Wednesday, March 18, 2015

和気あいあいが一番大事

■ ベテランに感謝

ある人が何気なく発した言葉が、ひどく胸に響くことがある。

最近の一言は

 「フレンドリーが一番です」

この言葉は奥深い。

その奥深さが分かるようになることが、成熟の証かもしれない。

クライミング力をプライドの源泉にしてはいけない。

登れることを鼻に掛けても仕方ない。

登れれば、楽しいし、登れなくてもそれなりに楽しい。それがクライミングの良さだ。

登れない人を馬鹿にする人は、例えて言うなら、がん細胞みたいなものだ。

結局、愉しくクライミングしないことで、自分が損をするのだ。そして、変なプライドをもつと、墜落リスクも高まる。

■ 美濃戸口の滝

先日行った唐沢の滝がプチアルパインチックで、強烈に面白く、ツボに嵌って、翌日も美濃戸口の滝に出かけた。すごく面白かったので、どこかにカチッとギアが入り替わったのだった。

結論で言うと、美濃戸口の滝は、まったく同じことをしたのに、唐沢の滝ほど面白くはなく、まぁ、こんなもんか、だった。

師匠と二人で色々なラインで、滝の形状を味わってみたら、どれも困難がなかったので、二人とも早々に飽き始めていた。

その時、誰もいなかったゲレンデに、3人の男性グループがやってきた。下の方でザックをまとめている。

案の定、同じ滝に来た。それで わたしから、「こんにちは~☆」と声を掛けた。

しかし、返事なし。

余談だが、挨拶は人と人との基本だ。あまりに基本的な社会マナーなので、挨拶できない人は、単純に、子供っぽく見える。

人見知りだから、という言い訳も良く聞く。が、それで許されるのは、子供だけ。仲間は許してくれるだろうけど、大目に見ているだけ。社会では通用しない。

だから、大人で人見知りをやっていると、どうしても子供っぽく見えるし、実際に子供であることは否めない。もちろん、悪い人ではない。

ただ精神年齢が幼く感じられる、と言うだけでなく、実際に人見知りを乗り越えられないのだから、本当に幼いのだ。ちなみに夫は人見知り派なので、私がいつもフォローしている。

子供っぽさというのは、クライミングでは、ちょっとリスクに感じられる。大事なこと…、例えば、ビレイでは、ブレーキハンドを離さないとか、そういうことを忘れるんではないだろうか?と不安にさせられる。

子供は責任能力を十分持たない。うっかりした、とか、自分が至らなかったから、ということで失敗を大目に見てやらなければならない。責任能力が問えない=子供。

だから、クライミングで子供っぽく見えることは損だ。リスクと認識される。

その3人を見ると、ひとりの男性が残り二人を連れてきた風だった。流行の明るい色のブランド物、ファッション山ウエア。

山でかっこいいことは悪いことではないと思うが、この時の印象は、”初心者だな”だった。全部新品だとそう見える。ベテランと初心者では、同じようにウエアが新しくても、印象が全然違う。

中の小柄な男性は、日焼けサロン的な日焼けの仕方をしていて、金のイヤリング。歌舞伎町にいる黒服みたいな感じだった。山よりスキーに、スキーよりサーフィンにいそうな感じ。

ひとりは太目さんで、他の二人をカッコいいと思って追従してワルを気取っているような感じ。残り一人は全然印象にない。きっと”黒服”の取り巻きだろう。

私の中にはワルの文化がない。ワルってかっこいいのだろうか?

これは違う人だが、右の人があまりよくないので参考に
高校生の頃、仲良しだった中学のクラスメートに久しぶりにばったり会ったら、坊主頭の額の生え際に剃り込みを入れていた。私の印象は、「ショウちゃん、苦労しているんだな…」だった。

同じような印象をこの人たちに持った。

で、リードの準備をし始めたので、「右にも支点がありますよ」と教えたら、返事なし。まぁいいけど…。

で、登っている姿を見たら、可愛かった。全然下手くそだったのだ。

それでも一生懸命リードしているからエライ。怖いのだろう、そんなに氷をたたかなくても、もうすでに段々だらけなのに、これ以上叩けないくらい氷をたたいて、えらい大きな塊を落としていた。叩き壊して石橋を渡れなくしちゃうよ。

短いので、スクリューも一本、2本で一瞬で終わるはずだが、結構長い時間、かかっていた。私はその間に一本登って降りてきた。

ムーブは、全然ダメで、スマートさがなく、カエルのようになってしまっていた。

でも、教えたら、プライドがガタガタになって、メンツ丸つぶれと言うことになってしまい、立場が悪くなるだろうなぁ・・・。

・・・と思ったので、黙っておいた。

■ 教えてもらったとき

先月、講習会仲間だった飯田山岳会の友達と小滝へに出かけた。お見合い。彼と会うのは、すごく久しぶり。

私たちは、小滝で20本ノックくらいしたかったのだが、実際は、私は6本で腕がダメになってしまった。

その時は、となりにブナの会の4人、相模アルパインクラブの2人がいて、女性はわたしを入れて2人。ブナの会の女性は上手だった。きっとフリーもうまそうだ。フリーのムーブがバッチリだった。

その中では、私が一番下手くそな人と言うことになった。

だんだん腕がダメになり、ムーブもいい加減になってくる。

私が「えいっ!」とアックスを刺すと、「効いてない!」とか、「うん、今のはいいよ」とか、皆から声がかかった。

「足をもっと開いて」とか「三角バランスを作って」と、下からどんどん声がかかり始め…

「アックスを振る時は剣道の竹刀を振る時みたいに・・・」

「剣道って言っても女の人に分かるかよ」 (・・・私のために争わないで?(笑))

