私はグロービスという社会人大学院でマーケティングを学んだ。そこで分かったこと…。
マーケティングとは、ビジネスに都合のいいことを拡大し、都合の悪いことは伝えない、という首尾一貫した姿勢を戦略と呼び、取ることが多いということだ。
実際、マーケティング戦略を立案するのだが、優劣というのは、整合性、主張が首尾一貫しているかどうか?で決まる。
しかし、実際の世界は、長所は欠点の裏返しであり、山においても同じことだ。山は美しいが、それは人の手が入っていない、ありのままの自然だから、という訳であり、それは、反面、お天気が変わりやすいとか、救急車を呼んでもすぐ来ないとか、登山道は無舗装路であるとか、石ころが滑りやすいとか、空気が薄いとか、坂が急だ、とか、すべて、自然が自然のありのまま、だからである。
で、私が思うのは、山の雑誌は、マーケティングが良すぎて、山のいいところしか、雑誌の中で取り扱っていない、ということだ。
私が持っている古い岳人などは、今の雑誌のつくりと全然違う…。おとぎ話みたいな耳触りの良いことだけを雑誌やFBでアップしている雑誌を見ると、マーケティング的には合っているけど、山の神様は、きっとうれしくないよなぁと思う。
山小屋も同じことだ。ヘリで石油を大量に荷揚げして、発電機で電気を作って、安い冷凍食材を提供するから、結果としては食材は多国籍、大量の糞尿は標高が高いため、なかなか分解されず、地層を形成中みたいな状況、山の神様がうれしいと思うだろうか…?
結局、”山の神様”に仕えているのではなく、”カネ儲けの神様”に仕えている、ということが、そもそもの問題なのだろう。
こうした傾向は、私が思うには、ここ20~30年で強化された傾向だ。バブルを経験し、バブル崩壊を経験し、小泉改革で、弱肉強食、競争がより激化して、カネ儲けになれば、黒いカネも白いカネも同じだという風潮が強くなり、例えば、銀行でさえ、サラ金業に手を出しても、罪悪感もなければ、社会的にも問題視されない、という世界になった。
”山の神様”が喜んでいないだろう、と思われることをするのは、”自分の中の良心”も喜んでいないことをしているのと同じだ。
なぜなら、両者は同じだからだ。
したがって、遭難が増えるのは、当然のことでしかない。登山者に山の真実の姿を伝えていないからだ。
山に登るにはリスクを起点にプランニングしなくてはならない。そんなことは、山岳会にいる山ヤだったら、誰でも知っている。
リスクを起点にプランニングする、という点がありきたりのことであるのに、その作法も伝えられず、プランニングのイロハや安全で確実なステップアップ法も語られない。
リスクが語られるときは遭難数や事例で、そんなのは特殊事例として、一般登山者の頭の中ではスルーされるのが落ちである。大事なのは、ただ楽しいだけの山をしたい人(=リスク意識が低い人)にも届く書き方なのだから。
雑誌で語られるのは、なんだかポエティックで、メルヘンな、お花畑なセリフ。”かわいい”とか、”きれい”とか、”楽しい”とか、”やったー”とかで、三歳児みたいな語彙である。
そんな風にして山をただの空想上のメルヘンにしてしまうから、まさか、アイゼンがいるんですか?みたいな登山者が来てしまう。その人に悪気があったわけではなくて、知らされて当然のことが、登山者数を増やしたいと言うマーケティング上の、つまり、カネ儲け以上の都合のために、知らされていないのではないか?
