Wednesday, November 6, 2013

野沢温泉再訪

この記事は山ではないので別サイトにUPの予定でしたが、何やらエラーでUPできないので(汗)こちらに。

■ 大昔雪にフォーリンラブしたこと

学生の頃、どういういきさつか職場の図書館の友人たちとスキーに行く運びになりました。お金がないので結構大変で、スキーウエアも持っていないし、道具もない…今はなき難波球場の前から出発するバスで信州へ… バスは苦手なのでもうバスだけでクタクタでした。車で出かけるレジャーは大嫌いだった子供時代は20歳ころの私にとってはまだそんなに遠い時代ではなく、正直、私が積極的に行きたいよりは連れて行かれた側でした。

でも行っておいてよかったなぁ… 友人たちがいなければ、私の重い腰は上がらなかったでしょう。実はスキーは全然できず、というかできないどころか、ちょっと傾斜がある斜面に行ってしまったら泣きながらお降りてきて、笑われたくらいだったのですが(笑)それくらい私が怖がるので、結局クロスカントリースキーに変えてもらったのでした(笑)どれほどトホホだったか分かるでしょう。

でも、この時、雪に目覚めました。

雪山ってホントに美しいなぁ…って。スキーでリフトに上がった山頂でも雄大な景色に感動しましたが、実は一番気に入ったのはクロスカントリースキーで、雪をかぶった森の中の散策にはホントに心酔。うっとりでした。スキーで滑って降りるなんてもったいない。この美しい景色を味わうため、できるだけゆっくり歩きたい!と思ったのでした。

思えば、私の雪山好きはこの時に種を撒かれたのでした。

■ ゆっくり歩くのが好き

その思い出の地、野沢温泉に夫と再訪しました。20年ぶり?2度目の訪問。
今回は、温泉をメインに堪能しました。まだ雪はない時期にアプローチを確認しておきたかったのです。野沢温泉は13個も外湯があるので、湯治にもピッタリです。私たちは黒川温泉に代わる定番とできる良い温泉地を探していたのです。

今度は雪の時期に行きたいですが…豪雪地帯…高速道路が封鎖されないかが課題ですね。しかしこの辺りの山はまだまったく未開拓です。今から研究せねば!雪山登山と温泉三昧をセットにした旅を今年はぜひしたい!

登山をしているとスキーをよく薦められますが、私はスキーで斜面を滑り下りる血圧の上がる活動が苦手でした・・・それに一気に駆け下りると、せっかくの美しい景色を見る時間が短くなってしまって、その分楽しみが減ってしまうような気がしています。なぜって私はたくさんの山に行きたいのではなく、キレイな山にじっくり向き合いたいからなんですよね。

むしろ、じっくりと雪山の美しい景色を味わいたい…というような私のような人のためには最近はスノーシューという道具も出来ました。 クロスカントリーよりさらに歩きやすい。

■ 野沢温泉の外湯

野沢温泉の外湯、お湯の質が色々と異なるそうで、今回は私が体調が今一つだったのもあって、お湯の凄さをしみじみ実感しました。

一番気に入ったのは、実はお宿にした野沢温泉ホテルの露天風呂。

外湯は、滝の湯と真湯が気に入りました。 温泉はどれも源泉かけ流し。湯の花が浮き、硫黄臭がします。 湯量もたっぷりで新鮮そのもの!

 
 これ道祖神らしいんだけど、むしろトーテムポール・・・?
 お蕎麦屋さんで名物のそばを。
 この金属の下駄は何でしょう?
 特産のなめこ。すごく傘がデカい。
 ひろーい、温泉調理場。
 外の人は利用できないのだそうです・・・
 野沢菜は激安。 230円。高速の道駅なら650円。
 足湯。
 秋葉の湯。
 大体どこの湯もこれくらいのサイズです。
 大根が干してある。いいな~そんな生活をしたい。

1日目は、滝の湯、大湯、秋葉の湯に入りました。ひとつひとつは10分くらいしか入っていないけれどポカポカです。体質にあっているようで何もつけなくても2人ともお肌すべすべに。

私は滝の湯がいちばん気に入りました。大湯は熱湯とぬる湯に分かれていましたが、中心にあるのでとても混んでいました。

宿の食事6時なので帰って食事を食べ、宿の湯にも浸かって・・・夫はお宿の湯には入らず山時間の8時くらいから爆睡。お疲れだったんですねぇ・・・

≪野沢温泉ホテル≫
お宿の野沢温泉ホテルはギリギリに予約して空いている宿でしたから、そんなに期待していませんでした。元々コンクリート打ちっぱなしのビルを温泉宿に改装したのかな?って感じでした。お部屋は広かったし、トイレもついていました。お湯も良かったです。コーヒー無料がうれしかったです。玄関前にある無料のおいしい水と足湯は野沢温泉のお宿ではデフォルトみたいです。お食事は平均。お酒、日本酒が純米酒がなかったのが残念でした… 