「男性の例えは、分からないよね、最後に引くといいのよ」

と、ブナの会の女性も横に来て振り方を教えてくれた。

最後は、終に「このアックス、効かないんじゃない?」それで、「僕のん、貸してあげるよ」という話になった。

振ってみたら、「あ!ホントだ~」

一家総出で、末っ子のスキルアップ対策に出た感じだ(笑)

それでありがたいな~と思った。和気あいあいってこういうことだ。みんなで上手になるってこういうことだ。

・・・と身を持って体験した。

この”場”の形成には、ベテランの存在感が一役買っていた。父親の安全な監視の下で、楽しく遊ぶ子供たち、な感じだった。

相方は、ムーブはきれいで無理があまりなく、力んでいない。ちょっと鼻が高い気がした。誰も彼にはアドバイスしない(笑)。

私は、この時はすごく力んでいたのだろう… 

■ 本当のところの分かり方

翻って、美濃戸口の滝だが、

黒服組のとなりで、私がリード練習を始めた。皆、注視。

降りてきて、「こっちのラインは、もうそろそろ片付けますから、使っていいですよ」と言うと、初めて黒服グループが口を聞いてくれた。

それで、私の方が上手だったんだナーと分かった(笑)。

単純な人たちだ。悪い人たちじゃないんだろう。損してるよ~と教えてやりたいが無理だろう。

この事件で、私はカエル登りよりは実力があり、フリーが上手な人よりは実力がないことが分かった。

でも、カエル登りでもリードを頑張るくらいなんだから、頑張らないといけない。

■ 初心者は愛される

2度目の小滝へは、会のサクちゃんとアイス初めてのキリちゃんと、前に一緒だった飯田の友達と4人で出かけた。

となりは6人の各会の寄せ集め部隊。さらに二人後でクライマーが来た。

さくちゃんは今年のアイスは初だったので、たぶん、ガチガチに緊張して登れないのではないかと思ったら、ゆとりのクライミングで、なんか問題どこにもなさそうだった。なんだ~。足慣らしOKって感じ。

キリちゃんはアイス初めて。だから、クランポンの調節から。

女の子は女の子が教えた方が良いから、振り方から教えた。それで、周囲の人も、「あ、初めてなんだな~」と分かってくれたみたいだった。

キリちゃんが登り始めると、小滝にいる全員がフリーズ状態になって、自分が登る手を止め、キリちゃんにアドバイス。

「次、右足」 「次は右手」「足は蹴らないとダメだよ~」「サッカーで蹴るみたいに」

初めてアイス
「もう降りる~」と半分も行かないで根を上げると、皆の空気が、ちょっと残念そうに下がる…が、一回目だから仕方ない。

いきなりバーチカルだからなぁ…

そして、二人目、三人目が登り始めると、もう誰も注目しない。それぞれのパーティで好きに登る。

またキリちゃんの番になる。このラインが短くて簡単だよ~と一番楽なライン。

すると、また全員注目。下から「頑張れ!」「腕を閉じろ!」「ちょうど真下にスタンスがある!」と声がかかる。

登っているほうは、色々声がかかりすぎて、どうしていいか分からなくなっている。

それでも、粘っていると、さらに皆の士気が上がる。「そうだ!いいぞ!」「そこでちょっと休んで」「三角形を作って」

やっと登り終え、降りてきて、「癖になりそう…」と言った時には、全員がにっこりした。

めでたく一本完登だ。

プレッシャーではなく、励ましを与えること、これが大事なことだ。

■ 登れるようになりたいのは普通

思うに、クライミングにおいて、登れるようになりたいのは、人間が生きることにおいて、成長したいのと同じだ。

進化するという一方向しか方向性はない。

だから、誰がクライミングしても、回を重ねれば重ねるほど上手になるし、回が重ねられるか、重ねられないかは、ただ都合によるだけだ。

都合がついて登れるようになった方がリードすればよく、リードできるほうがより楽しいのであるから、別にリードしたくない人がリードしなくても構わない。

子供の成長に、色々なスピードがあるように、クライミングだって、個々人にふさわしい成長ペースがあり、個人の中でも成長は線形的ではなく、ある日突然プラトーを脱し、上手になったりする。

毎日毎日、クライミングすれば、誰もが上手になる。

だからと言ってなんだろう?クライミングはしょせん遊びだ。

絵がうまくても実生活に特に役立たないように、クライミングが上手くても、実生活に特に役立たない。

遊びに人生を掛けてしまってはいけない。自分を賭けてしまってもいけない。

クライミングが上手い人と妬むようになったら、それは少しヤバいかもしれない。

ただの遊びがただの遊びでなくなってきている傍証だ。

何事も下手を羨ましがる人はいない。だから、と言って、上手だからって、それが人格のすべてではない。

つまり、登れるほうがエライのでもなんでもない。カッコは良い。でもカッコ悪くても別にかまわない。

遊びだから、本人が楽しく登れれば、正解なのだ。
超特急クライム



Tuesday, March 17, 2015

クライミングと似た人生体験

クライミングというか、登山の何が気に入ったのか?ということを考えるときに、いつも思いだす人生体験がある。

私の大学進学だ。その時の精神的なステイタスと、クライミングは似ている。うまく言えないが、似ている。

そこで、それがどう似ているのか、なんとか表現してみようと思う。

■ 進学のこと

私の高校は県内トップスクールだった。しかし、入学した途端に後悔した。

「〇ページ、読めば分かる。△ページ読めば分かる。×ページ…これは、ちょっと説明しようか」という具合に授業が進み、予習を前提にしていた。

私はこれまで、勉強では”現場主義”を貫いていて、学校の勉強のために予習などしたことがなく、全身全霊で授業中に先生の言葉を聞くことで、勉強には対処していた。宿題は授業時間中か、もしくは休み時間に済ませた。これは高校では通用しなかった。

