Tuesday, March 12, 2019

自分さえよければほかの人はどうでもいいという態度がはびこっている世界


ーーーー引用ーーーー
ノー残置も大切なことかと思いますが、夏でも冬でも、初心者と一緒に練習的な気分で取りつけるルートがだんだんと少なくなっているように感じられる昨今です。

このようなルートで先人たちに連れられて、エイドを登る技術を身につけたり、フリーにはない、エイドの楽しさを感じたりしたことがあったように思いました。

それらを今、伝承したいと思ったときに、良いルートがありません。

昔はエイドで登られていたルートなら、フリーで登れても、残置を撤去してエイドできなくしてしまうことがないようにしてほしい。

とくにそのルートの残置にさんざんお世話になっていながら、上手くなったら、すべて残んち撤去して、まだ取り付いたことのない者が取りつけなくなるようにしてしまうのは、「強者の論理」だと思います。

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まさしくその通りで、このためにアルパインクライマーが増えず、山から徐々にステップアップしてきた人が、そのままフリークライマーになってしまう結末になり、結果山からは遠くなり、ただのゲレンデクライマーに落ち着いてしまうことになるのだと思われます…。

それもこれも、自分さえよければ、ほかの人のことはどうでもいい、という強者の論理のためだったとは。

1 comment:

  1. 初めから残置を抜いて、それからフリーで登れる人が強者です。散々残置がある状態でリハーサルしてから、残置を抜いてフリーで登るのは、弱い人です。初めからナチュプロでフリーで登れないのなら、その人は登る資格がないです。登る資格がない人がフリー化したのが瑞牆山の春うららです。

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