そんなことをいつも思う夏山の遭難…
大体、夏山をプロモーションすること自体が良くない。山岳会に所属しているような人は夏山の縦走路にいること自体が、実はとっても珍しい…。
山では、混雑自体がリスクで、そのリスクは、コントロールできないものだから、である。
しかも、その混雑の主体を成す登山者像は、ほとんど、山初心者、つまり巻き込まれ遭難の可能性も高い。
上からおじさんがふってくる、など。
そうしたリスクはコントロールできないため、大体、事情を良く知っている人はそのようなリスクを回避して、そもそも行かない(笑)。
そして、そういう人は雑誌を読まない。役立つことは書いていないからだ。
私の周りで山の雑誌を読んで、山に行っている人は一人もいないような気がする。
Monday, July 31, 2017
Friday, July 28, 2017
Rock Climbing 002
なかなかお目にかかれない最近創刊されたクライミング雑誌を発見したので、購入☆
Rock Climbing
雑誌名がわざわざ Rock Climbing ってことは、やっぱり、クライミングってのは、
岩を登ること
と言いたいわけですよねぇ(笑)、たぶん。
岩を登らないクライマーが多い昨今…
やっぱり岩登りは、
岩とお友達になる会
とでも言った方が、一体何を習得しなくてはならないのか?ということが明確化して良いのではないでしょうか?
大事なことは、岩の歌を聴けることかと…。
Rock Climbing
雑誌名がわざわざ Rock Climbing ってことは、やっぱり、クライミングってのは、
岩を登ること
と言いたいわけですよねぇ(笑)、たぶん。
岩を登らないクライマーが多い昨今…
やっぱり岩登りは、
岩とお友達になる会
とでも言った方が、一体何を習得しなくてはならないのか?ということが明確化して良いのではないでしょうか?
大事なことは、岩の歌を聴けることかと…。
Saturday, July 15, 2017
アウトドアクライマーのためのインドアジム利用について考察
| 小さいジムだった |
正直、クライミングジムや人工壁は苦手です(><)。
たぶん、アウトドアから、クライミングに入った人は、男子も含め、みんな苦手だと思う。
そもそも、人工壁もジムも、インドアであるからにして。
何が苦手って、クライマーたちの
男のナルシシズム… (すいませんっ!)
もちろん、そうでない人もいるけど。
したがって、女性や子供にとって、ジムが居づらい場所である、ってのはよく分かる。
で、新しい友達も同じ気持ちみたいだった。
私も苦労しましたとも!! ホント!!!
■ ジムで登れなくても気にしない♪
でもね~ 私は今ジムでは(ピラニアでは)5級が登れるくらいなんですけど(こっちのジムでは4級が登れた)、同じグレードを登っている人を外岩に連れていったら、私が楽勝で登れるところ、登れませんからね~!!
沢とかいってる男子大学生を人工壁へ連れていったらへっぴり腰。アイスも私が登れるところ登れないです。
要するに!! 外の岩とインドアのクライミングでは、だいぶ違います。
パワーや度胸だけでは比較できないクライミング能力!登れなくても気にせず、マイペースで頑張るのが良いのです。
まぁ、そういう訳なんで、ジム壁でドヤ顔されても…アウトドア女子にはドン引きです…。ゴメン!
ただ…、2点支持を身に着けるのに、インドアジムが手っ取り早い
というのは本当です。したがって、次のような使い方が良いかと思います。
≪とりあえず、アウトドアクライマーのためのインドアジム利用法≫
1)全くのゼロの初心者の頃は、10級9級が確実に登れるように、夏山縦走で出てくるような岩場のためにボルジムに10回くらい行く
2)アルパインの岩場に興味があるなら、良きビレイヤーとなるため、週2日半年通う
3)岩場に連れて行ってもらい、足で登るクライミングにどのような能力が必要なのか理解する
4)さらに登りたい!と思ったら、2点支持を身に着けるため、ジムに半年くらい月会員で通う。思わなければ、万年外岩講習に通ったっていい。
5)優しい課題を楽しんで登る。オンサイトを取貯める。
6)体が勝手に2点支持(ツイスト)と正対を使い分けるようになる
7)パワーをアップすればグレードが勝手に上がって行くようになると理解した頃合いで、再度ジムに通う 続けられる環境で。
”現代の”アルパインでは、登山靴ではなくて、クライミングシューズでアルパインルートも登ります。なぜなら…そのほうが快適だから!!
