Sunday, October 5, 2014

十二ヶ岳の岩場クライミング 

■十二ヶ岳の岩場(5回目)

昨日はちょっと忙しい日でした。

まずは、新しい山の友達と十二ヶ岳クライミング。私が教える側で、マルチピッチ。

そして、夕方からは夜間登山でお月見山行。

その後、ビバーク訓練の予定でしたが、雨で変更。

翌日は、十二のクライミングとセットにした、ナメラ沢を短縮計画で予定していましたが、朝起きたら、結構なザーザー雨だったので、山行は、さっさと中止して帰ってきました。

少しの雨なら沢は行きますが、台風接近で、荒れがひどくなる傾向にあったからです。

■ 十二

十二ヶ岳の岩場は、別名、西湖の岩場とも言われています。マルチピッチの岩場とショートのゲレンデがあります。

終了点から下を眺める
岩場がこじんまりして手ごろで、初心者にとっても怖くなく、おススメできる岩場です。

今回は、マルチ初心者の方をお連れして、午前中マルチ、午後ショートの予定でしたが、午前中のマルチは一本で切り上げて、あとはショートでずっと遊んでしまいました。

というのも、御坂の先輩が来るのは、知っていましたが、ふたを開けたら、4人も来てくれていて、せっかくなので、色々岩を触ることに。

二人だとショートばかりだと、すぐ順番が来てしまい、大変です(^^)。

マルチは二人でも、出来るけど、大勢いて、ロープが、何本も垂れ下がっているときは、効率よく、色々なルートに触れたほうが、勉強になります。

■ プロテクションの間隔

私は以前リードしたところを再度リードしたのですが、今回はマスタースタイルではなく、先輩のお手本で、ぬんちゃくをかけてもらっている状態で登ってみました。

ランニング支点の取り方の勉強です。

すると・・・先輩のぬんちゃく、間隔が遠い~!あれまー(^^;) ビックリです。

これくらい信頼感を育てなさいってことですね~。

私が過去にリードした時は、ありとあらゆるプロテクションをこまめに取ったので、ハンガーボルトだけでなく、リングボルト、ハーケン、と自分の身長+1mくらいで、しょっちゅうプロテクションを取りました。

しかし、先輩曰く ハーケンは ”オブジェ”(笑)。 

え~そうなの~!とびっくりでした。

でもまぁ、クリップが遠くても、リードはできた。

私はとりあえず、今の時点でも、自分が行きたいところに行くだけのクライミング力があるので、これ以上は、まぁぼちぼち成長すればいいかな、というところです。

■ 焦らず成長すべき

たぶん、クライミングって、急いで成長しようとしても、あまりいい結果を生まないのではないか?と思います。

”急ぐ”と”焦る”は、紙一重で、急ぐと、死の危険との隣り合わせのクライミングでは、精神的圧迫が強くなり、ストレスも大きいので、余裕がない言動が多くなると思います。

たとえば、フリーのクライマーは、人を見下した発言をする人が、結構います。おはようございまーす、と挨拶しても、登れるヤツでなければ、挨拶も返さないような、人としてどうか?というような態度は、登れる相手であると、手のひらを返したように変わってしまうこともある。

それは、急ぎすぎた「登れなくてはならない」というプレッシャーの裏返しであるかもしれないなと最近思うようになりました。人は自分がつらかったことは相手にも要求しがちになるからです。

ランナウトしても自分が大丈夫か、大丈夫でないかは、自分の中で、確実性や信頼性が、どれだけできていくか?という問題で、一か八かを取る度胸という問題ではない。

それは単純に、クライミングを経験する時間の長さが解決するだけの問題だと分かりました。度胸のほうの問題にしてしまうと、よくありません。度胸でないと解決できないこともありますが、度胸は最後の解決案だからです。 それに私が目指しているのは、5級マスターですし(笑)

■ 責任の重み

私は、

山に一か八かはない
迷うようならロープを出せ

と教わりました。

しかし、岩では、え~?!というような易しい場所で、ベテランクライマーが墜死していたりします・・・。慢心ですね。くわばら、くわばら。

バンバン落ちるスポーツクライミングの論理を岩場に持ちこんで、亡くなっているケースも、良く聞く話。

そして、ビレイのミスも良く聞く話です。形ばかりのビレイはあぶない。

さらに、まっとうなクライマーでも、失敗はある。その手の失敗は、突っ込んでよいところと、そうでないケースの見極めができない、という、判断力の未熟さが、招いていることのような気がします。これは、経験によってしか培うことができない部分です。私が取り組むべきなのはココです。

≪リスク要因≫

  • 自分はもう出来るという慢心
  • スポーツクライミングを岩場に持ち込む
  • ビレイが不完全
  • 突っ込んでよいケースとそうでないケースの見極めができない