■二日目
二日目は夫が温泉めぐりに大張り切り! 入ったと思ったら「でるよー」 「つぎどこ行く~?」 いやあ彼も温泉大好きですからね。以前中房温泉でそうなったのを思い出しました。思わず全部試したくなるらしいです。
 ジャム屋さんがあり、カボチャとキャラメルのダブルで400円。 りんごの花のはちみつ 500g 2500円も買いました。非加熱かどうかは怪しかったけれど、なかなか純粋なはちみつはスーパーでは売っていないので、こういうチャンスにでも買わないとゲットできません。

 河原の湯。
 植木鉢、いいアイディアですね!
 麻釜の湯。となりのお蕎麦屋さんはおススメです。なめこソバおいしかったです。
 これは真湯。 誰もいなくて快適でした。気に入った。
 熊の手洗い湯の前にこんな像が。熊の手洗い湯は芋の子を洗うような混み具合だったので入らずに帰りました。
 またジャム屋さんでチーズケーキとジンジャーエールを。
 帰りは国道沿いの蕎麦屋に入ったら激混み。
 これは鴨南蛮。やっぱり鴨南蛮は道頓堀今井がいいかもしれない。
■おみやげ
 お土産は栗きんとん。夫の大好物。この時期だけの愉しみ。
 私には地酒。代表的な水尾の純米吟醸。醸造アルコールが入っていないクラスのお酒なら何でもおいしいと思いますが、どちらかというと最近甘口好みに変化してきました。
ワンカップは燗にしてして飲むとおいしいよ、と酒屋のお兄さんおススメだったので。山用ってのもある。

こういう旅って、大して贅沢をしているとは思えない庶民的な楽しみに感じられるけれど、実際はものすごく贅沢な旅だなぁと思う。計算していないけど、計算したら冷や汗出るかもしれない。

次回はぜひ雪の時にスノーシューで山を徘徊するのとセットにしたいと思いました。

≪次回参加したい≫
泊まってみたいお宿 
小さい宿 http://azegamikan.net/



Tuesday, November 5, 2013

歩ける山 ≠ 連れていける山

はぁ・・・(ため息) また難題に直面しています・・・(ーー;)

実は、次回の山岳総合センターの講習には宿題が・・・冬山にリーダーとして登る仮定で登山計画書を作る、という宿題です。

それが・・・阿弥陀南陵・・・(ため息) 

■ 阿弥陀南陵とはどのようなルートか?

手持ちの登山の教科書『現代登山全集 八ヶ岳』には、阿弥陀南陵は、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「しっかりしたリーダーのもとで中級者以上の登山者であれば、楽しい山行になろう」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と書いてあります。 

まぁ全体的な位置づけとしては、初級のバリエーションルートと言ったところです。ロープはギリギリ不要。ただし落ちたら大変な怪我をしそうです。岩稜での滑落はホントひどいけがになりますよね。

私が調べたところ、”しっかりしたリーダーのもとで”のくだりは、“確かな判断力が必要になる”という意味でした。判断力なら備わっていますから、大丈夫です。 

次に問題になるのが”中級者以上の登山者”の部分です。私は既にビギナー初心者ではないのは、確実です。後立の縦走を一人でする人を初心者とはもう呼びません。しかし、一般道をいくら一人で歩けたところで、山ヤとしては、まだ入り口、戸口の前に立ったくらいでしかありません。ロープワークも一通り使え、先輩についてなら歩けるくらいが初級者と仮定しました。

となると、おそらく山ヤの基礎教育が一通り終わったくらいが中級者と仮定すると、私は今戸口に立っているところですから、中級者に入りかけの初級者でしょう、というのが合理的な憶測です。片足つっこんだかどうかくらいですね。

となると、この文章から判断する限りにおいては、私はこのルートはまだ歩けません。

さらに多面的に判断するため、ネットで色々と他の人の山行を見てみます。

長くないルートですから、問題となるのは、
・ルートファインディング
・技術レベル

すると、ルートファインディングはほぼ不要のルートです。ま、尾根通しですもんね、当然か。

技術面をみると、核心はP3(Pはピークのp)のガリー(岩溝)です。 内容を見ると、ロープを出すほどではない(つまり三点支持、クライミンググレード以前)なので、私でも歩けそうです。

私のクライミンググレードは黄緑テープ、クライミングに入るか入らないかくらいのレベルです。やっとクライマーと言えるの領域に近づいたくらいのところです。それから判断して、核心部の長さもそう長くないので大丈夫でしょう。

まぁ歩けるでしょう・・・チャレンジにはなりますが、まったく歯が立たないルートではありません。

チャレンジと言うのは、私の実力が10だったら、10の山ってことですね。もしかしたら11くらいかもしれません。

余談ですが、マンガ『孤高の人』で阿弥陀南陵、1巻に出てきますよね(笑) 遭難死していますが(失笑)