高校の級友たちは、この授業スタイルには平気だった。聞くと予備校に皆行っていて、その予備校の進度が学校より早いってだけのことだったらしい。

高校受験は快挙と言われた合格だったが、受かって手を抜くことが許される、と思っているのは、私に掃除・洗濯・夕食作りの家事をしてもらいたいと思っている家族だけだった。

高校受験より大学受験がもっと過酷なことは明瞭だった。入学はゴールではなく、より過激な競争のスタート地点だということは、一日目で明らかだった。

一緒に進学した親友の男子生徒は、中学ですでに、半年先を勉強していた。塾が教えるものだった。つまり、私は塾を知らなかったので、単純にそうした情報が来なかったのだ。独学だったから。

わたしにとって最悪だったのは、家族が私よりもそうした世間に疎い、つまり状況の認識が甘い、ことだった。つまり、わたしのパーティは、お気楽無謀登山者と同じで、危険に対する状況認識力がなかった。

母は予備校など行かなくても大学に受かると考えていたが、そんなに甘い世界ではなかった。中学時代とは違い、今度は各中学でトップ1~3名というような、”上澄み”ばかりが寄り集められた精鋭ぞろいの学校だった。

しかし、母に仮に理解があったとしても、我が家に私の予備校代を払う経済的ゆとりはないのは、明らかだった。ので、どっちみち同じだ。そもそも、山行企画がまずかったのだ。しかし、もう登り出した山だった。

私の状況がどれだけ深刻だったか?というと、一学年500人なのに、私が最初に受けた高校の一斉テストで順位は487番だった(笑)。先生に「君は高校で終わりかね?」と質問を受けた。

私は下山をしたいと思い、退学と翌年の高専の入学を提案したが却下された。敗退はなし、か。

しかし、私にはパーティ、つまり家族からの助力は期待できない。どうするか?

考えてみると、”見れば分かる”式の授業は単なる時間の無駄だった。それで授業時間には自分で勝手に自分の勉強をすることにした。先生はもちろん気持ち良くないようだったが無視した。

幸いなのは高校が規則ゼロという校風だったことだ。パーマをかけ化粧をしている人もいた。教科書は、最初の半年で終わってしまい、授業をさぼることも黙認され、大人が囲い込んで勉強を無理強いする他校とは大きな違いだった。大人扱いしてくれるのだ。

高校3年分の学習内容は2年で終ってしまい、最後の一年は授業は参加したい人だけが参加する校風だった。3年は学校自体に行かない人もいたくらいだ。それで私も、学校へは行くが、図書館にこもって勉強することにした。おかげで出勤時間が楽になった。

この学校は変わっていて、テストは100点ではなく50点満点なのだが、平均点で35点、私は15,6点というありさま。それでも48点とかの天才がいた。何人か、どうみても常人とは違う、という雰囲気の学生がいた。マッドサイエンティスト的な空気を醸し出す別世界の人々だ。

そういう人は授業がつまらないので、部室や美術室、図書館などにしけこんでいた。授業が無駄なのは、落ちこぼれの私も同じだった。ので、同じく部室などで勉強していた。これができたのは、先例があったからだ。

そういうわけで、学業成績的窮地と、経済的窮地に立っていた。学業の成否より大きな問題、つまり核心・・・だったのは、費用をどうするか?だ。つまり、母子家庭なので、進学費用がない。

卒業後就職という道は、この学校では閉ざされれていた。実績がゼロなのだった。

どうするか? ピンチだ。進退窮まるとは、このことだった。それも私の判断ではなく、他の人の判断ミスだった。天候の判断ミスと同じようなものだ。

私の考えでは、そもそもこの学校に進学すべきでなかった。私は高専にも行けたので、私自身は高専という選択肢を中学で先生に話したことがあった。しかし、普通高校へ進むよう言われたのは、たぶん学校が進学実績を作りたかっただけだ。つまり、中学の見栄のために、私は犠牲になったのだった。

さて、大学進学だ。行けるところに何が何でも入らないといけない。しばらく解決策が見えず、暗澹とした気持ちで悩んだ。

とりあえず、金がないことには何も始まらない。中学時代なら奨学金をもらえる学業成績だったが、高校ではピンキリではキリに近い。ダメだ。勉強に注力することは今の状況の優位性を高めない。

しかし、この状況で何ができるか?