良きビレイヤーは得難きものです。私は一緒に山に行く相手は、よく見ていて、ぽっと出の人をすぐ信頼したりはしません。たとえ、ガイド山行であっても、ハイキングの山に行って、相手を信頼できるかどうか、判断してからでないと、本番の山には行きません。ビレイを任されるということは、非常に光栄なことですが、その辺も分かっていない人もいます。

登れなくてもいいから、ビレイは確実にならないといけない。これは初心者の最低ライン。しかし、初心者の場合は、それを分かっていることは、まずないので、分かっていないことは、受容しないといけません。そこが初心者を連れて行く、ツラさですね。

何しろ、初心者を岩に誘ったら、たとえば、その人が落ちたとき、100%確保できるという確信がないと、誘うことさえできないのです。確保できないのはお互い様、なんて言っていたら、フリーソロの方がましなくらいです。

私は、これまでの普通の登山でも、計画を担当する側だったので、夫の生命までも、安全か?安全でないか?を、私が責任を持って、判断してきた、と思います。

責任の重さと、判断することの難しさ、葛藤は、やっぱり自分で山に行く人でないと、分からないものかもしれません・・・。

■ 中止や敗退の判断 

私はこれまで見てきた観察では、強いクライマーほど、撤退の判断が早い、と思います。

会の先輩を見ていても、登れる人、しっかりとしたリーダーシップがある人、みな敗退決定が早い。

たとえば、先月チャレンジしていた中山尾根は、撤退の判断が6時半でした(笑)。 これには私は信頼感を高めました。

撤退の判断の速さの、反対となるのは、未練・・・登りたいと言う執念です。登りたい気持ちと言うと、良いことのようでもありますが、これは、煩悩と言う名の、執着心とも言え、良くない心理状態です。あるいは、登れるという見栄、とか、欲張り精神、なんていうのも入るかもしれません。そこは精神的成熟度が試されるところ。だから、精神的な成熟度が低い人は判断力も低い。

素早い判断  
 ↓↑
・煩悩
・欲張り
・見栄

つまり、安全のためには、無欲であることが必要です。

岩でなくても、普通の登山でも 「せっかく遠方から来たのだから」とか、「ここを外せば休みがない」という執着心が、雨天敗退や装備不足の敗退、体力不測の敗退などの判断を鈍らせます。その結果の遭難がいかに多いことか・・・。

実は今日、ナメラ沢を予定していましたが、これは今朝6時に中止を決定しました。遠方から参加してくれた方、すみません。

しかし、雨天は予想でき、天候悪化は予想より早く来たので、やはり中止決定は早い方が良かったと思っています。

■ 山はリスク管理中心に

やはり、山において大事なことは、リスク管理です。

高難度のクライミングが出来る人が、イコール適正なビレイを行う人とは限らない。クライミングが上手ければ、当人の安全のマージンは増える。けれども、相手の安全が増えるわけではありませんね。

クラミング力だけでなく、支点構築や一般登山上のリスク管理全般に長けている人が、本当の意味での登山のうまい人。

この点で、やはりバランスよく成長していくのが大事なことかな・・・と思った週末でした。

Friday, October 3, 2014

女性の単独行の要諦

■女性の単独行の仕方

初めに言っておきますが、単独はおススメできる山行形態ではありません。

どのような登山の本を見ても、単独は薦められていません。

しかしまた、単独行の良さを知らない男性登山者がほとんど皆無である、ということも真理…。

単独には、山と一対一で向き合える、という、限りないメリットがあります。ホントに、山としっかり向き合えます。感受性がするどくなり、山の息吹の一息一息に、耳を澄ますことがで
きるようになります。

一人で見たい景色
だから、私は時々山切れになり、単独で山に向かいます…もう山切れそう・・・という切羽詰まった心情で、しかたなく単独で向かいますが、こういう山切れ・・・を起こしたときに、誰か一緒に行く人がいても困ります・・・一人で山と向き合いたい、というのが心理ニーズなので。

しかし、女性の単独行には、女性特有のリスクが付きまといます。それは、ずばり”性的なリスク”です。

襲われるのは誰だってごめんですが、襲いまでしなくても、付きまとう人は多いです。付きまとう人の多くは、奢ってくれたり、送ってくれたり、親切なおじさんの仮面をかぶっているので、要注意。

■ ザ・ボディガード?

女性にとって最高の山パートナーは、自分を襲わない、ボディガード的パートナーです。

男性登山者は基本的に襲われる心配と言うのはしなくて良いと思いますが、女性登山者は、結構、深刻です。

その点で最適なのは、既婚の男性です。次に年下の男性。年上の男性で、社会的な制約がない人は、どう転んでもダメです。

私は幸い、まだ怖い経験はありませんが、それは、私が目に見えないガードを張り巡らせる術に、すでに長けているから、かもしれないと思う時があります。

■ 行く山を選びましょう!