ここからは余談になりますが…、”俺のハーケンがなくぜ~”みたいだったルートも、今ではしっかり支点整備されて、どちらかというと、「ああ~楽し~!快適~!!」みたいな感想を持つべきルートとなっています。もし、そうじゃないなら、むしろ問題です。
さて、クライミングですが、快適ジムクライミング♪には、シューズが大事。マイシューズを持っていないと、初心者扱いから逃れ得ません… まぁ人目のために登らなくてもいいんですけど。でも、MYシューズのほうが快適ですから。
■ 最初の一足
最初に一足は…
山道具屋さんで合せてもらうと、緩すぎる失敗が多い
クライミングジムで合わせてもらうと、きつすぎる失敗が多い
です。
山道具屋さんで合わせてもらう靴 = 8時間履いて痛くない靴
クライミングジムで合わせてもらう靴 = 30分履いて痛くない靴
です。
買うべきは、
1~3時間履いて痛くない靴
です。それ以上履いたら痛くなってもいいです。
形状としては
・フラットソール (ダウントゥしていない)
・ターンインしていない
が無難ですが、足の形にあっている靴なら何でも!
■ シンデレラの靴!
靴を買うという友達と買い物に行ったら、
なんと!
スカルパフォースが、11200円のお値打ち価格!!
しかもサイズもピッタシ。あら~!
呼ばれたのでしょうか?
ついでに、インスティンクトも履いてみたのですが、これも踵以外は合っていたようで…
このお店、クライミングシューズ激安でした。
私のブースターSなんて、2万円したのに… 1.5万円くらいで売ってた(汗)
しかし、今、買い物のゆとり無し… ああ~ ホント山梨ってお買い物は高かったですよねー!
早くバイトを見つけなければ!お買い物天国が味わえない!!
・・・とは思うのですが、いかんせん、クライミングツアーの予定が入っており、入社早々、来週1週間いません、みたいなのって、どうなんだろうと…
でも、マジ安いです!クライミングシューズ!!!
お店にあった木靴。絶対、履けませんケド。
おうちにインテリアとして欲しい感じ。
「野球のチケット余ってるから、あげる~」
とくれました。
ありがとうございました!
行こ行こ~!と、なったのですが…
お腹がすきすぎていて…夕飯へ。ハンバーグ定食 880円!安くてうまい店!
食べてたら、野球、行き損ねた(笑)!
野球はまた次回、として、楽しく女子会して帰りました♪
男性にはお友達要らないのかもしれませんけど、女性にとって、お友達は大変重要アイテム! 何しろ、ジムって女子には、結構アウェーなんですから。
ま、いいんですけどね、一人で登るもんだから、黙々と登っていても…
夫が一緒に登ってくれたらなぁ~ 強くなりそうなのになー
こっちでアウトドアのクライミングに行ってくれる人、誰か居ませんか?
ハイコンテキスト文化、ローコンテキスト文化
■ 異文化理解力
コンテキストという言葉は、日本語では訳しづらい。文脈という意味だ。
日本語で文脈と言っても、意味が通じづらい。要するに話の流れで、言葉の意味が変わるということ。
いわゆる行間を読む、という文化は、ハイコンテキスト文化。言葉の意味を文面通り採用するという文化はローコンテキスト文化。
日本語は、典型的なハイコンテキスト文化であり、言葉少なに、その間に隠された意味を読む。
一方、アメリカ文化は世界でもっともローコンテキストであり、物事をはっきり言う。これは移民が多く、多文化社会の中では誤解を最小限にするには、そうする必要があるためだ。
これらの知識は、最近友人に贈られた『異文化理解力』という本にあった。まだ読みだしたところだ。
■ ハイコンテキストなクライミングの世界
さて、なぜクライミングのブログに、このような文化論を登場させたのか?というと、アルパイン・クライミングの世界と言うのは、典型的なハイコンテキストの文化だろうと思うからだ。
だから新人は戸惑う。 ”なにか聞いてもいないこと”が、分かっていて当然になっている。
よく「新人は分かっていないことが分かっていない」と表現される。
■ ハイコンテキスト事例
ハイコンテキストということの事例は、「この人のロープワークは安心できない」と内心思えば、そっと別の支点にセルフをもう一点取る。 私もそうする。が、「そうしろ」と教えられたわけではない。