当時、私の家は、その日の食べ物にも欠くような経済状況だった。昼ごはん代さえもない。それで、朝6時からバイトし始めた。学校ではバイトは禁止だったが、要るものは要るものだからだ。

母は私の授業料も途中から払っていない。わずか7000円少しのことだが、母の財布にそれがないのは分かっていたので、自分のバイト代から出した。言っても仕方ないことだ。弟も妹もいるのだから。

バイト先はパン屋だったので、古いパンをランチ用にもらって帰ることが出来て助かった。友人たちにもありがたがられた。

とりあえず目先のことで出来ることは何でもした。ルート探しだ。

勉強は得意科目を徹底的に伸ばした。私は論文に強みがあった。学校では定期テストの他、抜き打ちのテストがあった。それで一度、国語で3番を取った。学校では上位50位内と下位50位内が張り出される。普段下位50位にいるのだが、いきなり3位に躍り出て、それまでいぶかっていた周囲にも、私が一体何をやっているのか理解され、ほっとした。

皆は私が捨て鉢で、人生を捨てていると思っていたのだ。捨てたのは数学で、その時間で得意科目を磨き、他の時間はバイトしていた。選択と集中だ。時間と言う資源は限られている。自分に優位性がない活動はしない。

結局、3年の時点で、当時の成績のセットで行けそうな大学は、論文入学の京大か、横浜国立大学、神戸大学、東京外国語大学、大阪外国語大学などだった。文系学部しか科目の関係で入れない。私は実学の経済学部にしたかったが、競争率の関係上リスクを冒したくなかった。人気があまりない文学部や語学系のほうがまだ安全だった。京大は学科試験がなかったが、後期日程だった。学科成績ではとても届かない。論文での一発勝負でリスクが高い。

その選択肢から、進路指導の先生に相談すると、総合大学では、のちの優位性が低いと言う。それで単科大学を選んだ。単科大学となると語学系しかなくなる。東京か大阪か?という話になり、高校時代のクラスメートの8割が首都圏へ進学するというので、大阪にした。私はマイナー好みだったし、落ちこぼれとして過ごした高校時代を大学に入って引きずるのは嫌だった。

道が見えた瞬間だった。これは生き残りをかけたサバイバル、脱出路だった。退路を断っていたので登るしかないのだ。

受験日程の関係から受かったところに行く作戦にした。受験したのは二校だが、進学できれば、どこでもよかったので、受かったところに行った。

それより問題は受験費用だった。高校も3年になると模試代もかかる。模試は自分の客観的な実力を見るためのものなので、外せない。これも自分のバイト代で出した。しかし、3回受けるところを1回にするなどした。勉強する時間もバイトする時間と同様大事だったからだ。使えるギアは限られており、ロープは50mいっぱいまでしか伸びない。

受験費用は、国立なのでそう多額でもなく、バイト代から出そうだった。でないのは入学金と遠征費だ。大阪までの旅費や宿泊費。知らなかったが、受験生のために旅行会社が用意したホテルは、ボッタクリ価格だった。なんと梅田の真ん中で16000円もするホテルに2泊。今思えば、一体どこの重役なんだい?っていう高級滞在先だ。

だが、私は高校生で無知だったので、言われたままを払うしかなかった。親戚縁者もいなかったし、母以外の大人も知らなかったし、母とて私より世間に無知だった。これは勇気を振り絞って、父に請求した。父親と話すのは10年ぶりだった。しぶしぶ出してくれた。

大阪まで出るのは、受験での一回コッキリなので、前日に当日の電車を間違えないよう偵察に学校まで行った。受験当日は、終了後大学の生協へ行って、4月からのバイト募集にその場で応募した。受験が済んで帰った翌日からバイトしていた。何とかザイルをのばさなくてはならない。

入学金などの大きな金は、母が銀行から50万円借り、そのうちの17万円を私にくれた。残りは家計に行った。だから私は17万円で親元から自立したのだ。それにバイト代を足して、30万円以上あったが、入学金、引っ越し費用、旅費を出したらいくらも残らなかった。

引っ越しは簡素で、段ボール3個分。宅急便で学生寮に送った。一つだけ贅沢をして、子供時代に弟が何度もおねしょした布団はもっていかず、新しいお布団セットをダイエーで1万円こっきりで買った。テントで飲む日本酒みたいなものですね。

17万円は、一人の人間が親元から自立して進学する資金とするには、心細く、お金はすべてなくなり、入寮した日には財布にはほとんど何も残っていなかった。ザイル一杯一杯。登攀力ギリギリ。

学校は4月の初旬からだったが、入寮は4月1日から可能だったので、1日に入寮した。学校はまだスタートしていなかったので、寮には上級生もいなかった。寒々としたコンクリートの床に鉄のベッドと机、デスクライトがあるだけの部屋で段ボール3つがスタート。清々しい勝利だった。今思うと、ビバーク地点についた!という感じだ。もう安心だ。あとはセルフをとらなければ。

まだ完全に安心はできない。翌2日から大学生協でバイトした。生協以外にも、夜になると、近くの本屋でバイトした。食器も何もない。生活用具はゼロだったが、バイト先のおばちゃんらが、お椀やらお茶椀やらをくれたり、お歳暮のタオルをくれたりした。もらえるものは、なんでも、もらった。何にも持っていないから、何でも役立ったのだ。

私は一日の生活に必要な額を計算し、つねにそれより多くバイト料が入るように働くことにした。一日500円で生きられれば、一日5000円稼げば、大丈夫のはずだった。入学式はバイトでパス。バイト先へは歩いて出かけた。急にお金が必要な時は、当日払いの日雇いバイトに出かけた。つまり、その時代は、核心部で、だいぶランナウトしているような、悪い場所にあたっているようなものだった。

私は後ろは決して振り向かなかった。実家に学生たちが帰り始めても、そのお金がもったいなかった。生活費、食費、授業料、ありとあらゆるものを自分が働いたお金で払うのだから。ただ正直に言うと、その方が生活が楽だった。先を考えると、実家に戻るのは、ただのお金の無駄だった。パーティは足手まといだったのだ。フリーソロを選んだのだった。

その頃、大学図書館へ出向き、図書館でバイトしたいと言った。たまたま受け付けてくれた女の人は、どうして?と聞いてきたので、本が好きだから、と答えた。それで、欠員ができたときに採用になった。その図書館には、その後4年ずっとお世話になった。やっと一般道に戻ってきたのだった。

■ 核心は何か?