まず、重要なことは、行く山の選択です。

  • 山小屋のある山を選ぶ
  • 人がいる土日を選ぶ
  • バスでアクセスする山を選ぶ
  • テント泊はテン場で

です。つまり、日ごろ、にっくき混雑が、女性の単独行においては、逆に味方になります。混んでいる山の方が、誰かしらかが、かならず登山道にいます。

それで単独のリスク…何かあった時に誰にも発見されない…は、ほとんど解消できます。遠く登山道から離れて滑落しない限り、例え怪我をしても、誰かが必ず発見してくれます。

もちろん、自分で携帯などもっていることや、ちょっとの捻挫くらいなら、小屋まで歩く根性がある、というのは前提で、です。

■ 自分を印象付けよう!

そして、次に重要なことは、ふるまいです。

 行く先々で何らかの印象を持ってもらう

これが重要。 まず、もしタクシーに乗るなら、運転手さんの名前を連呼します。運転手さんも、こちらのことを印象深く、覚えてくれるようになります。

バスは大型の乗合なら難しいですが、小型なら、ある程度印象付けられます。バス待ちの時間などに積極的に運転手さんに話しかけ、よく印象に残るよう工夫しましょう。

さらに、途中に立ち寄る施設がある時は、必ず立ち寄ります。たとえば、北岳なら広河原インフォメーションセンターがあり、立寄りついでに天気予報でも見て、一言二言、カウンターの人と声を交わしておきます。黒岳に登るなら、天下茶屋でトイレを借りるついでに、あいさつ一言。

そして、山ですが、すれ違う登山者には、できるだけ、声を掛け、よく覚えておくようにします。向こうもたぶん覚えているはずです。

テントサイトに着いたら(小屋泊なら完全に小屋のおじさんが守ってくれます)、テント周辺のご近所さんにごあいさつ。

ここで、ぷーんとしている人は、結構変な人ですから、距離を置きましょう。時々います。俺に話しかけんなオーラを出している若い衆。でも、そういう人、意外に山慣れしていなかったりします。

一番いいのは、似たもの同士でつるむことです。隣に、同じ単独の女性登山者がいたら、心強い。翌日も、つかず離れずで、歩くことができます。

下山しても、まだ安心はできません。下山のタクシーとか、林道で、変なおじさんに連れ去られないとも限らないからです。

私は南アの林道をひとりポクポクと歩いていて、6kmの間にトラックが停止すること3回…あの時は、林道はトータル26kmも歩きました…(^^;) ああ疲れた。ハッキリ言って、嫌になりますが、疲れるけど、やっぱり歩こう! 子供にだって知らないオジサンの車には乗ってはいけない、って言いますしね~(と言っても最近は、乗りたくても、乗せてくれないです)

■ 低山の方がアブナイ

ロープウェーがあったり、バスが出ていたりするのは、低山ではなく、むしろ高い山です。上高地はバスでしか入れないので、上高地Inだと同行者ができやすいです。

北岳は実は単独行には大変おススメの山です。何しろバスで、誰かと必ず一緒になります。その誰かが、怖い人である、という可能性も無きにしもあらずという声も聞こえてきそうですが…それはほぼ考えなくて良いでしょう。広河原インフォメーションセンターもあるし、小屋も豊富だし。ただ、一緒になるなら、ご夫婦登山の人とか、グループがいいです。単独のおじさんは辞めておきましょう。オジサンが誤解するとまずいので。

ダメなのは、人里に近い低山です。たとえば、御坂山塊は、車でのアクセスが良く、登山をしない人でも、小屋の無いピークにけっこう気軽に入れます。こういう山は、結構アブナイ…良く分からない怪しげな宗教活動をしているような、何をやっているか分からない施設が立っていることが、可能な立地はアブナイです。密室度が高いからです。

一方、登山好きな人しか来ない、玄人な”静かな山”は意外に大丈夫です。たぶん、昨今は犯罪者も、楽な山重視なのでしょう(笑)たとえば、三方分山は変な人も入れるが、和名倉山は、変な人はわざわざ5時間も歩いて、こんな辺鄙なところ来ません。

というわけで、要注意なのは、里山です。女性は、熊より、人が怖いのです。

藪山になれば、男性もリスクは同じで、人に会って、その人が変な人であるリスクではなく、けがをしたとき、誰にも発見してもらえないリスク、のほうになるので、山岳会に届け出を出しておけば大丈夫です。

■ 私の単独行

私はもともと単独好きです。一人で海外旅行、行っちゃいます。

初めての海外はパリですが18の時一人で行きました。パリはその後2回行っていますが、一度行きたいという女友達を連れて行き、振り回されてひどい目に遭いました…その人は、一人になれない人で、私が行きたいところに、行く時間がなくなってしまったのです…(汗) パリとはいえ、英語も話せないみたいだったし、待ち合わせも一人では、怖いと言うし…。大変でした。もうこりごり。

