ロープが出る本格的な登山に必要なのは
”体力”、ではなくて、
”未知にチャレンジする勇気”
と
”緻密な計画力”、
”自分の力を客観的指標で判断できる客観力”
です。山の難易度は、
(累積標高差) × (勾配のきつさ) × (環境)
です。
いくら累積標高差が小さく、勾配がキツければ、難しいです。
累積標高差が低くても、環境が厳しければ、あっという間に人は死にます。
累積標高差だけで見た山の最高峰=体力自慢の山、ということで、それが悪いことだとは言いませんが、他の二つの要素が完全に抜け落ちていることは、言えます。特にクライミングに取り組む前からやらない山ヤ…自分にはできない、向いていない、とやる前から、先入観で判断しているので、そういう人は、歩ける山で終わりです。
あと初級ルートでも先輩に連れて行ってもらって終わりでは、何も分かったことになりません。自分がリーダーとして計画や安全まで完全に考慮してできることとついていくだけは、社長と従業員の差くらいあります。
Monday, November 23, 2020
Sunday, November 22, 2020
現代初心者 vs 旧来の初心者 の違い
■正見
今日の仏教説話は、偽、でした。指摘を素直に聞きなさいということです。
私は、登山業界は、アルパインの、
現代初心者 vs 旧来の初心者
年齢 バラバラ 18~22歳
性別 男女 男子のみ
知性 バラバラ 大学入学者
運動能力 バラバラ 縦走に耐えた人のみ
歩荷力 未開拓 縦走で開拓済み
歩行能力 バラバラ 縦走で洗礼済み
登攀能力 バラバラ 選別済み
■ 師匠丸投げは無しですよ
実際のところ、師匠は何も教えてはくれないのが当然ですし、自分で学ぶつもりがないと、指導者がいても盗めません。
その弱みに付け込む人もいますが、一番良いのは、お互いに持ちつ持たれつ、である関係性を維持できることです。
多くの指導者が、初心者というときに、無意識の前提にしているのは、
また、指導者自身が、研鑽不足である、というのが、昨今、かなり濃厚な社会事情なので、そのことも踏まえて、教えられたことの内容を吟味する必要があります。
古い技術は、ピンチの時に役立ちます。しかし、その技術には古くなったら、古くなったなりの理由、つまり欠点があります。
今日の仏教説話は、偽、でした。指摘を素直に聞きなさいということです。
これは、正見、とセットで考えないと、誤解して運用される可能性がある教えです。
私は、登山業界は、アルパインの、
”現代初心者”
に対する 正見 ができていない、出来ている指導者は一握り、と思います。
現代初心者の特徴は、旧来のアルパイン初心者と比べて以下のような特徴があります。
現代初心者 vs 旧来の初心者
年齢 バラバラ 18~22歳
性別 男女 男子のみ
知性 バラバラ 大学入学者
運動能力 バラバラ 縦走に耐えた人のみ
歩荷力 未開拓 縦走で開拓済み
歩行能力 バラバラ 縦走で洗礼済み
登攀能力 バラバラ 選別済み
ということです。バラバラの能力の初心者を相手にするということは、前に教わった通りに一律にやる、では、うまく行かないということです。
結果、新人は育たず、育っている人は独学で育った人です。私自身も含めそうです。
■ 師匠丸投げは無しですよ
一般に男性の初心者は、私が師匠がいます、というと、その人に任せておけば、〇〇さんみたいになれる、と思うらしくて自分で勉強しない傾向が強まり…困ります…が、私が師匠がいます、私があるのは師匠のおかげです、というのは、謙遜ですよ…。
実際のところ、師匠は何も教えてはくれないのが当然ですし、自分で学ぶつもりがないと、指導者がいても盗めません。
逆に、完全に一人きりでは登れないのがクライミングです。
その弱みに付け込む人もいますが、一番良いのは、お互いに持ちつ持たれつ、である関係性を維持できることです。
多くの指導者が、初心者というときに、無意識の前提にしているのは、
18歳男性大学生
です。ので、現代初心者は、”師匠が行う、新人に対する実力判定”を自ら疑ってかからないといけません。
でないと、私のように比叡でいきなりリードで、しかも二人のクライマーを一人がビレイするなんて非常識クライミングで、不必要に命を懸けてしまう羽目になります…。
また、指導者自身が、研鑽不足である、というのが、昨今、かなり濃厚な社会事情なので、そのことも踏まえて、教えられたことの内容を吟味する必要があります。
古い技術は、ピンチの時に役立ちます。しかし、その技術には古くなったら、古くなったなりの理由、つまり欠点があります。
先人が犯した過ちを追体験しないようにしましょう。
すでにリスクは洗い出されているのが現代クライミングです。
同様に新しい技術も、吟味して取り入れましょう。新しいから良いわけではないです。吟味するには自らの体験の量が必要です。
Subscribe to:
Posts (Atom)