この経験で、核心は何か?つまりボトルネックを考えることや戦略を学んだ。

それに、人に指図されるのではなく、自分の意思で、何が正解か?ということを自分の頭で考える、こと。

中学の時、高専に行かなかったのは間違いだった。「あなたのだめだから」は嘘で、中学は進学実績が欲しかっただけだ。

大人は子供のことを考えてはいない。自分のことは自分で考え、自分で道を切り開かないと、誰も解決してくれない。

それが自己責任と言うことだ。代わりに判断してあげる、という人を信頼してはならない。裏があるのだ。

日本では、特に考えなくても、ただ何もしないだけで、周囲が勝手に状況を運んで行ってくれるのが普通だ。それは窮地に立たされていない場合だけだ。つまり、窮地でなければ、人任せでもなんとでもなるのだ。

クライミングでは、皆、窮地に立っている。支点があやふやだったら、それは支点構築を相手に任せた自分にも、落ち度がある。

弟はスポーツに専心したので成績が悪く、高校は私学しか進めなかった。スポーツ優待もなかった。彼も高校では土方のバイトをしていた。身入りは良いがすごく大変そうだった。ルートを見誤ったのだ。私も人のことは言えないが。

妹は、誰かが彼女を助けに来るまで待つことにしていた。子供の頃のIQは子供3人のうちで一番高く、小中一貫教育を受け、私が行った高校には、何の苦も無くエスカレーター式で入れるはずだったが、入れず私学へ行った。

高校では彼女はただ普通に高校生活をエンジョイしただけで、私の生き方は、妹から批判を受けた。妹が言うには大人に任せればいい、もっと人を頼ってよい、という話だった。

私はその話は買わない。妹が頼ってくるのは、結局いつも私だからだ。私が妹に頼ったことはない。妹の話は、頼れる相手がいる人の話だ。わたしにはバックアップはなかったのだ。懸垂のトップみたいなものだ。下で引けば停止するから大丈夫、なんて言えない。

妹はその考え方を実践した結果、短大に行き、親があっせんした会社に入社し、母と弟と暮らし、弟が突然死で亡くなり、母が追いつめられると、妹は主たる家計の担い手として、追い詰められ、結局、薬を大量に飲んで、ICUに入ることにした。生きる意志を失ったのだ。

母は妹を引き取って、しばらく養うことができなかった。妹が身を寄せたのは、勤労学生の地位から脱して間もない、私の家で、就職3年目。ゼロからスタートして10年目だ。大学は7年かかった。家族を養えるような財力はなかった。彼女は身を寄せている間、当然のように一銭も出しておらず、わたしから餞別をもらって出て行った。大阪で働くことを提案したが、肌に合わないのだそうだった。

妹との違いは、ただ4歳の差と、自立しようとした強い意思だけだ。

彼女は、人が敷いたレールの上を歩くことを選んだ。道があるところを歩こうとしたのだ。一般ルートの山のように、みなと同じ道を歩けば、安心だと思っていたのだった。ところがどっこい、雨も降れば、崖もあるのだ。

妹はリスクを見ていなかった。私に言わせれば、私たち兄弟3人の最大のリスクは、母だった。母には、戦略がなく、どう物事を解決するつもりか、一切考えがなかった。それは母のために周りがレールを敷いてくれる人生を生きてきた人だからだ。

母の試練は、子供を3人も持って、若くして夫と別れたことで、それさえ考えなしにやったことだろうとうかがえた。試練を乗り越える作戦が全くなかった。美しい人だったから、再婚のチャンスは、私が大人になって振り返ると、いくらかはあったようだった。

進学したのち、シングルマザーの先輩に出会った。わたしより10歳年上の28歳で3歳の子持ち。昼間は働き、子供は施設に預けていたが、別にかわいそうということもなく、子供は健全に育っていた。

子供は大人の感傷で考えるような、軟な生き物ではない。母は、子供たちが、かわいそうと言って、兄弟が父側と母側に別れたり、施設に預けられたり、彼女自身が再婚して継父ができたりすることを拒んだのだった。拒むのはいいが、だからと言って他にどうすればいいのだ?代案は?

