Friday, April 3, 2015

引き続き、私の山の考察中・・・

■ 用語の乱れ

知らなかったが、登山の価値が多様化していると言われる現代、様々な流派(?)の登山が枝分かれして、それがむしろオーソドックスな、いわゆる”本格的な”登山を分かりにくく、難しくしているらしい。

例としては、バリエーションルート。

テクニカルな意味合いで難しいルートと、地図にないと言う意味のルートと混在中。その他にもこんな言葉が出ている。

 バリエーションハイキング ⇒ マイナーなルート、廃道、
 ハイグレードハイキング  ⇒ 岩交じりの低山

”一般ルート”も、バリエーションをするような人の中では使うけれども、一般登山者は使わない。それしかないと思っているから。

”スタンダードルート”は、英語にはあるらしいが日本では聞かない。”ノーマルルート”は、聞いただけで、エベレストの渋滞を思い浮かべる。愉しくなさそうだ・・・

どちらも、”一般ルート”の”一般”に当たる部分だと思うが、ノーマルの反対は”アブノーマル”となり、なんだか悪いことをしているような感じ(^^;)。

そう言えば、雪が降った日に藪が隠れたのを期待して、尾根を地図読みしながら歩く山行を、御坂山岳会では、”キワモノ”と、言っている。

でも、尾根を読んで歩く山は、”キワモノ”ではなく、王道。雪は山の弱点なのだし、正しい登山のあり方だ。

登山の分野?としては、
 ・フリークライミング
 ・アルパインクライミング
 ・トレイルランニング
 ・ロングトレイル
 ・高所登山
 ・藪山
 ・沢登り
 ・山菜取り・きのこ取
 ・自然観察
 ・動物観察
 ・野鳥観察
 ・ハイキング
 ・アイスクライミング
 ・ミックスクライミング
 ・ドライツーリング
 ・キャンプ
 ・撮影登山
 ・団体登山
 ・学校登山
 ・ガイド登山
 ・百名山登山

などがある。全く違う登山スタイルとして認知されるべきだと思う。最近では、”婚活登山”なんてものもある。

大別すると、(一つのところにじっとしている活動)と、(旅的に通過してしまうもの)とに分けることができる。

私は旅派。

■登山における”正しさ”というのは、どう求められるか?

登山における”正しさ”とは何か?

それは意外に簡単で、山がそもそも、何もない原始の場所だったら、と想定すればよい。

何もない、ただの地面の隆起だった場合に、人間はどう山頂にアプローチするか?ということが、登山のスタート。

道路や登山道があるのは、たくさんの人たちがそこを通ったという歴史的経緯の結果であって、仕方ないな、と受け入れるもの。

その”原点”から、遠く乖離したものの例が、観光登山であり、百名山登山。百名山登山は、ピークハントに、スピードと効率を求めたもの。最も易しいルートで登るのはピークだけが目的で、早く100個登りたいからだ。

しかし、深田さんの意図とは全く別の登山スタイルになってしまった。高度経済成長期の時代的価値観が背景にあったのではないだろうか?そうだとすると、こうした登山は今後下火だろう。今世の中で受けているのは、”断・捨・離”だからだ(笑)。シンプルは貧乏を意味しなくなった。

スポーツを登山に持ち込む流れもある。登山はスポーツではない。が、どこかスポーツに対して、憧れがあったのだろうか?スポーツになることを”格上げ”と感じている節がある。クライミングをオリンピック競技にしたがっているのも一つだ。

だが、オリンピックの現代社会での位置づけを見れば、この分野が人間の可能性を広げるためのもの、というよりは、各国のエゴとコマーシャリズムに冒されている分野だということは、誰に目にも明らかに分かる。

トレランに話を戻すと、山岳耐久レースを目的にしているものなので、レース、つまり”競争”をしたいのだ。マラソンを山岳エリアに場所を移したものであって、登山とは違う。

この”競争したい、競い合いたい”という心理ニーズは、むしろフリークライミングと近い。スポーツクライミングでのコンペだ。コンペと言えば、リン・ヒルと言われるほど、リン・ヒルは、コンペの女王として君臨したそうなのだ。

なんだか私が知っているサンフランシスコのヒッピー文化の価値観とは全く180度違うなぁ。ヨセミテは岩登りの聖地だけど、なんでその帰結がコンペになっちゃったんだろう?

私が知っているヒッピー文化は、Love&Pieceだったから、全く性格が違う。求道者のようにトレーニングに明け暮れ、節制し、限界を高め…るのが嫌な、どちらかというと怠惰な人たちが、マリファナを吸ってのんびりソファで寝転んび、反戦を主張するのが正しいヒッピーのような?

