Monday, April 2, 2018

私の提案したい山


■ リスク中心主義



私は山のスタンプラリーや、自己顕示欲の山は嫌いです。また、特にリスクが何か?を自分で考えない山、リスク補填を自分でやらないことが前提のガイド登山は嫌いです。


登山とは、”山は危険なところである”という前提から入ります。

これが、下界との最も大きな差です。下界の前提は、”安全である”、です。


ですから、登山では、危険が何か?ということさえ、押さえていれば、ほぼ99%、大丈夫です。何を中心に考えるか?リスクです。

■ リスクをマスクした後、どうするか?

しかし、リスクを中心に考えて、リスクを避け、リスクがない部分では、距離や高度差、体力的な難易度、あるいは登攀的な難易度を上げる、というやり方では、早晩、彩りに欠けることになります。

守り:リスク中心に考える
攻め:どんどんと課題を困難化する

そこで、多くの人は、山での美食に傾きます。日本の山はサイズ的に小さいので、アルパインで鍛えた、多くの山男さんに担ぎ上げられない美食はないです(笑)。黄連谷にカニを担ぎ上げていらっしゃいます(笑)。

美食に走らない人は、美女に走る? 中高年登山では、昔歩いたルート自慢が盛んです。往年の美女が寄ってきてくれるようです。第二の青春を謳歌するのも悪くはないと思います。(と言っても、四尾根程度を自慢されたってねー。ガッシャブルム2峰とかなら、なびかないでもないが)。しかし、山のすごさで競うのは、やはり自己顕示欲の山です。






■ 楽しさを自分自身で定義し、創造する楽しみがあるのが山です






さて、美食にも美女にも走らないとすれば?何に走ればいいのか?


山は自己満足。


山の価値は、自分の満足の深さで測るという意味です。藪山に心が燃える人もいれば、岩場の陰にひっそりと咲く花を追いかけることに喜びを見出す人もいます。たのしさというのは、千差万別。

ただ、やっぱり、一つのピークを登っておしまい、という山は、平板だと思います。その山の何を知ったことにもならない。






■ 例えば 乾徳山






例えば、山梨の山で、乾徳山というのがありますが…これは、縦走もできれば、奥秩父の前座で破線ルートでもあり、プチアルパインの入門ルートである旗立岩中央岩稜もあり、ボルダーもできれば、実はトレランでも有名です。


 


ふもとには有名な恵林寺があり、座禅を組んでの瞑想ができ、日本庭園を散策できますし、ワイナリーなら、山梨の良心と言われている幾山が近いです。






春、夏、秋、冬、すべて通うことができます。まぁ、あまり冬に行く人はいないですが、春は、たらのめと蕨が、取り放題。山菜取りの山としても使えます。かつては牧場、ということです。






という具合に






文化的・民俗的軸

登山の体系的軸

時間軸

用途軸






と多面的に山を味わうというのが大事なことだと思います。私自身の山はそういう山です。






スタンプラリーにしてしまうと、達成感だけが山のご褒美になってしまい、それでは、山という活動の中で、多くの”充実感”を得ることができないのではないか?と思います。





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