ビレイを見て、ダメビレイだと思えば、次回から誘わない。後進として育てたいと希望している場合だけ、改善するように指摘する。逆に言えば、間違いを指摘してくれる、ということは、パートナーとして目されているということだ。
後進を岩場に連れて行く。その子が再度、自分の力で復習山行しているか、どうか見る。言動一致をみるのだ。もちろん、連れて行く場所は一人でも裏から回って、トップロープが張れるような場所にしてあげる。それは先輩の親心であり、熱意を見るための試験だ。
が、そこまでしても、当人が復習山行しない場合は、クライマー向きではないと判断する。依存心が強い人にはクライミングは向かないからだ。
例えば、ビレイをマスターしないと岩場に連れてもいけない、とか、読図はマスターしてきてくれないと何かが起こった時に、伝令程度でも走れないとか、アプローチまでどう歩くのか、予習して来るかどうかとか、そういうことは、誰も言わないが、やってきて当然のマナーとなっている。
ハイコンテキスト文化の際たるものとして、
「あいつはアブナイクライマーだ」
「一緒に行くと殺されるかもしれないぞ」
「彼は、ビレイが信用できず、人が落とされて大けがした実績がある」
など誰も指摘しない。単に、悪いことは言わない文化、ということがある。
そうしたことは、すべて、察知しなくてはならない。
■ ローコンテキストな人々
一方、私が思うには、年輩者より若い人の方が西洋化の度合いが著しく、西洋化しているということは、ローコンテキスト化しているということだ。
年輩者にとっては、言われなくても分かったことが、若い人に言われなくては分からない。
これは、田舎生活者と都会生活者にも当てはまる。文化的多様性の低い場所に長年住む人々は、一般に、”言わなくても分かる”ということを前提としてコミュニケーションする。わざわざ言葉にしなくても、自分も、父も、祖父も、そのまたおじいさんも、事情がほぼ同じだからだ。皆の人生が似たり寄ったりということもある。
都会生活者からすると、様々な生活スタイルがあり、様々な価値観、人生、従って人によって事情が色々だと言うことは、当然のことなので、都会で生活することが長い人は、ステレオタイプによる決めつけ、をしなくなるだろう。
これくらいの年齢なら子供がいて当然とか、働いていて当然とか、お金を持っていて当然とか、そういう思い込みが当てはまらないほうが多いからだ。
そういうわけで、都会のクライマーなら基本的には、ローコンテキストであり、バディを組み始めた最初に、「クラミング歴は何年か」「今どれくらいのグレードを登るのか」「どこの岩場が好きか」「ビレイをするときはクリップ時に声を掛けるね」「もう少し壁に寄ってくれないかな」など、互いの事情のすり合わせが自然とはじまる。
一方、均質文化にいた人たちには、それが始まらない。
間違いを指摘される=関係の終わり、となることが多い。
したがって、古い体質の山岳会では、根回しや文脈を読む人間関係力が必要になる。特に、非都会エリアでの、古い体質の山岳会なら、なおさらだろう…
私がいた会では、先輩は、私を初めてのバリエーション前穂北尾根に連れて行ってくれるために、色々と政治的な根回しをしなくてはならなかったようである。
そういう苦労は、都会生活者には、想像もよらない。若い人にも想像もよらない。
それは、ハイコンテキスト文化とローコンテキスト文化の文化差なのだ。
そう言う風に思うことで、だいぶ色々なことが、説明をつけやすくなる。
説明できると言うことは、明るみに出るということであり、透明性が増すということだ。
この差が私がラオスで伸び伸びとクライミングできた理由だろう。日本のハイコンテキスト文化に、アメリカ慣れしている私は単に合わないのだ。
コンテキストという言葉は、日本語では訳しづらい。文脈という意味だ。
日本語で文脈と言っても、意味が通じづらい。要するに話の流れで、言葉の意味が変わるということ。
いわゆる行間を読む、という文化は、ハイコンテキスト文化。言葉の意味を文面通り採用するという文化はローコンテキスト文化。
日本語は、典型的なハイコンテキスト文化であり、言葉少なに、その間に隠された意味を読む。
