■ 突然の啓示の正体
何か突然の啓示のようなものが降りてきて、やっと終に長年愛着を持って続けていたブログサイト、Allday,Everydayを終了しました。やっと肩の荷をおろせた。
https://allnevery.blogspot.com/
手放したいのに手放せない…となっていたのは、親切にしてやったのに殺されかけた…という「やりきれなさを伴う、恨み・つらみ」からでした。巨大な負債を背負ってオリンポスの山を登るアトラスのような気分でした…。
その根本的な原因は? 「悲しみ」であり、その「悲しみ」の奥には、「怒り」が中核感情としてあることを理解したからでした。(この感情のアクセスには、カウンセラー南ユウタさんの力をお借りしました。自力では、自分が怒りの感情を押し殺していることが分からず、どれが根本感情か特定ができなかった)
頭が悪く、クライミングのリスクを全く考えていない男性クライマーへの、「執拗と言える非難・攻撃」は、それ以前にも「男性への厳しい糾弾」という形で表れていたのですが…それらは、そもそも、父親に殺されかけたという言語獲得以前の記憶…肉体に刻まれたトラウマ記憶による自動反応、つまり、無意識の反応によるもの、でした。
本人は無意識なので、気が付くこと自体が非常に難しいのです。
■ 人生脚本
人は10歳までにできた人生脚本を繰り返して生きると言われています。
赤ちゃんの時も殺されかけて、それをその後、何年もかけて…たしかに…そう…6~7年ほどかけて、乗り越えたのです。8歳ころ、水が怖くなくなりました。
人というものは、10歳以前に作られた、「人生脚本」を繰り返し、その脚本が語る声は繰り返すごとに大きくなる、と言われています。
その声が大きくなるのは、もう聞かないで済ませることができなくなる、ためです。
そのために、私は、他のクライマーが避ける札付きの無謀なクライマーをあえて選び、自分の愛情が裏切られ、自分が死の危険に陥れられるのを再体験しようとしていたのかもしれません。あの赤ちゃんの時の感情を思い出すために、です。
父親にプールに投げられ、溺れかけ、虐げられた赤ん坊の私が、過去から、叫んでいるのです… その声はどういう声なのでしょうか…
「助けて―!!」「死ぬ~!!」「えーん、怖かったよう!!」
なのでは、ないでしょうか?
「助けにきたよ~」「本当に怖かったねぇ」「もう大丈夫。あなたを殺したりしないよ~」というカウンセリング…共感…が、私の心の治癒には必要なことです。
まだ実感はできていませんが、学術的視点に立てば、そういうことになります。
一方、クライミング界って、私だけを「白亜スラブ」や「九州でのクライミング」のようなひどい目にあわせているわけでないです。
客観的に見れば、私は殺されていないだけましなのです。「祝子川に行った女性」のように一発アウトで死んでしまう人もいます。ある意味、サバイバーです。
そして、実は、アクセス問題の歴史的事情を考えると、「考えが浅い(安直さ)」は、クライマー界全体に内在する特性、なのです。「安直さ」により、一個人に対してではなく、社会に対しても、同じことをしてしまい、そのために岩場が登攀禁止になってきた…というのが、クライミング史です。自分で自分の首を絞めているのが、歴史に表現されています。
クライミングという活動そのものが、多くの参加者にとって「未熟な男性性の発露(ナルシシズムの発露)」であり、その在り方自体が自己増殖的に問題を作り出し、これらは、ご本人たちが「自覚」しない限り、改まることはないのです。本人は幸せでも、周りを不幸にしているということです。
その「自覚」は、どうしたら生まれるのか?心理学の分野では、自己愛性パーソナリティ障害の治療分野で知見が揃っています。
■ 答えが出そろった感
ここまで勉強して、私は、求めていた答えが出そろった感を得たのでした。
もうクライミングをやろうとしなくても、答えは出たなぁ…。と感じました。
私は、何のためにクライミングをしていたのか?という問いに対する答えです。
置き去りになった幼い私、水に落とされて殺されかけ父に裏切られた私、愛されなかったばかりか殺されかけた私、父に愛されなかった私を
救いに行く
ためだったのです。
親に愛されなかったすべての子供
を救ってあげたい気持ちです。
■ クライマー界の精神分析
クライマー界自体が内在しているナルシシズムの正体は、平たく言えば
「だって俺クライマーなんだもん」
です。
「だって俺クライマーなんだもん」という言い訳…これがなぜ言い訳として成立するのか、それ自体が普通の人には謎ですが…クライマーは大人にならなくて良い、という意味です。
その在り方を辞めないといけないのですが、それが、なぜかクライマー界では、しかたないね…とため息とともに、許されているのです。
まぁ、不良がたむろする学校みたいなものですね…ここしか行くところないんだろう…って感じです。
しかし、実は、それをやっても全く社会から評価されないことに気がついた、少数のクライマーもいます。ごく普通に社会性を身に着け、社会人としての責務を果たし始めているクライマーたちです。
クライミングによって精神的に成熟し、社会へ、良いものを置き土産にしたいと思っている人たちです。
そういう人たちと今後は登って行きたいと思っています。
■ 夢が真実を語る
最近、明晰夢を連続で見ます。
今日見た夢は、楽しそうなグループがいて、その人たちについて行きたくなり、こっそり一緒に地下鉄に乗ったのです。すると、その人たちが降りた駅が…外苑前という駅で、夢の中ではそこは、私が最も興味がない場所なのです。で、改札を出る前に引き返した、という夢でした。財布を忘れていたから、改札出たら、引き返せないと思うわけでした。
つまり、これが私にクライミングで起きたことでした。いや、つまらない人たちに時間をつぶしたな、ってわけです。
そもそも私が一緒に過ごしたいと思うような人たちでは全くないのですから…。改札出る前に気が付いてよかったし、お財布忘れて出たということは、大事なものを忘れていたって意味です。
大事なものを取りに帰らなくては。
というわけで、その大事なものは、こちらのブログの方に記載がされていますので…戻ってきました。
■ 思えば…
思えば、ブログ『Allday,Everyday』のスタートは、故・吉田和正さんvs青ちゃんでスタートしました。吉田さんとは3カ月、青ちゃんとは3年、そして、ラスボスである九州およびアラーキーとは2年共にしました。トータル5年3カ月の経験で、深く「だって、俺クライマーなんだもん」の実態について研究した、ということです。このブログは、もともとは私自身のクライマーとしての成長記録、技術情報の備忘録、であったはずでしたが、クライマー実態の観察日記みたいなことになりました。
タイトルをそのように付け替えるべきですね(笑)。
結局あまりにひどい、その実態に驚いた、という結果になりました。
教育の欠如の問題はひどい有様でしたが、結局、提供しても、クライマー本人が受け取りたがらないのです。
あの奥村さん…クライミングインストラクター協会の会長…というような立派な方が、たったの1000円で教えてあげるよ、と言ったところで、そもそも、
来ない
のです…。知識を提供しても来ない。免許を取らないといけないのなら、バイク運転しない、みたいな感じですかね…。
それは、
本人らが、そもそも、困っていない、
からなのです。
困っているのは、
周りの人、
なのです。
そして、それが、自己愛性パーソナリティ障害であることの証明、なのです。
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