話はそれたが、要するに 登山に”競争”を持ちこんだら、

 コンペ
 トレラン
 国の威信を掛けた高所登山
 
等、になったようだ。コンペも動機づけとして考えるとそんなに悪いこともないのだろう。

わたしにとって、あまり良く分からない&興味がないため知らない、のは、”記録”の世界で、名誉と栄光の世界だ。今の時代は、世界最高齢とか最年少などの年齢、酸素ありからなしへ、など、記録としての”初”に手を替え品を替えしないといけないらしい。この方面も本質とはだんだんかけ離れて行っているような気がしないでもない。なんとなく行き詰まり感が見える世界である。

…と考察すると 

 量・数
 競争
 名誉と栄光(記録)

と、どの方面を向いても、旧世界の、それも戦後日本の産めや増やせや、の一時的で普遍的とは言えない特殊な価値観に毒されているように見える。

わたしにとってはあまり価値を感じない世界が広がっているようだ。でも、まぁ、それは、過去の時代の世相を単純に表現しているような気がしないでもない。

問題は 今から先、だ。

■ 質

人は生きている。 生きるという方向は、生まれてしまったら、もう変えられない。これは不変的だ。

なので、どうせ生きるなら、生きることを愉しんだ方が良い、と思う。

そう思うと、”生きること”の中身の質が重要になる。楽しく生きることもできれば、不平を言いつつ、生きることもできる。

同じ物事でも、視点を変えれば、物事の良い面を見ることもできる。難しいのは、

 視点を変えることだ。

そういう意味では、人間は体験の質を自分で主体的に選ぶことができる。

良く言われるように良い面を見るか、悪い面を見るか?だ。できればハーフエンプティではなく、ハーフフルを見たいと、誰もが考えるだろう。

良き人生を生きるのに、大事なことは、いかにして視点を変えるか?だ。



≪視点の転換法≫

 1)そこから何か学ぶことはないか?とする(反面教師的利用)

 2)何が自分にとって不快刺激かを知る材料とする (あらかじめ避ける後学的利用)

 3)大抵は自分に足りないもの、なので、それを知る材料とする (弱点の克服)



良く言われることだが、ピンチは逆にチャンスだ。逆境は学びが多いとき、でもある。過去を振り返るとそう思える。

今現在を”つらさ”として認識している時には、”止まない雨はない”と思えばよい。余談だが、そういうことは自然界から学ぶものだ。だから登山は人を作る、と言われるのだろう。

■ みそぎ、瞑想、めくるめく感

登山を始めた頃、山を登ることによって、禊的な意味合いを感じていた。しばらくは、歩く瞑想=登山だと思ていた。

山の道を上がる一歩一歩で、余計なものが剥がれ落ちて行くような感じだ。ピークに立った時にはすっかり、無垢な自分に戻れている。

ところが、それは残念なことに、百名山登山者に「何個目?」と問われることで、がっかりに転換されてしまう。汚点が付くとはこのことだ。

それで、「おばちゃんが団体で登ってこない山に登ろう」と思い、アルパインを志した。

だが、残念なことに、アルパインをスタートすると、逆に問題が増えた。羨望、嫉妬、競争、優越感、技術への無理解や軽視、その結果としての命を粗末に扱うデカダン的姿勢、そういうものだ。

山の道を上がる一歩一歩から、開ける展望が面白くてたまらず、目の前の苦を忘れる、というような山が、私の好きな山だった。

そうした山行を夫と共有して面白かった。山があまりに美しいので、急斜面だと言うことを忘れてしまうのだ。そういう山は、急いで歩くことによって失われる。

岩を始めたころ、「岩は今に生きるということだ」と思った。ところが、今は岩をそのような、現在のみに意識を向ける活動とは、感じられない。なんとなく岩には義務感が付いて回る。人工壁もノルマちっくだ。ノルマになってしまった活動が楽しいわけがない。なぜそれがノルマ化したのか?理由は分かっている。登れなきゃ人間じゃない文化に触れたからだ。

アイスは寒さを忘れる面白さ。今は、アイスは氷があると、それが登路に見えるようになった。ので、正しく成長している気がする。

というのも、尾根も以前はそれが登路とは感じられなかったが、今は山が”歩いてください”と言っているような登路に見えるからだ。

沢もこれまでの経緯から、わたしにとっては、山へ至る登路、山がこちらへどうぞと言っている道になりそうな気がする。

というのは、大体において、自分で行き先を探してこれるものは適性があるからだ。伝丈沢やズミ沢など自前だ。その活動に適正がないときは、どこへ行ったらよいのか、そこから、そもそもわからないものだ。

沢は、閉塞感が漂う山の世界の中で、今後が期待できる、自由でのびのびしている世界だ。だから沢は、今の登山界で、もっとも可能性のある分野と言えると思う。

山梨で沢登りが登攀要素が強いのは、地形的に山梨が急峻なこと、たまたまそのような沢ばかりが紹介されているからだ。登攀要素の強い沢をしなくても良い。歩く沢だって沢は沢。