一方、アメリカ文化は世界でもっともローコンテキストであり、物事をはっきり言う。これは移民が多く、多文化社会の中では誤解を最小限にするには、そうする必要があるためだ。
これらの知識は、最近友人に贈られた『異文化理解力』という本にあった。まだ読みだしたところだ。
■ ハイコンテキストなクライミングの世界
さて、なぜクライミングのブログに、このような文化論を登場させたのか?というと、アルパイン・クライミングの世界と言うのは、典型的なハイコンテキストの文化だろうと思うからだ。
だから新人は戸惑う。 ”なにか聞いてもいないこと”が、分かっていて当然になっている。
よく「新人は分かっていないことが分かっていない」と表現される。
■ ハイコンテキスト事例
ハイコンテキストということの事例は、「この人のロープワークは安心できない」と内心思えば、そっと別の支点にセルフをもう一点取る。 私もそうする。が、「そうしろ」と教えられたわけではない。
ビレイを見て、ダメビレイだと思えば、次回から誘わない。後進として育てたいと希望している場合だけ、改善するように指摘する。逆に言えば、間違いを指摘してくれる、ということは、パートナーとして目されているということだ。
後進を岩場に連れて行く。その子が再度、自分の力で復習山行しているか、どうか見る。言動一致をみるのだ。もちろん、連れて行く場所は一人でも裏から回って、トップロープが張れるような場所にしてあげる。それは先輩の親心であり、熱意を見るための試験だ。
が、そこまでしても、当人が復習山行しない場合は、クライマー向きではないと判断する。依存心が強い人にはクライミングは向かないからだ。
例えば、ビレイをマスターしないと岩場に連れてもいけない、とか、読図はマスターしてきてくれないと何かが起こった時に、伝令程度でも走れないとか、アプローチまでどう歩くのか、予習して来るかどうかとか、そういうことは、誰も言わないが、やってきて当然のマナーとなっている。
ハイコンテキスト文化の際たるものとして、
「あいつはアブナイクライマーだ」
「一緒に行くと殺されるかもしれないぞ」
「彼は、ビレイが信用できず、人が落とされて大けがした実績がある」
など誰も指摘しない。単に、悪いことは言わない文化、ということがある。
そうしたことは、すべて、察知しなくてはならない。
■ ローコンテキストな人々
一方、私が思うには、年輩者より若い人の方が西洋化の度合いが著しく、西洋化しているということは、ローコンテキスト化しているということだ。
年輩者にとっては、言われなくても分かったことが、若い人に言われなくては分からない。
これは、田舎生活者と都会生活者にも当てはまる。文化的多様性の低い場所に長年住む人々は、一般に、”言わなくても分かる”ということを前提としてコミュニケーションする。わざわざ言葉にしなくても、自分も、父も、祖父も、そのまたおじいさんも、事情がほぼ同じだからだ。皆の人生が似たり寄ったりということもある。
都会生活者からすると、様々な生活スタイルがあり、様々な価値観、人生、従って人によって事情が色々だと言うことは、当然のことなので、都会で生活することが長い人は、ステレオタイプによる決めつけ、をしなくなるだろう。
これくらいの年齢なら子供がいて当然とか、働いていて当然とか、お金を持っていて当然とか、そういう思い込みが当てはまらないほうが多いからだ。
そういうわけで、都会のクライマーなら基本的には、ローコンテキストであり、バディを組み始めた最初に、「クラミング歴は何年か」「今どれくらいのグレードを登るのか」「どこの岩場が好きか」「ビレイをするときはクリップ時に声を掛けるね」「もう少し壁に寄ってくれないかな」など、互いの事情のすり合わせが自然とはじまる。
一方、均質文化にいた人たちには、それが始まらない。
間違いを指摘される=関係の終わり、となることが多い。
したがって、古い体質の山岳会では、根回しや文脈を読む人間関係力が必要になる。特に、非都会エリアでの、古い体質の山岳会なら、なおさらだろう…
私がいた会では、先輩は、私を初めてのバリエーション前穂北尾根に連れて行ってくれるために、色々と政治的な根回しをしなくてはならなかったようである。
そういう苦労は、都会生活者には、想像もよらない。若い人にも想像もよらない。