母は、すべてにNoと言い続ければ、誰かが解決案を持ってくると思っていたのだろうか?結局は誰かがなんとかしなくてはいけない。その誰かは、子供たち、おのおのであって、母自身ではなかった。実際、母は子供三人が自立し、自分だけの世話をすればよいようになっても自立できていない。

後でアメリカに渡って、友人にこの話をすると、みな、現実的にリスク認識力があるのは、この家族構成では私だけだったし、このピンチをうまく切り抜けたと賞賛してくれる。日本では逆で、与えられた道、レールの上を歩んでいない私は、世間では肩身が狭い。

私は、高校生の少女の時、道があるところを歩いたのではなく、道を切り開いたのだった。それも崖っぷちのスレスレを。ビレイなしで。

この時は、真の人生を生きている、という感じがした。 

幼稚園、小学校、中学校、高校と、私は私なりに真摯に生きて、大人に言われたとおりにした。でも、大人に言われたとおりにした結果は、まずかった。

幼稚園受験、小学校受験、中学受験、高校受験、それに大学受験、全部やった。受験勉強に子供時代の貴重な時間を割いてしまったので、私の本来好きだったことを実現するために、自分の能力を開花させることはできなかった。

私は家庭では家事労働者で、学校では委員会や生徒会を担当し、人のために生きていた。学校の”係り”は2つも3つも掛け持ちしていた。キャプテンや部長、生徒会、委員長・・・、用事は忙しい人に頼め、という。それを実践していたのは私ではなく、他者の方だった。

皆のニーズを満たすのが先で、自分のニーズについては、何が自分なのかさえ分からなくなっていた。

アメリカに渡って、”if you don't know what you want, the other people will take you”と言われた。

つまり、バイトのシフトを出すにも、自分の要求を出さないと、9時から1時間、3時から2時間、8時から4時間とか、とんでもないモノが回ってくる。それで悪いと思わないのがアメリカだ。

アメリカ社会では、自分が何をしたいかを言えない人は、居場所がない。皆に小突かれて終わりだ。日本でも同じだが、日本社会のいやらしく、巧妙なことは、そうした人には、名誉は与えられていることだ。飴だ。騙されてはいけない。

アメリカで、レズビアンの家庭に間借りしていとき、その家の子供は14歳で、ヒドイ絵を描いていた。その子は長じてデザイナーになった。私は絵が得意な子供だった。入賞も多かったし、クラスでは一番上手だった。一体誰が才能がないと決めるのだろう?

道がないように見えるのは見ないから、なのだ。一般道に慣れた目には、より困難なバリエーションルートは、踏み跡どころか、導かれ感くらいしかない。道はない。地図と言う仮説を見て、自分でルートを設定するのだ。

この人生経験は、わたしには、クライミングや登山と、とても近く感じられる。

気持ちの在り方が同じだ。心のありようが。 

自分で自分の行く道は決める。

リスクは取るが危険は冒さない。

プロテクションは必ず取るが、ときにはランナウトも仕方ない。

スレスレでもしっかりスタンスに立ち込めていたら、大丈夫。

ビレイがなければ、フリーソロであっても切り抜けるしかない。

雨は大丈夫か?風は大丈夫か?1ピッチ、もう1ピッチ、ザイルを伸ばす。ギリギリだ。

ビバーク点にきた、ホッとする・・・でも、まだ気は抜けない。一般道に出るまでは。

精神力、強い決意だけでなく、観察力、戦略立案力が必要だ。

前に道はない。歩いた後に道が出来ているのだ。




Monday, March 16, 2015

私の登山論 

■ 山書 『いのちの山』 古川純一

今日はどんどんお天気下り坂・・・

朝、フィフィの記事を書いて、スクリューの記事を書いて、登山計画を立て、買い物へ出かけ、後は家で片づけ物をしてから、古川純一さんの『いのちの山』を読んでいます。

私は、本は前から順に読みません。目次を読んで、気になるところを読みます。なので、最初に読み始めたのはアルパイン論です(^^)。

アルピニズムが何か?については、私は自ら論じれるようなものは、まぁ当然なのですが、持ち合わせていません。

今教わっているところ(笑)。

私はあまり岩稜帯には興味がないので、記録を読んでも行ったことがないところだと、ピンときません。

ので、興味のない、剣や谷川岳は飛ばして、興味があるところだけを拾ったら、八ヶ岳の縦走で、あるはずの小屋がなかったこと、甲斐駒の日向八丁尾根で、たぬきに襲われた?ことなどが出ていて、面白いです。甲斐駒は研究したいので、こういう紀行文には興味がわきます。 

■ アルピニズム論 

古川さんのアルピニズム論で、時代を感じたのは、スポーツとの比較論から入るところです。つまり、スポ根との比較ですね。スポーツには目的がない、のだそうです。

わたしはてっきりスポーツというのは、健康を目的にしているのだと思っていました。それは、現代が高齢化社会であり、スポーツは大人が健康の目的で楽しむもの、になったからですね。

要するに体育会系部活のノリを古川さんは前提にしていたようです。それだけでもずいぶん時代の流れを感じます。

私の若いころ、既にスポ根はかなり下火でした。しごきとか体罰が社会問題化した時代です、戸塚ヨットスクールのような事件がありました。

登山は、心身の鍛錬だの、不屈の精神を養う目的で、なされるものだったようです。スポーツは好きだからやるのだ、無理強いは良くない、と、今だったら、当たり前すぎて、誰も問題にしないようなことを言っています。

登山は無駄な活動だとも言っています。私も同意します(笑)。食べる、寝る、働く、色々とある中で、別に、山に行かなくても人間は困りませんから。

ただ人はパンのみにて、生きるに非ず。生きるのに必要な本能的な活動と、昔だったら狩りにあたる、現代での仕事、を除く他の活動は、人間にとって意味がないのだろうかとなります。

いつだったか、芸術家に聞いたのですが、もっとも芸術が栄えた時代は、私有財産がない時代だそうです。つまり蓄えることができない、と人間は意外にも結構、余暇の時間があったみたいです。

おそらく現代人が忙しいのは、尽きることのない欲に動かされているからでしょう。一生分をため込むまで安心できないのなら、一生働きづめなのは、当然の帰結です。貯め終った途端に人生まで終わってしまうのでは、何のための人生でしょう?