≪山ヤ道のヒント≫
・余分なものがそぎ落とせる山行が良い山行 ⇔ 問題意識が積み重なる
・苦を忘れる面白さ
・急がない 
・ゆっくり取り組む
・今に生きる
・それが登路に見えてくる
・連れて行ってもらわなくても、自分で次に行くべき場所が分かる
・非”ノルマ”


ビジネスの世界にはPPM分析というフレームワークがあるが、それで捉えると、こんな感じ。

人は強みを生かしている時に喜びを感じるものだ。

だから、フリーに強みがある人はフリーの愉しみを追求し、それを世に広めれば良い。チームとして見たときには、各人がそれぞれ強みを生かし、全体として山行に必要な機能が備われば、それでよい。

逆に、同じ強みを持った人とは強みの競争が激化して楽しさは失われるだろう。例えば突破力がある人が二人いれば、二人の間で競争になるだろう。あ、そっか、だから男性同士は一緒に山に行かないんだな。


           |
           |
 Problemchild   |   Star
           |
   沢      |        アイス
           |    地図読み
           |
           |
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>
           |
           |
    Dog     |    Cash Cow
           |
   岩       |    縦走・雪稜
   フリー    |    
           |

≪関連記事≫
気分が乗らないときは登らない

Thursday, April 2, 2015

自分の山を探して研究中

愉しい山ってどんな山かしら?と思い、ちょっと研究中です。

■ 面白かった山リスト

兜山        彷徨山行
ジョウゴ沢     初めての自前アルパインルート ☆
唐沢の滝     プチアルパインなアイス ☆
伝丈沢・金石沢  癒し系の沢 ☆☆
前穂北尾根    初めての本格的なバリエーションルート 

ズミ沢        初めての自前沢 ☆
小川山レイバック 初めてのクラック
西穂高沢      冷えたときに登って駆け降りる系 ☆
初回の三つ峠   初めてのマルチピッチ
中津川滑沢アイス  悪さがなぜか面白かった沢 ☆☆
広河原沢左俣    また行きたいアイス ☆☆☆
厳冬期 鳳凰三山  夫と行く厳冬期
後立縦走       ロングテント泊ソロ縦走 
タカマタギ      豪雪のテント泊 ☆
ツルネ東稜     アルパイン体験 ☆☆
権現         夫と楽しく研究
西穂高       11月思いもがけぬアルプス ☆
鷲ヶ峰        おとぎの国の雪のトンネルをウロウロ ☆

難易度は山の楽しさにだいぶ影響します。 フリーが強い男性は短くて強度が強いのが好きです。低山クラッグと言われている太刀岡などです。女性は強みの持久力が生かせないので、それほど楽しいと思わないような気がします。

一般に、

 フリーで技術難易度が高いもの、短いもの ⇒ 瞬発力がある男性
 マルチピッチのように登攀難易度は低いが長いもの ⇒ 女性にもハンデがない

と言われています。

岩は私にはまだ精神的負担が大きいのかもしれませんね。アイスは面白いけど、岩で、アイスほど面白いと思ったことがないかもしれません。

初回の三つ峠は、何の不安もなく、ただ楽しいだけでしたが、その後カサメリ沢で滑落し、また三つ峠に行ったら、全然楽しくなかった…(汗) 怖くなっていたのです。

何が楽しくて何が愉しくないか?は、当人にとって背伸びすぎる=危険が大きすぎると、当然ですがタノシクナイです。

■危険に対して無知なときの愉しさ

危険を認知していなくても、無知がゆえに楽しく過ごせてしまいます。 

そういう系列では、いきなり2級の沢に行った、芦川横沢は、危険認知がゼロで、メインロープを自ら解いてしまうという失態をしているのにもかかわらず、直後は、「あ~楽しかった~」と脳天気にケーキを食べて帰っています(笑)

あの楽しさはあんまり歓迎できない楽しさです。基本的に認識が甘い楽しさだったからです。スレスレ感ゼロ(笑)。ホントはスレスレなのに。

 易しい初級の沢
 初級のアイスアルパイン
 ロングな雪稜
 地図読み的困難がある山

が、わたしの今のレベルにあった山なのかな? ロングな夏山縦走などは別に一人で出来ちゃいますし・・・。日帰りで行く花の山など、自然観察会でいいなぁと思いますが、誰かと一緒に行きたいなってことはありません。一般道を歩く山だと、基本的にトレーニングか、次の山行のための偵察って、意味合いになります。

