Thursday, June 18, 2020

フリークライミングとアルパインクライミングの関係

■アルパインへ進んだわけ

私がアルパインへ進んだわけは、二つある。

一つは、山の世界で、アルパインクライミング(=垂直)へ進んでいない逍遥派(=水平)の人の言うことは、やはり垂直を知らないがゆえに視野が狭い、という負い目があること、その負い目を追わないため、だった。

二つ目は、垂直へ進むことが難しいことだ、ロープが出る山=超上級者の山だ、という逍遥派の人たちの思い込みを覆してあげたかったこと…ああ、あんな女性にもできるなら俺にも…ということだ。二つ目は、トレーニングなしで模倣する人が出て、目論見が違う解釈をされるので、目論見違いだった。

登山の延長線上のアルパインクライミング…、登山の世界では、クライミング要素がある山を禁忌としている水平派とアルパインクライマーの間の溝は深い…。

けれど、フリークライミングをやるようになると、アルパインクライミングで出てくる垂直は、全然、垂直じゃなくなる…。 憧れたルートは憧れでなくなる…。 重い荷を何時間も背負って、たったの3ピッチ?!とか思っちゃうわけなのだ。

フリーにおけるクライミングがアルパインと比べて強烈な麻薬のようなので、アルパインで出てくるクライミングのご褒美感が無くなる…。
 
しかもフリーの岩場って、歩かないでいいところに大抵あるので、歩きのことをアルバイト、と言ったりして、歩きをクライミングのための下働きと捉えるようになる。つい最近まで歩くことを目的に山に行っていたくせに…。

さらにシークリフを登るようになると、もはや山ですらない。もっと言えば、ボルダーへ進むと、河原、だ。

最初は、山に登るとは何か?という問いの延長で、水平から垂直が出てきたわけなのに…

いつの間にか、山という要素をほっぽって、垂直であるかどうか?その垂直が難しいかどうか?だけが問題になり、その垂直も難しくなればなるほど、短くなるんである…。

で、気がつけば、山というのはどこへ行ったんだ?!

というのが現代クライミング。フリークライミングとアルパインクライミングは、そういう関係にある。

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