登山がやってもやらなくても良いような活動、レジャーの一種であることは間違いないことです。

では、人はなぜ登山に魅かれるのでしょう?

登山は、魅力的な活動です。それは、山行そのものだけを見てもそうだし、登山という文化自体も、取組む甲斐がある厚みがあるから、です。

例えば、この古川さんの本のようなものがあるからです。つまり、文化的なもの。

登山は文学と言う面で見つめることも出来るし、自然科学という面から登山を見つめることもできるし、環境問題と言う切り口もある、民俗学という切り口もあれば、高山植物という切り口もある。多様なのです。

■ 登山も総合芸術

バレエは総合芸術と言われますが、登山も似ています。

登山にまつわる世界そのものが、文化的・地理的・歴史的奥行きがある。発見があり、面白い。スポーツ的なクライミングだけが登山ではないです。

私はテニス部でしたが、テニスの歴史について興味がわくことはあまりなかったです。

バレエは親元を離れてすぐ開始し、20年続けた趣味で、海外にいる間は、そこでレッスンも受けましたし、バレエ史も知っていますし、あらかたの作品についても知っており、音楽を聞けば作品名が分かり、著名なコリオグラファーの通訳を務めたこともあります。スタジオに入って、「はい、アラセゴン2番から、プリエ」と言われても、何の問題もありません。

逆に言えば、バレエは総合芸術と言われ、深みがあるから続けられたと言った方がいいかもしれません。

■ 山切れ

私が山に行くのは、やむに止まれぬ事情からです。なぜでしょう、しばらく山に行かないと、山切れしてしまうのです・・・(^^;)。

だから、一緒に行く人がいなければ、一人でも行きます。

私は槍穂に憧れたことはありません。けれども、空中散策はしたくなり、年に一回くらいはロングな稜線歩きをしたいです。

≪登山の魅力≫
1)単なるスポーツではない
2)競争がない
3)勝敗がないが成否がある
4)自然の中で過ごすことができ、毎回発見がある
5)良き判断力が必要 登山は決断の連続
6)内省的であり、すべての登山は個人的な体験であること
7)知的・文化的である
8)尾根、沢、岩、アイスクライミング、山スキーと活動に色々な幅があること
9)健康に良い
10)世代間の交流がある
11)計画、実行、振り返りと3回楽しめ、4度目は後年写真を見て楽しむこともできる
12)日本に居住する優位性を味わえる
13)旅行的要素がある
14)チャレンジがある
15)謙虚さを育てる
16)男女差が比較的少なく、年齢によるハンデが少ない

≪登山の欠点≫
1)遭難
2)怪我や疲労
3)不可抗力の事故
4)混雑
5)環境汚染
6)依存の助長    ← ツアー登山、連れられ登山
7)傲慢・尊大さの助長  ← クライマー
8)ウエアやギアが高額
9)時間(休み)が必要

でも、これまでの経験から、良く気が合うタイプの人は、探検好きで未知なるものへの希求心が強い人が多いように薄々感じています。知的なタイプであって、体育会系ではないかも?

■ 次々開くドア

私は、登山は甲府での生活を充実するためにやっています。

もし登山が無かったら、今頃、することがなくて、鬱々とした生活をしているかもしれません(笑)。

何しろ失職したので、前にやっていたような、やりがいのある仕事ができるか?というと、ちょっと怪しいです。夫の愚痴を言いながら高級ランチにでかけるような有閑マダムな生活になってしまうかもしれません。

もともと探究心が旺盛なので、甲府に来る前は、仕事でその探究心を発揮していました。

私は、夜学の学生だったので18歳のころからフルタイムで働いていましたので、大学を卒業した時は、社会人として、すでに7年目。今更、新卒扱いされる必要があるとも思えず、最初から中途採用で、即戦力として採用してもらい、その成果を出してきました。

上司に指示をされないと、何をして良いか分からない、という働き方はしてこなかったのです。

その結果、引抜にあったりして、何回か転職しましたが、私は職業的な充足や成功というドアを次々と開けていました。

必要ならば、社外で勉強をして、一定の到達点まで来ましたが、夫の転勤に伴って甲府に来たことで、職業人生は一旦停止です。

今はヨガを教えていますが、自分のスタジオを例え開いたとしても、投資の元が取れる前に転勤になってしまう可能性があります。

ですから、今現在、職業的な成功という意味では、ドアを開けても仕方ない。

それで、この、神から突然与えられた、休暇のような、ぽっかり空いた時間を何に充てようか?となったわけですが、これまで職業人生においてやってきたようなことを、趣味においてやることにしました。

その趣味には登山を選びました。すると…、結果として、今ある登山の形になりました。

目の前のことを丁寧に紡いで行ったら、どんどん道が開けた、ということです。

目の前のことを丁寧に紡ぐと言うのは、山に行ったらヤマレコに記録を書き、『北八つ彷徨』を借りたら読み、ピッケルより地図読みでしょ言われたら地図読みに取り組み、スノーゲインに行き、今の靴ではだめだと分かれば、買い物に東京まで出かけ、『八ヶ岳研究』を貸し出されたら、ついでに日本登山大系も読み、山であった人と山行に行き、これ以上のステップアップは、個人山行は無理と分かれば、講習会のドアをたたき、そのために山小屋で働いて費用ねん出し、仲間が必要と分かれば、山岳会を検討し、県下の全部を比較する、というようなことです。

