■ 山岳会に入った感想
山岳会に入って丸一年。 感想は
「なんだか予想外に疲れたなぁ」
というものだった…(^^;)。
山岳会に所属していれば、
目の前のことを頑張るだけで良い
と思っていたからだった。
たとえば、月例山行にきちんと出ていれば、合宿のための足慣らしも済み、雪上講習が毎年あって、アイゼントレも済み、雪に慣れる、寒さに慣れる、岩になれる、そういった年間スケジュール的に、”〇〇をするならやらねばならないこと”を単純にお任せできる、と思っていたのだった。
しかし現実はそう甘くはない。雪上講習はないし、岩トレは自分でやるもの。月例山行は義務で参加するもの。行きたい山行と行かなくてはならない山行がバッティングして、行きたい山行より、行かなくてはいけないのが上回ると、???となる。
■ 問題点1
使える週末は限られている。
現代人は忙しいノダ! 歩ける体を作っておくためには、少々歩く時間を作っておかないといけない。しかし、そうしたトータルプランでの整合性は、会山行には期待できない。
したがって、戦略は自分持ち。
■ 問題点2
先輩の休日も限られている
先輩がいつでも何にでも付き合ってくれる時間があるとは言えない・・・
というわけで相変わらず、自分でその先を見て、その先が可能になるように、山行の計画を自主的に組んで行かなくてはならない。
・・・誰かパートナーと行くには初回は先輩の同行が必要だったりもするのだ・・・
というわけで、会山行だけ行っていれば良いわけではない。
自転車に例えると、やっぱり漕いでいるペダルは、単独で山に行っていた頃と同じくらいギアが重い・・・単純に坂道でなくなっただけで、推進力が自分自身にあることには変わりない。
それが「予想外に疲れた」理由だ。
そういう意味で、相手にお任せ、で良い人が羨ましい・・・ただ、私の強みは戦略立案にあるし、逆に言えば、自分で考えてやっていないことは身につくにも、底が浅いものだ。時間がかかっても、中身の凝縮した成長ができる、と言えるかもしれないし、独りよがりに陥るかもしれない。
■ 対策1 自分のことは自分で
というわけで、大事なことは
自分の山のスケジュールを確立しておく、
ということだ。簡単に言えば、主体性ということだ。 というわけで、ワタクシの大体の無雪期プラン。 基本、私のハイシーズンは冬で夏は山は暑くてお休み。
4月 岩スタート
5月 前半 春山合宿(雪稜)
後半 岩&沢スタート
6月 沢&小川山でフリー頑張る系
7月 沢&本チャン下見&冬季の偵察系
8月 夏山合宿(アルパイン)穂高系? 沢遠征?
9月 沢&マルチ頑張る系?
10月 秋山合宿
大体、季節の良い今ぐらいから先が、”岩、頑張る系”です。暑くなったら、今年は、”沢、頑張る系”もありますが、初級の沢限定。
■ 沢のステップアップ
先日は岩のスケジュールを確立したので、今度は沢のスケジュールを確立しないといけない。
沢に関しては、参考にできる資料がなく、手さぐりでやっていくしかない。
まずは、同行者を作る、というのが最大の難関だ。山梨で沢をやる女性はまずいない。やりたいと言う人もいない。
ということはつまり当分は単独行のリスクは受容しないといけない。ということは、かなり易しいところにしか行けない、と言う意味だ。
念のため、沢初心者むけステップアップスケジュールを考察しておく。
1) 伝丈沢・金石沢継続 歩く沢。一泊二日で沢泊に慣れる。焚火を楽しむ沢。
2) ズミ沢・曲沢継続 3~4級程度の、最大5m程度の滝が連続し、軽い登攀。
3) モロクボ沢 丹沢の初級の沢 意外に大変でロープが一か所。
4) 東沢 釜の沢 初心者の沢と言われているが、スラブが出てきて、ロープで確保が必要。
5) 金山沢・ユーシン沢継続 これは長さが長い。沢での宿泊先を見つける力も必要な沢。
私個人は、ズミ沢のような少しの登攀も濡れもある、易しい沢ををたくさんしたい感じだ。沢は、装備がそもそも縦走とは違うし、岩の登攀とも違う。もっとも、縦走が山小屋付となった今では、原始の登山により近い。
■ 知恵 vs トレーニング
沢は、どのような沢であっても、冒険的要素が強いので、むしろ地図読みの山と近いかもしれない。とにかく、いかにして悪ばを突破するか?に知恵を使う。
そうした”知恵使いが必要な山”が嫌いな人には、沢はあまり向かない。 岩もアルパインは知恵が一杯必要だ。
正反対はトレーニングの山。 トレーニングは、トレーニングだからトレーニングだけに集中したいものであり、動作がシンプルであれば、あるほど良いことになる。
たとえば富士山みたいに変化がなく、ただ上を目指せば、ついてしまうような山だ。トレーニング=反復練習と言う意味合いなので。
それはフリーも似ている。トレーニングって意味合いが強い。
というわけで、知恵が必要な沢山行は、知恵が徐々について行くということが大事で、それは本チャンと似ている。
本チャンも、悪ばを切り抜ける知恵が必要だ。知恵が身についていくには、自分が行けると思えるより、うんと下のレベルに行かなくてはならない。
知恵が足りないと、死ななくて良いところで死んでしまうことは、遭難がおおよそ判断のミスであることから伺えることだ。
■ ちょっとショックな遭難
ヤマレコで知り合いが遭難者を探して山に入っていてびっくりした。知り合いと言っても、レコ友。
私はあまりヤマレコでは、人の記録を見ないのだが、色々波紋を投げかけていた人だったらしい・・・。予想されていたことだったが、終に現実となってしまったそうだ。
ネットでお気に入りのブログを書いてくれていた人は見知らぬ他人であっても、その死は他人事とは思えない・・・
例: 三脚マンと弱力女の登山日記
バリエーションしましょ
新井和也さんのサイト
「あぶなっかしいよ」というのは、ウザいけれど、善意の言葉なので、謙虚に受け止めたい。
ウザいと言って、真に受けないのでは、まるでティーンネイジャーみたいだし・・・。
■ 山岳会は遭難時の相互救助体制
遭難では、帰ってこないときに気が付いてくれる人を作っておくのが大事だ。それが山岳会の役目、という気がする。
多くの一般登山者は、それが逆となっていて、山行計画を出さないといけないことを束縛と考えているのだそうだ。でも自由は安全の上に成り立つ・・・帰るところがあるから、思い切ったこともできるのだ。
私は若いとき、実家を頼ることができなかったので、職業選択において思い切ったリスクを取ることができなかった。同じことで、山岳会というのは、帰れる家、であるべき場所だと思う。
私の場合は、自立に関しては十分で、どちらかというと、課題は、自立することより、甘えることをちゃんと覚えることだ。
私にとっては甘えることができる人は数が非常に少ない。
そういえば、昨日は先輩がビレイヤーをちょっと頼ってくれて、うれしかったんだな。
「帰れる家であるべき」、けだし名言っすね。
ReplyDelete自分も「家で待つ家族にもなりうる」ことと、
あと、「会の内でココまで助けに来てくれる人居るかなぁ」ということが時々意識すべきこと…かも。
相手の立場に立つ、ということを学べるのが登山の良いところですよね!
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