私は、パリも、アメリカでの2年間も、ニュージーランドの旅も、近年のメルボルンの旅も、全部一人です。

海外出張も市場調査をしていたので、タイやベトナムには、一人で行っています。開発で行ったカンザスやニュージーランドでは、大所帯のまとめ役で、一人になりたくてもなれず、逆に、それがストレスに。お願いだから一人にして、というタイプなのです。

女性はお買いもの友達がいることもあると思いますが、私は都会暮らしでも、お買いもの友達はいない人でした。買い物はいつも一人がはかどります。

カフェも一人で入るし、梅田では串カツ屋も一人で行っちゃうし、男性が入るような牛丼屋には入らず、一人で、カップルか接待しかしていないような、フレンチレストランに入ってしまいます。いわゆる、”おひとり様”。それが好きなのです。

そういう人は、たぶん山でも単独行が向いています。そうでない人は無理をしない方が良い。

単独で必要なスキルのほとんどは、ヒューマンスキルです。地図読みはもちろん、出来た方が良いですが、イマドキの一般ルートは、ルートが明瞭なので、ルートを外して道迷いになる可能性など、一般的な常識のある人には必要性、皆無です。分岐で標識はちゃんと見ましょう。

それより、何より重要なのは、人に自分を印象付ける、というスキルです。

それさえできれば、Let's Enjoy単独! 

ソロの喜びは何物にも代えがたいもの、ソロは、心の充足をもたらします。

自信がつくこと、請け合い。 

何しろ、行く山を選び、バスの時間を調べ、自分で運転し、何から何まで自分でやらないといけないのです。

頼る人はおらず、自分だけが判断の拠り所・・・判断するのは、自分であって、それ以外ではないのです。

人が自分のことをなんて言っているか、なんて、まったく気にならなくなりますよ!!

ビバークと登山判断

■ビバークに備える

初めてビバーク体験したのが去年の5月19日です。

それまでツエルトは使ったことがなく、基本的に教科書どおりの登山者なので、「はい、先生」とばかり、ツエルトは持っているだけの装備でした…(^^;)。

道に迷って、下山が遅れたら、焦って動かず、日没前にビバークに入る、っと。沢は下らない、っと。

そういうわけで講習会に出るまでの3年間、ツエルトというのは、

  • 雪の道でバテたら、すぐにツエルトで休めるようにスタンバイ →バテることなく、無事通過
  • 雪と雨交じりの日にカッパ代わりにツエルトを被る 

以上終わり、という使用法で、全くビバーク経験なしでした。何しろ、ビバークになるような羽目を徹底的に避けていたのです。

■女性と男性の安全マージン

以前、夫と散歩していて、カモのご夫婦を見て思ったのですが(笑)、メスのカモは、ドブ川まで遊歩道が離れていて、すごく離れていても、ちょっとしたことですぐ警戒して、じっと人間を見ています。一方、オスのカモのほうは、すっかり人の気配に慣れきって、無警戒…。お昼寝状態です。カモ鍋にして食べられてしまいそうです(笑)

その様子を見て、私と夫だな~と思ったのでした。夫は車を運転していても、数台先が右折の合図をしたのに気が付かず、停止してから気が付きます。私はうんと前に気が付いて、すぐ車線変更のミラーを見てしまいます。

山でも同じで、夫が気が付く前に、「雲が多いな」、とか 「ガスに巻かれると、今いるここは目印がない」とか、考えてしまいます。ので、急ぐときは夫は「え~なんで急いでいるの~?」とのんびり・・・でも、私は、「ここでガスに巻かれると尾根一つ間違いそうだから、早めに樹林帯へ」とか考えているのです… それはたぶん女性だからです。

単独行は、安全マージンが大きい山行形態です。一人で行くと、10の実力があっても、8の山にしか行けません。

最近、ふと思うのですが、同じ単独でも、男性と女性ではやはり、安全マージンが女性の方が大きいのかもしれません。 

男性は単独の人でもやんちゃしています。つまり、男性で、単独が長かった人は、結構ビバーク体験をすでに積んでいます。

去年、雪洞泊を一緒に企画した(企画倒れだったけど)若い男性登山者も、大菩薩嶺でビバークに追い込まれ(私的にはどうやったら往復3時間の山でそうなるのか、それが興味がありますが)、相方も普段から寝るときがビバークみたいな体制だし、もう一人別の方も、ビバーク経験豊富そうです。

私はといえば、ビバークになるような羽目に陥るのを徹底的に避けるように計画段階で、計画しています。

いつも、保守的な計画なので、歩けなくなったという経験もないし、予想より遅くなってヘッデン下山の経験も、ほぼゼロです。やんちゃなし、良い子の山時間で今まで来ているのです。