■ 氷化した岩稜・・・11月は閑散期

最近一気に冬型になりました。今日は明け方の気温がとても低いです。

最近行ってきた人によると、阿弥陀南陵の核心部P3のガリーは、もうアイス化してしまったそうです。

つまり、これが何を意味するかというと、つまり、難易度が3つくらい上がったってことです。

11月は山は閑散期として知られています。

それは氷化した道は一般道でも難易度が3つくらいあがって、とても歩きにくいからです。

11月の登山道は雪がしっかりついた12月や1月の一般ルートの登山道より歩きにくいということは登山ではよく知られています。

私たちも以前、ひどい目に遭いました(笑)

■ 登れる山は連れていける山ではない

阿弥陀南陵・・・無雪期になら、なんとか私も登れそうでした。

でも、それは自分で登れるって意味で、私の実力の10割の山です。もしかしたら、11くらいかもしれません。

しかし、一人で行くなら8の山、人を連れて行くなら、6割の山しか連れていけないのが登山なのです。

10の実力がある人が10の山に連れて行ったら、ちょっと不測の事態が起こっただけで遭難になってしまいます。

■ (易)→(難)の流れの原則

そして、これは無雪期の場合です。積雪期にリーダーとして登るルートを無雪期に登ったことがないというのは通常はありえません。

普通は、もっとも易しい無雪期に登り、次に難しい積雪期に登る、(易)→(難)の流れが登山のステップアップの常識です。

(易)→(難)の流れを守るなら、積雪期の一般ルートを連れて歩けることになって初めて、初級バリエーションに人を連れて歩くべきでしょう。 

というわけで、この宿題・・・はっきり言って、無謀です。少なくとも私には。

■ 岩と縦走

さらに志向の違いもあります。 縦走は脚で歩く活動です。ほとんどの登山者は山登りを足で歩くものととらえているはずです。

ところが岩は脚だけでは突破できないところからがスタート地点です。つまり手が必要な山登りです。

手の延長としてピッケル、そしてバイル(なぜか冬壁ではアイスアックスとかバイルとか言ってピッケルとは言いません。ダブルアックスは聞くけど、ダブルピッケルとは言わない)が、足の延長としての、アイゼンに並びます。

阿弥陀南陵は方向性としては岩登りに続くルートです。つまり、難易度に差が合っても、指向性としては、世界で最も難しい壁のK2に続くんですね・・・(--;)

■ 遭難予備軍

私はただ無理に背伸びするのがイヤなんです・・・。

なぜなら、山の遭難のNo1は実力以上の山に行くから、だからです。

講習会である限り、受講生それぞれのレベルが違うのは致し方ないことです。

私なら受講生それぞれが人を連れていけるレベルを講師が判定し、個人に合った課題を与えて、計画を立てさせ、講習生がお互いにそれを評価し合うというような内容にします。

講師が受講生をレベル分けをする理由は、登山をかなり深く理解している人しか、後輩の登山者のレベルというのは理解できないからです。

大体、登山ほど、レベルに客観的指標がない活動は少ないです。

■ 登山者のレベルは単一基準では測れない

たとえば、ボルジムに行きますよね?男性の初心者と私がいたとします。 まったくの同じゼロからのスタートだと、絶対に男性の方が登れます。ところがその人のムーブはとても汚いでしょうし、腕力任せでしょう。この差は特定のムーブができないと登れない壁が出てくるまで続くでしょう。その時、私の方が登れるポイントが来ます。 そしたら、それは相手がいきなりレベルダウンしたのでしょうか?違いますね。

脚だって同じです。男性は体力があり足が強いです。歩荷力も女性とは全く違います。そんなの当然ですよね。同じ身長だとして、女性は男性の6割しかパワーがないのですから。それは単純に体の構造の差にしかすぎません。

つまり単純に言うと 力があると”登れる”。

だからといって、登山者としてより優れているかというと、違います。

さらに判断力になると難しくなります。たとえば、”登れる”と”登るべき”は違います。

”登れる”だけなら、糊代がなくギリギリでも登れたら登れたってことです。大体、世界で初登、というような登山はほとんどがのりしろゼロのギリギリ登山でしょう。別の言葉でいえば死と隣り合わせですね。

”登るべき”は、登山判断です。雨が降っていても気温は低くないから低体温症にはならないだろうと判断したり、1時間後には上がると予想したり、この道なら雨でも危険はないと判断したりです。リスクを天秤にかける活動です。これには想像力や知識、経験、観察力、色々なものが必要です。

体力がいくらあっても登山判断力がなければ、山では遭難してしまいます。

登山力は、体力、判断力、そして経験の総合力です。

登れる ≒ 登るべき 

なのです。

そういう風に総合判断すると、阿弥陀南陵は、登れるけれど登るべきではない、ということに・・・(汗)

大体、遭難のリーズンNo1は、実力以上の山に登ることですし・・・

余談ですが、体力=パワーを高めていくことにはすぐに限界がやってきます。何しろ、10代の若者を除く全員が下って行く体力という名の電車に乗っているのです(笑)。ところが、登山判断力を高めていくことには限界がありません。













Sunday, November 3, 2013

自分の登山観を大いに語ろう!