■ 面白くなかった山ランキング

面白くなかった山の方も上げておかなくては

スヤマ尾根      冬山合宿 方針の無い山
滑落後の三つ峠  プレッシャー
北岳レインジャー  同行者にシェルパ使いされたため
丹沢沢継続     同行者が非常識な人だったため
南沢大滝      同行者が人を見下す人だったため
南沢小滝      初心者を連れて行くのが大変すぎ
甲斐駒黒戸尾根  同行者が僻みっぽい人だったため
仙丈ヶ岳      リスク管理が夫と足が揃わなかったため
八頭山       酔っぱらうし滑落するし
北八つ       大混雑で苦労
瑞牆山       大混雑でツアー登山者とかち合う

こうしてみると、山を否定的な経験に替えるのは
 
 ・リスク
 ・競争心の強い同行者
 ・混雑

の3点でした。山は危険に近づいていく活動ではありますが、ヤバいというガッツフィーリングがあれば、楽しくないのが当然。

■ 統計

もう5年目に入りましたから、ある程度統計が取れるかと思って、データをまとめました。4月始まり。

2011年度 20山行
2012年度 22山行
2013年度 49山行
2013年度 43山行
2015年度 62山行

となりました・・・ まぁ60くらいとすると、12で割れば5ですから、そんなにしょっちゅう山に行っているわけではありません。

去年は6月に12山行行っていて、さすがに10を超えると行きすぎみたいですね(笑)

大体無雪期の山行が少なく、9月~3月までが私のハイシーズンみたいです。

山もずっとチャレンジばっかりだと疲れます。自分がしたい山はどんな山なのか?自分で自分の幸せのバケツを満たせるようにならなくては。

月別の山行総数



年度別山行総数


PS 後で合計したら、196山行でした。あと4山行で 200ですね~

どこに登るかではなくいかに登るか?

■ 年齢は関係がないかもしれない

先日、年上の女性の先輩と3人で山に行き、すごく楽しかった。

ひとりも、他の人に便乗して、ついていくというような人がおらず、山中をほっつき歩く山歩き。

すごく楽しかったので、それはなんでだろう?と考えている。

■ 色々と違いを考えてみる・・・

計画段階では、計画書は私が作成した。が、別に念入りにルートの選択したわけでないので、負担は、ほぼゼロ。

タノシクナイ山行の時は、計画段階で、理不尽な注文を付けてくる人がいる。その注文の内容を見ると、単純に自分ちから近くしたい、とかそういう内容で、それだったら、その人の条件は、家が近い人と山に行きたい、ということになるので、それを先に言っておいて欲しいなと思ったりする。

谷川方面だと、私は一泊二日以上なら行きたいなとおもったりするので、それは相手へ伝えても、別に失礼にはあたらない。師匠は山梨に来てくれる時は遠いので、一泊以上の山にしてもらっていたりする。やはり元が取れるか取れないか、というのはあるのだ。

変な注文が付かなかった理由は、今回の兜山は、基本的に親睦の山だという風に、テーマが共通認識されていたのだろう。つまり、山自体はどこでもよかった。だから山に注文つける理由はないわけだった。

お誘いしたIさんは、数年前にツルネ東稜から権現、川俣尾根というルートをご一緒した方で、66歳だが、強さは保証済み。20代から長いこと山をやってきたベテラン山屋さんだ。それで、同じくベテランの御坂の先輩と会ってもらった。二人が合いそうだったから。私が引き合わせたかったのだった。

ちょっと故障しているとのことで、楽な山で、甲州高尾山は、どうかなと思ったら、先輩の提案が兜山。どちらも、あまり変わりはないので、兜山。誰も異議なし。そんなことで意義申し立てしても仕方ない。でも山岳会では多い。

「〇〇な山に行きたい」という人はいなかった。「兜山?行ったことあるから行かない」なんていう人もいない。それは当然だが、その当然ができない人もいる。 

山は、テーマがはっきりしているものだ。初めて会う人との山は、はっきり言わなくても、テーマは”親睦”だ。

親睦がテーマの時に、「行ったことがある山だから嫌」も何もないしな。親睦だから、安全のためには、易⇒難のステップを踏まないといけない。だから、山は易しい山なら、何でも良く、時期的に花が良いから、見れれば儲け。見れなくても損はなし。

そういう位置づけを理解していることが大事だ。こういうのはベクトルが揃う、という言い方をすればいいのだろうか?