なにより、心理的に追い詰められた状況に陥ったことが、これまでありません。

そうした切羽詰まった状況に陥っても、冷静な判断力を維持できるかどうか、というのは別の話題になりますが、かなり登山のリーダーシップの要諦で、「エンデュアランス号の漂流」の話などが古典です。

■ バットレス

そんな”良い子登山”の私にとって、北岳バットレスが唯一、ビバークの可能性が濃厚な山でした。

何しろ、ピッチ数多いのです。数える人によって違うみたいですが、11ピッチと言う人もいるし、17ピッチと言う人もいます。

■ 大学生もくたくた

今年北岳にレインジャーで行った時、いつも隣でクライミング練習している梨大生が、バットレスに挑戦していて、その彼らの様子が、私にとってはショックでした…20代の生きのいい若者なのに、くたくた…。

これが、自分たちパーティだったら、どうなることだろうか?と青くなりました。

だって、健脚度合いでは、40代登山者をはるかにしのぐ脚力を彼らは持っているはずなのです。

■ 20代との脚力差

20代の脚力と30代、40代、では全然違います。 

私は小屋バイトしていたので、その時、若者のコースタイムを聞くことがあったのですが、標準コースタイム登り6時間の道を、40代の私だと4時間20分で歩きますが、20代はなんと、3時間なんです。半分(汗)。この1時間20分はどうやっても縮みません。

標準コースタイム 6時間         4時間    
わたし        4時間20分     3時間    
20代小屋の若者 3時間         2時間20分 

下山も違います。標準コースタイム4時間の下山は、私にとっては3時間です。しかし、20代の彼らは2時間20分とかなんです。

この尾根は特に急でアップダウンが多く、苦しい道で知られているので、年齢の差が余計出てしまうのかもしれませんが、これだけ体力の差があるということです。

そのように、生命力一杯、体力絶頂期にある大学生の男子が、16時にしかテントに戻れず、くたくた…バスの時間を逃すって…それも、この時、混雑や渋滞は特になかったのです。彼らは、クライミングを始めたばかりなので、ロープワークやクライミングのスキルにしても、同じくらいなのです。

違うのは、あちらが体力が上ってことだけ。

■ 体力のいるルート

そして、バットレスは、体力さえあれば、技術は初心者でも行けるルートって位置づけなのです。

ただ技術がないと時間がかかります。時間がかかれば体力もその分消耗します。つまり悪循環。

私が、大学生の彼らのくたびれた様子を見て、瞬時に理解したのは、”いくら標準コースタイム以上の体力”がありそうでも、このままの状態で、突っ込んだら、絶対に彼らより遅くなる、ということでした。

20代が16時に麓に戻ってこれるなら、40代なら、まだ山頂かもしれません…(><) 下手したら岩場で日没してビバークです。

計画にゆとりを持たせるか、体力がない分、技術で遅くなって、さらに体力消耗を早めることがないよう、技術は、少なくとも遅くなる要因にならない程度に上げてから、チャレンジしないと、リスクが高すぎます。

ガイドさんなどは、四尾根の基部で、前泊ビバーク込の計画を立てていたりします。つまり、ガイドさんも体力の温存を図っているということです。ガイドさんってベテランなのに・・・。

しかしビバーク込にすると装備が重くなり、重い荷物で登攀するほうの技術が今度は必要になり、ライト&ファーストで抜ける、という思想ではなくなります。ヘビィ&スローです。それはそれでまた本格的になります。

うーん…

■ ビバーク

…と考えました。それはやはり、私がビバークになるのを一番嫌うからです。

ビバークというのは、行動体力ではなく、防衛体力の勝負なので、年齢がモロに出ます。

去年のツエルト
行動体力があっても、防衛体力は、年相応に衰えて行くのは、夏場の低体温症の遭難事例を見ていると良く分かります。

ベテランで行動体力も十分な登山者が、低体温症にかかると、あっという間にバタバタと倒れていきます。遭難するような事態になると、大体年齢順です・・・

おそらく、行動体力は、意思の力でトレーニングすることで培うことができても、防衛体力と言うのは、そうした努力が反映されにくい体力なんだと思います。普段の言葉で言えば、抵抗力、ってことですね。

私は登山4年目、保守的な行動計画が功を奏して、まだビバークする羽目に陥ったことはありません。

去年ビバーク体験した時は、シュラフを持ってきていない唯一の参加者でした。が、初めての雪上ビバークにしてツエルト泊は、私にとっては少々怖く、ダウンは甘受しました。

ダウンは夏でも持って歩くので、本番ビバークでも持っているとは思いますが、それでも、だいぶ装備を充実させたうえでの初ビバークでした。今思うと手厚いなと思います。それでもシュラフなしは私だけだったのです、何度も言うようですが(^^;)