■ 注目を集めた前回記事

山と誰と行くか?という前回の記事は、
ーーーーーーーーーーーーーー
※ 登山とは道のない場所を歩いて初めてスタートするもので、夏の一般道を歩くことは
  通常「登山」とは言えません。しかし、世間では夏の一般道を「登山」と称し、本来の意味での
  登山は「本格的な登山」と言われています。この場合”本格的な”の意味も誰も説明してくれません
  ので(笑)初心者にはチンプンカンプンです。
  道なき道を歩かない限り、登山ではなく、もともとハイキングなのです。しかし、ハイキングの
  ことを「登山」と称するようになってしまったため、やむなく、”本格的な”をつけているわけで
  それが分かりにくさの由来です。
ーーーーーーーーーーーーーー

の部分が注目を集めました。そこで補足説明をします。

■ 建前と真実は一致する

登山の建前は「楽しければ山は何だっていい」です。実は、これは建前であるだけでなく、珍しく「真実」です(笑)。

ところが、多くの人がご自身の登山行路において見失う真実です。

登山者は、建前からスタートして真実にたどり着く間に色々な寄り道をします。

寄り道、その1。 競争。 たとえば、同じくらいに登山を始めた○○さんが△△山に行ったらしい、と聞くと自分も行く、などです。

寄り道、その2。見栄っ張り。たとえば、「最近どこに行ったの?」と聞かれるときに備えてスゴイ山の名が言えるように山を選ぶ。 いわゆる山のブランド志向です。槍穂志向の人に多い。

寄り道、その3。モノ。ギアばっかり立派で山が立派でないのは、ある意味、素直で可愛いらしいことです(笑)。金儲けしたい業界に食い物にされても、それはそれで社会貢献ではないですか(笑)

寄り道、その4。仲間に入りたい。山にあこがれるのではなく、岳人への憧れで山に登る。つまり有名人の○○みたいにカッコいいオレ系。この系列では、北鎌尾根に顕著な傾向が(笑) 理由は登山をしていれば、分かるようになってきます(笑)

まぁ、登山と言えば、歴史的に若く屈強な(そしてエリートの)男性たちが”青春をかけて”行うものとしてスタートしてきたものである、という経緯を考えてみれば、競争や見栄っぱりが、価値観の根底で幅を利かす、というのは、致し方ないことだったのかもしれません。

何しろ、男性が作る社会と言えば、群れの論理、縦社会です。強いオスがボス猿になり・・・が秩序の最初なのですから・・・そこに競争がないほうが不自然とさえ言えるかもしれません。

(ところが、登山の本当の良さは、そうした部分が登山活動を続けるにつれて、そぎ落とされ、純粋になっていき、登山の本質に立ち返ることです。たとえば、少し前に紹介した著名な登山家長谷川恒夫さんの人生などを観察すると分かります。)

だから、登山行路において道に迷いそうになったら原点に帰ることが重要です。

※近代登山は、明治大正から一部のエリートが始め、大学山岳部の時代を迎え、さらにそれが社会人山岳部へと流れ、その後、中高年の百名山へ続き、昨今は山ガールブーム、という風に歴史変遷してきています。

参考: http://stps2snwmt.blogspot.jp/2013/04/blog-post_7327.html



■ アルピニズム(近代登山)の価値観

登山の古典的な価値観では

・より高い山に
・より美しい山に
・一番乗りで
・より険しい道で
・より困難なやり方で
・より道具を使わず

登るほうがエライ、

という価値観で、山に登る人をランキングしてきました。 

なので、世界で一番高い山(エベレスト)に一番乗りで(初登)した人が一番エライ。

つまり、人は望むと望むまいと、この価値観でジャッジされてきたのです。

”山に登る人”としたのは、登山家と登山者は違うであろう、違うべきだと思うからです。

今でも野心的な若い登山者(つまり登山家候補生)は、こういう価値観を背負い、登山界の限界をプッシュする活動に繰り出していると思います。それはそれで人類の進化のために必要な行為です。

ところが、近年この垣根は意識があいまいになりつつあるようです。登山者なのに登山家の論理で自分を図るべきではないように思っています。

山に野心と競争を持ち込んで、私のような”登山者”に向かって山自慢されても・・・単純に言って、お門違いなんですよね(^^;)・・・ただ”愉しんで”山に登りたいだけなのですから。

■ ああ勘違い!な山自慢

「どこ行ってきたの~」
「○○山」
「ふーん(そんなツマンナイ山)」
「…」
「こないだ鶏冠山に行ってきてねぇ…」(←参考までに鶏冠山は山梨百名山で難山として知られる山です。山梨県民の中でのみ通じるステータスの山)

となることは多いです。

大体、中高年に多く、山小屋で「どこ行ってきたの~」と言われたら要注意!です。「どこ行ってきたの~」という質問は、過去に登った山の自慢話をするキッカケ作りのために発せられる頻度が非常に高く、こちらが行ってきた山の感想を聞くことには一切興味がなく、大抵は百名山のうち何個登ったかに始まり、「槍穂」で話が終息することが多いです(笑)。そうですね、話しかけられるうちの8割くらいがそうです。

