の記録

独学の人が自ら学ぼうとする場合は、一番控えめな設定からステップアップするしかありません。

≪参考記事≫
ダメな山岳会の事例