もし仮に、山で遭難したりして、本番のフォーストビバークになれば、もっと大変になるだろう、というのは、なんとなく予想できます…

と言うわけで、今度の週末は、またビバークの練習です。別にしなくてもいいのですが、やっぱりやっておきます…

だって、ビバーク怖いんだもん。

■ 共通の体験を培う

最近、思うのですが、先輩への信頼感というのは、日々の月例山行での日帰りの山だけでなく、合宿で、判断力を見ることから、信頼の石をひとつひとつ積み上げていく、というものだと思います。

いつの間にか、先輩たちをすごく信頼しています。

私は、初めてガイド山行に参加した時は、ガイドの資質を見るためにハイキングの山に行くような人です。 ぽっと出の人をいきなり信頼したりはしません・・・

なので、先輩が合宿を保守的な計画で企画したことはかなり、信頼感を高めました。

わたしだって、相手の力量が未知数の時は、そういう風に保守的な計画を立てるからです。

相手が自己申告で10の力がある、というと、6くらいにしておきます。というのは、やっぱり、10の力を10と申告できる客観的な人もいるし、実は8くらいで10と言ってくる見栄っ張りな人もいるし、12あるのに10と言ってくる謙虚な人もいるからです。

相手が見栄っ張りタイプで、8の力の人だったら、8の山に連れて行けば、アップアップになります。その可能性があるため、初めて行くときは、6の山にしておかないといけない。

それは登山をしている人なら、誰だって了解済みなことなのです。わたしだって、初めて一緒に行く人との山は、何が起こっても良いようなゆとりある計画にしておきます。相方とだって、初めて行ったのは蓼科山です。ラクラク2時間の山。

なので、先輩がそういう風に計画してくれた時は、安心感を持ちました。

■ 登っていいかどうか?の判断

私が当初、参加したいと思っていた山岳会では、一年目は、新人は単独禁止で、破線ルートも歩かせてくれないそうです。

それは、その山岳会が、それだけその登山者に対し責任感を強く持ってくれている、ということで、本来歓迎すべきことです。

(余談ですが、それを拘束と感じる人が増え、山岳会離れが進んだそうです。私はそうは感じていません)

私は、とっくに破線を歩いているので、もし、その山岳会に入っていたら、行きたい場所に行けないというストレスはあるかもしれない、とは思いますが、それよりも大事なことは、遭難しないということ。別に歩ける一般ルートはたくさんあるので、下積みは全く嫌ではありません。だって、人一倍下積みがある=自分が楽、なのですから・・・

行きたいところと行ける実力があるところは、だいぶ違います。

行ける実力がないのに行ってしまうのは、そうした実力判定が、それだけ難しいからです。バットレスの渋滞を作ってしまうのは、まさにそうした行ける実力がないのに行ってしまった人たちです。

行ってもいいよ、という判断を先輩にしてもらえる・・・それこそが、山岳会に入っているメリットではないでしょうか?

経験がなければ、自分では、判断がつかないのですから。特に一般ルートでの経験はあまり本チャンでは役立ちませんから。

≪参考サイト≫
去年のビバーク経験
山は総合力
必携!日本の岩場
雪洞泊頓挫

Thursday, October 2, 2014

試しに”主体的”に登ってみる

■ 最近、FBのコメントで

「主体性(自分で選び、自分で決める)が幸福感のカギとは限らない。日本人は基本的に主体性をストレスと感じる」というコメントを読み、あまりに私にとって想定外の考えなのにビックリしました。

その証拠に「日本の”おもてなし”である、懐石料理は選べない」とありました。たしかに懐石料理は選べない。フレンチのコース料理は選べるけど。

それにしても、懐石料理、子供の頃は、ホント、なーんにも食べるところがありませんでした。お刺身もキライだったし、山菜の類はまずくて食べられない。煮物はだしが生臭くてダメ。

まぁ、きっと子供だったので、安物バージョンしか食べさせられていなかったのと、味覚が鋭敏で、母の味以外を受け付けなかったためと思いますが。

しかし不思議なことに今は食べられます。 子供の頃はよその家の味噌汁は飲めなかったですが、今はなんとかなります。(好きじゃないけど)

考えてみると、この”何でも食べるという能力”は我慢の末に獲得した能力なんですよねー。 

”学校給食による訓練”を受けていないアメリカ人には無理と思います(笑)

■ 日本人らしさは作られる

つまり、これは”すべて受け身の日本人”は作られると言うことです。

本来は、子供の私は、自分が食べたいものが何か?分かっていたし、何が体に良くて、何が悪いか分かっていたと思います。

結局、学校給食で鍛えられた、ということだと思います。学校給食は、私にとってほんとに苦痛でした。食べられないものを無理やり食べさせられて。 下校の時間までお皿をにらんでいたこともあります(笑)。