・山行計画の負担が軽い
・ベクトルが揃っていた
・山行のテーマが共通認識されていた

■ 当日もまた楽し・・・

兜山は、地図は付近を印刷したが、ルートは決めず、当日朝、相談した。

もしこれが、テーマがチャレンジの山ではこうはいかないだろう・・・。地図にありとあらゆる書き込みをしていくだろう。

二人ともベテランだし、バリエーションルートも知っている人たちなので、そのくらいで十分と思っていた。

ちゃんとした山ヤがどんなものか、という共通認識があったのかもしれない。

たとえば、変に山の数自慢をする人はいなかった。前に五竜の山頂に行った時に、「おたくは何個目?」と聞かれたときには興ざめだった。

地蔵をテント泊縦走していたときは、おばちゃんがルートを外して行っているのに気が付かず、どんどんと進んで、岩稜を登れちゃった自慢話をされて、それは自慢ではなくて、恥ずかしい失敗談なので、返答に窮した。自慢には全然ならないことを自慢されると、山を分かっていない証明にしかならないので困ってしまう。

そういう風に価値観が混乱している人がいなかったのが、良かったのかもしれない。みなまっとうな神経の持ち主だった。

けれど、「我が家は裏山が大室山」 「うちは、15分で茅ヶ岳」 「私は歩いて愛宕山行けます!500mくらいの小さい山だけど」

・・・ってな具合に、毎日山に行けるくらい、山に近いことが自慢の種になるのは、ほほえましかった。それは価値観に沿っているので、あまり変な感じはしないのだ。

都会の山ヤさんだと、やっぱり八ヶ岳に別荘を持っている、などは自慢の種になるだろう。

今回は日帰りというのもあるが、装備の相談も不要だった。山を見れば分かるし、相手の知識を当てにできたからだ。楽でよかったなあ。

ルートが長すぎて大変、などと変な文句を言ってくる人もいなかった。そんなの、自分で行く前に山を見て、自分には無理と思ったら自己申告するものだ。

・地図を持ってきてください、などとやって当然のことを指示しなくて済む仲間
・装備も指示不要
・ルートも事前研究不要
・お客さん意識の人なし
・現場判断での山

■ まとめ

というわけで、まとめると…

・山行計画の負担が軽い
・ベクトルが揃っていた
・山行のテーマが共通理解されていた
・当然のことを指示しなくて済む仲間
・装備も指示不要
・ルートも事前研究不要
・お客さん意識の人なし
・現場判断の山

これが足が揃っている、という意味なのだろうか? 

実際の山行は現場判断でOKで、結果として、こっち行こう~と相談しながら登れ、楽しかった。

適当に尾根を上がって行ったというのは、ジョウゴ沢でも同じで、楽しく登れたのは、同じだが、ルートファインディングの難易度としては、兜山の方が断然難しく、下りの尾根だし、間違うことも入れ込みながら、周辺の尾根を見ながら、推理して、現在地を理解する。その辺のことも、皆が思考回路を同じくしていた。

例えば、しばらく歩いて行くと、顕著に左手に尾根が見えたとき、降りる尾根を間違ったことに気が付いたし、…ということは、沢の出会いより、少し前で沢に降りるので、次に尾根に乗るところは結構すく見えて来るだろう、とか、古い道を次は探さないといけないな、とか。ルートファインディングにおいて次に出てくるものを皆が予想しているのが分かった。

誰も思考停止に陥っていないということで、それが山を面白くした原因かもしれない。

結局、どこの山に登るか?が問題なのではなく、いかに登るか?が問題なのかもしれない。

いかに登るか?については、どうやったら、そのいかに?を作って行けるのか?その辺の運営が、もっとも難しいところなのかもしれない。

共通認識をいかに作るか・・・ 山行をともにしながら作るしかないんだろうな。

Wednesday, April 1, 2015

人気投票?

■解体工事

家の前の家が1か月ほど前から解体工事をしています。最近、この辺はバラックの解体工事が多いです。

しばらく何事もなかったのに、今日は朝から、突然カンカンやるので、超うるさく、とても家にはいられないので、びっくりして、図書館に避難。

図書館は混んでいて、PCを使える席がなく、相席させてもらったら、その席のおじさんは、図書館に居ながら、なぜかワンカップを口にして、その上、その席で寝ていました・・・(汗)。びっくり~。

気持ち悪いと思い、変なことになったらいやなので、他の席が空いたのを見計らって移動して、事なきを(?)得ました。

■ 県立図書館

山梨県立図書館は、以前は、趣のあるレトロビルヂングでした。

当時は、閲覧エリアも古く、図書館員はみなスモッグ。変人か大学の先生しか来ない、と勤めていた友人が悪口を言っていました。実際、昼間に行くと、浮浪者の特有の匂いがラウンジからするので、ちょっと長居は遠慮したい感じ・・・。

その図書館は去年新しくなって、一気に利用が増えた。快適な空間。貸出システムなども一新され、便利になった。多いのは、高校生です。

が、肝心の中身の本の充実度は、以前のまま。山の本に関して言えば、例えば登山大系など、登山者が見るべき、という本はすべて書庫にあり、どうでも良いような内容の本が出してある。そこらへんは本当にどうにかしてほしい。登山文化の枯渇に加担している気がします。

私は図書館勤めで仕事人生をスタートしたので、図書館という場所は、総じて好きですが、勤めている人たちは、幸・不幸を逆転している人が多い、と自らの経験を踏まえても思います。

図書館員というのは稀に見るラッキーな職種です。ただし地位に寄らず、世間知らずですし、既得権にどっぷり浸かっています。まぁ、当然と言えば当然ですよね。

ゴールデンカフス、という言葉がしっくりきます。英語圏では、ぬるま湯につかって出れない、飼いならされてしまって野生にもどれない、というような意味です。

■ 体力とは何か?