それは、ハイコンテキスト文化とローコンテキスト文化の文化差なのだ。
そう言う風に思うことで、だいぶ色々なことが、説明をつけやすくなる。
説明できると言うことは、明るみに出るということであり、透明性が増すということだ。
この差が私がラオスで伸び伸びとクライミングできた理由だろう。日本のハイコンテキスト文化に、アメリカ慣れしている私は単に合わないのだ。
北杜市の太陽光発電乱立による環境破壊について
昨日は、大平牧場の話題が回ってきた。
北杜市は、言わずも知れたアルパインクライマーの町である。登山の人は知らない人が多いが、山登りには、世界的に知られる賞があり、登山界のノーベル賞に値するのが、ピオレドール賞。そのピオレドール賞を受賞した人が4人も住んでいるのが、北杜市であり、みな移住者。しかも4人も住んでいる。去年亡くなった谷口ケイさんもお住まいは北杜市だった。登山ガイドで北杜市に住んでいる人も多い。
つまり、北杜市というのは、日本中から優れた登山家が引っ越してくる土地柄なのである。地元の人は、そんなことは知らないが。
理由は、瑞牆、小川山、八ヶ岳が近いからである。
以下がその内容。
ーーーーーーーーー
みずがき湖よりもっと奥、北杜市須玉町の最も深部にある大平(オオビラ)牧場跡に行ってきました。ただのハイキングのようですが、そうではありません。ここに14.7メガという山梨県では最大となるソーラー発電施設の計画が進められているということで、現地見学会が今日あり、参加しました。
行ってみると想像を超える素晴らしい場所でした。瑞牆山に繋がる横尾山の稜線直下に広がる広大な草地で、北杜市にはいろいろな素晴らしい景観はあるけれど、どの場所とも違った解放感に溢れています。
まず、高圧線の鉄塔や道路、人家などの人工的な建築物が何も見えません。驚きました。こんな場所が北杜市に残されていたんだと。ここに何万枚ものパネルが並べられるのか!そんなことが許されることではないはずです。これこそ北杜市の貴重な自然の遺産として守るべきものだ、というのがまず感じたことです。
また、ここは一時は牧場として使われていたけれど、北杜市、韮崎市、甲斐市の水源・みずがき湖の涵養地でもあるということもあって、水源を汚染する牧畜には適さない場所だということです。水の安全という視点から見ても、パネルに含まれる有害物質の危険性が否定できないわけですから、この場所は太陽光発電にも適さない、絶対に避けるべき場所だということなるはずでは。
気持ちの良い草地を歩きながら考えたこと。この場所が太陽光発電ビジネスによってスポットライトが当たったことで、この場所の正しい活用の道を考える機会が私たちに与えられたのだと考えてみてはどうだろう。
起伏が思いの外あり平らな場所が少ないけれど、ハイキングや横尾山トレッキングのコースとしてははもちろん、子どもたちにとっても安全で思いきりアウトドアの遊びが楽しめる場所ではないか。北杜市にはそいういう場所が案外少ない。ここを人の手があまり入らない「観光地にしない」市民の北杜市立自然公園として借り上げる(買い上げる?)。これは地権者にとってもマイナスとはならないだろうし、これが一番の解決法ではないか‥等々。これからの観光は観光地にはないものに観光的価値が出る、というのが流れだろうから。
原発に代わる未来のエネルギーという美名のもとに、この国に残された貴重な自然の破壊と、地域の破壊が深く進行している、ということはもっと知られて良いことです。北杜市の太陽光パネルの乱立をなんとか止めようと、条例化に立ち上がった議員9人のうち6人が今日の現地見学に参加していました。この条例案は6月議会では残念ながら廃案となってしまったのですが、北杜市のあり方に深く関わる太陽光発電問題は解決すべき大問題として残されたまま。この大平牧場の活用を考えていく中で、何か道筋が見えてくるような気がしています。
ーーーーーーーーーーーーーー
■ 奥秩父全山縦走の終点
北杜市は、言わずも知れたアルパインクライマーの町である。登山の人は知らない人が多いが、山登りには、世界的に知られる賞があり、登山界のノーベル賞に値するのが、ピオレドール賞。そのピオレドール賞を受賞した人が4人も住んでいるのが、北杜市であり、みな移住者。しかも4人も住んでいる。去年亡くなった谷口ケイさんもお住まいは北杜市だった。登山ガイドで北杜市に住んでいる人も多い。
