■山ヤとしての理想的な成長
1)未組織登山者として3年 雪、自然保護、
2)講習通い 1年 ロープワーク&人工壁スタート
3)弟子入り&山岳会 沢、岩、氷スタート
4)クラック&個人の仲間 フリースタート ゲレンデ中心
5)コンペ&海外 個人の仲間 3)
■ 感想
私は振り返ってみたら、山は無理のない理想的な育ち方をしたかもしれません。
振り返って思うのは、1)の大切さです。私の中ではヤマレコ時代で、もっとも山が楽しかった時代でした。夫と雪の山に主に登っていました。
2)も楽しく、周りはベテランだらけで、無名山塾の机上講習会はタダなので、電車賃かけて、出かけて行ったりしました。普通の人は、この段階で山岳会に入ると思いますが、そうすると、偏った知識を授けられることになり、多くのベテランの意見を聞くことができなくなるので、講習会で、様々なベテラン、様々な会出身の人と出会うというのは、視野を広げる経験でした。
3)山岳会より、弟子入りが大きかったです。山岳会は、私にとっては高齢化で、私の成長のスピードアップより、鈍化に働く存在でしたが、高齢化と若手の会の指導者不足による無知による、無謀登山を避ける知恵が深まりました。どっちも原因は一緒なのですが、一緒に行くと、むしろ余計な危険にさらされる。
4)”安全”を選ぶと、「フリーはクライミングの基礎」というわけで、ゲレンデ中心になります… 私は今この段階です。
5)海外は、日本の岩場より易しいため。今は出費が大変な時期にいます。
…とこのように成長してきましたが、この成長の方向は、比較的最短距離のように思います。大変忙しかったです。
一般的には、1)のまま、北鎌尾根を登って終わり、が9割です。
もしくは、3)でずっと同じ会にはいったまま、なんとなく先細るか、ということになりそうな気がします。が、そうならなくて良かったです。
■ 人との出会いが重要
なぜだろう?と考えると、
人との出会い
を大事にしてきたことが一番大きなことかなと思います。
キーパーソンとなる人が必ずいましたし、その場合、私は試験?をパスしてきました。
例えば、最初の師匠の鈴木さんは、もし私が流動分散を作れなければ、一緒に山に行ってくれなかったと思います。
今の師匠も、私がアイスを自分で後輩を連れて行っていて、ギアも自分のを持っているのでなければ、一緒に行くようになってくれなかったのでは?と思います。
カム一式買うっていうのがないと、誰もクラックには連れて行かないと思います…
一般登山しかしていない頃も、ジムは年に10回くらいと少ないですが、出かけてはいました。種まき活動です。
ので、
未来に出てくることを、少し先取りする、
というのが大事なことだと思います。
最初の師匠にあった時、流動分散は作れましたが、「これって、いつ必要なのかしら?」ぐらいな感覚でした。三つ峠も、ルートも全く意味不明の段階だったからです。
そういう段階でも、いろいろと知識を蓄えるというのが大事かなと思います。