今日はたまたまスポーツ総合のところで、『体力とは何か』と題する本を見つけました。ちょっとパラパラめくった程度ですが、この本には、体力自慢の山男が卒倒しそうな内容が書いてありました(笑)。

山男の皆さんは読まない方が良いと思います(^^;)。

この本には、大学生の体力、登山家の体力、水泳選手の体力、ビジネスマンの体力、などと項目別に、一口に体力と言っても、具体的にその内容は何を示しているか?を書いてあります。

その登山家の体力、と題するところは、たぶん、俺は体力がある、と思っている皆さんにはショックで、癪に障るのではないか?と思います。

この本によると、登山の体力は4種類あります。

1)一般縦走で、長い間重い荷を背負って歩く体力
2)トレイルラン(山岳耐久レース)の体力
3)高所登山の体力
4)フリークライミングの体力

1)一般縦走の体力
・運動強度が低い
・長時間の肉体労働に近い
・一般的な体力測定を受けても低い能力しか示さない
・体力測定で測定できない体力(最大下作業能力)
・低強度で極端に長い 
・年齢や性別の影響を受けにくい

2)トレイルラン=山岳耐久レース
・弾性要素(ばね)がより重要であり、加齢による低下が小さい
・心肺能力より、関節や筋肉の耐久性
・普段のトレーニング(慣れ)の要素が強い

3)高所登山
・運動強度は一般登山よりさらに低い
・呼吸重視
・優れた心配能力は要求されない
・むしろ高所順化が重要

4)フリークライミング
・全身筋力が体操選手に近い体力
・手指の筋力の要素が突出
・体重あたりの腕力に依存

ということです。

まぁ大体、予想どおりですかね? 

フリークライミングについては、昨今は子供が優勝するケースが多く、手や指の力に対する体重の割合が小さいほうが確実に有利で、それはほぼ体格で決まっています…。大体クライマー体型と言えば、ひょろりんとしています。

山野井さんの本に、けがをした後の入院で筋力を失い、「若い女性の腕のように」細くなった腕のことが悲しげに描写されていますが、大体の女性は前腕の筋力には対して自信がないと思います。

この「体力とは何か」を読むと、前腕の筋力くらいは、男性の専売特許にしておかなくては、男性が持っている、女より強いはずだ、というプライドのおさまりどころが、なんとなくヤバそうです(笑)。

どうも、一般縦走と言うのは、男女差や年齢差が余り出ないのだそうです。私は40代平均の強さで、特別強いほうでも、弱いほうでもありませんが、それでも、危険がないような登山道では、長くなればなるほど、女性の方が持久力の点で有利になりそうです。

登山の体力って、何で違いが出るのか?というと、慣れ、つまり、トレーニング頻度だそうです。

そう言われてみると、そうかもしれないな~と納得しそうな周囲の様子です。

一昨日は60代、70代の女性の先輩と山行を共にしましたが、強くてびっくりしました。先輩たちによると、男性でバリエーションにガツガツ行っていたような人は、彼女たちのように長い期間は、山を歩けないのだそうです。大体の方が、膝を故障したりなど体がついて行かなくなるみたいです。

バレエもプロレベルになると、不健康な活動です。同じく、山も度が過ぎると、健康によくないみたいですよね。趣味なのに。

ヨガでは、先生クラスになると、ヨガが嵩じすぎて、整骨院やら、カイロプラクティックスやらに通う人も出てきます。

過ぎたるは及ばざるがごとし、とはまさにこのことですね。

■ 山を手軽に考えすぎる

もう一冊、深田久弥の『山談義』を読んでいたのですが、

山を手軽に考えすぎる 

と題する談義があります。日付を見ると、1957年8月4日。

1957年って…今は2015年ですから、60年以上前です。そのころから、深田さんは山を観光旅行のようにして、近くの山の普通の道も歩いたことがないのに、穂高に女の子三人で行く、という人たちを例として挙げています(ため息)。

当時、ゼロ歳だった赤ちゃんは今は60代。近くの山も歩いていないのに、穂高に行こうとした女の子が仮に20歳として、もう80代…

・・・ということで、”山を手軽に考えすぎる”というのは、もう伝統になってしまっているくらい、古くからある現象なのだと分かりました。



 ■ 山岳会にどんな人に来てもらいたいか?