つまり、北杜市というのは、日本中から優れた登山家が引っ越してくる土地柄なのである。地元の人は、そんなことは知らないが。
理由は、瑞牆、小川山、八ヶ岳が近いからである。
以下がその内容。
ーーーーーーーーー
みずがき湖よりもっと奥、北杜市須玉町の最も深部にある大平(オオビラ)牧場跡に行ってきました。ただのハイキングのようですが、そうではありません。ここに14.7メガという山梨県では最大となるソーラー発電施設の計画が進められているということで、現地見学会が今日あり、参加しました。
行ってみると想像を超える素晴らしい場所でした。瑞牆山に繋がる横尾山の稜線直下に広がる広大な草地で、北杜市にはいろいろな素晴らしい景観はあるけれど、どの場所とも違った解放感に溢れています。
まず、高圧線の鉄塔や道路、人家などの人工的な建築物が何も見えません。驚きました。こんな場所が北杜市に残されていたんだと。ここに何万枚ものパネルが並べられるのか!そんなことが許されることではないはずです。これこそ北杜市の貴重な自然の遺産として守るべきものだ、というのがまず感じたことです。
また、ここは一時は牧場として使われていたけれど、北杜市、韮崎市、甲斐市の水源・みずがき湖の涵養地でもあるということもあって、水源を汚染する牧畜には適さない場所だということです。水の安全という視点から見ても、パネルに含まれる有害物質の危険性が否定できないわけですから、この場所は太陽光発電にも適さない、絶対に避けるべき場所だということなるはずでは。
気持ちの良い草地を歩きながら考えたこと。この場所が太陽光発電ビジネスによってスポットライトが当たったことで、この場所の正しい活用の道を考える機会が私たちに与えられたのだと考えてみてはどうだろう。
起伏が思いの外あり平らな場所が少ないけれど、ハイキングや横尾山トレッキングのコースとしてははもちろん、子どもたちにとっても安全で思いきりアウトドアの遊びが楽しめる場所ではないか。北杜市にはそいういう場所が案外少ない。ここを人の手があまり入らない「観光地にしない」市民の北杜市立自然公園として借り上げる(買い上げる?)。これは地権者にとってもマイナスとはならないだろうし、これが一番の解決法ではないか‥等々。これからの観光は観光地にはないものに観光的価値が出る、というのが流れだろうから。
原発に代わる未来のエネルギーという美名のもとに、この国に残された貴重な自然の破壊と、地域の破壊が深く進行している、ということはもっと知られて良いことです。北杜市の太陽光パネルの乱立をなんとか止めようと、条例化に立ち上がった議員9人のうち6人が今日の現地見学に参加していました。この条例案は6月議会では残念ながら廃案となってしまったのですが、北杜市のあり方に深く関わる太陽光発電問題は解決すべき大問題として残されたまま。この大平牧場の活用を考えていく中で、何か道筋が見えてくるような気がしています。
ーーーーーーーーーーーーーー
大平牧場は、横尾山の麓にあり、もし奥秩父の全山縦走をしようと言う人がいたとしたら、八ヶ岳側の最終の山である。横尾山には、登山道があるが、瑞牆と横尾山の間は、稜線ではあるが、登山道はない。大平牧場は私有地だったためか、通れないようにしてあり、比較的自然が残されている。
大平牧場を知っているなんて、登山者でも稀だろう・・・ 横尾山は、登山者の入門者に良いような小さな山で、上級レベルの人が行くところではない。一般にクライマーはハイキングをしないので、瑞牆、小川山に流れて行ってしまう。
ただ、奥秩父全山縦走の終着点であり、八ヶ岳の展望台である。冬でも少しも危なくない。ちょっとしたドライブのついでにも登れる、良き山である。
このような山に行っても、いつもスカスカで誰もいないが・・・だからこそ、自分と山だけで対話できる。
人がいないことが価値になっている山である。(もちろん、無雪期は人が多い)
山に登っていると、自然は単純に美しいと思う。そういう自然をどう次世代に残していくのか?
目先の利益にとらわれず、人類、と言う視点でとらえたい。
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