寄り道その1)&その2)の”競争と見栄っ張り”を持ちこんだ人たち(笑)…です。

■ 空振り

ところがこの手の登山の人たちが失笑を買うのは、登山の価値観を中途半端に持ちこんでいるためです。

典型的な百名山登山者というのは、

  ・もっとも易しいルートから
  ・出来るだけ労力を掛けずに山頂を踏む、

ので、これは登山の価値観と真っ向から対立するのは分かりますよね。

同じ金峰山に登るにも、片道2時間の大弛峠からの道と5時間の増富からの道では内容が違うのは自明のことです。

さらに、山小屋に泊まるか、泊まらないかでも困難度は違います。ザックの重さでも違うし、季節でも違います。登山の内容が簡単ならば、何の自慢にもならないでしょう。なのに自慢できると思っている時点でズッコケなわけです。

そこを理解せず(つまり、おのぼりさん風情丸出し)、単純に登った山の数で競おうとするので失笑を買っているわけです。

私なんて山頂で「今何座目?」なんて聞かれました(汗)。 

ちなみに日本百名山を全部登ろうとすると、ツアーを使わない人で200万円、ツアーを使う人で500万円ほどかかるそうです。 (お金持ち自慢にはなりそうですね。その意味でスゴイ!)

山に何を求めても、それはその人の自由なので、百名山の数競争を求めても良いのですが、

・山に登った数が多いほうがエライ
・お金持ちの方がエライ

という価値観は、古典的な山の価値観に含まれていない。

そこのところを間違えて、他の岳人からのリスペクトを得ようとすると空振りに終わる率は高いです。

昔は山小屋で「私は○△会社の社長だ」と登場する人さえいたらしいです…。

登山の価値観を知らないと大なり小なり、こういう事になります。

■ 山ヤな会話

ちなみに山自慢でない場合、上記の会話はこんな感じに流れます。

「最近、どこ行ってきたの~」
「○○山」
「お!あの辺なら○△したんだね。いいねぇ。その辺だったら△△尾根も素晴らしいよ」
「そうなんですかっ?(瞳がキラっ!)」
「そう、ずいぶん昔だけど行ってね、素晴らしい○△だったよ。○月ごろがいいかな。当時、面白い小屋のおやじさんがいてね…(続く)」
「○月ごろだと△○が必要ですよね?」
「無しで大丈夫だけど、念のため△は居るかな」
 (続く・・・)

「○○さんは△な山が好きなんですね!」
「そうそう!面白いんだよね~××するのがとっても!」

となります。夢は広がるよ、どこまでも…って形で、山が広がるんですよね。

■ 易しくなるほど、山の価値観から離れていく矛盾

登山史を別の視野から見ると、昔は、当然、山小屋なんてありません。
山小屋どころか、登山道も無かったのです。それはたかだか100年くらい前の日本の山の話です。
北岳なんて、ウエストンが登っていた頃というのは、藪漕ぎだったようです。

多少デフォルメ的に表現すると、先駆的な人々が先鞭をつけ、その踏み跡を大学山岳部が歩き、その踏み跡を社会人山岳部が踏み、山小屋が開設され、さらに中高年登山者が歩き、昔は道なき道だったものが、あまりに多くの人が同じ個所を歩いたがために、歩いた箇所は立派なトレイルになってしまい、今は歩きやすいよう整備も整って、立派な登山道になったわけです。

たくさんの人に歩かれたがために道ができた…のが一般道です。
なので、一般道は先人のありがたい遺産ですが、困難度という面でみると、昔の方が困難ですよね?というわけで、人がたくさん歩けば歩くほど登山の価値観からは遠ざかってしまうという、負の遺産と言うべき側面もあります。

困難であることが良さだったのに、困難さがどんどん削られて行ってしまった、ということです。もともと困難なほうがすごい山だったわけですが、今では山小屋がある一般ルートの山は、ぜ~んぜん困難ではなくなって、山の価値観の反対になってしまいました。つまり山としての価値を相対的には失ってしまいました。

その現象を代表するのが、地図を見ないでも歩けるということですね。

道なき道を歩かない限り、”登山”ではなく、ハイキングだ、というのはこういう意味です。

もちろん、山に登ればそれは登山です。間違いありません。天保山(標高4m)に登っても登山だけどね…(笑)

けれども、それが 「ザ・登山」であるか?というと違ってしまいます。

■ 緒論、各論、持論、大いに結構、山の良さを主張すべし!

