Sunday, June 8, 2025

山や歩き

 山や歩き

英語での解説がありました。

https://www.facebook.com/reel/630724893315539

このように実例でどなたか周知用に動画を作ってくれないでしょうか?

北アでの登山道の荒廃がやむと思います。

Friday, May 30, 2025

クライミング界の“事故”はなぜ繰り返されるのか?— 見えない加害構造と女性への沈黙圧力

祝子川で死んだのは、私だったかもしれない

—「男の山」から命を守るために、声を上げるということ

日本のクライミング界で、私は思いがけない攻撃を受けました。
ある沢登りの事故に関する私の問題提起に対して、指導的立場にある男性クライマーから、こんなメールが届いたのです。

「その意見は、女性を死なせてしまった男性を追い詰めることになる。撤回すべきだ」

事故が起きたのは、祝子川(ほうりがわ)の沢登り。
女性が滝で転落し、命を落としました。パートナーだった男性は、誰の目にも明らかなリスクに対する備えをしておらず、基本的なトレーニングさえ怠っていたと言われています。

私だったかもしれない。
そう思わずにはいられませんでした。


なぜ「普通のリスク」が、見えないのか?

私にとってはごく当たり前に予測できるリスクが、なぜか多くの男性クライマーには見えていない。
それを指摘したり、「この人とは同行できない」と判断すると、逆ギレされたり、怒鳴られたり、精神的に揺さぶるような言葉を投げかけられることが、少なからずあります。

この反応は単なる個人の性格問題ではなく、日本社会に根付いた女性観や、男性の自己評価の脆さが影響していると私は考えています。

特に、「自分は頼られる男である」「登れる男は尊敬されるべきだ」と信じているような男性にとって、女性からリスクを指摘されること自体が、自尊心を大きく傷つける出来事になるのです。


「男たちの空気」が生み出す事故の温床

日本のクライミング界は、いまだに**ホモソーシャル(男性同士の同調圧力と評価体系)**に強く支配されています。
「男同士の空気を乱すな」「おまえだけ女を特別扱いするな」
そんな無言の圧力が、判断を鈍らせ、備えを怠らせ、結果として事故を引き起こす土壌をつくっています。

この文化的構造は、西洋のクライミングコミュニティにはあまり見られないものです。
あちらでは、男女関係なく合理的にリスクが共有され、意見を述べることがリスペクトされやすい。

ところが日本では、女性が「これは危ない」「あなたの装備・知識が不十分」と言っただけで、男のプライドを傷つける存在として攻撃対象になる。
そうして、結果的に――殺されてしまうのです。
「事故」と呼ばれているけれど、準備不足が原因なら、それは過失致死であり、殺人とさえ言える状況もあるのです。


なぜ事故は繰り返されるのか?

・事故の報告書は当事者間で作成され、一般公開されない
・社会的な教訓として共有されず、再発防止策も立たない
・被害者は泣き寝入りを強要される
・社会はその構造に気づいていない
・内輪の人間たちが、加害者の名誉や地位を守るために動く

これらの構造は、**日本の性被害やいじめ事件の“もみ消し”**に酷似しています。

そして、一般の男性たちは、このホモソーシャルな構造に自覚がない。
無意識に「加害者を守る側」に立ち、「彼を責めるのは酷だ」「一方的に非難するな」と言う。
なぜなら――自分の中にも、同じ加害者性があることを感じているからです。

被害者の命よりも、加害者のメンツと居場所が優先される。
その代償が、「命」だったとしても。


それでも、希望はある

最近は、日本でもホモソーシャルが通用しない場面が増えてきました。
声を上げる女性が増え、同調圧力から自由になりつつある男性もいます。

そもそも、ホモソーシャルの根底には、男性たちの低い自尊心があります。
経済力もパートナーもなく、社会的な承認を得にくい「弱者男性」が、
クライミングという非日常の舞台で“一発逆転”を狙っているのが今の日本社会の現実です。

「登れる男になれば、認められる」
「トロフィーワイフのように、女性がついてくる」
そんな幻想が、山の現場に命を落とす人間を生み続けています。


私は、声を上げる。

私は、信頼できない相手と二人きりで行かないと決めた自分を、誇りに思います。
そして、今回の事故の背景にある「構造」に目を背けたくありません。

加害者の心情には過剰に配慮しながら、同じ事故を繰り返さないための再発防止には、誰も配慮しない。
だから事故は減らない。だから、また誰かが死ぬ。

私は、あのとき行かなかったことで生き延びました。
けれど――行っていたのが、誰か別の女性だったら?
その人が、泣き寝入りさせられているのだとしたら?
私には、黙っている理由が、もうありません。


参考:

https://toyokawa-ac.jp/sawanobori/39454

https://stps2snwmt.blogspot.com/2024/05/blog-post_29.html

Wednesday, April 23, 2025

登山業界、カテゴリ地獄のゆがみ図鑑

💥登山業界、カテゴリ地獄のゆがみ図鑑

「山のカテゴリーが細分化されてる」って聞くけど、それ、実態はこう↓

❄️「私の山こそ、The・登山!」って思い込み合戦。

やれフリーだ、アルパインだ、沢だ、縦走だ。
みんな「自分の流派以外、なんかちがう」と思ってる。そして、その“なんか”が、排除の理由になる。


🎭 あるある珍百景〜山ヤ編〜

  • チューバーATC持ってるだけで「あ、こいつ外岩知らんな?」と瞬間ラベリング

  • ギアの持ち物検査で、推理ゲーム大会

  • 「ぬれた岩は苦手♡」な岩ヤ、沢をディスる

  • 「ジムクライマーはジャンダルム知らんでしょ」発言、いただきました〜!


🧠ここにあるのは、個人じゃなく構造

山の世界には「技術派閥」という名のマウンティング文化があって、
それぞれが「自分のジャンル=正義」「他はニセモノ」と思い込んでる。

そのビリーフ、こんな感じで分類可能:

カテゴリ 暗黙のビリーフ
高所登山者 技術より標高こそ価値
アルパイン派 低山=無価値
クライマー 花は見ない主義です
縦走派 軽い=チャラい
山男 女は山に来るな

…などなど、細かいマウンティングの嵐🌪️


🍷分析の結論:ジャンルごとの美意識の押し売りが、文化の貧困を招いてる

ほんとはもっと大事なことがあるはずなのに、
「すごいですね~」の一言で互いの地雷を踏まないゲームになってる現場、滑稽だと思わない?


🧭 山に登るモチベーション、ほんとにそれでいいの?

  • 有名になりたい

  • モテたい

  • 承認されたい

……それ、下界でやってくれませんか?って話。
山で“いい男”ぶっても、実際やってるのがナンパと権力利用なら、ただの山岳版ミソジニーだし。

📚吉川栄一先生の言葉が刺さりすぎる一節も引用しておくわ:

「ちんけな山岳会なんぞの組織的地位を使って口説くな。
平場でやれ。対等で勝負しろ」

拍手。👏👏👏


🌿じゃあ、どうやって山を愉しむか?

原点に立ち返ろう。

  1. 背負える分だけ担ぐ

  2. 人工物じゃなく、自然のリアルを味わう

  3. フリクションじゃなく、風の音を聞く

つまり——

山を、自己主張のステージじゃなく、自然と対話する場に戻そうぜ


🎤最後に一言:

山を「すごいですね〜」って持ち上げられるための踏み台にするの、もう卒業しない?
自分の魂の感性で山と出会えるなら、それが一番、かっこいい。


■ オリジナル

https://stps2snwmt.blogspot.com/2015/05/blog-post_13.html