Thursday, May 23, 2019

富士山で「動けない」救助隊捜索、連絡せず自力下山

このようなニュースが、おとといありました。

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富士山で「動けない」救助隊捜索、連絡せず自力下山

5/21(火) 19:50配信
読売新聞オンライン
 山梨県側の富士山を登っていた20歳代男性が20日午後、「疲れて動けない」と富士吉田署に通報した。救助隊員6人が捜索を続けているうちに、男性は自力で下山。同日夜、東京都内の自宅に戻るまで、下山したことを同署に連絡しなかった。

 発表によると、男性は同日朝、単独で麓から登り始めた。アイゼンをつけていないなど軽装で、登山届も提出していなかったという。残雪に覆われた8合目付近で動けなくなり、午後0時40分頃、救助を求めた。

 曇天でヘリによる救助ができず、県警の救助隊員が5合目から現場に向かった。途中で男性と連絡が取れなくなり、捜索は午後9時半頃まで続けられた。その間に男性は麓まで歩き、電車で帰宅。男性から連絡があったのは午後10時頃だった。

 富士山の山開きは7月1日。県警は「この時期の富士山は残雪があり、非常に危険。下山中の滑落や、救助隊員が二次被害に遭うおそれもあった」と指摘している。


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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00050232-yom-soci&fbclid=IwAR2ggE7IA3JNvLdk90_oTbzZINTTzsnRCyWGiiG3cayh5fj1TcjEIvsnnUg より引用


■ 無知 が原因


このような無知をどうやって防げばいいのでしょうか…?


このような無知による、社会的損失のインパクトが大きすぎますね。


5月の富士山に行くような登山者は、私のようなアルパイン経験者か、もしくは、この登山者のような完全無知レベルの人か、どちらかです。


私もこの時期をわざわざ選んで富士山に登っていますが、それは、無雪期の富士山なんて、山初心者が行くような山でしかありません。標高というのは、登山の実力を測るにはまったく無意味な指標です。そのことが分からない人が、一番高い山、を目指します。


この時期の富士山は、経験者には簡単ですが、アイゼンがいる山です。雪の山としては、簡単な部類です。寒さが厳しくないためと雪も腐っているためです。最大のリスクは紫外線。


さて、この方は、雪もしらず、山も知らず、ただ、時間が空いたから、登ってみようかなとでも、思って登りに素直に行ってしまった程度の無知な登山者でしょう…


しかし、引き起こした迷惑、最大…


こうしたことをしてしまった人を責めるのは簡単ですが、一つ間違えば死んでしまいますね。


遭難救助を要請したということで、そのまま連絡せずに下山したら、連絡して下山した場合よりも、なんらかのペナルティがないことには、このような判断を防げないでしょう。


救助隊に


 A)連絡しても、怒られて終わり。


 B)連絡しなくても、怒られて終わり。


であれば、どうするでしょうか?


ここのところに、Aを選択する、なんらかのインセンティブを設けない限り、これからも、


全く無知


な登山者がこのような判断をすることは、避けられないでしょう。


無知な人は無知なだけに、捜索隊がどれほど、大変な捜索をするのか?見つからない限り、帰宅もできないということなど、知らないし、想像する能力すらないだろうからです。


この世で最大の問題は、無知、ですね。





Monday, May 6, 2019

塩見小屋の訴訟問題について

今日のFBから
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「登山者にとってはどうでもいい話です。」

というコメントが入りました。

当然だと思います。
反応してくれたり、応援してくれる方は沢山いますが、割合にすれば、山に興味のある方の数%かもしれません。
殆どの人は、スルーしていると思います。

逆に登山者の一意見として、コメント入れてくれるだけ、有り難い事なのかもしれません。

ただ、内容は塩見小屋の事や管理人としての私の事ではなく反論も出来ません。
裁判や小屋についてなら理解も出来ますが、それとは関係のない個人的な感想は、酷い言い方をすれば、私にも必要ではなく「見ないで下さい。」としか言えません。

前にも書きましたが、テレビの様に嫌でも目につくという訳ではないので、スルーして欲しいです。

仮に私がこの方の投稿に、「あなたの山行日記は、殆どの人にとってどうでもいいこと。」と書き込めば、この方はどう思うでしょうか?