「ザ・登山」には、もちろん緒論ありますが、岳人の間で一致している価値観は上記のように一応あります。そうでないとピオレドール賞だの作れないですしね。

ただ一定の価値観はあっても厳密には定義されておらず、個人の思想の入り込む余地がたくさんある。それがまた登山のおもしろさであり、可能性なわけです。

時々湧きあがる議論を見れば、分かります。

たとえば、最近だと、三浦雄一郎さんが世界の最高齢でエベレスト登頂しましたが、下山がヘリだったので議論を呼びました。「登山としては中途半端」という意見も成り立つからです。

理由は、登山とは、

 ・登りより下りが困難
 ・登山口から下山までが登山

という価値観が今でも一応常識だからです。特にヘリってものすごい人工物ですよね? できるだけ人工物に頼らないという価値観にも反してしまいます。

■ 自分の山を登ろう!

私は個人的には、山の価値観というのは、登山家だったら世に評価される必要があるけれど、登山者なんだったら、世に評価されなくてもべつにいいわけなので、登山者各個人が自分で作り上げるものだと思います。

登山界という大きな目で見た場合、一人の人が「これが俺の山だ!」と思った価値観が賛同を得て、一つのスタイルになってきた歴史は既に日本の登山史の中にあります。

というのは、「近代登山」いわゆる「アルピニズム」だって、実をいうと西洋人が「これが俺の山だ!」と思った価値観に日本人の岳人たちが賛同した結果に過ぎないのです。

なにしろ、それより前には、日本には「生活のための山(マタギ、タタラ)」や「信仰のための山(山岳宗教)」があったのですから。

■ 山が山を物語る

その人が山に何を求めて登っているかは、その人の山行履歴が如実に物語ります。だから山行履歴を見えればその人が何を求めて山に行っているかは一目瞭然です。

私のをみれば、私が高い山、より困難な山を求めて入っているのではないことが明らかと思います。

私が選んでいる山は、大抵がリスクは低いけれども、頑張って歩くことで解決できる山です。

自分では、本格的だけれども先鋭的でない山をやりたいな、と思っています。

こちらも。 http://stps2snwmt.blogspot.jp/2013/02/blog-post_28.html

■ 私の山

私自身は、山には

・静けさ
・自然の豊かさへの感動
・美しさ
・自然と親しむ
・冒険心の充足
・好奇心の充足
・夫婦で素晴らしい時間を分かち合うこと

を求めて入っています。

今日本の夏山の一般ルートには”静けさ”がありません。静けさを求めると、どうしても今よりはもう少し、難しいルートに入らざるを得なくなります。その”難しさ”は”静けさ”を得るために支払わなければならない代償なので、支払う気でいます。(具体的には、その”難しさ”は、”道なき道を歩けること”ですね)

雪稜は、登山最初のころから入っています。それは私が登山に”美しさ”を求めるからです。雪稜に入る限りは、”高額なウエア類・ギア類”は、支払わねばならぬ代償です(^^;) ないと死んでしまいます。また勉強というのもそうです。勉強しない人は雪稜には入るべきではありません。

沢は、自然の豊かさを知るためです。日本の自然は、山だけでなく、海もあれば、川もあり、空もあります。海は山梨では得難い自然ですからそれは山とセットにはできないですから、除外して(ちなみに岩とならセットにできます)、山を深く知りたいなと思いますが、山には尾根だけでなく、谷もあるのです。山は尾根と谷から成り立ちます。尾根だけを知っても山を知ったことにはならないので、多面的に山を深めたいと思えば、ぜひ必要な山行タイプです。沢でなくてももちろん魚釣りでもいいのですが。
(実際沢ヤさんと魚釣りのおじさんは同じようなところに生息していて、南アの小屋は魚釣りのおじさんでいっぱいです…笑)

■ その他登山の常識

登山の価値観には、ちなみにこのようなものがあります・・・コツコツ収集しました(笑)

・初登>第二登
・重い荷物を担げる人>担げない人
・早く歩ける人>歩けない人
・地図を読める人>読めない人
・高いところを怖くない人>怖い人
・一人で歩ける人>一人で歩けない人
・分厚いシュラフ>カバーだけ
・リード>トップロープ
・オンサイト>レッドポイント
・テント泊>小屋泊
・ツエルト泊>テント泊
・薄着>厚着
・エイド>フリー
・エイドでしか登れないところをフリーで登る>エイドで登る
・登山道がない山>登山道がある山
・プアな装備>リッチな装備
・寝食一式を担ぐ>担がない
・寝食一式を山で調達する>山に持ち込む
・山頂アリ>山頂無し

最大の価値観は、生きる>死ぬ です。そこんとこ踏み越えぬよう、他のと調整を取るのがきわどいバランス感覚が必要なところ。登山の愉しみのひとつです(笑)


Saturday, November 2, 2013

山に誰と一緒に行くか

最近、ずっと山のパートナーシップというのを考えています。

■ アブナイの中身が問題

大体において、登山者ビギナーには「あぶない」の大合唱が浴びせられます。

しかし、この「あぶない」の中身を正確に表現できる人はほとんどいません。

しかるに私が説明して差し上げましょう(笑)

