日本はクライミング後進国であり、技術的には、かなり情報弱者の立場にあり、そして、肝試しクライミングから、スポーツクライミング普及への過渡期にあるということです。
日本のクライマーが情報弱者の立場にいるのは、おそらく、世界の人と交流せず(交流が特権階級者だけが通訳つけてやる高額のコミュニケーション、特別なことになっているようです…世界では普通に若い人同士が、今日どう?みたいなノリで交流しているのに…。100年前のウエストン時代とスマホで登山くらいな格差感あり)、その理由は、単に恥ずかしがりだから、くらいな話っぽいです。
例えば、台湾の若い人は普通に英語通じるらしいですよ。
韓国で登った時は、日本人パーティで登ったため、全く外人フレンドできず。あ、できたか、ゲストハウスで会った、アイスのコンペクライマー!たまたま、泊まったゲストハウスが同じだったんだった。
海外で交流が発生しないのは、日本国内でも同じようなことが起きうると思いますが、自分のグループだけで固まるからです。たぶん。来ないでオーラ出しているのでは?グループの圧力を醸し出している韓国勢や日本勢は結構見た気がします。
フレンドリー路線の人は、日本の岩場でも感じが違いますが、海外では、そっちの人のほうが普通なので、そうでない内輪で固まる感じ(エクスクルーシブ型。古い山岳会に多く、自分のとこだけで登ります、お山の大将型リーダー引率、みたいな感じ)は、ちょっと違和感あります。例えば、岩場の場所取り合戦みたいなことも、日本の岩場では見ました。
マウンテニアリングは、日本では高齢化と人口減少で、過疎の村みたいな感じになってしまっている。特に登山が本格化した、マウンテニアリングの世界で、マウンテニアリング教育をする人、できる人、もしくは、本質を理解している人が極端に減ってしまっている。
クライミングは、マウンテニアリングから分化し、一般登山(ハイキングに劣化中)とマウンテニアリング(アルパインクライミング、雪、沢、岩、氷)に二極化し、その中でも岩だけがクライミングとして独立して、特殊分野になっているのですが、中でも、フリークライミングやスポーツクライミング、ボルダリングが、進化を遂げている最中なのに対し、マウンテニアリングは劣化の一途で、ボルトは朽ちるに任され、新ルート開拓などの光の部分は、失われて久しくなってしまっているようです。かろうじて、沢登りでは光がありますが、それも海外での遡行です。国内での遡行では登りつくされ感あり。
5.9しか登れない登攀スキルでも、新ルート開拓はできるそうですが、そうした行為に冒険的楽しみを見出すという価値観が喪失されて、だいぶたっているのではないでしょうか… 何十年レベルの。
という事情で、日本の登山者のスキルが貧弱化。スキルの貧弱化が、日本の山をまるで町中にいるような状況に変化させ、山に町を出現させ、山小屋が総旅館化しそうな勢いで、豪華化しています。
そこへ、大名登山を好む中高年がちょうどよく大量に定年退職期を迎え、お客として押し寄せて、山を町化する推進力となっているようです。
お客が増えることは喜ばしいことですし、登山者が増えることも喜ばしいことですが、このような状況が結果としては、山の知識&スキルが高い人口増(つまり登山大国化)へは、つながらず、単純に遭難者数増加につながっています。
自然を愛して、ありのままの自然をそのままに保護したいと思う人よりも、健脚自慢から派生した、とどめを知らない無謀登山自慢に流れて行ってしまっています。遭難経験ですら、武勇伝化してしまいます。
…という山の世界の概況観察結果でした。
…という山の世界の概況観察結果でした。