何を言っても一見自由だからこそ、私は投稿には、慎重になっています。
他人の事を考えなくなれば、今の伊那市と同じになってしまうからです。でも、A課長に関してはかばう気にもなれませんが。

伊那市にすれば、これも立派な管理人に対するクレームになるのでしょう。

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■ 正直者が馬鹿をみる世界を放置することは、全員にとっての悪

このコメント、「登山者にとってはどうでもいいことです」

を聞いたときに思ったことは、他者の痛みが分かる人間でありたい、ということでした…。

山に、みなさん、癒されに来ていますよね。山ですら、弱肉強食の論理を持ち込まなくていいじゃないですか…

山くらいは、ただ”母なる大自然に対する深い理解と知恵”を身に着けた人が、その努力の対価を受け取れる世界であってほしいです。

塩見小屋の訴訟は、あきらかに伊那市市長の横暴ということが見て取れます。私自身は、そのような横暴に対して、真正面からぶつかっていく塩見小屋の方が、心身を悪くされないか、心配でなりません。

私自身のことだったら、こんなことに時間をかけないと思います…なぜなら、戦うことで得るものがあまりに少ないと思うからです。

しかし、果敢にも立ち向かっている人に対して、無関心 を伝えることは。

愛の反対は無関心なのです。

社会で行われた不正義を見過ごせば、その社会はどんどんと生きづらい社会に変化していきます。まわりまわって、人を信頼できなくなっていく…。そうした時に返ってくるのは、自分に対してです。

本当に、山ですら、こんなことを言うような人が来てしまう社会になってしまったのですね…

日本の世相が残念です。






Saturday, May 4, 2019

山小屋のオヤジが怒れなくなった山の世界

■ 登山ガイドなんか、まともな山ヤは、なりたくないですよ…

だって、変な人しか山に来ないんだもん…


さて、この本は、山小屋で働く人には必携です(笑)。

何しろ、山小屋には、もうとんでもない人たちが来ます。

というか、登山人口の中で、とんでもない人を選別して連れてきているとしか思えないような人がきます。

つまり、基本的にとんでもない人”だけ”がくるのが、夏山の小屋です(笑)。

というのは、ちゃんとした山やは小屋なんか泊まる必要がない、ですから。

山小屋のオヤジが怒鳴らなくなりました。

…というのは、

 第一に、トンデモ件数が多すぎる
 次に、逆切れするお客さんが多い

からです。もう、小屋には怒っていたら、キリがないくらい、怒り心頭するような、自分で、自分の安全も守れないような人…しか来ないんですよ…。

「○○大雪渓って私にも歩けるでしょうか」  知らんがな!って人が多いです。

■ 市場的に見ると…

つまり、マーケット的に成熟してしまい、レイトマジョリティー市場なんです。

市場が成熟して、トンデモな人すら来るようになった、という表現のほうが、実態をよく表していると思われます。

登山ガイドさんにしたって同じです。山岳会で新人を扱っていても、一様にみな同じことを思います。もう、みなさん、トンデモばかり…です。少しは自分で勉強してなーって。

■ 怒りは当然の反応です

そういう場合の解決案として、日本人は怒りを良くないこと、として押し込めていると思いますが、それこそがストレスの原因では?

