Weekend Whipper: Don't Step Behind the Rope! from Rock & Ice on Vimeo.
Sunday, December 30, 2018
Friday, December 28, 2018
ある開拓者の述懐
ーーーーーーーーーーーー
岩壁の中に一本のルートを刻み込む。
岩壁の中に一本のルートを刻み込む。
それはクライマーの夢であるとともに、クライマーとしてのセンスが問われる行為でもある。
私はルート開拓について、空白の部分をただ埋めるだけでは十分とは言えない気がする。
登るのならば、ルートのもつ必然性を感じさせるものであってほしい。岩壁に新しいラインを付け加えようとする場合、それは壁の核心部に引かれなければならない。
また理想とすれば、ボルトの連打を避け、少なくとも、フリークライムが大部分を占めるルートなのが望まれる。
私はフリー至上主義者ではないから、必要を感じたときにはボルト連打も辞さない。ただし、単調なアブミの架け替えが続くのみならば、現代のレベルに達したルートとの評価はできないだろう。
ーーーーーーーー 『屋久島の白い壁』より引用
ーーーーーーーー 『屋久島の白い壁』より引用
センスや感性というものは、非常に共通の理解やスタンダード、つまり基準と言うものを設けることが難しく、しかし、それは依然としてあるものだ、と思う。
私自身がボディサイズの面から、その基準に合わない、という点はとても残念だが、それは特別に小柄という特殊事情によるだろう。
そういう例外はあるにせよ、ある種のライン、この程度というのがあるのは事実だと思う。
それを文字列に起こして表現するのは非常に難しいにせよ。
そのレベルに山ヤは達しているべきだと思うが、どうだろうか。
Wednesday, December 26, 2018
山の価値とは何だろうか?
やはり、色々なことを考えると、山の価値、というのは、その山での体験の質にあるのではないか?と思う。
どんなに美しい山であっても、無謀な計画の山では、ひどい山。大した山ではなくても、体験の質が高い山が価値がある。
では、体験の質を決める要素は何か?ということになるだろう。
柏瀬さんはインタレストグレードと言うことを考えたそうだ。
私は、体験の質は、山行の発端からスタートすると思う。良き山というのは、基本的に、相手への思いやりでスタートするものだという気がする。
逆に無謀な山の計画というのは、俺の実力を見せてやる、というような傲慢さからスタートしているように思う。あるいは、怠惰が付加されるときもある。
山への畏敬の念が足りない場合、ギア不足や技術不足で臨むことになり、良き山とならない可能性が濃厚だと思う。
結局のところ、山は山でしかなく、あまり意味は持たない。その不動の対象に、意味をもたらすのは、
人
ということは言えると思う。メスナーも映画『ナンガパルバット』でそう言っていた。その意味で、山がどういうものであったか?
意味の付与
は人が行うものであるから、その人にとってどういう意味がある山であるのか?ということが、やはり大事なことであるだろうと思う。
意味を紡いでいく
というのが、登山と言う活動の本質ではないのだろうか?
その”意味”の中身が、かつては、挑戦、という意味付けになることもあれば、無邪気な楽しさの追及、と言う人もいるだろうし、”興味関心の追及”と言う人もいるだろう。
かつては
・地図上の空白を埋める
・困難度を上げる
という2点にのみ意味が集約されていた。そのため、結局のところ、競争が起きることになった。国と国。会と会。競争は発展を産んだ。
しかし、価値が多様化すれば、競争は生まれない。競争が人間を発展に駆り立てるとすれば、発展がないことは、競争の不在を示し、競争の不在は、価値の多様化を示す。
結局のところ、我々は良い時代にいるのではないだろうか?
競争は人間にとって甘美なゲームだ。しかし、競争がなくても、足るを知る、ことで、人間は幸福な山を続けていけるのではないだろうか?
そのカギは、観察、オブザベーション、にあるのではないだろうか?
どんなに美しい山であっても、無謀な計画の山では、ひどい山。大した山ではなくても、体験の質が高い山が価値がある。
では、体験の質を決める要素は何か?ということになるだろう。
柏瀬さんはインタレストグレードと言うことを考えたそうだ。
私は、体験の質は、山行の発端からスタートすると思う。良き山というのは、基本的に、相手への思いやりでスタートするものだという気がする。
逆に無謀な山の計画というのは、俺の実力を見せてやる、というような傲慢さからスタートしているように思う。あるいは、怠惰が付加されるときもある。
山への畏敬の念が足りない場合、ギア不足や技術不足で臨むことになり、良き山とならない可能性が濃厚だと思う。
結局のところ、山は山でしかなく、あまり意味は持たない。その不動の対象に、意味をもたらすのは、
人
ということは言えると思う。メスナーも映画『ナンガパルバット』でそう言っていた。その意味で、山がどういうものであったか?
意味の付与
は人が行うものであるから、その人にとってどういう意味がある山であるのか?ということが、やはり大事なことであるだろうと思う。
意味を紡いでいく
というのが、登山と言う活動の本質ではないのだろうか?
その”意味”の中身が、かつては、挑戦、という意味付けになることもあれば、無邪気な楽しさの追及、と言う人もいるだろうし、”興味関心の追及”と言う人もいるだろう。
かつては
・地図上の空白を埋める
・困難度を上げる
という2点にのみ意味が集約されていた。そのため、結局のところ、競争が起きることになった。国と国。会と会。競争は発展を産んだ。
しかし、価値が多様化すれば、競争は生まれない。競争が人間を発展に駆り立てるとすれば、発展がないことは、競争の不在を示し、競争の不在は、価値の多様化を示す。
結局のところ、我々は良い時代にいるのではないだろうか?
競争は人間にとって甘美なゲームだ。しかし、競争がなくても、足るを知る、ことで、人間は幸福な山を続けていけるのではないだろうか?
そのカギは、観察、オブザベーション、にあるのではないだろうか?
Tuesday, December 25, 2018
通称パンツ

■ 通称パンツ
これは、カラビナとドッグボーンをつなぐときに、固定するパーツ。通称、パンツです。
PASは、安全環付きカラビナと接続するときに、これがないと使いづらいのです。
このパーツを買うだけに、山道具屋さんに行くわけにもいかないし… これで一個130円くらいだったと思います。これが1個とかでは、ネット通販は買いにくい。
私がお店の人だったら、PASと安環ビナはセット販売にして、このパンツはサービスでつける、という販売方法を取るでしょう…。どうせ必要ってわかっているんだから。
(山道具、売れない売れないって嘆きはよく聞きますけど、販売努力しているかっていうと、まだ努力の余地はいっぱいあるような?)
このパンツ、自分のを先日、後輩にあげました… ちゃんとアドバイス通り、PASを買って来てくれたから…。
私も、初心者の時、先輩にカラビナがぶらぶらしないように止めておいた方がいいってアドバイスをもらって、このパンツを探すのにだいぶ苦労したんですよね…
その先輩のPASは一つ型が古くて、最後のスリングがすこし輪が長く、タイオフが可能で、ちょっと羨ましかったんでした…。
最近は、ダイナミックロープでのランヤード(セルフビレイのスリングの正式名称)も出ているようです。
後輩へつなぐ愛のシンボル… が、このパンツ。
いくつのマルチといくつの懸垂で、この小さなギアが活躍していくのでしょうか…
後輩へつなぐ愛のシンボル… が、このパンツ。
いくつのマルチといくつの懸垂で、この小さなギアが活躍していくのでしょうか…
Subscribe to:
Posts (Atom)