そうしているうちに、私は登山5年目の割には、良くやっているね、と評価してもらえるようになりました。

ヨガでは、祝福がある分野、という言い方をします。扉が次々開く感じです。まだ道は続いていそうです。

私は、おのずと開けた道を歩きたいのであり、登山という道を、無理やりこじ開けてまで歩きたいという気持ちはありません。

例えば、ツアーの団体登山に見られるように、山を凌辱してまでは登りたくはないのです。

さらに言えば、ガイド登山でのバリエーションルート攻略のように、経済力で山を買うような登り方も今の生活の優位性を生かした登り方とは思えません。

もちろん、私たち夫婦も共働きで息つく間もないほど働いていました。そんな都会生活者の立場からすると、金で済ませられる問題は金で済ませたいものですから、都会にいた頃は色々な意味で、時間を金で買っていました。それも分かるのでそうした登山を否定するものではありません。

金を持っているか?時間を持っているか?という、どういう資産に自分が優位性を持っているか?の違いだけです。

今は時間に優位性があるので、その優位性を生かせる活動として登山が魅力的なのです。もし、登山が経済的優位性がないとできないものなら、最初から取り組みません。つまり、もし4万円もかかるなら、南沢大滝に登らないでいいや…ってことです。

私は、今ある目の前の道をしっかり歩いて、見えてきた頂に登る、そうした登山活動をしたいのです。

それが結局、山で死なないためには重要なことのような気がします。



Sunday, March 15, 2015

アイス擬似リード

今日も山は悪そうですが、甲府は穏やかに晴れています。

夫と二人で寝坊。自家製イチゴジャムでトーストを食べて、まったり休日モードです。

昨日のギアを片づけたり、洗濯物をしたり、の一日にします☆

擬似リード





Wednesday, March 11, 2015

明日はアイス

■ おとり?!

今日は久しぶりにICIに行っていました。

そうしたら、なんという奇遇か、高根山岳会の方にお会いしました。結構年配の方でしたが、高根山岳会も、甲斐駒麓の錦の滝などで、アイスクライミングしているのだそうです。へぇ~です。


ちょっと検索したら、面白いことが書いてあった・・・

ーーーーーーーーーーーーー
個人で山歩きをしている町民がいるので会員募集をしても応募してこない、若者に話しを聞くと組織に加入してしばられるより、自分の都合のよい時に自由に車でいけるところまで行って登るからとの返事。もの事に対する考え方と時代の違いだと云ってしまえばそれまでですが、組織というものの大切さを自覚してもらいたいものです。
中高年者登山がブームになり始めた頃に思いついたのが女性を入会させて女性会員を複数にしてそれをオトリ(失礼な云い方かもしれないが)にしたらと云う事でした。しかし、その事がブームにのったのか、募集しなくても、口コミで入会希望者が増える結果を生み、現在の会員数(中高年者が多いけれども)になりました。
ーーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.yamanashi-gakuren.jp/art/1647.html より引用


おとりって・・・(笑) なんか美人局を思い出した・・・(笑)。そこまでして人を集めなくても。

高根山岳会といえば、そう、地獄谷の出合小屋を管理されている会です。みんな知っていますよね~。

去年の今頃は、地獄谷山行を企画中だったんだっけな~ 


御坂山岳会は、半年ほどのお見合い期間を設定している会なので、私は、ぜんぜん入会を急ぐ気はなく、のんびり構えていたら、新年会で入会を迫られ?(笑)、急にシリアスに考え始めたのでした・・・が、実際、どうしたらいいのか分からなかったんですよね。

何しろ山が合うかどうか、私は2月の雪稜山行・・・御坂ではキワモノ、と呼ばれている山行(笑)で、決めたかったのですが、去年は2月は大雪で一切缶詰でした・・・雪降りすぎ、です。

それで、3月に予定されていた地獄谷、誰も参加者がいない山行に、私が先輩を引っ張り出した格好に・・・でも、私は、新人なので、入会したら、会としては新人歓迎山行をしないと行けなくなります・・・なんか先輩には悪かったなぁ(笑) 

ルートを設定したのが私だったので、新人歓迎山行ってより、しょっぱなから、新人のワタシのデビュー戦ぽくなったのですが・・・。

まぁ、わたしとしては、自分の山が分かってもらえてよかったです♪ つまり去年の地獄谷山行は私らしい山でした。

■ アイス

明日は、去年、小川山でマルチピッチのルートにデビューして直後に、無名の岩岩を偵察して回った時に知った滝です。


先日、南沢小滝でお会いしたベテラン山ヤさんの記録を拝見している時に、そこが冬季は登れる滝だと知りました♪

あの滝、登れるとは・・・うかつだったなぁ・・・ そうそう、という感じ。


ただ明日は、最後の冬将軍がやってきているようで、日中もずっとマイナス・・・さぶそう~!

どれだけ登れるか分かりません・・・アイスは固いと全然難易度が違うからです。

今日は、後は図書館に行き、また古川純一さんの、

『いのちの山』

を借りてきました・・・ とりあえず、噂のアルパイン論を読まねば!




今日は、苺が安かったので、たくさん買って、イチゴジャムを作ったし、アイゼンを研ぐのも上手にできたし、高根山岳会の方との出会いもあって、なんとなく気分が良い一日でした☆

明日の早起きだけです、核心は。