山岳会に新人を勧誘したい・・・と思いつつ・・・ですが、一方で、山を手軽に考えすぎるような人が来ても、困るな~と思っています。面倒みきれませんし・・・。

試しに、会の先輩に、「山ガールが入会希望できたら、どうするんです?」と聞いてみたのですが、返事は、

「え?鼻の下長くして、連れて行くんじゃな~い?」でした・・・(--;)

鼻の下長くしてねぇ・・・。ためしに辞書を引いてみたら、「好色な目で見る」とありました(汗)

それって、だから入会希望者が来ないって理由カモ?

オヤジ化進行中が若い会員が来ない理由かしらねぇ・・・

■ 無料のホステス

女性の先輩によると、男性登山者は、単純に女性を連れて歩きたいだけの人もいるのだそうです・・・”やっぱりね~感”満点。

なんだか、山岳会の女性会員って、無料のホステス変わり?

まぁ、私を無料のホステスにするには、はるばる前穂北尾根まで連れて行かないといけないですから(笑)、それはそれで大変でスイマセンね~と思いますが…。あんまり可愛いホステスでなくて、スイマセンねぇ。

でも、男性の世界の中では、街で女性と出かけるのは問題でも、山なら女性を連れて歩くことが大手を振って出来る、ということが一つあるのかもしれません。

”ちゃっかりご利用”タイプ?女性の側も女性の側で、それをうまいこと利用しているような人もいそうですし…。そういう人は、山の知識が全然ないので、山が好きなんじゃなくて、連れて行ってもらえてラッキーだから行くだけだと分かります。

でも良く考えてみたら、山でも海でもどっちにしてもレジャーですから、特定の人とだけいつも出かけているのは、やっぱりデートとみなすのが普通かもしれません。岩や山だからって、なぜか違うことになっていますが。

山岳会のリーダーには、連れて行く女性を初心者から育てて、何人目かの人もいるそうです。傍から見たら、「あら~三人目?」という状態なのは、みな言わないけどよく見て分かっているのだそうです。

自分にべったりの人ができると、何かうれしいことがあるんでしょうか?男性は、頼られたい生き物なのかなぁ・・・?私には非常に遠い心理なので、全然想像できません。

ただ、何人か一緒に行ってみたオジサン登山者の中には、山に行きたいんじゃなくて、わたしと出かけたいんじゃないの?って怪しげなおじさんも、いないではなかったです。山の計画が、超曖昧だったりすると、バレバレです。

これって不思議と年下や同年代で、”クライミングクレイジー”な人は無関心そうです。たぶん、ビレイしてくれれば誰だって良さげですもんね(笑)、それはそれで、仲間は信頼関係で結ばれなくてはいけないので、問題ではありますが・・・無料のホステス使いよりはいいか。

逆に言えば、ホステスのニーズが出てきたら、その登山者はおやじ化したってことなのかも?

■人気商売? 

そういう意味で言うと、一般にインストラクター業というのは、人気商売です。

私はヨガを教えていますが、ヨガでも、ある程度はそうだし(曜日が特定の日しかレッスンに来れないって人もいますので単純ではありませんが)、スポーツジムに通っていると、結構、顕著に人気が分かり、カリスマイントラがいたりします。

人気がある男性のイントラには、曜日や時間の縛りの無いおばちゃん達がファン層として、たむろしています。そのイントラが行くスタジオにくっついて行くのです。

人気の内容も、「教え方が自分に合っている」などと健全な内容であれば、別に良いのですが、そうではなくて、「きゃ~かっこいいステキ~」と、相手への妄想が勝手に膨らんでいるような場合、群集心理と化しているので、要注意です。目の保養とか。

というのも、たまに待ち伏せしたりしてくる変な人もいるんです・・・。

それと同じことが、ガイド業について言えそうな気がするときもあります。

ジムのイントラなら、ファンはジムに払っているだけなので、大して罪を感じないですが、”ガイドに入れ込む≒ホスト代がかさんで大変”みたいな???

まぁ、夜にお酒を飲んで法外な費用を払うより、山に出かけて、普通にガイド費用を払う方が、何倍も、健康的で健全であり、より良い選択肢だと思いますが。

そういう風にカリスマ化したがるのは、「俺についてこい」型のリーダーシップの人のような気がします。

山の魅力ではなく、「その人と一緒に行きたい」なら、山でも海でもよく、ただのデート?

