Thursday, December 14, 2017

聴け、雪の歌

■ 人の都合に山を合わせるのではなく、山の声を聴くのが、山という活動です

私は、山をやっていて、傲慢さについて指摘されることが多々ありました。

しかし、全くその指摘に納得できませんでした。

というのは、その指摘… あなたは無謀だ…だけにとどまらず、ピッケルを売ってくれないとか、冬靴も変なのをつかまされるとか…は、私が女性であることによる見くびり、を起源にしていた、と客観的に見て思うからです。

無知無謀のそしり、は、数多く受けてきました。もし、

 年間25日しか山に入らない登山歴10年の中高年おじさん

が、私に俺の言うことを聞け、と言うならば、私はそれを無視します。

当然でしょう。私は私の命を自分で守る義務があります。

そして、そのようなことが多い…人の命を自分のエゴのために危険にさらしてもいいと考えている人が多い、のが昨今の山岳会の事情です。

私の年間山行日数は、アルパインクライミングをスタートして年間100日を超え、去年は128日です。すでに累積山行数では500山を越えています。雪だけでも、120日超えています。

この場合、傲慢なのは、おじさんと私のどちらなのでしょうか?

それは、遭難者統計に表れている、と思います。

■ 信じる道を歩め

それらは無視し、自分の信じる道を歩んできました。

山をやっていれば、だれだって不安になります。それは、

自分の無知を自覚するから

です。それは良いことです!その気持ちを利用して、勉強し、自分の経験値としましょう!

中崎尾根の何がどう危ないのか? わからなければ、それは、チャレンジにすら、なりません… 

ですから、ある山に挑む資格試験があるとすれば、最初の試験は、

 リスクを数えられること

です。次の試験が

 リスクに備えられること

です。

そもそもリスクを数えられていなければ、行っても何の経験知にもなりません。夫の仙丈ケ岳のように、です。そもそも、わかっていないことが分かっていない、と分かっている人に指摘される状態です。

しかし、すべての人が、最初は分かっていないのです。ですから、わかっていないことが分かるようになったら、前進です。そこからスタートです。

雪の山は、すべての斜面が雪崩の危険があります。厳冬期北アは、天候の読みが核心で、読み間違って、暴風雪となると、一週間缶詰め、のリスクがあります。まぁ、アプローチが短い中崎尾根ですから、逃げ道が絶たれることは確率的に少ないし、正月ならば、特に警察署や他のパーティの存在もあり、十分リスクをマスクしていると思いますが、私自身は、自分自身のリスク管理として、1週間雪中ビバークできる自信がないと、厳冬期北アはやめておこうかなぁ、と思います。理由は、パーティの他のメンバーに同調しないといけないだろうからです。

パーティを組んだ場合、一番弱いメンバーに合わせるのが山の掟です。大体、私はその弱いメンバーにあたることでしょう。(ちなみに66歳だった最初の師匠より私は雪では強かったですが)

今の時代は、自分が行きたい利己心のほうが、メンバーの命の重さより勝る人が多いので、そうでないと確信できない限り、北アのようなところではパーティを組みません。

ちなみにもし山岳会に入会すれば、塩見にも行けたかもしれないのですが、私より雪経験が浅いと思われるパーティに、リーダーではなくメンバーとして参加するのは、私自身に降りかかるリスクが大きいと思いました…ごめんなさい。

でも、新参者、入会して間もない人は、会の中で発言権がない、もしくは低いのが当然なのです。その場合、相手の知識が自分より上ならいいですが、そうでないと…。

■ 謙虚であるのは、人に対してではなく、山に対して

謙虚であるのは大事なことです。

しかし、Aさんが、俺を尊敬しないからお前は傲慢だ、と言ってきたら、あなたはどう思いますか?

そのAさんこそが謙虚でない第一の人だと思うのではないでしょうか? 人は他者からの敬意を喜びます。もちろん、失礼な人は論外ですが、根拠もなく、リスペクトしろ、というのは、そう要求する人のほうが傲慢なのです。

根拠のないリスペクトを求める人のほうが傲慢です。

山では、人間は一律平等です。66歳だからと言って(あるいは20代で経験が浅いからと言って)、気温がー25度から、-5度に易しくなってくれるわけではありません。風もです。雪崩もです。

初心者が来たから、今日は雪崩れないでおこう!なんて、山は考えない。

ただあるがままです。ですから、対峙するのは、山、です。山を観察し、どのような条件の時に、その特定の山がどんな様子であるか?それを知っていることが大事です。

つまり、山との対話というのは、槍ヶ岳なら槍の歌を、八ヶ岳なら八つの歌を、富士山なら富士山の歌を聴けるようになる、ということです。

山はそれぞれ違い、リスクは固有なのです。北アは一座しか行かないで終わり、という登り方をしてきたら、一生、北アの歌は聞こえるようになりません。

私は、雪の歌を聴ける登山者になりたいと思い、八ヶ岳からデビューしました。ホームは八ヶ岳です。途中八の個性を知るために、豪雪の谷川に行ったり、上高地に行ったり、飯山に行ったりとレベルに合わせて、別の土地に雪の歌を聞きに行きました。分かったことは、八つだって、やり方次第では雪洞泊もできるってことです。

でも、八ヶ岳では八の歌を。それは、冷たい氷の世界の歌でした…だから、アイスクライミングしていたんですね♪

師匠の言葉ーーーーーーーーーーーーーー
パーティを組んだら一番弱いメンバーに合わすのは当たり前の事、天候判断で即中止して来ました。

無知無謀と言われた事は数え切れない。

それはその方にとっては無知無謀であるのであって、傾向と対策出来るならそうではなくなる。

悪天候時の行動を可能にする経験値は、どこで経験するのか?

それは自己の行動でしかない。

傾向と対策、その責任の有無でしかない。

こんな思いでやってきました。

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初めての自立した山行で怖いのは当たり前! 何歳であっても、男性であっても女性であっても、雪の歌を聴ける人が山ヤです。

勇気をもって、雪の歌を聴きに行ってください☆


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