こうしたことを考えてみると、日本は、当人にとって良いこと(懐石料理)も、嫌なこと(学校給食)も、”押し付けるのが良い”という文化です。

■ 時代は変わる

子供に無理強いするということを考えると、それは”子供は自分で何が自分に良いのか分かっていない”という前提思想があるのだと思います。

でも、最近は、子供が食べられないモノは無理強いしてはいけない、と言う風に世間の潮流は変わってきています。単純な、好き嫌いではなく、アレルギーや体質に合わない食べ物、ということがあるからです。

私なんて大人になって調べたら、牛乳アレルギーでした(^^;)。そりゃ苦しいよな~、毎日牛乳を飲まされては。

昔の「好き嫌いは良くない」という思想は、たぶん、古典的な栄養学に基づいたものですが、栄養学さえも、今は、一物全体や、季節に合ったものを食べる、身土不二の思想の前に屈そうとしているくらいです。何しろ、栄養学というのは、木を見て森を見ない学問で、その失敗は生活習慣病やガンが日本人の死因の上位を占めていることから、明らかですから。

というわけで、世の中の常識と言うのは、”変わるもの”、です。

私は今でも、お刺身やお肉を食べたい!と心底要求することはあんまりないような気がします。

■ ”押し付け”が楽なように躾けられてしまったのかも?

さて、「あらかじめ決まっている方が楽」だから「好き」という精神性ですが、これは海外旅行でも、登山ツアーでも顕著です。

しかし、あらかじめ決まっている=押し付けられる方が、「おもてなし」というのは、子ども扱い、を前提にしています。

百名山ツアーも、「登山者は自分でどこに行きたいのか分からない」を前提にしているってわけですよね。 

だから、「連れて行ってあげましょう」を体の良い文句にしたホンネは「ここに行け!」です。

失われた主体性は、でも、学校給食のように、学習された文化形式である可能性があります。

■ ためしに一度捨ててみる

そういう”文化的”な刷り込みは、ためしに一度捨ててみて、どっちが本当に自分にとって楽しいか、比べてみると、いいのかもしれません。

手作りの旅は、企画も行く場所の選定も、誰かにお任せで便乗した旅とは、全く違う、充実感があります。

たぶん、社会の常識は変わってきているので、今の時代に少しでも触れている人は、

 何もかもお膳立てされている=サービスが良い

とは感じなくなっている可能性もある、と思います。

そこが、連れて行ってもらう山が楽でいいわ~と思いつつも、なぜか、好きな所に好きなように行っている人が羨ましい、隣の田んぼが青く見える、という理由かもしれません。

大体売れている自己啓発本は、”リスクを取っても主体的に生きようぜ!”って内容のものです。

生き方で言うと、リスクフリーで安全だけど、皆と同じで、個性を埋没させた生き方より、年収が下がっても自分のしたいことをする生き方のほうが若い世代には市民権を得つつあります。まぁそれは上の世代があまり素敵に見えない、っていう意味ですね…

■ 理想のパートナー

いつも誰かがリーダーで行き先を決めるのは、フェアではありません。 

大体行先を決めあいっこするくらいのほうが、対等で気持ちの良いパートナーシップが築けます。

行った先も楽しいとは限らないこともあるし。

でも、行きたいところに行ってあげるよ、と言ったのに、行きたいところを言うと、そこはあーだ、こーだと先回りする人もいます・・・

それは、行ってから分かればいいんであって、誘っても行かないんだったら、それは自分が「連れて行かれるだけ」の人材を作っている側の人なのかもしれません。

確実に分かっているのは、どこに行くか?を決めるところから、山は始まっている、っていうことです。

行くか行かないか、も自分が決めること。

行った後できつかったのは企画者の企画に無理があったせいではなく、その山に行ける体力があるかどうか?の自分の見極め力が足りなかったからです。

行けるか行けないか?も自分で判断しないといけないのです。



Wednesday, October 1, 2014

自然の回復力に感嘆すべし!和名倉山の研究

今日はちょっと積み残し課題を解消しに図書館に出向いていました。

■ 自然の再生力を知る和名倉山

私は、和名倉山へ行ってみたいと思っていたのですが、私が読んだ、古い本に書いてある、”秘峰としての和名倉山”と、2014年の私が見た和名倉山は、まったく違う山のようです。

以前、山田哲也さんの『奥秩父…』を読んだとき、和名倉山は、印象に残っていませんでした・・・でも、行ってみたら、

  • 眼下に人工物は見えないし、
  • 大草原の笹原は開放感いっぱいだし、

もっと評価されて良い場所だと感じました。

それで読み返してみたのですが、過去に林業で大規模な皆伐があったりして、”人の手が入らない”ということの正反対、人によって蹂躙され尽くした山だったようです。

たしかに和名倉山では、かつて大規模な林業が行われていたのであろうと思わせる森林軌道の痕跡が一杯で、ワイヤーに足を引っ掛けそうです。

美山は、人に愛され、そして人に蹂躙され、山火事の憂き目にあい、そしてシカの食害を受け、植生が荒れ、そして今再生したところみたいです。

ということは、今お買い得な山です(笑)