【一人で行くなと言われる理由】

 1)一般的に若い女性 : 犯罪などに巻き込まれる恐れがあるから

 2)登山ビギナー: 判断力がないから

 3)少し慣れた人: 岩場などが危ない(=技術力がない)ので一人で行くなと言われる

 4)低山ハイキングの人 : 登山道に人がおらず、事故の際、人目につかないから
 
 5)登山の人 : ロープワークがあるとビレイヤーが必要なので一人で行けなくなる

※ 登山とは道のない場所を歩いて初めてスタートするもので、夏の一般道を歩くことは
  通常「登山」とは言えません。しかし、世間では夏の一般道を「登山」と称し、本来の意味での登山  は「本格的な登山」と言われています。この場合”本格的な”の意味も誰も説明してくれません
  ので(笑)初心者にはチンプンカンプンです。
  道なき道を歩かない限り、登山ではなく、もともとハイキングなのです。しかし、ハイキングの
  ことを「登山」と称するようになってしまったため、やむなく、”本格的な”をつけているわけで
  それが分かりにくさの由来です。


というわけで、誰でも「本格的な登山」をする人は夏の一般道に同行者など必要ないのを知っています。
積極的に集団となる理由に値するのは4)5)だけです。1)や4)の人に必要なのは、用心棒。2)に必要なのは勉強。3)に必要なのはボルジムです(笑)

山では、山小屋の存在が同行者の不在をカバーします。ので、結局、本格的登山になるまで誰もイラナイ。

無論、一人より二人が楽しい、という人もおおいので、それを除外してです。

アブナイ、というのは、登山における判断力や技術力が欠如した人に対して言うべきものですが、残念ながら人は誰にでもアブナイの大連呼をします。

その理由は3つ。 

その1は、困ったことに判断力や技術力というのは外からは見えないから。

その2は、アブナイと言っておけば、とりあえず親切そうに見えるから。

その3は、自分にとって都合がよいから(金儲けになるから。業界はツアーで稼ぎたがっています)

というわけでアブナイの連呼の中身は”不純な動機”と”正当な動機”が混じっています(笑) 

もしあなたが健康で若く体力があり、判断力も人並みにあり、登山について学んでおり、登山計画も立てて登山に出向く登山者なら、危ないと言われたら、相手の動機の成分分析をしないといけません。 当てはまらない可能性が大です。

■ 失敗例

私は元々、普通の生活でも一人でいるのが好きです。

これは子供のころからで、決してツレションなどでつるむことはなく…女性に良くあるグループ行動とはまったく無縁で成長しました。まぁ原因は色々考えられますが、とりあえず私はそういう人なのです。一人が好き。できれば、同行者には色々しゃべってほしくないくらいです(笑)

山に登るという事だけを主眼にした場合、山に登れさえすればいいんであれば誰でもよいのですが…

私の場合、山に登れればいいって感じではなく、山とはしっかり対話したい、と思っているので…誰と行くかは重要です。

というのは、去年博愛精神を発揮してみましたが、色々と失敗をしました。

失敗その1) 初心者。 手がかかりすぎます。その上、それを理解しないので当然視する人が多数。

失敗その2) おじさん。オジサンは単純にデートを望む人が多いようにお見受けしました。

失敗その3) 判断しようとしない人。「歩けますか?」「お任せします」ってありえないです。

失敗その4) 登山の常識がない人。登り4時間の山で里で8時集合していたら登る前から遭難。

失敗その5) 依存心の強い人。送り迎えもしてほしい・・・ツアー向きの人です

失敗その6) 時間にルーズな人。集合当日の朝に「やっぱり辞める」 と言われても・・・。無責任。

失敗その7) 後ろを歩きたがる人。つまり無料のツアーです・・・(汗)

失敗その8) ブランド山に行きたがる人。まだ登山者の価値観を身に着けておらず素人さんです。

失敗その9) 愚痴の多い人。山と向き合えない・・・

失敗その10) 競争心の強い人。山の凄さで競争なんかに巻き込まれると遭難へ一直線。

■ 登山判断が一致する必要があるわけ

私は、一緒に行きたいな~と思っている人が実は一人だけいるのですが、その人の何が一緒に行きたいな、と思わせるかというと…

 判断力に信頼が寄せられる

ということに尽きると思います。 

どのような判断に信頼を寄せるかは、個人によって考えが当然あります。

私にとっては (安全)>(登頂) 

と登ることへのリスクテイキングより、安全を優先した判断に信頼を置きます。私自身が登山ではかなり保守的な判断をする方だからです。

これはガイドさんなら当然そうするかというとそうでもないです。当社は登頂率No1などと喧伝していたり、強いガイドさんには逆の傾向があります。

さらに (集団のメリット)>(自分の欲求)

これは、ちゃんと見ていないと基本山ヤさんは登りたがりの人は多いので、用心。全体のことを見失う人は特に男性には多い特性です。自分を押さえて、集団のメリットが優先できるかは、男性にとっては難しい行いです。だから、男性の人間的成熟度を図る物差しによくなります。女性とは真逆ですね。