そういう意味では、山岳会の月例山行も、山の人気投票ではなくて、連れて行く人の人気投票になってしまっていて、良くないような気がします。

基本的に月例山行にテーマを設定しないために起っている現象のような気がします。



ジョウゴ沢復習

■ ジョウゴ沢の復習

昨日は、ジョウゴ沢の記録をまとめていたのだが、行程が意外に短く、色々と混乱があった。

カシミールで、GPSと写真をマッチングさせると・・・右股のアイスと思っていたのが、乙女の滝だった(^^;)。

ヒロケンの『アイスクライミング』に出ていた概念図が、小さくてちょうど手帳に張り付けるのに適したサイズだったので、利用していたら、だいぶ位置関係が違ったようだった(汗)。

人が作った概念図を信頼してはいけないってことかな? 滝の位置は、よく地図でも間違っている。



また、このジョウゴ沢のあたりは、今の2万5千の地図ではいい加減な書き方をされていて、それはおそらく、航空写真から地図を作るようになったからだろう。

以前の2万5千の地図の方が地形表現が充実している。ここにも文化の後退がひとつ。楽をして、歩いて作らなくなったのだ。

人間が手と足を動かさなくて良くなり、昔は労働としてなされたことが、今では趣味となっている。

例えばパンを作ること。例えば、料理。たとえば、編み物。たとえば、畑。例えば、釣り。たとえば、山歩き。

昔は苦役だったものが、今はお金をあえて投入してやる贅沢になっている。

だから、おかしなことに昔、ただで出来たライフスタイルをしようと思えば、昨今はむしろお金がかかるのだ。不思議ね~。

ジョウゴ沢で印象に残ったのは、F2上がってから、右隣に見えた尾根だ。

難しいことなく登れそうに見えた。

ジョウゴ沢の河原から、左側はあまり取り立てて、登ってみたくなるような尾根は見えなかった。

それで、そうか、だから、横岳西面が開拓されたのだな~と納得した。

どうなっているのか、明らかにしたい、という気持ちになるだろう。

この大同心を見たら、基部に行って見たいと思うだろう。

そういう風に、次に行きたいところを思わせるルートは、良いルートだ。











阿弥陀北陵は、まだ行っていないが、ここはクラミング力を誇示するようなルートではなく、うっかりすればロープを出さずに登ってしまうような、易しいルート。

パートナーとロープワークを確認するために行けばよく、固定パートナーがいないなら、別に行かなくて良い。

なぜか、そうしたルートの性格をあまり考えず、次から次へと、皆ルートを落としたがるのは、何故だろう?

百名山ハンティングと同じではないか?



















■ 兜山とジョウゴ沢

ジョウゴ沢はトータルで大体20kmくらいの山。鉱泉まではだらだらしているので、あまり強度は強くない。

一昨日行った兜山は、軽い山にしようと言ったのに(笑)、大体12km位の山。 軽いと言っても、傾斜もきつく結構大変だったなぁ。みんな元気だなぁと思った。

山地的な位置づけだけが、兜山と八ヶ岳では、里山か、高山に属すかだけしか違わない。全体の標高が高いだけで、条件が良い日であれば、八ヶ岳の方が優しくもなり、里山だからと条件が悪い日に出かければ、むしろ道迷い遭難のリスクは高い。

低山だからカンタンと言えないのが山だ。高山に単独で私が出かけるのは、低山にはない山小屋があって、衆人環視と同じことになり、リスクが減るからだ。初めて出かけた単独は北岳。

登山の素人の人は、そういうことは分からないので

 ・登った山の標高
 ・登った山の数

でしか、登山者を評価しない。外国人は標高の高い山、日本人は数、なのだそうだ。

どちらにしても、標高と数を求める登山者は、他者の評価を求めているわけだ。 

山は自己満足、と良く言われる。それは、山は物語り、ということだ。

二つの山はどちらも、心の充足をもたらした良い山だった。仲間が良かったこともあるし、目的にぴったりと山行の内容が一致したこともある。

ジョーゴ沢では、言われるまで気が付かなかったが、前後の長いアプローチをこなした上で、ザックを背負って登る初めてのアルパインルートだった。先輩なし。実力拮抗型チーム。つまり、初めての自前アルパイン♪が貫徹できたし、友達との協力がうまいことできた。

これは条件が非常に易しいときに当たったので、気持ちを引き締めなくてはいけないが、そうしたことも含めて、山が懐を開いてくれた山行だったということだ。

兜山では、先輩たちが色々と私の未知なる、山ヤ道を教えてくれた。女性のガチの先輩たちは私がしている苦労なんて、とっくの昔にやってたんだなぁ・・・。後輩への思いやりの山だった。

どういう心の山を紡いでいくか?それが大事なことであって、ドーダ登ったぞ、凄いだろ、というのは、裏を返せば、自信の無さを表しているのだろう・・・

■ コメント

昨日は、ちょっと気恥ずかしくなるような、お褒めのコメントをいただいた。 大変光栄です。

光栄すぎて、公開はできませんので、ここにてお礼を申し上げます。励ましのメッセージ、どうもありがとうございました。