≪和名倉山の歴史≫

戦前 米ツガなどの原生林
 ↓
1950~60年代 山火事で消失
 ↓
1970年代 大規模な荒廃 登山者の足が遠のき、ルートも消える
 ↓
1990年代半ば シカの食害で荒れる。スズタケさえも一旦消失の憂き目にあった
 ↓
現代 森林の再生が進み、登山者の足も戻る

私たちが登った三の瀬からの道は、踏み跡がかなりしっかりしていましたが、それも薄かった時代があったようです。二瀬やヒルメシ尾根は、迷路だったそうです。仙波尾根は、昔は藪が凄そうですが、最近の記録では、シカのおかげか、ヤブも薄くなり歩きやすくなっているような(笑)?

しかし、自然の再生力はすごい。

さすがに200年物の米栂が再生するのには、時間がかかるでしょうが、大規模な皆伐や山火事による、森林の消失から、50~60年で、原始の姿とは全く異なるとはいえ、自然らしい姿が戻ってきています。

やっぱり、自然が必要なのは人間の側であって、自然の側には人間なんて必要ないのです。

山田さんの本には、行った時には分からなかった地名が二つありました。

  • 千代蔵の休ン場
  • カバアの頭 (p92,93)

たぶん、千代蔵の休ン場
 右手のピークがカバアの頭。
 八百平
八百平に落ちていた林業後


















≪参考サイト≫

シャクナゲ荘のおかみさんの話

≪和名倉山関連の他の記事≫
人工物が見えない秘境の和名倉山
面白い山の見つけ方
登山当日の記録

■ カバアの頭と惣小屋谷沢

仙波尾根というのは、カバアの頭という顕著なピークを通ります。 なぜか2万五千の地図には、地名がありません。(エアリアには、カバアノ頭と全部カタカナであるようです)

でこの付近の沢で、惣小屋谷というのがあるのですが・・・私はカバアの頭を歩こうかな~と思ったので、ちょっと調べてみました。沢を上がって尾根で降りるか、尾根を上がって沢を下るか、往路とことなるほうが楽しいからです。まぁ普通は沢遡行ですが、下れる沢もあります。

で地図を見ていたら、面白いことを発見しました。 実は小屋跡があるみたいですよね。あと、古い地図には少し先に烏帽子岩という岩場があります。 もしかして烏帽子岩秘境(笑)?

地図は上空からの航空写真で作っているので、禿山の時と樹木が生い茂っている時では、岩場の情報がちがうのかもしれません。

林道がだいぶ入っている



惣小屋がある 仙波尾根ルートもある

惣小屋がある 仙波尾根ルートは明確


烏帽子岩ってのがある ルートはない

大正2年って・・・1913年・・・100年前(汗)
一番古い地図は、100年も前のでした(汗)


■ 沢?

登山大系に書いてある、美しい沢は、山田さんが登っていた時代に、土砂に埋もれ、滑はもう滑でなく、ボサがひどかったみたいです。

登山大系にあるたくさんの沢は、様子がすっかり違っているかもしれないし、自然が回復してまた良さが戻っているかもしれない、ということですね。

日本登山大系にある良き沢は3つですが、私が登れそうなのは大血川ですが、名前が怖いですね(><)


また山田哲哉さんは二つの沢を利用して山頂に行っています。


リンクは、検索で引っかかった遡行記録です。参考用。

■ 自然を回復させよう

地球環境は、過去200年の間に悪化し、とくにここ最近50年の環境劣化が著しいと言われています。

記録をざくっと見る限り、一番悪かったのは、1970~90年代のイケイケどんどんの経済成長の時代で、今の時代は、その揺り戻しですね。人、という面でも見ても、私の親の世代は、自分勝手な面がときどき目立ちます。私くらいの年齢以下の人は、環境への意識が高い。

やはり自然を痛めつけてきた時代、そしてその時代を当然と受け止めた世代、というのはあるな、と思います。

世界規模の温暖化などは、結果の結果なんですよね。身近な自然にはとっくの昔に荒廃は現れていたんでしょう。

そして、自然さんは、「人間さん、もうほっといて~」と言っていると思います。

林業の荒廃が問題視されますが、木を切らないならば、原生林が戻るだけだと思います。

鹿の食害が叫ばれますが、シカが一番多かったころは、今はふさふさしているスズタケでさえも、生えていなかったみたいです。

こんなこと、ほんの数時間図書館に滞在して、ネット検索すれば分かります。

ので、あんまり自然のことを心配せずに、人間は、自分のケツをちゃんと拭く、ってことを心配した方がいいのかもしれません。たとえば、原発の廃棄物どうしようか?とかですね・・・