色々と考えてみると…山に一緒に歩きたいと思う相手というのは、その人の登山判断が私の登山判断と同じだった人ではないかと・・・。

一方で、一緒に行きたくないな~と思うのは、私の登山判断と相手の登山判断が違う場合です。

意見が違うのは、人間だから当然あることですが、その登山判断の意見が違った場合の根拠が問題です。

往々にして本人の都合だったりする。

それはリーダーシップとは言えないのではないか?と思います。

説得力と言うのは一種の権力の発意ですが、権力に従わせるにはよく知られた法則があります。脅しのパワー、専門家のパワー、などなど・・・その中で、もっともパワフルなのは、合理性のパワーだと言われています。

登山の場合、納得できる合理的な根拠を示せなかった場合、それは単純に判断力と言うスキル不足、なのではないか…

つまるところ、判断力に問題があれば、時間の問題で遅かれ早かれ遭難するのが結末です。

遭難と言う結末は、集約すると

・誤った判断
・スキル以上の登山

の結果、という2点に集約されます。もちろん、野生動物でも遭難してしまう雪崩や落雷などの不可避に近いものを除いてですが。

このように突き詰めると、判断タイプが異なる複数の人が集まった集団というのは、それだけで分裂・遭難の含みがあるということです。

パーティ登山は突き詰めると、そのパーティのリーダーの登山判断が自分と同じである必要がある、ということですね。


Friday, November 1, 2013

ボルジム一カ月券

■ 嫌々ながら・・・

まだ中学生の頃、クラスには係りというものがあり、私は通常は学級委員なので学科の係りはしないのですが、あえて数学の係りに申し出たことがありました。 

当時の相棒に「数学苦手だからあえて」といったら彼曰く、「だと思った」。

当時、二人で級長をするとゴールデンと言われたコンビでした。
4時くらいは誰もいない

同じ作戦で、今日は家から近所のボルジムの1か月券を購入しました。

1か月券、月始めでないと損になっちゃうので。

今日は正直3か月壁に触っていないリハビリなので、のんびり。(というか、しぶしぶって感じ?!)

ピンクと黄色の課題の全壁とピンク&黄色課題の垂壁、長いトラバースをやって、特に腕もパンプせず帰ってきましたが・・・まぁ筋トレ的にみるとパンプするまでやるべきですが、突き指からの復活一日目なので、最初から飛ばさない・・・(というより、実は私には、シールを追う作業がツマンナイだけなのですが・・・)

やっぱりボルジムって、私にはやりたくない宿題、キライだけど栄養上食べなくていけない食品、そんな感じです。

これを愉しんでやれる人は一体何を見て楽しいのだろうか・・・はぁ(ため息)という感じです。

ボルジムの課題は登れてうれしいのかなぁ・・・。 私にはその先に何かを示してくれないと何をどう頑張ればいいのか・・・はぁ(ため息) 

でも私は岩にはあんまり興味がないのです・・・脚で歩いて解決できる山が好きです。まぁ仕方ないしやるけど・・・

お兄さんの話によると、黄色テープをマスターしたら、リードに進んで良いのだそうです。え?!黄色?! ってとっくの昔にマスター済みですが・・・(って後退してまたピンクからの人生やり直しですが・・・) 後はクリッピングの練習を家でしろ、ということでした。

というわけで、意外に低い課題・・・黄色かぁ。黄色なら・・・とはいえ、なんでリードって感じですが、リードよりビレイの練習した方が良いですが、ビレイはお店の人が無料でやってくれるんですよね~。

というかホント、これで私の山の世界は広がるんだろうか・・・なんだか、陰と陽では、イケイケどんどんの「陽」の山のためにある技術のようで、だだ地球に抱かれていたい私には、なんだかちょっと方向性が違う技術のように感じられなくもないのですが・・・

とはいえ、ヨガでも陰ヨガは陽ヨガの先にあるものなので、まぁ既定の路線を歩まないわけにはいかないモノかもしれません。

今年は気管支の都合で、秋の山がみんな流れていますし、雪山に行く時期までにはまだ時間がありますし・・・11月の山ってあんまりいい場所ないんですよね。

■ 百匁柿

今日うれしかったのは、むしろ、こんな立派な干し柿用の柿をゲットしたことです♪

干し柿、長野が有名ですが、実は山梨は長野の干し柿より、うんと立派でおいしい干し柿を作ります。
百匁という品種は、一つの果実がでっかく、大きめのリンゴほどありますが、これで干し柿を作るとホントにおいしくできます。

私は去年干し柿を作る会に出て、家でちょうど今頃作って、すっごくおいしい干し柿にあり付きました。

今年は去年の倍は作りたい!と意気込んでいます。渋柿、家の裏山にも一杯あるんですが、とっていいものかどうか・・・いやどうなんだろう?!

お山は、微妙に踊り場的ですが(だって岩興味ないのに・・・行きがかり上、岩に流れつつあるし)、主婦業は順調に成長中(だといいな)です。