問題の根源は、コミュニケーション力の不全にあり、怒りを感じないというのは、人間である限り、無理であると結論しています。

  1)覚悟、
  2)コミュニケーション能力、
  3)ルールの明確化、

この三つが怒りを上手に表現し、解決へ持っていく基本ツールです。

最初から逃げに走るとストレス耐性次第では、引きこもる以外なくなります。

つまり、怒りを避けるという手段は、”逃げ”という選択肢という訳です。

世間とのかかわり方を子供時代に、きちんと学ばなかったという自覚が私にはありますが、私はどちらかというと、健全な魂を持っており、良くないことには、きちんと怒りを感じるタイプです。

善と悪の判断にも、自信があるタイプです。神の場所は知っている。小さいころから、心に神を持っていました。もちろん、悪いこともしていますから、聖人君子ではありません。そんな人がいたら、その人こそ、ウソつきです。

とはいえ、パオロさんの指摘は、子供のころ感じていたことと同じでした(笑)。素朴な疑問、ってやつです。

■ 具体例

先日、チベット僧のターパさんに ”怒って注意” しました。というのは、お寺に朝から座禅に行くのに、ナビで運転中に話しかけるんです、今、運転ナビ聞いてるってば!っていう奴です。それでも、彼とは変な仲になっていません。

同じようなことで、日本の74歳、世間に名の知れた往年クライマーの場合…。足が痛くて歩けないですって何度も言っているのに、私を連れまわすんです…。

何度も何度も「歩くのも痛いんです」と言って、事態を理解してもらうのに、丸2日、かかった上、彼との仲は、3か月の投資期間があったにもかかわらず、おじゃんです。ちょっと怒っただけで。

それは私が文句を言ったからです。ターパさんにしたのと同じように。

どんだけ打たれ弱いねん!

ターパさんと日本の往年クライマーの差は、”メンツを立てられるのを当然視しているかどうか”だと思います。

恐るべし日本のオジサン。チベット修道僧より、俺様化!!

つまり、日本の男性の自尊心は、俺はお前よりエライ、ということにしておいてもらわないと、はかなく散るような、自尊心ないのかもしれません。

先日、運転をしていた高齢者が、通行人をひき殺して、すぐさま保身に回り、話題になりましたが、似た部分を感じました。逃げ足と無責任さ、にです。

■ ルールを無視する相手対策

余談ですが、海外では、自分の安全は自分で守るものなので、私は小型小銃すら携帯していました…

私は体が小さくて、暴力やレイプには非常に脆弱だと誰が見ても明らかだからです。

日本では、女性に対する性的嫌がらせは、厳罰化していないので、特に都会と田舎では温度差がかなり激しく、田舎に行けば行くほど、セクハラは、”大したことないでしょ視”、されています。

この根底にある思想は、マチズモです。マチズモとは、力が正義に勝ると定義している世界観ですが、この世界観では、力が弱い=序列の最下層です。昔の父権制度と同じです。

ですので、弱い性である女性をセクハラしても、まぁ、それは大したことにカウントされません。子供に対しても同じです。

それは、強い側から見たとき、共感が得られないからです。尻を触られたくらいなんだ。とかそういうレベル。

したがって、チベット修行僧と74歳の差が出るような理由というのは、よくよく原因を求めると、

日本という国では、弱者であっても、きちんと強者に向かって怒りを表明できる社会でない

ということが根底にあると気が付きました。

要するに、多様な価値観が受容されていないからだと確信しました。

日本でも多くの価値観が認められるようになっていくのが私の願いです。

特に山は 体力1点豪華主義の人が多数です。体力だけで遭難が減るわけないでしょ。


エゴシステム・エコシステム

https://7secondcoach.com/2017/02/28/egosystem-ecosystem-one-program/より引用。

登山の良さ、本質を一言で捉えると、山は、エゴシステムではなく、エコシステムだということに自覚をもたらすことです。

山でもっとも優秀なのは、誰か? 山でのサバイバルという非常に狭い範囲で見ても、人間ではない、ということは、ちょっと考えただけで明らかです。

鹿さんや、カモシカさんなどの野生動物が、一週間道に迷って死にますかね?死にませんね? 一方人間は脆弱で弱く、数日の野外生活ですら、死んでしまう人いるほどです。

人間は傲慢になっているため、自分たちのシステムを山に持ち込むために、遭難が後を絶ちません。

私が山をスタートして以来、遭難者数は過去最高の記録を更新中ですが、理由はあきらかで、

 山の本質の捉え方

が、間違っているからです。山は町ではない、そんな言われてみれば当たり前のことを、みなきちんと自覚せず、山に行くからです。

山の本質の一つは、登山をするからには、

 新しい地理認識システム

を習得する必要がある、ということです。それは、下界のような 東西南北の碁盤の目でもなく、30m歩いたら、右手にコンビニが見えて右折、みたいなナビシステムでもなく、尾根と谷を使い、標高差と歩く時間を使うものです。

山では体力は必要ですが、どんなに低い体力の人にとっても、登れる山はあります。

山での体力一点豪華主義は、傲慢につながります。体力順のピラミッドシステムで、山の価値、序列をつけるようになるということです。

例えば、美しい尾瀬と急峻で体力がいる甲斐駒、どちらの価値が上ですか?

そんなの、比べられませんよね? 比べられないということに、序列をつけるシステムが、価値観、になってしまっています。それは、往々にして、我田引水のことが多く、体力がいる山が上だと思う人は、体力一転豪華主義を採用していることが多いです。

例えば、アルパイン・クライミングにおいては、体力だけを強調される往年のクライマーが多いですが、現在のアルパイン初級ルート(前穂北尾根を想定します)は、アプローチ6時間の涸沢側から入ったとしても、往年のクライマーはすでに体力が初心者より下になっている可能性が濃厚です。

では、というので、アプローチで消耗がないゲレンデ的なアルパインルート(例:錫杖)が人気になっています。つまり体力一転豪華主義はなくても、楽しめるルートはすでにある、ということが基本的には明らかになってきています。

(これは、もちろん、登山者としての最低限の脚力、一般登山を終わり、一日10時間程度の行動は苦にならないくらいのもの)が無いのはアルパインはそもそも教えられないという前提です)

なので、体力はあっても邪魔にならない資産ではありますが、ありさえすれば安全という資産ではありません。山において、体力や歩荷力は、下界のお金と同じことですね(笑)。

ないなら、ないなりの山をすれば良いということです。

■ どのような問いを作っていけばいいのか?

これから山をされる方は、ぜひ問いを持ってください。その問いとは

”どうすれば、山に安全に登って降りてこれるだろう?”

というものです。誰かについて行けば安全 という解を出される方が多いのが、問題ですが、誰かについて行っても安全は増えません。その人が、山を知らなければ、意味がないからです。

ガイドさんについて行けば安全も、間違った思考です。ご自身の安全はご自身で守れなければならないからです。

例えば、低体温症でなくなる人は、ザックにレインウェアやレスキューシート、ツエルトが入っていたことが多いです。ガイドさんが着れと言わなかったから着なかったのでしょうか?

その方は寒かったら服を着るという6歳時でも行えることをしなかったために山で命を落としたのです。

ですので、どんなにすごいガイドがついても、自分で考えない人には、ゲームアウトが待っています。

常に自分で考える、そのためには、

 山で死なないためにはどうしたらいいか?

と常に問うてください。そうすれば、山は常にあなたに微笑みかけてくれるでしょう。

Wednesday, May 1, 2019

雪上のルート選択


こちらは、雲ノ平ナビ 北アルプス黒部源流域/Peak2Peak写真山岳ガイド事務所からFBで回ってきた画像です。

今年は積雪が多く、特に雪崩での遭難が心配されています。

GWは雪山にデビューされる方が多い時期ですが、人のトレースを歩くことが山だと思ってしまう人も多数の時期です。初心者の傾向として、そうなります。

一方安全の中で大事なことは、地物があるところを歩く、ということです。雪庇の上かどうかの判断は、夏道を知らないと想像できないかもしれません。

あらかじめ無雪期に山の形状を頭に入れてから、GWに舞い戻ってくるような、用心深い登山者は昨今だいぶ減ったのではないでしょうか?

山でも、日本的な、みんながやっているから大丈夫、が目につきやすいですが、この画像でも示されている通り、安全な選択肢(左側)を取れば、より高度な雪上歩行技術が必要になります。

 ・安全なルート選択を知っているということと、
 ・その道を歩ける技術がある

の2点が必要です。